第9話 意図した夜更かし
帰宅して毛玉のついた部屋着に着替えてから、フライパンをコンロの上に置いた。早炊き設定で米を炊飯器にセットし、三十分後に炊き上がる表示を確認する。
「よし……」
珍しく、貰ってきた割り箸ではなく、一人暮らしを始めた時から使っている塗装の剥がれた箸を出した。水道水で軽くすすぎ、水気を切る。
カップ入りの中華スープの作り方を眺めて、電気ケトルでお湯が沸くのを待った。
「あ、テーブル」
テレビ用のリモコン、エアコンのリモコン、朝無造作に置いた眼鏡、飲みかけの水が入ったマグカップ、横置きできるスマートフォンスタンド、風呂上りに使う保湿用のジェル、折りたたみ式の鏡、何週間前から置きっぱなしになっているのか分からないダイレクトメール、どこから出てきたのか分からないネジ、揚げ物を入れた容器をおさえていた輪ゴム、食後は必ず使う爪楊枝、何年使っても使いきれない魔法のボールペン、切れ味が限りなく悪いはさみ。
それらはなぜか、ここは自分の場所だと主張していた。いつも一緒に食事をしていた。餃子定食を飾るために、それらの雑貨類には一度、すべて床に移動してもらった。ウェットティッシュでテーブルを拭き、続けてティッシュで二度拭きすると、ティッシュは薄い茶色に染まり、細かい埃を捕まえた。
(結構汚い……)
一人で暮らし始めて十年近くになるが、ローテーブルは一応気付いたときに拭いていた。仕事で疲れている時にはあまり気付かないが、調子のいい時には三日に一度は拭いていた。たまたま今回は二週間ぶりの掃除になってしまっただけだ。
(動画何見よう)
地上波放送は地震があったときにしか見なくなった。テレビのリモコンに付いている、動画投稿サイトのボタンを押して、登録チャンネルの新着アップロード動画を探す。
気に入っているチャンネルは、人間の顔が映らないチャンネルだ。キャンプや料理、車中泊は景色や手元を映しているものを中心に見ている。投稿者の息遣いが入っているものは構わないが、顔を出してタレントのように話されると疲れてしまう。それに気づいたのはここ五年ほどだった。
「ああ、温泉か……」
国内を旅行する車中泊のチャンネルは、道の駅の温泉に入る様子をアップロードしていた。大抵、コメント欄が荒れるので嫌いだ。『許可を取ったのか?』や、『施設の許可があっても、周りの人が……』と言ったようなコメントがつく。アンチと呼ばれる層なのかは分からない。正義マンと言われる層なのかもしれない。仕事で似たようなことを何度も言われる春木には、このような回は辛い。忘れたい仕事を思い出させる。
「違うやつに……」
動画投稿サイトには、優秀な機能がたくさんあるのに、いつもおすすめされる動画には食指が動かない。おすすめ機能と仲良くなれた気がしない。
「ゲームとか……」
幼い頃に少しだけ遊んだゲームのリメイク版を、春木とそう変わらない年齢の人間が遊ぶ動画を見ることにした。動画のファンは三百万人近い。
どんな気分なのだろうか。三百万人以上の人間が自分の声を聞いて、友人のようなコメントを残していくのは、嬉しいものなのだろうか。春木にとって、それは怖いことだ。知らない人間と関わりたくない。そのくせ、寂しくて人の気配がする動画を見たくて仕方がない。
ただただ、厄介なのだ。年々自分の機嫌を取るのが難しくなってくる。機嫌が取れたというようは、諦めでそうしているという時の方が多い。
「餃子全部食べられるかな……」
昨日投稿された、約四十分のゲームの動画を見つけ、あとは食事の準備だけだ。十二個入りの餃子の外袋を読み、水・四分の一カップの部分で立ち止まり、計量カップをどこにしまったか探し回る。
(取っ手が壊れて捨てたんだ)
一通りキッチンを探し回ってから記憶がよみがえり、納得した。洗い上がったマグカップ置き場から、茶渋のついたグレーのマグカップを取り、少しの水を注いだ。
準備は整った。石鹸で手を洗い、わざわざ洗い立てのタオルを取り出して手を拭いた。そして、長袖の部屋着の腕をまくり、両手の平を擦り合わせる。
「よーし……」
電子レンジ以外で食品を加熱するのは久しぶりだ。
炊き立ての白米と、焼きたての安い餃子、インスタントの中華スープと、氷を入れたウーロン茶。お供に、子供のころに見たゲームのリメイク版のプレイ動画。
テーブルの下には、取り急ぎ卓上からどけられた雑貨達があるが、気にしない。
金曜日はこれからだ。
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