第6話 交わしていない約束

 珍しく春木は土曜日に予定を入れた。映画館で映画を見るのはいつぶりだろうか。ストーリーについて行けるだろうか。

 結局、不安は杞憂に終わった。初めて見るキャラクターが何人もいたが、ストーリーの最初に説明があった。少年時代に見た時に推理要素の強かった作品は、いつの間にかアクション要素の強い作品になっていた。

 それでも、映画の途中で二回ほど泣いてしまった。

 満足感を得て映画館を出る。

(結構よかった……)

 澱の溜まっていた場所に、小さな鳥の卵を抱えた気がした。ずっと温めていないと死んでしまいそうだ。壊さないようにするために、混み合う売店でパンフレットを買った。

 定期券とは反対側の駅に来たが、繁華街というのはおしゃれな人間が多いと気付いた。

(僕、ださくないかな……)

 ファストファッションを身に纏い、年に数回、着られなくなった服を買い替えるだけの春木に、久々の繁華街はまぶしかった。

 誰もかれもが友人や恋人と二人以上で歩いているように見える。一人で歩いている人間も、待ち合わせのために移動しているのではないかと思えてくる。

「あ、なんか…」

 手にした映画館の売店の袋を握ると、お腹の中の卵はぬくもりを取り返した。足元がふわふわとして、まっすぐ歩けているのか不安になる。向かっているのは駅ではなく、反対側にあるチェーン店のカフェだった。

(新作、いちご……?)

 遠くから見えた看板の商品を目指して歩く。信号で立ち止まったタイミングで、スマートフォンを取り出して、カフェの新商品を検索した。

(飲めるかな……)

 信号が青に変わり、スマートフォンをポケットにしまってゆっくりと歩きだした。

 夕方に差し掛かる時間だ。席に座ることは期待していない。

 店内に入り、あたりを見渡すとやはり満席だった。レジに並ぼうか迷っていると、有無を言わさずにメニューを渡され、レジに並ばされた。

「お決まりのお客様! こちらへどうぞ!」

 ベルトコンベアに乗せられたように、前に進んだ。

「あの、こちらの、いちごを……」

「はい! 他にはご注文は?」

 店員がケースに入ったパンやケーキを示す。

「いえ、以上です」

 大学生の時ならば、食べられたかもしれない。しかし、今は胃もたれをしてしまうだろう。そして、お腹の中にいる小さな鳥の卵がいなくなってしまう気がした。

「はい! 順番にご提供します。受け渡しカウンターでレシートをご提示ください」

 静かに頭を下げて、受け渡しカウンターに並ぶと十人近くがカウンター周りに立っていた。レシートに書かれた三桁の番号を確認してから、購入した飲み物の代金を見る。

(七百円も……)

 カフェのコーヒー代ですら惜しんでいたというのに、おいしいのかも分からない甘い飲み物に七百円も支払ってしまった。

 所在無げに立っていると、番号が呼ばれた。レシートを見せてからプラスチックのカップを受け取り、どこで飲むべきかと辺りを見渡す。店を出て歩きながら飲んでも良いのだろうか。適当なベンチを探すべきだろうか。

(僕は、何も決められないな……)

 店を出て入り口の横で、立ったままストローに口をつける。

(おお……いちごだ)

 果肉とジャムの混ざったような甘ったるい味が脳に回り神経の中ではじける。

(観光地のアイスみたいだ)

 半分ほど飲んでから、歩き出した。そろそろ疲れてきた。家に帰って、部屋着に着替えてごろごろしたい。日頃の生活がそうさせる。

(これ、うまいな……)

 持ち帰ってからしばらくの間、飲み終わったカップはローテーブルの上に置いていた。捨てるのが惜しかった。一人でもできた成功体験が嬉しかった。

カップに描かれた店のロゴがトロフィーに見えた。

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