第5話 僕はずっとむなしかった
「僕は、友達が欲しいんです」
秋長にとって春木の言葉は悲痛な叫びに聞こえた。コップの水が溢れてしまったような春木の言葉の続きを待つ。
「僕は、友達が……」
テーブルに肘をついて、両手で顔を覆った春木を見ていると、秋長の中に二つの感情がわいてくる。共感と、憐憫だった。
「お気持ち、よくわかります」
深く頷いて、カップを手に取り口に運んだ。紅茶を飲みほしてはいけない気がして、わざと飲むのをやめた。
「違うんです。友達……違うんです……」
もし彼が亡霊ならば、誰かに憑付いて寂しいと泣きながら、悪さをするはずだ。それくらい、彼は一途に友人を欲しがっているように見えた。
「どんなことが、したいですか?」
春木の年齢が分からない秋長にとって、春木の求める友人関係とはなんなのか見当がつかない。ライフステージによって、友人との形は変わる。仲違いなどなくとも、連絡を取ることがなくなる関係はいくらでもある。
「一緒に、映画を見たり、感想を言ったり……流行りの店、とか……くだらない話をして……」
言葉を発している春木を見ていると、彼自身も何をしたいのか理解していないように思えた。思いつく行動はあるようだが、春木の求めるものは、その行動を一緒にしてくれる人なのだろうか。それは、友人なのだろうか。
「僕は……」
若者の悲痛な叫びというのは、かくも老いた心を締め付けるものか。
「春木さんは、大人の友達がほしいのですか?」
顔を上げた春木は、血走った眼で秋長を見た。何を言われたのか、理解できなかったのだろうか。もう一度同じ質問をすべきか思案する。
「友達って……同じ年齢じゃないんですか? 大人の友達って……?」
少し、答えを急がせすぎたかもしれない。しかし、今日出会った中年にこれほどまでに心情を吐露するところを考えると、春木はどこか追い詰められている気がした。
「いえね、年齢や性別や、それこそ種族を超えても友達と呼んでもいいのかもしれない。と、思いまして」
しかし、春木は首を横に振った。
「そういうの、もういいんです……」
弱弱しくそう言って、春木は深くため息を吐いた。
「わかります。そういう、関係があるのは……でも、僕は……」
春木の顔はまた両手に覆われてしまった。
ゆっくりとうなずいて、秋長は少し冷めたミルクティーを口に運ぶ。時間を置いたおかげで、ちょうど良い温度になった。
「春木さんは、同い年の人と、学生時代のような友人関係を築きたいのですね」
両手に埋まったままの顔は、静かに一度だけ沈んだ。
「僕、友達……ずっと、いなくて……」
カップをソーサーに戻し、両手を膝の上に載せる。彼は、あまりに深刻だった。
「いじめられたわけじゃなくて……。本当です」
疑っていないと言いたくて、春木を見て二度うなずいた。
「でも、分かり合えるというか、そういうのは、いなくて」
おぼろげに、彼の憧れが分かる気がした。
「気の置けない同級生の友人が欲しいんですね」
言いたいことが伝わったのに安心したのか、春木は顔を覆う両手を外した。
「何でもないときに、何でもないことで連絡したり……、失敗するって分かってることに挑戦して、気まずくならずに笑い話にしたり、そういう、すみません。よく、わからないです。僕が、分かっていないんです」
恐らく、彼はクラスメイトを友人と呼べなかったのだろう。部活動が同じ同級生も、同じ部活の人程度の認識で、友人という扱いにはならなかったのだろう。
「すごい、羨ましかったです。人の話で、家遊びに行ったのに別々にマンガ読んだりゲームしたりって……」
僕には無理だったから。と、春木は呟いた。今、少し話しただけで、春木がいかに真面目かは分かった。きっと、人付き合いも真面目で、同じような性質の人間と出会う機会がなかったのだと、秋長には分かった。
しかし、春木にそれを言っても、彼は信じないだろう。
「どうして、私にそんなに大切な話をしてくれたんですか?」
尋ねると、春木は目を見開いた。
「あっ、あの、すみません。迷惑をおかけしました。僕のくだらない話まで、お時間を取らせてしまって、本当に申し訳ありません」
仕事で何度も口にしているのであろう謝罪の言葉が、スムーズに春木から出てくる。若い人間がこんなにたくさん謝る必要はないのだと、胸が苦しくなる。
「いえ、わかりますよ。……わかります」
気の置けない友人の作り方は、秋長にも分からない。年長者として、若者の助けになりたかった。人生の先輩となりたいが、この方面では役に立てないかもしれない。
「わかりますよ」
ただ、同じ虚しさを抱えたことがあるとだけ伝えたかった。春木にとって意味はないかもしれないが、聞き手が自分のことを話さない共感は、人を救うことがある。一度、秋長はそれで救われた。
「春木さんのお気持ち、わかります」
同じ言葉を何度も、速度を変えたり抑揚を変えたりして続ける。それだけで、春木は少しずつ顔を上げて、血色を取り戻してくる。
「私ね、毎週金曜日は、ここに来るんですよ」
「はい」
春木は真剣に秋長を見つめる。その目に期待はない。上長の指示を待つ部下に見えた。
「今週末は、映画館で映画を見るつもりです」
「はい」
スマートフォンを開いて、画面を春木に見せた。
二十年近く前から毎年公開されている映画で、今年の物は特に評判がいいらしい。春木の周りでも、子供を連れて行ったと言う同僚は何人かいた。
「ですから、春木さん」
秋長の瞳は、細く小さい。優しく笑うと、皺の中に埋もれてしまう。
「私は、映画を見るとね、感想を言いたくなります」
普段は、日記に感想を書いています。と、照れながら付け足した。
「でも、ネタバレというのは、嫌でしょうか」
「あ、はい、いえ……」
春木の瞳の血走りは消えていた。目の淵には涙がたまっているように見える。
「では、よい週末をお過ごしください」
ミルクティーを飲み干して、秋長は立ち去ってしまった。ぼんやりと、小さくなっていく秋長を見つめる。バッグはやはり重たいのだろう。体が左に傾いでいる。
「週末か……」
明け方に寝て、夕方に起きて、家事を片付けて、スマートフォンを触っていたら終わる週末。不足品があれば、買いに出かけ、寄り道もせずに帰宅して部屋着でごろごろする生活。
同じような暮らしをしているのだと思っていた秋長は、自分と違うのだろうか。
「来週の金曜日……」
スマートフォンの予定表に、『アキナガ』と入力した。今月の予定表に入った初めての予定だった。
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