第5話 地獄に輝くはやはり絶望だった

 みやびに彼氏ができたらしい。

 その噂を耳にした瞬間、俺の脳が急激に動作を緩めていくのがわかった。


 ただ、自分が失墜させられた事件のように、噂なんて当てになるものではないことも知っている。人の話を吟味せずに鵜呑みにすることのまずさを、俺は知ってる。

 それに、あれだけ俺に親身にしてくれてるんだから、雅も俺のことを多少なりともにくからず思ってくれているのではないか、という思いもある。


 だから自分の目で見て確かめるまでは、他人の言葉を安易に信じたりはしない。






 そう思っていたところ、とうとう目にしてしまう。

 御霊みたま家のマンションの前まで大学生らしき男性と並んで楽しそうに話しながら歩く雅の姿を。


 幸いなことに、別れ際にキスしたり手をつないでいた、といったところを見てしまうことはなかったけど、遠目にも親しそうには見えた。

 あれが噂の彼氏かもしれない。いや、むしろその可能性が高いのではないか。


 噂では雅の彼氏は年上ということになっているらしいし、大学生っぽい彼はその条件にも合致する。


 それでも......自分の目で見た光景でも、自分の直感でさえも信じられなかった俺は、我慢できなかった。

 その男と離れて家に入っていく雅を呼び止めて直接尋ねてみた。尋ねてしまった。


「み、雅......? さ、さっきの人は......?」


「あ、アル、帰ってたんだ! さっきの人って......? あぁ、もしかして蓮馬はすまくんのことかな?」



 蓮馬くんとやらが誰か知らないから、俺が見た彼がその人なのかどうかは定かではないけど、話の流れ的にはそうなのだろう。

 けど、まったく躊躇いみたいな様子を見せない辺り、彼氏じゃないんじゃないかな。


 彼氏だったらもっと微妙な反応をしてたり、俺ともっと距離をおいたりしてるんじゃないか。

 そうだそうだよ、彼氏がいるなんてただの勝手な噂に決まってるじゃないか。


 だけど、そんな俺の現実逃避はすぐさま切って捨てられることになった。






「彼はねぇ、媒蓮馬なかだちはすまくん! あたしたちの1つ年上の大学生で、あたしの彼氏だよっ!」






 こんな世界滅んでしまえ。



*****



 その後はもう何を話したのかも覚えていない。

 2、3会話を交わして、すぐに自分の部屋に戻った気はするけど、その仔細の記憶はない。


 雅に、脈アリだと思ってた相手に、唯一の味方だと信じていた相手に、彼氏ができてしまった。俺が告白する前に。


 俺が、大学に受かったら告白しよう、だなんて悠長なことをのたまってマゴついてる間に。


 見かけた大学生は結構チャラそうな見た目をしていた。いかにも遊んでそうな見た目。

 きっと、雅の初体験もいろいろ奪われるんだろう。なんならすでに奪われた後かもしれない。


 ここのところモンモンと妄想していたあれやこれやも、俺から奪い取っていくんだろう。


 悔しい思いが渦を巻くも、すべての責任はさっさと勇気を出さなかった自分自身にあることは明らか。

 別に雅も蓮馬くんなる人物も一切悪くない。


 悪いのはチャンスを掴めない俺だけ。


 だけどその無力感が余計に俺を惨めにさせた。


 彼氏がいる幼馴染の女の子の家にお世話になってる。その状況もたまらなく嫌気が差していた。


 それでも俺はなんとか諸々を飲み込んで御霊家に居候させていただき、学校にも通った。

 不思議だったのは、雅が何食わぬ顔で俺の部屋に来て料理を作ったりしてきたこと。


 彼女にとって俺はただの庇護対象だったんだろう。

 彼氏がいるにも関わらず、それまでと一切変わらない様子で接してくる。


 ある日、あまりにも気になってしまって、つい「なんでそんなに俺に優しくしてくれるんだ?」と聞いてしまったことがあった。

 聞かなければよかったと、心の底から後悔した。


 だって返ってきた言葉は、『え、だってあたしたち幼馴染じゃん。困ったときはお互い様だよっ』だなんていう軽いもの。

 俺を助けてくれたのも、辛いときに味方でいてくれたのも、『幼馴染』という時間に基づく関係だけ。


 男女の間に生まれる愛情ではなく、友人との間に生まれる情だった。


 それを聞いて、より一層惨めな思いをすることになったわけだ。


 そうして俺に向けてくれる彼女の笑顔が、努めて悲しい表情をしないようにする俺に向けた、悪魔みたいな微笑みに思えてしまったことも、両手の数では足りないくらい。


 そんなわけがないのに、雅の瞳が怪しく光って、口角は異常に吊り上がり、口元からはわずかに涎まで垂らしているように見えたことすらもある。


 思い出してみると、その前後でものすごい眠気に襲われていた気もするし、もしかするとアレらは夢なのかもしれない。


 俺の雅に対する惨めな思考が見せた悪夢。そう思うとすべての辻褄もあう。きっとそうだ。

 まぁ、そんなこと真実がなんであったとしても、俺にはどうでもいいこと。


 雅は、他の男のものとなった。それだけが事実だ。






 それ以降は勉強もなにも手につかない。

 唯一の生きる希望だった雅もすでに他の男と一緒になっている。


 もはや生きる意味を見つけ出せないでいた。

 どちらかといえば、死ぬ決め手となるタイミングを逃しているだけで、惰性で生き続けている状態が続いた。


 結局大学受験もしなかった。就職活動をしていたわけでもない。

 ただ無為に時間を浪費していた。


 そうして高校3年の3月頭。卒業式を目前にしたその頃。


 卒業式で色んな人、特に彼氏クンと一緒にいるかも知れない雅を見るのは絶対に耐えられないと思った俺は、卒業式を迎える前にこの街から姿を消した。













 雅のいない、他の知り合いも誰もいない、そんな場所で生きていくために。


 だけど世の中は全然甘くなかった。


 最初はホストクラブに勤めた。


 高卒で着の身着のまま出てきた場所で、1人普通に生きていくことができる仕事は早々なく、幸運にも道端でスカウトしてもらって、さらには寮があるとのことで、金儲けと住む場所を両方得られる好都合な条件だったから。

 それに、幸いなことに自分の見た目は悪くないと思う。


 あの事件があるまではそこそこモテてたと思うし、今も、目が死んでること以外は悪くない。

 雅が健康的な食生活をおくらせてくれたおかげだ。


 そうして雅のことを思い出したらまた死にたくなってきて、そのこともお客さんから振る舞われる酒を流し込んで考えないようにした。


 18歳で普通に接客することを許すなんて多分ブラックな職場だけど、俺にとっては好都合なので自分の持てる力は全部発揮して頑張った。


 その生活が2週間ほど続き、ようやく仕事にもなれてきた頃、俺は唐突に解雇を宣言された。

 突然辞めさせられるなんて納得いかないと少しごねたけど、オーナーに『頼むから辞めてくれ』と泣いて頼まれてしまって、心が折れた。


 そこまで嫌われていたり失敗した記憶はないのに......。




 とはいえ、たった2週間しか働いてないのに給料+アルファで金をもらうことはできたのは一安心だった。

 それからすぐ別の仕事を探して、似たようなホスクラで働き出した。


 その新しい職場も同じようにクビになった。働きはじめて3日目のことだった。


 その次の職場の居酒屋も、その次のコンビニバイトも、派遣会社での契約さえも、1週間を待たずしてクビになった。

 どの職場も、それまでは尊敬に値するよい店長さんたちに雇ってもらえていたのに、1〜2週間前後がたつと俺に辞めるよう泣いて懇願するようになる。








 そうしてさらに絶望が深まっていたところに今日、2ヶ月強ぶりに再開した雅からお願いされた『中絶手術の同意書』へのサイン。



 ようやく俺は雅から逃げて返せていなかった、彼女から受けた恩を返す機会を得られたらしい。




 死ぬための決め手を、手に入れることができたらしい。

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