第50話 三毛猫の友人

 休暇初日、私はベッドから動かぬ不動の自堕落休日を過ごしていた。昨日は調書、始末書の作成。休暇の申請書を書く以外にほぼ仕事も割り振られておらず雑な仕事をして過ごし、ミスティに昼食時に出会ったので今日の夜に飲もうと約束を取り付けていた。


 トークンの件は胸の中でわだかまっていたが、いくら考えようともう結末を変えることはできない。自分の無力を呪うしか。少しばかり枕に顔を押し付けて滲んだ涙に気が付かぬふりをしつつ、まあ結局時間も過ぎに過ぎ。


 気がつけば終業しているだろう時刻だった。そろそろミスティの仕事も終えるだろう。夕食でミスティと合流し、そこから酒を買い込んで部屋で飲むつもりだった。


 そろそろ飯食いに行こうかな〜とだらけて居ると来客があった。ミスティだ。扉を開けて招くと、私のベッドに飛び込んでうう〜、と唸っていた。


「どうしたどうした」

「最近の暴動騒ぎで長らく休みもなく働き詰めだったの。ねえ! あんたたちに着いてっていい!?」

「え? 休み取ったの?」

「取った!!!」


 じたばたとベッドで暴れて呻いているミスティを見るに、相当激務だったらしい。まあ秘書室勤務って結構大変そうなイメージだ。それなりにストレスも溜まることだろう。


「私はいいけどヒューノバーに聞いてみようか?」

「あいつにはもう許可は取ってあるわ」

「仕事が早え」


 まず夕飯食いに行かね? とミスティを誘うとのろのろと起き上がる。


「ああ……何で私秘書室に居るんだろう。ああいう騒ぎあったのなら激務になるのも仕方ない部署ではあるんだけれども……」

「お疲れ様です……。飯食って酒買お〜」

「ちょっと高めのワイン持って来たから飲みましょ。ご飯食べたら」


 ミスティがバッグからワインボトルを取り出す。それ朝っぱらから入れていたのだろうか。部屋着から着替えて食堂に向かう最中、私は遭遇したくない彼女に出会ってしまった。


「あら、ごきげんよう」

「あ〜、ドモ……」


 ライオンの獣人の女性、リリィ・サクソンである。


「あなた、挨拶くらいもっとしっかりなさったら?」

「はいごきげんよう」

「一々腹が立つ方ね……」

「ごきげんよう、サクソン」

「ああ、秘書室の方ね、あなた。ミスティ・バーノンで合っていたかしら」

「ええ、友人に何かご用が?」

「たまには敵情視察でもと思いまして」


 私には見える。ミスティとリリィの間にばちばちと火花が散っているのが。こえ〜、女の探り合いこえ〜よ。ヘア〜、と呑気に二人のやり取りを見ているが、ミスティ、恐らくレスバ強えんだろうな……と謎の信頼を感じていた。


「何ですか、その呆けた顔は。はあ、喚びビトって平和ボケした方が多いと聞くけれども、あなたはその中でも随一かしらね」

「はは……すみません」


 うう、女の戦いとか私は慣れていないんだよ。こういう時、どんな顔をすればいいのか分からないの。笑えばいいと思うよ。と、とりあえず笑みを浮かべたが、間抜けな顔と誹られるのだった。そこまで言わずともいいだろうが、本当のことでも。


「私は友人と夕食に行くので失礼を」

「あら奇遇だわ。わたくしも夕食をと思っていたところですの。ご一緒しても?」


 絶対夕食会場お通夜みたくなるだろう。嫌だよ。とも言い出せず、ミスティもじゃあご一緒しましょうか。と営業スマイルを貼り付けて誘っている。助けてほしい。私は女の戦いに放り込まれた羽虫です。火花に近寄って燃え盛る羽虫です。


 食堂までの道のり、ミスティとリリィは火花を散らし雑談しながら歩いている。ミスティ、デコイになってくれているので大変助かる。リリィの目的は本来私だろうが、庇ってくれているのだろう。


 そうして私はふと思った。これミスティ撫でたらどっかいってくんねえかな、と。少し歩幅を小さくしてミスティの斜め後ろへと下がる。そうして三毛の模様の入った耳に手を伸ばそうとするとミスティが一気にこちらに振り向いて私の手首を掴んだ。


 ミスティが笑顔で無言の圧を発している。それに私は引き攣った笑みをこぼす。


「どうしたのかしら」

「いえ、なんでも?」


 ミスティに腕を引っ張られて隣に並ばせられる。怖い怖い怖い。


 結局食堂まで腕をぎりぎりと掴まれたまま拘束され、注文を終えて席で待っていた。


「サクソン、あなたの働きぶりは秘書室にも届いていますよ。やはり腕利きね」

「あら、ありがとうございます。バーノンさんも秘書室で欠かせぬ人材でしょう? だってグリエル総督の右腕ですものね」


 ほほほ、と二人は笑っているが、私はひとりお通夜会場を開いていた。数珠でもあれば拝みながら擦っているところだ。手すさびをしながら、ねえ。とリリィの声が聞こえた。


「喚びビトさん。あなた、潜航で失敗したそうね?」

「あー、はい……」


 どこからか噂が漏れていたらしい。トークンの件だ。リリィはせせら嗤いながら私を睨め付けた。


「失敗するだなんて、何のために喚ばれたのかしらね? あなたに付き合ってあげてらっしゃるヒューノバーさんがお可哀想」

「そうですね。私にはまだ経験不足だったようで……」

「ヒトひとりの心を壊した癖に、随分と楽観していらっしゃるのね。心を壊すだなんて、殺人と大差ないのでは?」


 その言葉がぐさりと胸に刺さる。分かっているさそんなこと。後悔し続けて、きっとここで生きていく限り忘れることのできない失態だと。トークンを思い出し、少しだけ俯いた。


「ヒト殺し」


 言葉が刃のように心を抉った。……トークンの件は、確かに取り返しのつかぬことだ。心を壊すだなんて、確かに殺人と大差はないことであった。涙が滲み出そうになっていると、黙りこくっていたミスティが低い声で話し出した。


「あんたいい加減にしなさいよ」


 隣のミスティを見れば怒気を含んだ表情でリリィに向かっている。


「心理潜航捜査官ってのは、自分にすら被害が及ぶ危険な仕事なのよ。訳ありの潜航対象者の中には殺人鬼だっている。犯罪に手を染めた人々を多く扱っているの。自分が精神崩壊に陥る危険を冒して潜航するのよ。何も知らない外野が一丁前に謗ってるんじゃないわよ!!!」


 ばん、とミスティが机を強く叩いた。


「ミスティ、もういいよ。事実なんだから」

「あんたは良くても私は良くないの。友人謗られて黙ってられるヒトじゃあないのよ? 私」

「……品がないわねえ」

「あら? 人の失敗を喜んでいるあなたこそ品がないのでは?」

「なっ」

「あんたが仕事出来るのも知ってる。でもね。ミツミは発展途上なのよ。勝手に喚ばれて、この惑星の一般常識だってまだ分からないことだってある。充分な知識も無く付け焼き刃よ。でもね、喚んだ私たちの勝手に素直に付き合ってくれてる気のいいやつなの。ミツミに文句を言いたいのなら、上を通しなさいよね。采配したグリエル総督にね!」


 ミスティの言葉に、少しだけ泣きたくなった。まだ出会って数ヶ月だ。それなのに、こんなに私のことを心配してくれていたのだと分かったから。


「サクソン、他行ってくれないかしら。あんたと食べる飯なんて、ゲロ以下の味しかしなさそうだもの」


 ぎりぎりと歯を食いしばってるリリィに腹の底から冷えていそうな言葉をミスティが放つ。リリィは何も言わず、席を立って食堂を出て行った。

 ミスティを見れば、若干苛つきが見て取れた。


「ミスティ……ありがとう」

「あんな陰険な女、私大嫌いなの。ミツミ、あんた舐められないように技術磨くのよ。絶対だからね」

「ミスティさま〜心理潜航の養成所行ってたなら知識をお分けくださいませ〜」

「はいはい、いいわよ」


 その後ミスティと夕食を摂り売店で酒を買い込み私の自室へと帰り着く。入って早々ミスティが持ってきていたワインを開ける。


「グリエル総督の方にも報告は上がってたの。潜航失敗したって」

「そうだったんだ」

「だからあんた、気にしてるだろうなって思ってたの。メンタル強そうには見えないから」

「はは……うん、まあ、気にしてた」


 グラスの中のワインを見ていると、トークンの最下層での出来事を思い出す。ニチカが撃たれた時に見えた、赤い赤い血溜まりを。


「……私、やっていけんのかな」

「やるしかない。残酷だけれど、あんたは喚びビトだから」

「……これからも苦しい時あるんだと思うんだけど、そういう時、話聞いてもらってもいいかな」

「じゃんじゃん話しなさいよ。友人なんだから」

「へへ、おもしれー友人」

「私のどこが面白いって?」

「あー! すみませんすみません! 耳引っ張んな!」


 ミスティに耳を引っ張られて痛いと叫ぶと話したと思えばデコピンまでもが飛んできた。ひでえ。


「そういやあんた、……私のこと撫でくり回そうとしてたでしょ」

「う」

「次やろうとしたら外飲みの時奢ってもらうからね」

「申し訳ねえ……」


 いやでも撫でくり回して奢る程度ならば軽いのでは? と現在の自分の貯蓄に思いを馳せる。給料はそれなりにいいし、……やはり、最終手段としてやれる時はやっておこうと考える。


「奢る程度で済むって思ってる顔してるわね」

「え? ソンナコトナイケドナ〜」

「うっさんくさ……はいはい。飲んで私に付き合いなさいよ。女子会よ女子会」

「へえい」

「そういえば荷造りした? 明日の午前に出発すんでしょ?」

「あ〜荷造りは一昨日やっといた。……あのキャリーケースって目立たない?」

「まあ今はあんまり見ないけれど、使ってるヒトは使ってるわよ。気にすんな」


 ここに喚ばれた際持っていたキャリーケースに服などを突っ込んだが、古臭いとか思われないかと不安があった。ミスティが言うのならば大丈夫なのだろう。


「尻尾触ってもいい〜?」

「……そういうのはヒューノバーにしなさいよ」

「もふもふ成分はどなたでも大歓迎です」

「一応浮気に入りかねない行為だとは教えておくわね」

「恐ろしいな獣人界隈。猫ちゃん撫でる感覚で撫でると浮気かよ」

「あいつもでかい猫には変わり無いわよ」


 その後ミスティと酒を飲み、仕事や日常生活の愚痴など話して夜は更けてゆくのだった。

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