魔導車椅子レベッカ

篠浦 知螺

第1話 プロローグ side 和馬

「ごめん、レベッカ。お前となら、なんでも出来る気がしてたんだ……」



 夜のうちに台風は通り過ぎたが、その日は朝から風が強かった。

 それは本当に偶然で、愛用の電動車椅子に乗って中学校へと向かう途中に空を見上げると、ビルの壁面に取り付けられていた大きな看板が風に煽られて落下するのが見えた。


 このままだと、前を歩いている女性の頭を直撃すると感じた瞬間、僕は電動車椅子のスティックを思い切り前に倒していた。

 そして……女性を看板の落下地点から跳ね飛ばした直後、僕は車椅子ごと潰された。


 僕が電動車椅子を使うようになったのは、小学校五年生の秋のことだ。

 体育祭の組体操で、小柄な僕はタワーの最上段に立つ役目を任されたが、バランスを崩して落下し脊髄損傷を負ってしまった。


 もう歩くことは難しいと言われ、失意のどん底にいた僕を救ってくれたのが電動車椅子だった。

 それから三年、負傷する以前と全く同じような行動は出来ないけれど、それでも自分の意思で、自分の行きたい場所へと移動できるようになった。


 僕は相棒の電動車椅子をレベッカと名付けた。

 レベッカとは、魔法少女アニメの主人公が駆使するマジカルAIユニットの名前で、人工物であるはずなのに感情を持ち主人公の女の子と共に成長する姿が大好きだったからだ。


 レベッカと名付けた相棒の車椅子には、毎日のメンテナンスは勿論、可能な限りのチューンナップを施した。

 より俊敏に、より思い通りに動いてくれるように、スティック型の制御部の調整や駆動部の制御アルゴリズムにも手を加え、AIによる学習機能も搭載した。


 レベッカは僕の体の一部だと思っていたから、咄嗟の時に反応できたのだろうし、後ろから跳ね飛ばされた女性は転倒していたけど看板に潰されずに済んだ。

 下半身不随の怪我を負って以来、諦めていたヒーローになるという夢をちょっとだけ叶えられたのだから、僕の人生も悪くはなかったのかもしれない。


 こうして、僕こと蔵元和馬は相棒のレベッカと共に、十四年の短い生涯を終えた……と思っていた。



 突然、目も眩むような光に包まれて、僕は右手で目を覆って俯いた。


「おぉぉぉ、成功だ! 勇者の召喚に成功したぞ!」

「待て、なんだあの車輪の付いた椅子は?」


 大勢の人間のざわめきが、地下街の雑踏にいる時のように響いてくる。

 周囲の様子を確かめたいけど、光に焼かれた視界が元に戻らない。


「よくぞ参られました、異世界の勇者様。大丈夫でございますか?」

「ごめん、待って……まだ目がよく見えない」


 パチパチと瞬きを繰り返していると、ようやく視界が戻り始めた。

 足元の床には、複雑な文様が焼け焦げた跡が残されている。


 視界を上へ転じると、力尽きたように跪いて肩で息をするローブ姿の男達が僕を円形に囲み、その外側には金属鎧に身を固めた兵士達の姿があった。

 更に視線を上げると、ヨーロッパの聖堂を思わせる石造りの建物の中だった。


 正面にはシスターを思わせる白い衣装を身にまとった女性が、じっと僕を見詰めている。

 年齢は、僕と同じか少し年上、プラチナブロンドの髪を肩の辺りで切り揃え、エメラルドグリーンの瞳には切実な思いが込められているようにも見えた。


「大丈夫でございますか、勇者様」

「えっと……それって、僕のこと?」

「はい、貴方様こそが、私どもの召喚に応えてくださった勇者様です」

「あー……そうきたか」


 魔法少女のアニメに夢中になっていた僕は、世間一般からはオタクに分類される者だ。

 当然ながら、異世界召喚や転生についての知識も有している。


 それだけに、半身不随の自分が勇者として召喚されてしまったことに罪悪感を覚えてしまった。

 言うまでも無く、僕では戦えないからだ。


 いや、もしかすると、転生ボーナスで背中の傷が修復されて、歩けるようになっているのかもしれない。

 車椅子の肘掛けに両手をついて立ち上がろうと試みたが、残念ながら僕の脚は応えてくれなかった。


 たぶん、僕が車椅子で跳ね飛ばした女性が、本来召喚される勇者様だったのだろう。


「あの……勇者様?」

「申し訳ないけど、僕では皆さんの期待には応えられないと思う」

「えっ……?」


 僕が召喚される直前の状況や、自分の体のハンディキャップについて話すと、周囲を取り囲んでいる兵士からは失望の溜息が漏れた。


「あぁ、何ということだ、七年に一度しかない機会なのに……」

「これでは魔人族の侵攻を食い止めるなんて無理だ」

「それどころか、お荷物にしかならないぞ」


 気持ちは分かる。期待を込めて召喚した勇者が、僕みたいなハンディキャッパーだったら、たぶん僕でも溜息を漏らすだろう。

 だが、気持ちは分かるが気分は悪い。


「静まれ、私語は慎め」


 腹立たしい兵士達の声を遮ったのは、老騎士と呼ぶのが相応しい風貌の男性だった。

 怒鳴り散らした訳でもなく、むしろ静かな一言だったが、兵士達は口を噤んで姿勢を正した。


 僕が小さく頭を下げて感謝を伝えると、老騎士風の男性は口許を少し緩めて頷いてみせた。


「あの……もう一度召喚をやり直すとかは」


 僕の問いに、シスター風の女性はゆっくりと首を横に振った後で答えた。


「召喚に必要な高位の魔導士を集められません」


 もしかして、ここにいる魔導士は使い捨てなのだろうか。

 それとも、回復するまでに時間が掛かるということなのだろうか。


「それじゃあ、僕が元の世界に帰る方法は?」


 シスター風の女性は、またしても首を横に振った。

 まぁ、魔王を倒したら元の世界に戻れます……なんて胡散臭い話をされるよりはマシか。


「とりあえず、もう少し詳しい事情を聞かせてもらえますか?」

「分かりました、ご案内したします」


 シスター風の女性が、先に立って歩いていく。

 その後ろ姿を見ながら思わず溜息が洩れてしまった。


「はぁ……これからどうなっちゃうんだろう……」

『心配要りません。マスターは私がお守りします』

「はぁぁぁぁぁ……?」


 突然響いてきた電子音声に、僕は思わず大声を上げてしまった。

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