第6話 登校 学校生活 その3

 社会科準備室。無骨な文字で書かれた看板が貼り付けてある扉にノックを入れ、入室する。


 ブワッとむせ返るようなカップ麺の匂い。そして遅れて辿り着き、覆い尽くすかのような香水の嫌な匂い。一人暮らしの悪いお手本かのような惨劇に顔を歪ませながら一歩踏み込み入室する。


 ノックの音か、それとも予め誰かが入室すると思って待っていたのか。ゴミの山の向こう、すぐに返事は返ってきた。


「おぉ? ホムラとアオイか。優秀って話は聞いてたけど、ここまでとはな。ま、適当に座れよ」


「・・・どこに?」


 授業に全く関係のない私物が多くを占めている空間で、ソファからのっそりと起き上がったホウジョウ先生は真っ白な背中を見せ、ゆっくりと力を失いながら滑る。諦めたようにこちらを見ず、腕だけ掲げてそう言う。場所が場所であったのなら死体と見間違えてしまいそうな悪環境と、自堕落な人間である。そして何故背中がガラ空きなのか。

 文字通りガラ空きな事はホムラの十五年の人生の中で初めてな事である。


 どんな格好か想像もつかない彼女に対してアオイは


「ホウジョウ先生・・・もはや先生とも言えない人間ね。ほぼメチャワルイヤーツと言っても過言ではないわ」


 と語る。


「いや過言だろ。過言であってほしいわ」


 本気の表情で呟くアオイに表面上だけ否定しながら、足元を覆う荷物を避けソファの近くまで辿り着く。ほぼジャングルである。

 一応ソファ周りは片付けているのか、二人分は座れそうな空間が空いていた。それでも相当に身を寄せないと座れない狭さであったが。


 サボり屋である、とこちらも彼女に対する噂を知っていたのだが、それ以上の存在にもはや呆れすら通り過ごしている状態である。埋もれているホウジョウ先生をどうしようか、と悩んでいたところゴソゴソと起き上がる気配があった。

 先生の本体と会う前に視界が真っ暗に染まったが。


「えっと、アオイ? 何で『だーれだ?』やってんの? 何にも見えないんだけど」


 真剣な話をしに来てるんだけど、と戸惑っていると、その戸惑い以上に慌てた声色でアオイが叫ぶ。


「ほ、ホウジョウ先生! 服! 服着てください!!」


 そんな大声を聞いて、思い出したかのように惚けた声色で


「あ、あぁ? あー、そっか。この部屋にいると来客なんて来ないからな。すっかり忘れていたわ」


「部屋を散らかすのは別にどうでも良いんですけど、服くらいは着てくださいよ!!」


 すまんすまんと、言葉だけ謝罪するホウジョウ先生の気配だけを感じながらゴソゴソと動く気配と、着替える音だけを暗闇の中で聞く。だから視界を覆ったのか、と納得がいく。・・・いや、学校の中で服を脱ぐなよ。

 ぬいぐるみ達の嬉しそうな悲鳴を聞きながら、何で俺だけ目隠し・・・? と、思いながら着替えを待つ。高校生には刺激の強い映像なのだろう。アオイの配慮に感謝をしていると、どうやら終わったようで視界が開かれる。やはり何度見ても部屋は汚かった。生活感が溢れているようだ。


「まぁ、取り敢えず座りたまえ。立ち話も何だろ?」


 そう言って、やはり二人分もないソファを指差す。


「座れる状況じゃとてもじゃないですけど無いですけどね。・・・失礼します」


 本気で座らせるんだ、と恐れ慄きながら腰を落とす。やはりホウジョウ先生の対面のソファは狭く、男女二人が座るには些か無理がある。満員電車かのような密着具合に、どんな表情をして良いのか。ぎこちない顔をしていると


「ほぉー?」


 と、クソ程ニヤけた表情を見せるホウジョウ先生姿があった。もう人間の皮を被ったメチャワルイヤーツなのではないか? とそう思えてくる。


 色々と言いたい事はあるが、それよりも何より。この空間に長居する事は健康面も含めて確実に体に悪いので素早く本題に移る。


「魔法補助科の体験入学について何ですが、二人で参加するのでその報告に来ました」


「あぁー、言ったっけなそんな事。てか教卓に記入する用紙置いてなかったっけ?」


 ホムラは思い出す。そんなものは置いてなかった筈である。


「そっか。それは御足労だったな。結果的には都合が良いが。優等生のホムラとアオイがペアかぁ。・・・そうだ、君達を学年代表に選抜しよう。喜べ、一学年でトップだぞ。まぁ、参加するのはうちのクラスしかいないが」


「学年代表・・・? は別に良いとして」


「別に良いんだ」


 めんどくさいってだけで利点しかない。気にするところはそこではないのだ。


「参加するのがウチのクラスだけってどう言う事ですか? もはや行事ですらないと思うんですけど・・・」


 ひとクラスだけ参加する行事って何なんだよって話だ。それだけウチのクラスが優れていると言われればそれ以上は何も言えないのだが。


「いやぁ、言ってなかったっけ? それがな、無理やり頼んだのは良いものの、無理やりすぎてひとクラスしかダメって言われちゃってな。結果的に魔法補助科を見学出来るんだしホムラ的にも文句はないんじゃないか」


「確かに文句はないですけど」


「じゃあそれで話は終わりだな。ほら、これ」


 そう言って班決めの記入用紙を渡される。若干コーヒーっぽい汚れが見える。


「後は適当にクラスを纏めておいてくれ〜。私は寝る。いやぁ教職は忙しくてなぁ」


 と、そう言って着ていた衣服を脱ぎ去り、ゴミの山へと帰る。もはやその所作は女のものではなく、野生児であった。白衣だけを身に纏った全裸。既に二度目である全裸。アオイは呆れるようにため息を吐くだけだった。うん。まぁ。年相応だろう。


 既に鼻が慣れてしまい、臭いが感じ取れなくなった社会科準備室を退室する。


 廊下に流れる綺麗な空気を吸い、制服に嫌な臭いが付いていることを自覚する。


「百害あって一利なしね」


「そんなタバコみたいな。つか、教師に対して・・・気持ちは分かるが」


「もはやあれを教師と認める事が他の教師に対する冒涜よ。ただ顔しか取り柄の無いニートじゃない、あれじゃ」


 確かに気持ちは分かる。分かるが酷い言われようである。


 あれが、授業で使う道具まみれであったのならまだ印象は変わっただろう。凄く授業に熱心な方だなー、だとか。だが、答えは私物である。しかも大半がゴミである。一人暮らし始めたてでももう少し綺麗に使おうと努力するだろう。場所が場所なだけに残念と言うより、確かに冒涜である。


 既に二人が彼女に感じる印象は最悪で、だが最悪だからこそ気が楽ってのもある。


「あんな人間に敬語使う方が間違ってると思うわ。と言うか人間なの、あれ? 浮浪者と言っても過言ではないわよ」


 聞いた事がある表現に思わず顔がこわばる。


「そ、そうだなぁ」


「何よその歯切れが悪い返事は」


 最初に抱いていたアオイに対する印象が『浮浪者』だったので、似たもの同士なのかなぁ。と思っている事は内緒である。恐らくバレたら死ぬ。


 アオイの愚痴を聞きながら教室へと戻る。手にはコーヒーで汚れた用紙があるが、他の生徒に見られなかったら綺麗な用紙と同じである。シュレディンガーの猫である。実質。


 騒がしい教室の中、教卓に立ち自身がクラス代表になった。班が決まったら自分に報告するように、と話す。それに対した反応は


「やっぱりクラス代表と言えばユウラギだよなぁ」


「流石委員長」


「この世で一番魔法少女に近い奴」


 と肯定的な意見を受ける。当たり前である。


 そんな反応に鼻高々に胸を張っていると小声でアオイに


「やっぱり化けの皮よね。剥がれる日が来ないかドキドキしちゃうわ」


「化けの皮な訳あるか。今の俺も立派な俺だぞ」


 それには人には見せれない欲望が混じっているが、それでも優等生の皮はユウラギホムラの一部である。


 アオイの言葉を流し、二人が離れた時間で大体班決めが終わったようで、各々が手を上げて発表していく。その組み合わせ通り用紙に名前を記入していく。クラスは偶数で、そこまでクラスメート同士仲は悪くないのでハブられる人間はいなかった。

 しっかりと欄全部に名前が埋まった用紙を満足気に眺め、ホムラは自席に戻る。その際、


「ホダラさんと知り合い?」


「ホダラさんと何があったの?」


「ユナちゃんとどっちが本命?」


 と席の近くにいる男子生徒に質問を浴びせられる。反吐が出そうである。まぁ、百歩譲ってアオイは別に良い。若干メスガキチックだが悪い奴ではないのだ。問題はホウジョウユナの方である。鼻の下を伸ばして聞いてくる、そののぼせた顔面に先ほど見た年相応の肉体美を見せてやりたいところだが、相手は変態である。それが良い、と遺言を吐いて幸せそうに倒れるだろう。

 世の中には知らないでいた方が幸せな事が多数あるんだなぁ、としみじみと実感しながら幸せそうな表情を見せるドラとジラが視界に映る。すぐに視線を逸らす。同類がすぐ側にいた。


 一限目は自習のようで、各々がおしゃべりを楽しんだ後、自然とそれぞれが教科書や専門書を広げ、勉強を始める。根は真面目であり、頭脳は優秀なのだ。勉強に対する意欲は一般人よりもはるかに多い。三大欲求の中に『勉強』が入ってるんじゃないか? と勘違いしてしまいそうな程である。

 それはユウラギホムラも同様で、書類に名前の抜けがないか、重複がないかの確認が終わった後、クラスメートと同様に数学の専門書を広げていた。魔法少女バカであるが高校生でもあるのだ。そして摩訶不思議高校の定期テストはバカみたいにレベルが高い。そんなに勉強して将来何がしたいん? と思ってしまう程である。まぁ腐る訳ではない。


 サインコサインタンジェント、と心の中で呟きながら予習復習を繰り返す。勉強は嫌いだが、問題を自分の手で解く快感は堪らないのだ。


 高校生としての時間を謳歌しながらセコセコと問題集を解いていると、頭上で幸せノックアウトしていたぬいぐるみ達が目を覚ます。お慌てで


「大変だよぉ!! メチャワルイヤーツが出現したんだよぉ!! 場所は分からないけど、鉄塔の近くだよぉ!!」


 と、いきなり叫ぶもんである。思わずビクリと驚いてしまう。跳ねて驚いてしまったホムラであるが、周りのクラスメートの集中力相当なもので、見向きもされなかった。


 そんな薄情なクラスメートに今回だけは感謝しながら席をゆっくりと立つ。道中、クソ程良い表情で眠っていたアオイを起こし、一緒に教室を離れる。


「私抜きでもメチャワルイヤーツぐらい倒せるでしょ・・・? なんで起こしたのよ」


「(何となく?)」


 口には出さなかったが。

 恐らく何となく表情で理解したのか、不満気な表情を見せながらもついてくるアオイ。


 エセ関西弁のジラが授業中故に、静かな廊下の中で大きく説明する。めちゃ響く。誰かにバレないか心配になるが、表情が変わらないアオイを見るに問題はないんだろう。周囲を見渡し、誰もいない事を確認する。


「じゃあ、魔法少女として活動するか!『変身』」


「本当に過剰戦力だと思うけど・・・『変身』」


 それぞれ口々に変身の文言を呟き、マジカルフォンから眩い光が放たれる。


 ホムラは眩い、轟くような赤いポリゴンが、


 アオイは安らぐ、深々とした青いポリゴンがそれぞれ体を覆い、魔法少女としての衣装に変化する。


 灼熱の赤髪を靡かせたマジカルフレアと、蒼海のような長い髪をゆるりと纏めたマジカルアクア。赤と青のマジカルパワーが混ざり合い、眩い光が放たれる。


 豪快に、そして大胆に廊下の窓から飛び出した二人はメチャワルイヤーツの元へ向かう。飛び出した空中で、遠く見える鉄塔を覆うようにしてアナザーワールドが発現しているのを発見する。



 草木が風で靡く中、狙ったように向かって浴びせあれる散歩中のペットのマーキングに嫌気をさした結果のメチャワルイヤーツの出現である。

 脅威度としては夕食に出る魚の骨と同義である。気を付けないとめんどくさい。そんな相手に対し、新進気鋭のフレアと期待のルーキーであるアクアの出動である。廊下の端から見つめる影は深い息を溢す。


「・・・」


 呆れたような表情でその場を後にした。


 因みにメチャワルイヤーツは二人の魔法少女の登場によって、1秒と経たずにポリゴンと化した。流石雑草のメチャワルイヤーツである。雑魚の言い表しが最も相応しい。

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