最終話 忘れ物を返しに
咲夜は、力強い目をしていた。
こんな目を、俺は、直視なんてできるわけがなく――
咲夜め、全然、強いじゃないかよ。
いつも弱気で、言いたいことも言えない女の子……でも、こういう時、言いたいことを素直に言える……。それは、誰よりも強いことだと思う――。
強く、なったのだ、咲夜は……。
だから弱い俺は、逃げることに決めた。
これ以上は、俺自身が、全てを吐き出し八つ当たりしてしまいそうだから――。
「待ってくださいっ、楽くん!!」
逃げる俺の背後から聞こえてくる咲夜の声。何度も名を呼ばれるが、全て無視する。
全速力で寮へ戻り、部屋に閉じこもる――布団を被り、世界を遮断した。
「はぁ、はぁ、はぁ――」
呼吸が整うまでは、なにも考えない……暗闇を見つめて、その後、目を瞑る。
変わらない闇だ。
……あ、そう言えば買い物——まあ、明日でもいいか。
ここからまた、外に出る元気ではなかった。
それに、外に出れば、また知り合いに会うかもしれない――今は、誰にも会いたくなかった。
牧野を忘れるまでは、誰にも……。
会えば、出会った人の後ろに牧野が見えるからだ。
さっきも見えた――雅の隣で、笑っていた。牧野が、そこにいたのだ……。
胸が、痛かった……ッ。
やっぱり、寝るしかないのだ。
いま眠れば、明日まで眠ることができそうだ――今は、全てを忘れたい……。
―――
――
―
『ねえ、僕だよ、どこにいるの、楽?』
まただ、またこの夢だ。
なんなんだ、ずっと、同じことの繰り返し……なにが目的だ。
『楽っ、ねえ、楽ってば!』
うるせえ、それ以上、俺の名前を呼ぶんじゃねえ……っ。
『楽、楽……』
「うるせえっっ!! いいから、黙れよぉ!!」
俺は叫ぶ。耳を突き刺すような声量だったが、あっちはまったく気づかない。
それは、こっちからあっちに、声が届かないからだ――、だから、変わらずあっちは、俺の名前を呼ぶ――呼び続けている……。
『ねえ、僕だよ……ねえ、楽……』
誰なんだよ……っ、お前は、誰、だ……。
俺と少年は、いつも通りにすれ違う。
ここですれ違い、夢から覚めるはずだ――。
俺の横を、少年が通る。
名前を呼びながら、しかしいつもとは違う一言が、加えられていた。
『どこにいるの……教えてよ、牧野——』
その言葉に、俺はすれ違った少年の肩を掴む。
そして、自分の方へ向け、
「――お前は、誰なんだ!?」
すると、少年が嬉しそうに俺を見つめ、にこり、と笑った。
『やっと、会えたね……』
なにがなんだか分からない……この少年は俺を知っていて、そして牧野のことも知っている……お前は、誰なんだよ……っ。
『楽、僕は君に会いたかった。こんな姿で申し訳ないけど、残っていた役目を果たしにきたんだよ――』
「役目……?」
『そう、この世界に君を呼んだのも、それが目的なんだ――だから聞くよ。君は今、なにを望むんだい?』
なにを望む? そんなの――そんなこと――
「ねえよ」
俺は、言う。
「こんな世界に望むことなんてない。俺は、牧野がいるだけで、それだけで――」
『じゃあ、それが望み、なんだね?』
「え……——?」
少年が背を向け、まるで霧がかかったように見えない向こう側へ、いってしまう。
「ま、待ってくれ――待て!」
しかし、走っても走っても、少年はどこにもいない。
本当に、消えてしまった、のか……?
すると、声だけが聞こえる。
『帰してあげる、君の世界に』
「待てっ、お前は、一体誰なんだ!?」
『僕は――』
その答えを聞く前に、俺は夢から出ることになってしまう。
――現実へ、戻った。
―
――
―――
気づけば朝になっていた。
また夢を見た気がするが、どんな内容だったかは覚えていない。
なにか、大切なことのような気もするが……、
でも、それはいつも思うことだ。この感覚があてになるとは思えない。
気にするべきではない、か。
今日から新年度、新学年だ。
俺は学校へいく準備をして、制服に着替える――カバンを持った。
部屋の扉を開ける。
気持ちが良いほどに晴れて、俺は学校へいく前に、公園に寄る。
牧野に挨拶、しておかないとな。
学校までの道から少しはずれるが、始業式には間に合う時間だ。
たとえゆっくり歩いても、時間はまだ余るほどだろう。
公園に辿り着き、見慣れた木へ向かおうとした時だ――足が止まる。
だって、そこには、いるわけがない人影が見えて――。
下を向いているために、顔はよく見えない――でも、けど、間違いない……っ。
「……牧、野……?」
でも、あっちが俺に気づいている様子はなかった。もしかしたら、俺の勘違いかもしれない――幻覚、を見ているのかもしれない……。
見てはいけないものを見た俺は、近い内に死ぬのかもしれないな――まあ、それでもいいか。
人影が顔を上げた――やっぱり、牧野だった。
すると、あっちが俺に気づく。そして、ゆっくりと近づいてきた。
俺はどうしていいか分からず、なにもできなかった。
声をかけて、いいのか? 牧野が死んだのは、俺のせいなのに。
殺したのは、俺なのに――。
そもそも、本当に牧野なのか? 牧野の皮を被った、別のなにかじゃないのか?
疑問ばかりだ。自分が見たものも、信じられなくなっている――。
そして、牧野が近づいてくる。
もう少しで触れ合う……、あと少し、あと――
しかし、牧野は俺を、通り過ぎていく。
「……え?」
間抜けな声が漏れ、俺は後ろを振り向いた。
牧野は、まるで俺のことなんて見えていないかのように、公園の出口へ向かう。
俺は取り戻すように手を伸ばし、だけど、すぐに引っ込めた。
俺が関われば、牧野はまた、酷い目に遭うかもしれない。
だから、ここで見送って、いいのだ――それが、牧野のためになるのなら――。
……あれ? なんだか、この光景は見たことがあった。不思議な空間で、不思議な少年と出会って、でもこっちからあっちへは声が届かなくて……完全にすれ違ってしまう……。
でも、あれは――、俺は、なにをしたんだ?
なにかをして、そのループを回避できた、はずなのに……俺は思い出せない。
そんなことを考えている間に、牧野はどんどんと前へ――あと少しで、公園を出てしまう。
ダメだ、そこを通してしまえば――ダメな気がする!
「待てっ、ダメだ待ってくれ、牧野!!」
しかし声は届かない。牧野は、足を止めてくれない――。
変わらず、進んでいく。あの公園の出口を出てしまえば、もう二度と、こうして出会えない気がした――だから、俺は……ッッ。
駆け出した。
「はぁ、はぁ――牧野っ、牧野ぉ!!」
全速力で走る――何度も何度も躓いては転んで、立ち上がって――追いかけて。
声が届かないのなら、触れてしまえばいい……音じゃない、感覚で――力で。
彼女の腕を取れば、気づくはず!
牧野の幸せのためならば、俺は引き止めない方が良かったかもしれない……また、あの『ゲーム』のような無茶苦茶なことが起こっていて、また、牧野は死んでしまうかもしれない……。
さらに苦しみを、与えてしまうかもしれない……、回避するためには、俺は、なにもしない方が良いのだと思っていたけど――けど。
やっぱり、自分の気持ちに嘘はつけない。
牧野に会いたい、触れたい、話したい――、一緒にっ、いたいんだよ!!
俺のわがままだ。これで牧野は、不幸になってしまうかもしれない……でもその時は!
「不幸になんて、ならないわよ」
「牧野……?」
「私は楽が好き。一緒にいるだけで私は幸せなんだから。だから、これから先、どんなに苦しいことがあっても、私は堪えることができる……ね、楽」
「牧野……っ」
俺は、牧野に触れる……触れることが、できた……。
幽霊じゃない、ちゃんとここに、存在している――。
そして、俺はぎゅっと、牧野を抱きしめる。
この温かさ、もう二度と、離してやるもんか……っ、絶対に、掴み続けてやる……ッ!!
「ああ、俺も牧野が好きだ。一緒にいられるだけで、幸せなんだ……」
抱きしめる手に、さらに力を込める。
牧野も同じように、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。
すると、牧野がぼそっと、囁くように言った。
「あの子に感謝しないとね」
「あの、子……?」
俺は黄金の光を見た。
それを辿ると、見えたのは、木の下だ。
そこに、あの少年が、立っていた――。
夢で何度も出てきた、少年……。
『僕の役目は終わった……もう、これで本当にお別れだね……』
少年の姿が、だんだんと薄くなっていき……そして、黄金の光に包まれた。
「待、待ってくれ! もっとお礼がしたいんだ、だからいくな――」
『お礼なんていらないよ。そうしたら、僕はまたお礼をしなくちゃいけないじゃないか。僕は君たちに助けられ、それを返しただけなんだ……あの時に使わなかった「願い」をこのタイミングで使っただけ――これで、僕は帰れるんだよ……』
「ありがとう」
と、牧野が言った。
少年がその言葉に、『どういたしまして』と返す。
『二人とも、どうか長生きしてね――僕は君たちといられて、幸せだったよ』
その時、全てが繋がった。
だから俺も言う――「ありがとう」と。
少年がにこりと笑い、黄金の光と共に消えた――。
そして残されたのは、俺と牧野……少年はもういない。
でも、俺は小さく呟く。
「ありがとう――うどん」
『――こんっ』
そんな鳴き声が聞こえた気がして。
俺と牧野は手を繋ぎ、目指す――。
幸せの階段を、一段一段、二人で上っていく。
―― 終 ――
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