第28話 世界滅亡

 全身の力が抜けた。声を出そうとしたが、なにかが喉に詰まり、音が出なかった。

 過呼吸かと思うほど、呼吸も乱れてしまっている……っ。

 その時、俺たちが乗るゴンドラは、ちょうど頂上にあった。

 なのに、俺たちは景色を見ようとしない……見る、なんてことはできなかった。

 夕日が、俺たちを照らす。嫌になるほど明るく、照らしている。

「……死んだ方が、良い、だなんて……、ほんとにそう思ってるのかよ――そんなことで、良い、って――」

「私がいたらみんな死んじゃう。これからだっていう人たちも。私のせいで、全てが台無しになっちゃうの……だったら、死んだ方が良いって、思うに決まってるじゃん」

「そんなのッッ、俺は、お前がいなくちゃ――」

「ううん、楽はもう強いよ」

 そんなことない、俺は、弱いんだ……。

「この一年、ずっと戦ってきた……私だけじゃない、みんなのために、頑張ってきた。楽はね、みんなから頼られているんだから、こんなところで死んだらダメなんだよ」

 やめろよ……そんな、「私がいなくても大丈夫」なんて言いたげに――

「だからね、」

「やめろ! ――死ぬな、牧野。ずっと一緒にいようって、言ったじゃんか! お前が、約束を……ッ、お前が破るのかよ!?」

 世界中の人間なんてどうでもいいんだ。俺は、牧野がいればそれで――。

 一緒にいることができれば、それだけで……っ。

「ありがとう、楽」

 その言葉が。

 終わりに向かうスタートだということを、この時の俺は、気づくことができなかった。


 ―― ――


 遊園地から出て、俺たちは帰路につく。

 時間は夜の七時だろうか……、気づけば夕日も沈み、周囲は真っ暗になっていた。どこかで夕飯でも食べようと言ったが、牧野はここから、いきたい場所があるらしい……。

 反対する理由はない。彼女の背中を追い、ついていく。

 目的地まで、会話はなかった。

 やっぱり、さっきの観覧車での話が原因だろう、意見が分かれて、まだ決着がついていないのだ。

 辿り着いた場所は、海だった。

 月と星の光が水面に反射し、夜なのに明るく感じる……。

 海に辿り着き、牧野が砂浜を歩いていってしまう。俺も追いかけようとしたが、意外と波も高い。少し躊躇ったが……ギリギリ、波が届かないところまで近づき、牧野を眺める。

 ……どうして、こんな場所に?

 牧野はどんどん海へ近づき、足が波に沈む。

 そのまま、くるぶし、膝まで沈んでいき――

「大丈夫か、あいつ」

 俺はその光景をのん気に眺めていた。気分転換でもしているのだろう、と思っていたが、これは違う……、牧野は、ここで終わらせるつもりなのだ!

 牧野が、前から倒れ、水飛沫を立てて姿を消した。

「――っ、牧野!?」

 死ぬ、という目的を思い描いた時、まず想像するのが高所からの飛び降りだ。人にもよるが、あとは銃殺、刺殺——でも、そうだ、考えつかなかっただけで、入水自殺だって、ないわけではないのだから――。

 一番つらい死に方を選ぶなんて……。

 俺は高い波と衝突しても構わず、突き進む。

 海に沈んでいこうとする牧野の腕を、なんとか掴んで引き上げた。

 全身濡れて、服も透け、髪の毛もぴたりと肌に張り付いている、牧野……。

「げほっ、がっ、は――楽、なの……?」

「バカか! なに考えてんだ! あのままじゃ死んでただろうが!!」

 冷え切った牧野の体を温めるように抱きしめる。

 牧野は震えていた……寒いからじゃない、死ぬことが、怖かったから――。

 そういう震え方だった。

 ……当然だ、怖くないわけがない……でも、牧野は世界中の人間のために、死のうとしている――自分の力で、自殺という方法を選んで――。

「だって……っ、だって!」

「頼むから、死なないでくれ……お願いだから――」

「だったら、さ」

 牧野は、自分のポケットから小さな石を取り出した。

 それは一瞬の光と共に、拳銃へ姿を変える――。

 そして、言った。


「楽が、私を殺して」


「……そんなこと、できるわけが、ないだろうが……ッ」

「お願い、楽。もう、私が死ぬしか道はないの。あの包帯の人も言っていた――もうそれしか、道はないんだって」

 ――あの野郎っ、牧野が自分のことを世界滅亡のスイッチであると知ったのも! 拳銃に変わった不思議な石を持っているのも、全て、あいつの仕業だったってことか!?

 ぎりり、と歯を食いしばる。

 もう、これしか道はない? 

 こんな結果しか、導き出すことはできないのか!?

「楽、もう決まっていたのかもしれないね。あの時から、あの、ゴールデンウィークの時から、私はこうなるってことだった――のかな? だったら、運命だってことで、納得できるじゃない?」

「できるかよ……できねえよ、納得なんか!!」

 すると、牧野が俺の手に、拳銃を握らせる……ずっしりと重く、本物だと分かる。本物を持ったことがあるわけではないけど、分かったのだ。少なくとも、『おもちゃ』じゃない。

 引き金を引きば、確実に弾丸が発射され、牧野を殺すことができる――。

 それを受け取ってしまった時点で、もう道は、一つしかなかったのだ。

「ありがとう、楽……恋人に殺されるなら、本望だよ」


 後悔だった。

 あの時の俺に、やめろと言いたかった。

 それができていれば、こんなことにはならなかったはずだったんだ。

 言えたのならば、こんな悲劇を起こすことも、味わうこともなかった――。

 でも、それは全てを味わった俺だからこそ言えるんだ……。

 あの時の俺は、こんなことになるなんて微塵も思っていなかった。

 未来が見える、そんな力でもあれば、これを予測できたかもしれない――。

 でも、俺にそんな力なんてないのだ。

 そんな都合の良いものなんて存在しない。

 色々なことを経験し、進んで、進んで、進んで。

 それで後悔をした。これが俺の道なんだ。

 色々なことがあった。

 全てが悲しみじゃない。

 嬉しいことも、楽しいことも、色々なことがあったのだ。

 全てを否定しているわけじゃない。

 ただ、思っていることはある。

 もう一度、やり直せたら――同じ失敗はしたくないって。

 興味本位でやるべきじゃなかったって。

 おふざけでやるべきじゃなかったって。

 そういう軽い気持ちでやったことが――今、この状況を生んでいるのだから。


「私は――あなたに殺されたい」


 弾丸が、発射された音が響く。

 力なく、彼女が倒れた。

 そして、広い広い海、その底へ、沈んでいった。

 赤い液体が俺の周りを漂っていた。

 やがて、波に流され、遠いどこかへ旅立っていく。

 もう彼女はいない。

 今、この場にも。

 この世にも――どこにも。

 俺は最愛の人を、殺した。

 その時、スマホが震える――メッセージだった。


『クリア、おめでとうございます。世界滅亡は無事、回避されました』


 もう、世界滅亡の恐怖に怯えることもない。

 ずっとずっと、この先、平和で暮らすことができるだろう……。

 ただ、彼女の笑顔を見ることはできない、一緒にいることもできない。隣を歩くこともできない。話すことも、冗談を言い合うことも、抱き合うことも、キスをすることも――

 なにもできない。

 俺の中に、大きな穴が空いた。

 誰にも塞ぐことなんかできない、代わりなんてないような、そんな大きな穴が――。


「牧野……ッ、牧野ッッ!! っ、うぁ、がぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」


 最後に見せてくれた牧野の笑顔。

 声は出なかったけど、しかし牧野は言った――。

 口の動きで、なにを言っているのか、意味しているのか、俺は分かった。

 俺自身が言ったことだ。

 別れの時は「ごめんね」じゃない、って。

 だから牧野は、最後の最後に、俺に言ったのだろう――。


 あ り が と う ……って。

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