4章_最後の試練

第25話 希望を探して

 二か月が経っていた。

 今は春休みの最中である……、長かった高校一年も終わり、次にくるのは高校二年生の生活だ。学校にも慣れ、受験もまだ先の話の、一番楽しい時期である。

 でも、俺はそう簡単に満喫することなんてできなかった。

 長かった『二周目』が終わったと思えば、俺にはまだ、最後の試練が残っている。

 分かっている。早くしなければいけない、ということは。

 でも、俺は動くことができなかったんだ――。

 もし、世界中の人間と、たった一人の人間……、片方を救い、片方を切り捨てるとしたら、どちらを選ぶ? もちろん、世界中の人間を選ぶべきなのだろう……どっちも救いたいけど、どちらかしか救えないというのであれば、大勢を選ぶべきなのだ。誰もがそう答えるはず……。

 でも、片側のたった一人の人間が、もしも自分にとって大切な人だとしたら、どうだ? たとえば母親であれば――たとえば親友であれば――たとえば、たとえば……恋人なら?

 選べるか?

 世界中の人間のために、恋人を切り捨てることが、できるのか?

 頭では分かっている、知識として、それが当然なのだろうって――、一人よりも数百、数千、数万……数億人が救えるのなら、絶対に世界中の人間を選ぶべきだって……分かっている。

 分かっている、けど。

 だからって、牧野を殺せるわけがなかった。今までずっと一緒だったのだ、小さい頃から、一緒に過ごし、遊び、生活をして……今では、お互いの気持ちに気づき、恋人関係になったのだ。

 なのに、それをここで終わらせられるわけがなかった……したく、なかった。

 もっと牧野と一緒にいたかったのだから……。

 でも、結局どちらを選んでも牧野は死ぬのだろう。牧野を殺せば、世界は助かる。でも、牧野を殺さなかったとしても、世界は滅亡し、牧野だけじゃない、俺も世界中の人間も、全てが無になる――どちらに転んでも牧野は死ぬ運命なのだ。

 牧野がいない世界なんて、つまらないだけだ。

 だから牧野を殺さずに、一緒に死ぬ選択だってできる――、一緒に滅亡を見届けるように。

 俺はずるずると、目の前の問題を引きずったまま、二か月を過ごしていた。いつもと変わらず牧野と過ごして、ゴールデンウィークまでずっと、隣で過ごす。それでいいじゃないか、と。

 問題を先送りにしているだけだ、でも、俺はもうそれでいいと納得していた。

 スマホを開く。二か月前、俺の部屋のテレビに映らなくなった世界滅亡のカウントダウンは、スマホの待ち受けに映っていた……、見る度に急かされているようだった――早くしろ、とでも言われているようで、腹が立つ……。

 そこまで牧野を殺したいのか? どうして、なんであいつばかりがこんな目に遭う!?

 持っていたスマホを床に叩きつける。でも、スマホは壊れない。このゲームの影響を受けているのか、なにをしても絶対に壊れないようになっているのかもしれないな……。

 くそっ、と吐き捨て、布団に倒れる。

 せっかくの春休みを、こうしてだらだらと過ごしていた。

 牧野とも、最近は会っていない……。会った方が良いに決まっているのに、もっと思い出を作った方が良いっていうのに――俺は牧野を見ると、笑顔ではいられないから……会いたくなかったし、会えなかった。

 牧野が訪ねてきても居留守を使う。メールでの誘いも断り続けた。牧野はこんな俺を心配してくれている……、でも俺の「大丈夫」という一言で、毎日のようにしつこく聞かれることはなくなった。……悪いことをしたな。後悔だった。

 俺のためにしてくれているのに、俺はそれを、拒絶してしまったのだから。

 目を瞑る。一体、何時間、これをしていたのだろうか。

 考え事をして、後悔をして、そして眠る……。

 毎日がこれだった。生きる希望を失った、と言っていいだろう。

 それほどまで、俺は堕落していたのだから。

 もうどうしようもない……だから、もういいじゃないか。俺は左腕で、カーテンを閉める。二か月前に骨折した左腕は、もうすっかりと良くなっていた。全治何か月、どころじゃなく、蜘蛛を倒したあの時から既に、痛みは引いていた。怪我もなにも、なくなっていたのだ。

『二周目』で受けた傷は、あの時の引っこ抜かれた大木と同じく、全てが綺麗に元に戻ったのかもしれない……。

 太陽光が完全に遮断され、俺は意識を沈める。今日はもう、これで五度目くらいだ。眠っても眠っても、目が冴えない。昼過ぎなのに、眠気がまだある……。

 そう言えば、胃になにも入れていない……でもまあ、いいか。

 今はなにも、喉を通らない。

 すると、どんどんっ、と扉が叩かれる音がした。少しうるさいが、別に無視して眠れないほどではない。いちいち動くのも面倒だ、俺はその音を無視し――

 それから、長い時間、扉をノックする音は続いた。相手もしつこいな、あと、声も聞こえてくる……けど、俺には聞き取れない。

 掛け布団を深くまで被り、自分の中へ引きこもろうとした瞬間、さっきよりも大きな音が響き、扉が蹴破られた。音に驚き布団から出ると、扉がばたりと倒れている……。

 玄関が、解放的だった。

「おい、あたしを無視するとは、いい度胸をしてるじゃねえか、楽」

「……冷さん……」

 鬼の形相、とまではいかないが、苛立っている様子の冷さんが立っていた。俺のところに訪ねてきた目的は、だいたい予想がつく。たぶん、俺がこうしてだらだらしているから、怒りにきたのだろうな……外へ引っ張り出そうとでもしてくれているのだろう……。

 余計なお世話だけどな。

「おい楽、大丈夫か?」

 しかし、冷さんは怒るのではなかった。俺を、気遣ってくれている……それはまるで牧野のようで、思い出してしまう――。

「はい、大丈夫ですよ」

 と、牧野に言ったように。別に危険な状態、ってわけじゃない。病気でもないし、怪我をしているわけでもないからな……嘘じゃない。すると冷さんは、「そうか」と、意外にもあっさりと引いた……俺はもっと深くまで追及されると思っていたので、え、と拍子抜けしてしまう。

 冷さんがポケットを漁る。

 そして、長方形の紙を二枚、俺に手渡してきた。

 それはチケットだった。電車で五つ先の駅にある、遊園地のチケット――、最近、新しくオープンしたばかりで、人気も高く、入手困難と言われていたものだけど……どうして冷さんが?

 どうやって入手したのだろう……で、なぜそれを俺に?

「……なんですか」

「あんたにじゃないよ。牧野に、だ。ちょうど二枚あってさ、あいつ、一人でいくのも可哀そうだろ。だからあんたに渡した。男なんだから、あんたから誘うべきでしょ」

「でも……」

「拒否権はない。それに、あんたもたまには外に出ないと、これ以上にぼろぼろになるわよ。あとね……これ以上、牧野を悲しませるな。……深くは聞かない。でもね、あんたがそこまでボロボロなんだから、なにかあったのだろうってことは分かるわ。だからこそ、二人でいくのよ。それで気づくこともあるでしょ」

 冷さんはそれだけ言って、部屋を出ていく。

 壊した扉はもちろん、無視された。ちょっとっ、と引き止める元気もなく、解放的な玄関はしばらくはこのままだろうな……。

 チケットを眺める――遊園地。


「遊園地、か」

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