第23話 四本足、三本腕

 俺は正座をしながら、目の前で仁王立ちをしている牧野をじっと見つめる……怒ってる、よな? なんだか、久しぶりに見た気がする。最近の牧野はデレ期だったし……、だから今回もまあ大丈夫かな、と思ったが、さすがの牧野も怒らないわけにもいかなかったようだ。

「で、その説明で私が納得するとでも思ったの?」

 額に筋を浮かべながら、笑顔だった。

 あー、思い出すなあ、恋人になる前の牧野のことを。

 こうして俺は詰められていくのだ……とことん。

 一応、牧野に説明こそしたが、もちろん、例の件には触れずに、だ。余計な心配をかけるわけにはいかないし、長々と説明している時間もない――。だから恋人として、牧野の下着を求めたくなった、と言ったのだけど……まあ信じないよな。

 これの一点張りでもやっぱり、牧野は鋭かった。俺の嘘をすぐさま見破ってくる。

「その剣で、一発で分かるから」

「これはついでに回収しておこうと思っただけで……」

「ガラスを割ってまで? そこまで執着するからにはどうせ関わっているんでしょ。分かるわよ……どれだけ、楽を見てきたと思ってるの?」

 牧野は怒っていたが、それは半分はポーズだった(じゃあ半分は本気で……?)。単純に、俺を心配してくれているのだ。一緒にこの『二周目』を戦ってきたからこそ、俺が抱えているものの大きさが分かっている……。

 でも、それでも、俺は巻き込みたくなかったのだ。

 あんな蜘蛛の前に、牧野を出したくない。あんなもの、見せたくないのだから――。

「ごめん牧野……、なにも聞かずに剣を貸してくれ。もうすぐなんだ、これで、大丈夫だからさ……」

 必死の説得だ。でも、牧野は絶対に折れてくれなかった。

 俺だけに背負わせない、そう覚悟を決めて。

「ダメ、私もいく。……二人で一緒。そう言ったでしょ」

「けど……ッ」

 俺はぐっと歯を食いしばる。自分の情けなさに、地面を思い切り殴りたかった。

 しかし、ここは牧野の部屋だ……、傷つけることはできない。

 牧野をちらりと見る。彼女はじっと、俺を見つめていた。

 もう、逃げることはできそうにない……。

 そうだ、いつもこうだった。俺が悩んでいる時、倒れそうな時、牧野は支えてくれて、背中を押してくれた。それは恋人になっても変わらなかった。

 俺はなにも変わっていなかった。こうやって支えられて、俺には守るものがあると言うのに――、守ろうと、決意したのに。しかし、俺は自分の思うように動いて、結果、牧野を巻き込んだ。それは守れていないのと同じじゃないか。途中で投げ出したのと、なにが違う?

 俺は、牧野がいないとなにもできないのか? ――そんなことじゃあ、ダメだ。

 巻き込ませたくない。しかし、そんな願いはもう叶わない。だからって、こんなところで止まっているわけにはいかないのだ――これはもう受け入れて、新しい方法を見つける……っ。

 二人で戦い、二人で勝つ方法を。

 俺は立ち上がり、牧野の手を取り、部屋から出る。

 外へいき、この女子寮から離れるため、速度を上げた。

 女子たちがいなくて助かった。見つかっていたら、厄介だったからな……、情さんとも鉢合わせなかった。どこでなにをしているのやら。

 ともかく、女子寮から離れ、俺たちは一旦止まる。ぜえはあ、と乱れた呼吸を整えるためだ。牧野もそうだが、主に俺の方……。

「ちょっとっ、一体どこに――」

「いいか、牧野。いま、俺は追われているんだ。超でかい蜘蛛にな……そいつを倒すためには、たぶんこの『剣』が必要なんだと思う……これを使えば、きっと倒せるはずなんだ。根拠ならあるぞ、だから俺を信じて、一緒にきてくれるか? 怪我はさせない、とは、今の俺の力じゃ言えないけど……俺は弱いから、お前を巻き込んでしまうけど――でも、それでもついてきてくれるか?」

 牧野は、即答した。

 考える時間は、一瞬もなかった。

「もちろん、楽と一緒なら、どんな危険なことでもやれる自信があるわ」

「そんな危険なことなんてそうそうしないけどな……」

 だからこれで最後にしよう。

 これで決めれば、終わらせられる。

『二周目』をクリアし、長い長い物語は、これで終わるのだ。

 世界を救い、それでこれから先の人生を牧野と共に過ごす。

 幸せを掴み取るための、最後の戦いだ――。

「よし! じゃあいく、か……あ――?」

 と、俺たちがいる場所が急に暗くなった。

 まだ太陽は出ている、周囲も明るい。雲が真上を覆ったのだろう、と思ったが、雲は雲でも、蜘蛛だった――真上に、落下中の巨大な蜘蛛がいて――。

 俺たちを押し潰すように接近してくる。咄嗟に牧野を抱え、横に飛ぶ。その次の瞬間、俺たちがいた場所に、巨大な蜘蛛が轟音を響かせ、着地した。

 もう隕石じゃん……。

 出来上がったクレーターから、かささ、と蜘蛛が這い出てくる。

 俺たちは距離を取っている。慌てて逃げたわけじゃない……落下の衝撃が俺たちを吹き飛ばしたのだ。数十メートルも飛ばされ、地面を転がりながら、なんとか俺は牧野に怪我をさせないように、ぎゅっと抱きしめる。

 おかげで、牧野に目立った傷はなさそうだ……腕の中で牧野が「――楽!?」と叫んでいるが、まだ腕の中から解放するわけにはいかない。

 そこで、俺は剣がどこにもないことに気づく。恐らく、さっきの衝撃を浴びた時に落としてしまったのだろう……慌てて周りを見回し――あった。

 蜘蛛の真下、である。そこにぽつんと落ちている。

 まるで、蜘蛛という檻の中にあるように……、あそこじゃあ、取りにいくことなんてできないじゃないか……っ。いけば蜘蛛の攻撃が待っている。

 なら、あいつを誘き寄せてから……と、俺が体を起こした瞬間、左腕に激痛が走る。やっぱり、アドレナリンが効いていても限界はくるか……ッ!

「楽、その腕……」

「大丈夫だ、全然、問題なんかねえよ」

 強がるが、牧野にはばれていたようで……、いたずらするように、牧野が俺の左腕を、とんとん、と指でつつく。さらに激痛が走り、俺は声も出せなかった。

「――っっ!?」

「痛いならそう言いなさい。なんでがまんするのよ、私に隠し事はなし!!」

 隠していたわけじゃないけど……さっきの衝撃を受けるまでは、痛みもなかったし……。あったとしても、がまんできるほどだった。だから牧野も、俺の異変に気付かなかったのだろう。

 本当なら、こんなもの、どうってことないと言いたかった。がまんして、がまんして、このまま戦おうと思っていたけど、やっぱり、弱音を吐きたい……。

 だから俺は思わず、牧野に向かって言葉を吐き出していた。

「痛い、んだよ……もう、これ以上、腕が上がらないくらいにさ――でも、あいつを倒すにはこの腕が必要なんだ。無理でも、やるしかないんだよ……ッ。……悪い、今だけ、弱音を――」

 すると、牧野がまた、俺の左腕をつつく。

 しかし、今度はさっきのよりも弱めだ。それでも、痛いことに変わりはない。

「ちょっ」

「いいのよ、弱音を吐いて。私たちは恋人なんだから。弱音も、なにもかもを、打ち明けていいんだから。……大丈夫、頼っていいの。支え合うのが、私たちの関係なんだから」

 そして、牧野が俺を抱きしめてくれた。おかげで俺は冷静さを取り戻す。左腕は使えない、でも牧野の腕は二本、使える。俺の腕と合わせれば三本だ――これで、できないことはない。

 足りない部分は、補う。当たり前のことを、俺は忘れていたのだ。

 俺が原因だからって、俺が一人で背負い込み過ぎなくてもいいのだ――助けは必要。

 だって俺は、完璧な人間じゃないのだから。

 蜘蛛は、未だに剣の上に立っている。どうにかしてあれをどかし、または潜り込んで剣を拾う……、こんなの、一人じゃできない、当たり前だ。

 だからこそ、二人でやる。牧野と一緒なら、なんでもできる気がした。

 覚悟を決め、突っ走っていこうとした瞬間、俺たちよりも先に動いたのは蜘蛛の方だった。

 口から粘着性の糸を吐き出し、近くにあった大木にくっつけ、そのまま引っこ抜いた――そして俺たちに向けてぶん投げ――

「――はあっっ!?」

 牧野を抱えて避けようとしたが、行動する前に、投げられた大木が俺と牧野を分断するように落下する。その衝撃で、また俺は吹き飛ばされた。

 直撃しなかったのが幸運だが……だがこれで、牧野と離れ離れになってしまった……。

 すぐに起き上がり、牧野の元へ向かおうとするが――。

 乗り越えられる大きさじゃない。大回りするしか、道はなかった。

 すると大木の向こう側から牧野の悲鳴が聞こえた。小さく、短いものだったが、それでも悲鳴であることに変わりはない。あっちで、牧野の身に、なにが起こっている……!?

「くそっ、やっぱり、この木を――」

 乗り越えるしかない! 大きいとは言え、しがみついていけば、越えられないわけではない。

 両腕を使えば、できない障害ではないのだ。

 腕を無理やりに上げる。左腕? 痛み? 知ったことかそんなもん!

 牧野を失うことの方が、もっと痛いんだ!

 大木の上に到達し、向こう側を見下ろすと、糸に縛られ、引きずられる牧野が見え――


「牧野!!」


 俺も一度やられた……あの糸は人間の力では切れない。たとえばナイフでも、たぶん切れないだろう……それくらい、強度がある。蜘蛛の力を利用しない限りは……。

 このままだと、牧野があの蜘蛛に喰われる……早く、助けないと!

 大木から飛び降りようとしたが、そこで牧野が「ダメ!」と声を上げる。

「私は大丈夫だからっ、いいからそこにいて!」

 ――大丈夫なわけあるか! 言いたかったが、あの目を見たらなにも言えなかった。

 ――牧野には、見えているのかもしれない。あの蜘蛛をどうにかする、方法が。

 すると、牧野が駆け出した。蜘蛛の方へ、全速力で。もしかして俺が使った戦法を使おうとしているのか? 蜘蛛の真下を抜け、向こう側へ抜ける――、しかし蜘蛛もそれが分かっているようで、真下を抜けられないように足で進路を塞いでいた。

 一度、俺が使ったからこそ、学習したって言うのかよ!?

 牧野はそれを知らず、そのまま突っ込んだ。

 振り上げられた蜘蛛の足が、牧野の胴体を狙い――、だが、

 牧野が絡まっている糸を両手で伸ばし、ぴんと張り、迫ってくる足を受け止め、斜めへ流す。

 牧野の至近距離で蜘蛛の足が地面に衝突し、衝撃が牧野を吹き飛ばした――、蜘蛛の真下へ、偶然にも潜り込む形で。

 そして、牧野は目的のそれを回収する。

 それから。

「楽ッ!!」

 牧野には糸が絡まったままだ、だからそこから移動ができない――だからこそ。

 牧野は俺に向けて、剣を投げたのだ。

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