第21話 最終・part3/花園へ

 痛む左腕を意地で無視し、両腕に力を込める。両足にもぐっと力を入れ――このままぶっ壊れてもいい! そんな気持ちで思い切り走る。

 絡まっている糸を引き千切るような勢いで、蜘蛛から遠ざかる方向へ――。

 しかし、そんな気合だけで突破できる状況ではない。それは、分かっている……だから、頭を使うのだ。俺が逃げようとすれば、蜘蛛は当然、引っ張るだろう。だからそれを利用する。

 蜘蛛が力を入れる瞬間に、俺は力の入れる方向を、蜘蛛の方へ変えた。

 引っ張られる側へ自分の体が向かうことになり、勢いがプラスされるのだ。

 蜘蛛の力と自身の力——、その勢いは、相当なものになるはず――。

 蜘蛛に近づく俺は、すぐに体を丸め、体勢を低くする。勢いがついた俺はそのまま蜘蛛の胴体の真下を抜け――、そして、勢いがついたおかげで、絡まっていた糸が千切れた。

「――よし!!」

 転がりながら立ち上がり、勢いのまま走り抜ける。

 目指すは牧野の部屋だ。

 勝利への道は、ほとんどもうできているようなものだ。

 だが、巨大な蜘蛛は、振り向き、すぐに追ってきた。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!?!?」

 不意を突いたのに、戸惑うことなく俺を追ってきている。

 さすがはゲームだ……、感情なんか挟まないってことかよ!

 俺は塀を飛び越え、家と家の間を突き進む。

 この道なら、牧野の部屋がある女子寮まで近道だ――っ。

 しかし、このまま向かっていいものか、気になる。

 このままいけば、俺を追っている蜘蛛が、女子寮に侵入してしまうことになる……。

 あの蜘蛛が敷地内へ入れば、寮は間違いなく破壊されるだろう。

 その時、中にいる生徒はこの蜘蛛を認識することができるのだろうか。

 それとも蜘蛛のことは認識されず、ただ自然な崩落事故だと認識するのか……。

 どちらにしても、このままいくべきではない。どうにかして、この蜘蛛を振り切るしかないのだが――、たった数分でいい、その時間、こいつを足止めできれば……っ。

 振り向けば、蜘蛛が地面や壁を這って迫ってきている。立ち止まって考えている時間などない――立ち止まれば、また捕縛されて終わりだ。

 どうする……? こいつを足止めするには、やっぱりダメージを与えるしかないのか……?

 なら、そのダメージを、どうやって与える……?

 俺が殴ったとして、通用するはずがない。甲殻があるわけではないが、その柔らかそうな体も、ぎっしりと筋肉が詰まっているのだろう。……なら、火で、燃やす……? だけどライターを手に入れたところで効くとは思えない。家を燃やすほどの火力があれば分からないが……

 本当に家を燃やすわけにはいかない。放火魔になってたまるか。

 どうする――……いや、一つ、あった。たぶん、効く、効くかないというよりは、遠くまで吹き飛ばしてくれそうな案なら、ある――。

 でも、それには危険が伴う……いや、今更か。どんな方法であれ、少なからず危険は伴うのだ。大なり小なり……大も小も、危険であることは変わりない。

 追われている今だって充分に危険な目に遭っているのだ……、これ以上はもうない。

 だから――、俺は塀を下り、一般の道へ。

 入り組んだ道を、曲がり、曲がって、さらに曲がって。

 俺は大通り――、車道へ突き進む。

 車道は当然、いつも通りに車が走っていた。混んでいるわけじゃない、車と車の間隔は、だいぶ広い……速度は充分に出ているようだった。

 それでいい――それでこそ、案が活きるのだから。

「さて、覚悟はできたか、相沢楽人……ッ」

 呟き、覚悟を決める。

 ――怖い、けど……失敗すれば、間違いなく死ぬ――でも。

 蜘蛛に喰われるよりは、全然マシだ。

 息を整え、しかし、走っているために呼吸は安定しない。でも、随分と落ち着いている……。

 さて、お前も覚悟を決めろよ、蜘蛛——。

 いや、ラスボス。

 

 俺は、大通りを横断するように、車が横行している車道を――突っ切った。

 俺が走り抜けたすぐ真後ろを、車が通り抜ける。その時の突風が、俺の背中を押した。

 後押しされ、俺の全速力が、さらに加速した。

 そのおかげだった。突風がなければ、俺は間違いなく撥ね飛ばされていただろう……、それがあったからこそ、俺は向こう側の歩道まで走り抜けることができた。

 そして――、大型のトラックが、車道を走っている。

 俺を追って車道に踏み入れた蜘蛛——そのままそいつを、吹き飛ばせ!!

 ゴッッッッ!!!! と、蜘蛛の巨体が大型トラックに撥ね飛ばされた。

 巨大なその体が、遠くまで吹き飛ばされる――。

「うわ……っ、だいぶ飛んだなー」

 星になった、とまではいかなかったが。

 それでも放物線を描き、近くの森林公園へ落ちていった。

 どしんっ、という地響きの後、木に止まっていた鳥が一斉に飛び立った。

 車道を見れば、大型トラックの前面が、大きく凹んでいた。それに、フロントガラスも割れている……運転手には、蜘蛛が見えていなかっただろう、だから不思議そうに周囲を見回しているが……原因が見つかることはない。

 すいません、と心の中で謝っておく。説明してもいいが、バカにされていると向こうは思うだろう……俺も、ここで時間を取られるのは避けたい。

 とにかく、この場からさっさと離れ、女子寮にいかなければ。

 もう邪魔はない。しかし、ずっとこの状態が続くわけではない。たぶん、すぐにでもあの蜘蛛は、俺を再び追跡するだろう……勘だけど、残っている時間は、数分もないのではないか。

 この間に、稼いだこの距離のアドバンテージを使い、勇者の剣を見つける――。

 それが残された、生き残るための最後のチャンスだ。


 近道を利用したおかげで女子寮にすぐに辿り着いた。

 よし、牧野の部屋へ――。

 と、開いている窓の先から、女子たちの声が聞こえてくる……。

 危な……っ、女子寮に侵入していることがばれたら、一瞬で変態扱いだ。

 周囲を見回し、女子がいないことを確認し、進んでいく。

 牧野の部屋も、一階の端っこにある。ここなら窓から入ってもばれないし、入りやすい……。

 情さんにばれずに侵入したことは何度もあるのだ。

 確実性は保証できている(情さんのことだから見逃している部分もあるだろうけど……)。

 俺はゆっくりと窓へ近づき、中に誰もいないか確認する……牧野は、いないか――。部屋にいないということは、情さんのところかもな。ということは、情さんも部屋にいるはず――。

 俺は安心して窓に手をかける、そして横へスライドさせ――できなかった。

「……鍵……」

 そう、鍵だ。窓から出入りすることが多い俺は鍵をかけていないが、牧野の場合は鍵をかけているのだ――当たり前の防犯である。

 俺が侵入する時は、決まって牧野に事前に連絡をしていたし……だからこそ牧野も鍵を開けてくれていただけで……常に開いているわけじゃない。

 ……まずいな……。

 予定が狂った。ここで、すっと入って剣を見つけるつもりだったのに、まさかここで足止めをされるとは……。

 つまり、じゃあ女子寮の中に入り、牧野の部屋へ侵入しないといけないのか……? 窓は開けられないが、一応、部屋の合鍵は持っている。それは互いに、交換したからだ――だから牧野も、俺の部屋の合鍵は持っているわけで……。

 鍵はあるが、じゃあその道中を素通りできるとは限らない。

 情さんに見つかる可能性もあるし、女子たちに見つかる可能性もある。

 知り合いなら軽く話をすれば納得してくれるかもしれないが……(牧野の忘れ物なり待ち合わせなり、言い訳はできる)だが前提として、女子寮は男子禁制である。そういう規則を重要視する生徒もいれば、男子を入れたくない潔癖症の生徒もいるわけで……。

 正式な用事があるなら許可を貰い、入ることはできるが……今回は牧野に知られたくないという前提がある。それを崩すことはできない――絶対にダメだ。

 だけど、早くしないとせっかく吹き飛ばした蜘蛛に追いつかれてしまう……、早くしないと――でも、焦りがどんどんと冷静さを失わせていく。迫る時間が、心の余裕を奪っていき――マズイ、これは本当にピンチだ。

 考え、考えて――俺はある一つの案を思いつく。だけど、これをした場合、女子寮にいる全員から見つかるし、情さんにも牧野にも見つかる可能性がぐんと上がる。

 それでも――思いつく手はこれしかない。

 勝負、でもある。時間との勝負。

 蜘蛛だけじゃない、俺が『あること』をして、それに気づいた女子たちがこの場へくるまでの――時間との勝負。

 俺は近くに転がっていた野球ボールサイズの石ころを拾い、握る。

 左腕は使い物にならないので、利き腕の右で、だ。

 くそ、意識すると折れたかもしれない左腕が、痛む……っ。

「もっと痛い思いをするかもしれないんだ……堪えろよ、俺……ッッ」

 俺は握り締めた石を、投げた。

 その石が、牧野の部屋の窓ガラスを、ぱりんっっ、と割り、

 その音が、女子寮全体に響いた。

 その時、気づいたはずだ――すぐに、誰かが確認しにやってくるはず……。


 始まった。

 見つかるか、それとも見つかる前に脱出するか。

 時間との勝負が――今。

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