3章_最終ステージ
第18話 散る夜桜
新年。
去年のクリスマス、恋人になった俺と牧野だが、結局、生活が特別変わった、ということはなかった。今まで通り、変わらない日々——。
「楽ー、ふふふ、あったかぁい」
……牧野がものすごくデレていることくらいかな……変わった、というか、困ったことは。
正直な話、今日から学校があるのだが、こんな状況のままいくのは恥ずかしい……、他のメンバーには言っていないから、このままじゃあ絶対にいじられる。
腕組みじゃなくて……せめて手を繋ぐとかさ……いやそれも恥ずかしいか。
「なあ、放課後にいくらでもくっついていいからさ、今はちょっと抑えよう?」
「ふふふ、ごろごろ」
「ダメだこいつ聞いてねえ!」
まさか牧野がここまでデレるとは! やっぱり、付き合ってみないと分からないことってあるんだなあ。これで嫌いになるわけじゃないけど……。
まあ、学校までまだ距離がある。誰かに会う心配もな――
「よお、楽。久しぶ――」
ぴし、と固まったのは、恭太である。
「あ、」と互いに時間が止まり、なにも言えなくなる。
少し早めに寮を出たのに追いつかれたということは、俺たちの歩く速度が相当遅かったということだろう……主に牧野が俺にしがみついているからか。
すると、硬直から直った恭太が、
「はは~ん、なるほどねえ」
にやにやする恭太の視線が、俺たちではなく背後にあり――
ゾッとして振り向くと、そこには雅と咲夜がいた。
雅はにやにや、ではなく、なぜかニコニコと。咲夜はいつも通りにあわわわと顔を真っ赤にして――どうしてお前が照れる!? というか今日に限ってなんでこうも知り合いに会うんだ!!
いつもは教室で初めて会うだろ!?
「ふうん、クリスマスパーティのドタキャンって、もしかしてこれ? 埋め合わせをしてくれた時はこんな雰囲気じゃなかったけど、私たちにはばれたくなかったのかしら?」
ば、ばれたくはなかったかな……言うつもりだったけど、やっぱり準備があるわけで……。
「い、言ってくれればお祝いしたのに……」
ありがとう、咲夜……、お前のその言葉は心が痛いけど……。
視線が集まる。こんなにも見られているのに、牧野は未だにデレデレモード全開だった。
気づいていない? え、恋って、ここまで視野を狭めるものなの?
俺は牧野の頬を、つんつん、とつついてみる。
すると牧野が、「はっ!?」と正気に戻ったようだ。
「なに、楽?」
「前、見てみろ」
指を差し、牧野が場を理解すると、顔を真っ赤にして俺の背中へささっと隠れる。
「な、なんで雅と咲夜が!? 楽もなんで教えてくれないの!?」
「いや、だって気づくと思うじゃん?」
それは本当。だけど実際は、真っ赤になって恥ずかしがる牧野が可愛いから、見たくてはめてみた、という気持ちもある。
すると、雅が嫌な笑みを作った。
「へえ、牧野ってこんな表情をするのね。初めて見たわ……可愛いわねえ」
「ああ、それは同感だ」
「ちょっ、楽っ!?」
牧野をからかいながら、俺たちは学校へ向かう。
その時も、牧野は俺の腕に自分の腕を絡ませて――、もしかしたら、打ち明けたことで恥ずかしさがなくなったのかもしれない……吹っ切れたかぁ。
俺も、恥ずかしがらず、自分からこういうことができるようにならないとな。いつまでも牧野からさせるわけにもいかないし……。
時間はかかると思うけど、ゆっくりでいいから――。
「なあ楽」
「黙れ」
悪友からは踏み込まれたくないプライベートゾーンである。
まあどうせ、噂を広めるのはお前だろ?
―― ――
学校でひと悶着もなく、お昼休みへ突入した。
俺と牧野の関係を知っているのは朝の三人だけである。
そんな俺たちは、屋上でお昼を過ごしていた。
教室でもいいが、なんとなく、牧野との触れ合いを見られたくなかったのだ。
……肌寒いけど、それがまた、抱き着くにはちょうど良い理由になるのだ。
「楽、お弁当ね」
「おう、サンキュー」
牧野から弁当を受け取る。それを見た雅が、
「ふうん、本当に恋人なのね、あんたたち」
「嘘だと思ってたのかよ。本当だっての」
「……あーん、する?」
と、牧野。
されて断ることができないのが恋人である。
まあ、部屋では散々やってきたことだし……。
「じゃ、じゃあ」
あーん、と口を開けると俺の口の中で箸ががちゃがちゃ、と歯に当たる。
いつまで経っても不器用で可愛いな、こいつ。
「美味しい?」
「うん、美味い。牧野が作ってくれてるからだろうな」
牧野は満足そうに弁当を食べ進めている。……たぶんだけど、なにを言っても牧野は嬉しそうにするんじゃないだろうか。それだけ恋は、なにも見えなくなる。
俺もほとんど、そんな感じになってきているしな……。
相手を否定する、という発想がまずない。理想を求めるのではなく、恋人がしていること全てが自分の中の理想だった、に書き換えている感じ。
不満も愛おしくなる。その結果、不満がなくなっていくのだ。
だから全部好き。
「いやー、牧野が恋人かあ………………死ねッ」
と悪態をつくのはヤケ食いをしている恭太である。
「羨まし過ぎるんだよお前はっ! 俺の分まで幸福を取りやがって!!」
「えへへ」
「張り合いがねえ!? こいつ、幸福過ぎて悪口にも反応しなくなってるな!?」
妬みはどんどん言ってくれて構わないぜ、今の俺は寛容だ、なんとも思わねえし。
と、気づくと隣に弁当箱があった……牧野から貰ったものと、え、もう一個……?
「あのっ、わた、し……です」
答えたのは咲夜だ。
でも咲夜も弁当を一個、持ってるよな……? 二個持ちしてるの?
「つく、って、きたんです……でもその、二人が恋人だって、知らなくて……ごめんなさい」
「そういうことだから。責任を持って食べなさいよ、楽」
雅からの脅し……、喉元に突きつけられたお箸(行儀が悪いぞ)が怖いわけじゃないが、俺は「ありがとう、貰うよ」と答える。まあ、育ち盛りだ、食べられないわけじゃない。
弁当箱を開けると、牧野よりも手の込んだお弁当だった。
……恋人じゃないのに、こんな豪華な弁当を作るの?
いける、かと思ったけど、ぱんぱんに詰まった量は、食べ切るのはつらいかもしれない。
しかしどっちの弁当も残すことはできないし……。
牧野も咲夜も、じっと俺を期待の眼差しで見ている……残したら殺されそう(もしくは泣かれそう)だ。というか、牧野は自分以外から彼氏が弁当を貰っているけど、いいの?
「楽、どっちが美味しいか、判定してね?」
……マウントを取りたいだけ?
弁当を貰うこと自体が良いって言うより、マウントを取るためには仕方ない、みたいな感じなのかもしれない……じゃあ別のタイミングで弁当を貰ったら……、ダメだよなあ。
それから。
俺は二人の言う通りに弁当を食べ比べる。
どっちも美味しくて、どっちが不味い、というわけではなかった。
一定水準を越えてしまえば美味しさなんて大体一緒だしなあ……。
でもやっぱり、恋人という関係になった分、スパイスがかかっている。
牧野の方が、数段、美味しく感じたものだ。
だけど……。
「…………」
咲夜。
俺に好意を寄せてくれている、女の子……。
牧野と比べてしまえば、体も心も弱い子だろう……。
ここで勝利の旗を上げずに突き放してしまうのは、どうだろうか。
これで最後だと思えば、牧野も分かってくれるはず。
今後、俺は牧野とは何度も衝突できるし、喧嘩も、仲直りもできる。
一緒にいるのだ、なにもない平坦な道を歩くことはないはずだ。
だけど咲夜は――これっきりかもしれない。だったら。
「どっちも美味しいけど、味だけで言えば……咲夜かな」
牧野とはアイコンタクトを交わし――、俺の意図を知らせたつもりだったが、
「うわぁあああああああああああああああああああああんっっ!!」
「え!? ちょっ、アイコンタ――牧野!? だから味だけだって言ったじゃん!」
お前のだって美味しいよ!?
しかし俺の声は届かず、牧野が屋上から風のように去っていってしまう。
残された俺たちは、しーん、と。沈黙だった。
そして、俺を責める視線が、すげえ痛い……。
お、俺が悪いの? いやまあ、悪いんだけどさあ……。
「あーあ、泣かせたー」
と、雅。こいつは俺の意図が分かっていそうなものだけど、それを一切、出さないのだ。
冷たい視線が、心に刺さってしんどい……。
「まあ、牧野を選んでいたら、咲夜がこうなっていたかもしれないけどね」
「大丈夫ですよ、わたし、覚悟はできていましたから」
咲夜はいつものおどおどした態度ではなく、しっかりとした『芯』を持っていた。
俺の言葉では揺るがないような、太い芯を――。
「二人が付き合っていると知って、わたしは悲しくなると思っていたのですけど、実際は、そんなことなかったです。あったのは、やっぱり二人はこうじゃないと、って――。もう、素直に受け入れていました」
咲夜の気持ちには気づいていた。ずっと前からだ――でも、なんだかんだとはぐらかしてきた。答えを出さないまま、長い間ずっとだ。
俺はずっと、怖かったのだ。もしも、間違った言葉をかけてしまったら? 咲夜は、崩れてしまうんじゃないかって。でも、俺が思っている以上に、咲夜は強いのだ。
「さっきの言葉、嬉しかったです。でも、これで最後です……、もういいんです。牧野ちゃんを大切にしてあげてくださいね、楽くん」
「……ああ、約束する。でもな、さっきのは別に、お世辞でもなんでもないからな! 本当に美味かった――味だけで言えば、牧野よりも。……でも、やっぱり恋人に勝る手作り料理はないんだってことだな」
「ふふ、早速、惚気てくれてますね」
咲夜はちょっといじわるな笑みを見せて、
「さ、早く追ってあげてください。きっと近くで待ってますよ」
「おう――ありがとな、咲夜」
そして、俺は牧野を追い、屋上から飛び出した。
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