第16話 黄金の記憶

 過ぎ去ったトラックを見もせず、俺は走って向かう。

 そこには――牧野……。

 怪我はないみたいだ……当たっても、轢かれてもいない……。

「良かった、まき――」

「いいわけ、ない……ッ」

 俺は震える牧野に気づいた。

 どこを見ているのか――俺は牧野の視線を追う。

 真下。そこには、真っ白な雪が、真っ赤に染まっていて――。

 小さな命が、そこにあったのだ。

「…………う、どん……?」

 俺は手を伸ばす。うどんに、そして真っ赤なその体を、優しく撫でる。

 ふわふわで、いつもと同じ手触り――だけど、冷たかった……、雪で冷えているわけじゃない。そこになにも入っていないように感じたからだ。

 うどんは動かない。「こんっ」と鳴いてはくれない。こっちを、見てくれなかった。

「うどん……? お、い……なんだよっ、さっきまで、あんなに楽しそうだったのに……っ、なのになんで、どうしたんだよ、おいッ!!」

 無駄だって分かってる。もう知っている……うどんは、命懸けで、牧野を守ったのだ。

 そして、うどんはその身を犠牲にした……。

 そんなこと、痛いほど分かっているのだ。

 牧野が駆け寄る。まだ震えていた。でも、恐怖を振り払い、うどんを抱える……。

 牧野の服に、うどんの血がべったりとついた。だけど、一切、それを気にしなかった。

「うどん……ごめんね、ごめんなさい……私がしっかりとしていれば、こんなことには……」

 もしかしたら、うどんは知っていたのかもしれない。今日、ここで事故が起こることを。

 この前、うどんがこの場所へ近づいたのも、それを伝えるためだった……のかもしれない。

 でも、俺たちは理解してあげることができなかった。

 まったく……ダメダメなご主人だな、俺たち……ッ。

『ちがうよ』

「え?」

 声が聞こえた。俺は隣の牧野の声かと思ったが、違うだろう――牧野は今、うどんを抱きかかえている……俺になにかを伝えるなんて余裕があるとは思えない。

 じゃあ、一体、誰の――

 その時、強い風が吹いた。俺は一瞬、目を瞑ってしまい、視界が真っ暗になる。

 次に目を開けた時、見えた景色は雪ではなかった。

 周りは黄金で、その場には俺と、少年しかいなかった――。

 は? ……ここ、は――。

『ありがとう』

 少年がそう言った。黄金の髪。美少年と言える容姿だ。

 小学生か、中学生か……どちらとも言える幼さである。

 なぜ、俺にお礼を? 分からなかった。

 俺はだって、なにもしていない。

 彼と面識だってないはずだ……感謝されることなどなにもないはずなのに――。

『でも、彼はありがとう、と言っているよ。牧野さんとあなたに、しっかりと』

 彼……、話が見えない。

 でも、これが重要なことであるということは、分かってしまう。

『僕は願いを叶えにやってきたんだ、君の、ね。さっき死——いや、あの結果になったのは僕の、いや、彼にとっても、本望だっただろう。望んだ結果だ、気にしないでほしいさ』

「願い、だと……?」

『そう、僕はそういう生き物だからね。これが役目さ――。一周目とは違うから君も困っているのかな?』

 その単語に、今まで平和だった日常が、壊れた気がした。

 そうだ、忘れてはいけない――ここは『二周目』であるということを。

「お前は、なんなんだ……っ、なにが目的なんだよ!?」

 これ以上は関わりたくなかった。

 うどんは、死んだ……もう戻ってはこないのだ。

『僕は君の願いを叶えにやってきたんだよ。一つだけ、どんな願いでも――それが僕の使命であり、役目なのだからね』

 願い、か……なら――

「いや、ダメだ、帰れ」

 俺の言葉に、少年がきょとんとした。

 俺がなにを言っているのか、理解できなかったのだろう。

「願いなんていらない、帰れ。願いなんて、俺みたいな、なにもしていないような人間が頼んでいいものじゃない。叶えたいなら他のやつにお願いするんだな――」

『でも、せっかくのチャンスなのに――』

「ほんとはな、うどんを生き返らせてやりたかった」

 俺は、自然とそう言っていた。

 感情を止めることができず、ぼろぼろと、言葉が出てくる。

「でもさ、願いで生き返らせて、それでうどんが喜ぶのか? それでうどんは、良かったと言ってくれるのか? そんな簡単に生き返らせていいものなのかよ……そう思っちまうんだ。命を弄ぶってのは、こういうことを言うんじゃないかって――」

 でも、もしもできるなら、願ってしまいそうで。

『……優しいんだね』

「違う、自分勝手で、わがままなだけだ」

『それでも、自分のことだけじゃない、他人のことも考えることができている。それは君の良いところだと僕は思うけどね。……そうか、なら願いは叶えない。僕はこのまま消えることにするよ』

「ああ、悪いな……」

『それじゃあ、返すよ――君を、君の世界へ』

「ああ。……あれ、お前、足に怪我を――」

 気になったが答えを聞くこともできず、俺の視界が真っ暗になった。そして次に目を開けた時、周りは真っ白だった――雪景色である。

 見下ろせばうどんと、うどんを抱く牧野……。

 ああ、やっぱり、あれは現実だったのか……。夢だったら、どれだけ良かったか――。

 でも、受け入れなくちゃいけない。こんな現実でも、現実なのだから。

 今まで、平和ボケをしていた。まだ終わっていないのだ。

 今でもまだ、カウントダウンは止まっていない。

 まだ、この『ゲーム』は、終わっていない。


「牧野」

「うぅ……、うぁあ……っ、うぁああああああああああああああああああああああっっ!!」

 俺は牧野を、うどんを、抱きしめた。


 ―― ――


『そうか、なら一緒にいてやれ』

「ああ、悪いな……クリスマスパーティー、台無しにしちまって」

 さっきの一件があり、これからクリスマスパーティー、という気分にはなれなかった。

 それに、今は牧野と、二人きりでいたかったのだ。

 恭太に連絡し、俺たち二人はいけないことを伝えた。軽く、事情は伝えておいた――うどんのことは言わず、牧野に悲しいことがあった、ということだけを。

「俺たち抜きで楽しんでくれ」

『そんなことできるかバカッ』

 と恭太が言ってくれて、その言葉がとても嬉しかった。

『まあ、今度、埋め合わせをしてくれればいいさ。——お前は大丈夫なのか、楽?』

「大丈夫だ、心配するなよ」

 言って、電話を切る。

 振り向けば、うどんを抱えて、涙を出し切った牧野が……。

 いや、泣いても泣いても、枯れることはないのだろう。

 うどんは動かない。いつもと同じように寝ているだけにも見える。

 でも……、もう死んでいるのだ。

「牧野、うどんを埋めてやろう。じゃないと成仏してくれないからな」

「…………うん」

 力のない、返事だった。

 それから、牧野を支えながら公園へいった。うどんが生きていた時、よく散歩にきていた場所だった……、ブランコ、ジャングルジム、滑り台と砂場がある公園……、最近、徐々に減っていっている公園の中では、ある程度の遊具が揃っている大きめの公園である。

 壊されることはないよな?

 今日は雪が積もっているので、いつもの公園も少し新鮮な気持ちで見ることができた。

 うどんを連れてきたかったな……、と思った。

 目を瞑れば思い出す。

 この公園で、うどんと遊んだ、あの光景を。

 もう、二度と見ることができない、その光景を。

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