第8話 キツネの交渉

 女子寮の管理人室へ訪れる。ノックをすると、中から「おう」という返事が聞こえてきた。

 いつも思うが、男子寮には女性の管理人、女子寮には男性の管理人がいる。普通は逆じゃないのか? と思うが……、管理人は二人ともまだ若い。大学生なんだっけ?

 中に入って、牧野がすぐさま抱きかかえていたキツネを突き出した。その行動に全ての思惑を悟ったらしい管理人——藤堂とうどうじょうさんが、黙って言葉を待つ。

「この子、飼いたいのっ!」

「ダメだ」

 即答である。まあ、悩む余地などないけど。しかし牧野はまだ諦めない。

「お願いっ、絶対に迷惑をかけないから! だからお願いしますっ、ね!?」

 牧野のお願いに合わせて、キツネも「こん!」と鳴くが……、ように見えただけか。しかし、これで了承していたらきりがなくなってしまうだろう。

「あのなあ、こっちも飼わせてやりたいけどよお、お前だけを特別扱いするわけにはいかないんだよ。つーわけで、諦めろ。元いたところに返してこいよー」

 しっしっ、と手で払われて牧野がむすっと頬を膨らませる。まあ、こうなることはほとんど分かっていたし、希望は最初から薄かったのだ。期待していたわけではない――。

 さてどうする、と牧野を見れば、当然、まだ諦めていなかった。

 こいつが諦めていなければ、俺も負けを認めることはしたくない、な。

 牧野の次の一手を見届けよう。

 すると、情さんがぎょっとした顔で牧野を見る。

 その怯え方は、まるで泣き出しそうな幼児を見たようなそれであり、牧野がぷるぷると震えている……。

「おい、だからな、そんな目で見られても――」

「なんでよ……ッ、このっ、バカぁあああああああああああああっっ!!」

 キツネを連れて部屋を飛び出す牧野……、そして部屋の外から、

「情さんなんて嫌いだ――――っっ!!」という叫び声が聞こえてきた。

 子供か、あいつは……。子供なんだけどさ。

 と、気づけばこの部屋で俺と情さんが二人きり。俺たちは去っていった牧野の、もう見えない背中を見つめ……、

 すると、溜息をつき、情さんが言った。

「はあ、ったく、あいつはよお……おい、楽」

「はい、なんすか」

「あとはお前の仕事だろ」

「いや、丸投げしないでくださいよ」

 管理人はあなたでしょう?

「丸投げではねえよ。俺だって少しは気にかけるつもりだ。でも、お前の方が慰めた時に効果があるだろ――、それと、お前のところならさっきのキツネ、どうにかなるんじゃねえの?」

「無理でしょうね。情さんの方が、れいさんのことをよく知ってるでしょ。あれがどれだけ規則に厳しいか……」

「まあ、だな。それを踏まえてだ。……頑張れよ。牧野を笑わせてやれ」

「俺の苦労が増した……」

 まあ、情さんにこれ以上お願いしても難しいか。なんとかしてくれるのであれば、怖いけど、上に掛け合ってくれるのは冷さんの方だ。ダメ元でお願いしてみるのが、最後の手かな――。

「じゃあ、もういきます」

「おう、冷には気を付けろよ。死んだら埋めてやる」

「骨を拾えよ」

 冗談だ、と笑いながら言う情さんだが、俺は笑えないんだよ……。

「冷さんに、情さんのだらしないところを報告しておきますね、ついでに」

「待ててめえ!!」

 同時、俺は駆け出す。追いかけてくる情さんから逃げる鬼ごっこが始まった。

 いや、テキトーに言っただけなんだけど、言われて困ることでもあるのかな?

 まあ情さんのことだ、冷さんに言われて困ることなど山ほどあるのだろう。

 今度、隅々まで知らべておこう。


 ―― ――

 

 情さんを振り切り、逃げ延びることに成功した。

 あれだけ「さっきのは嘘ですよ!」と言っても信じてくれない……。

 ここまでくると「ちゃんと見ておいてください」と冷さんに言っておくべきか。

 ……思ったがやめておこう。情さんの骨を拾いたくはないし。

 すると、とぼとぼと歩く牧野の背中を見つける。牧野の腕の中にはさっきのキツネがきちんと収まっていた……こん、と鳴いて、頬をすりすりとさせている。

「ったく……」

 俺は駆け足で牧野に近寄る。そして隣まで辿り着き、一緒に並んで歩いた。

「あ、楽」

「よう、ぼーっとしてたけど、大丈夫か?」

「大丈夫だけど、大丈夫じゃないよ。だって、あんなにすぐ拒絶されるなんて思っていなかったから。なんだかんだ文句を言っても、最後にはいいよって、言ってくれると思ったの……、色仕掛けでもすれば言うことを聞くちょろい男だし」

 おい。情さんはそこまで簡単じゃないぞ?

「でも、ダメだった。あの男を落とす前に、この子が拒絶されているみたいで、ショックで……なんにも、できなかった……」

 しゅん、と見て分かるほどに落ち込んでいた。ここまで元気がない牧野も珍しいな。それほど、このキツネのことが気に入っているのか。

 ……ふう、やっぱり、覚悟を決めるしかないか。

「なあ、俺の部屋で飼ってもいいぞ」

「え? でも、冷さんは絶対にいいって言わないと思うし……」

「そんなもん、隠れて飼うに決まってるだろ。男子寮は基本的にうるさいからな、こいつが多少こんこん鳴いてもばれないだろ」

 だけど牧野は「でも……」と遠慮している。こんな時だけ遠慮されても……、いつもみたいに押し付けてくれれば、こっちも吹っ切れて楽なんだけどなあ。

「いいんだよ、こいつの世話の大半はお前に任せるけどな」

「それ、ずっと部屋にいろってこと? なかなか大胆なこと言うじゃん」

 少し時間がかかったが、自分の発言に遅れて気づく。慌てて、発言を撤回し、訂正しようとしたが、逆にここで押し切った方がいいかと思って訂正はしなかった。

 もうどうにでもなれ、だ。

「ああ、そうだ。ずっといてくれっ!」

 その言葉に牧野は驚いた様子だったけど、すぐに「うんっ」と頷いた。

 まあ、牧野はいつも俺の部屋にくるし、普段と変わらないと言えば、そうなんだけどな。

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