三話②

 完全装備ともいえなくない素楽そらは、月明かりの下で石藤いしふじ蛍火ほたるびの灰を目指して、朱い翼を大きく羽ばたかせる。


 先に向かう不治谷ふじのたにには、昼間であれば時一つと半分さんじかん程の飛行時間で到達できる。夜間ということも考慮すれば、時二つよじかん強は覚悟する必要があろう。


 雲一つない満天の星空と欠けつつある月が、遥か高くから見下ろしている。地上では虫の大合奏が心地よく響く。


 急ぎ飛んでいるのでなければ、風情というもののある時間なのだが、今は急場で余裕というものは皆無である。

 普段の彼女であれば、山の形状や目下の地形、村々などから一直線に目的地へと向かうのだが、夜闇の中ではそうもいかない。街道を見失わないよう適度に確認しつつ、魔物に対する警戒をする。


朔也さくや様、無事でいてください)

 祈りに呼応するように、南方の空に一筋の流星が走る。


―――


 街道もなくなり、記憶と月明かりを頼りに突き進む。松野を発ってから時二つは経過しただろうか。

 目下にはゴツゴツとした大きな岩々が転がっている渓谷、急勾配な岩壁に挟まれた中心には一本の谷川が流れている。岩壁を這うように幹を伸ばす松は、昼間であれば壮観な風景に違いない。


 ここが不治谷と呼ばれる場所だ。石藤に因んで不治と名付けられたと言われているが、真偽は不明である。

 上空を旋回し、目を凝らして降り立てる場所を探す。こういった秘境や辺境には降り立てるような広地が多くなく、月明かりに頼っている影響もあって、幾度も往復することでようやく目処をつける。


(肉食みがでませんように)

 肉食みとは肉食性魔物の俗称である。生き物を視界に入れれば、相手を問わず食らおうと襲いかかる厄介者だ。


 すーっと宙を滑るように降り立った素楽は、腰袋に入れた魔石二種を取り出し魔力を込める。

 先ずは光石、薄っすらと光を帯びた後に、天面を撫でれば、魔石ランプのような光を放つ。


 簡易結界石は光石とは比べ物にならないほどの魔力を必要とするため、周囲を警戒しながら魔力を垂れ流し続ける。仄かな光を帯び始めたところで、起動するための面を撫でれば素楽より数歩分先に、半透明の揺らめく帳が張られる。


 街を覆う結界に近いものだが、魔力を持つものを弾くほどの効力はなく、あくまで魔物類が近寄り難く感じる程度である。

 結界石を腰袋に戻し、空いた手に鉈を持ち、足場の悪い渓谷を歩き始める。


 妖禽ようきんたる素楽が着地場所を困るような手つかずの地、鉈を持って道を拓こうとそうそう進めるものでもない。

 遅々とした歩みではあるものの、確実に一歩一歩足を動かした成果は、半時いちじかんほどして現れる。足元に転がっている石藤の大きさが大きくなり、小さくではあるが苔の付着が確認できるからだ。


 今は何時か、と考えるが答えは得ない。普段であれば安穏と寝台で寝息を立てている時間帯、早寝早起きを基本とする素楽には睡魔が囁き始める。重たくなる目蓋を持ち上げ、首を振って眠気を払い、周囲への警戒を怠らずに歩む。


 背の高い木々に隠れるように鎮座する薄紫の岩、その表面には苔が幅を利かせている。光で照らしてみれば苔には、小さな小さな薄紫色の花が垂れ下がるように花弁を広げている。


 腰袋から取り出した容器へと石藤を詰め、先ずは一つ、と疲労混じりの息を吐き出す。

 気の緩んだ時にこそ、異常はおこるというもの。後方から草の擦る音と足音が響く。緩んだ弦を張り直すよう、素楽は鉈を握る手に力を込める。


 グルルと唸るような声に、黒いもやか煙を帯びた茶褐色の狼が一頭、妖しく光る眼を素楽へと向ける。肉食みである。


(靄纏い、生まれたて受肉前の個体だねー…)


「…はぁ」

 チラリと見上げた天は、樹木によって覆われているため、飛んで逃げることは叶わない。加えて範囲の狭い簡易結界石は、魔力で作り出した翼の動きをも阻害するため、戦う以外の選択肢はない。


(そろそろ結界の解ける頃合い、かな。運が無いねー)

 光石を足元に転がし、帯革に装着された魔導銃を取り出す。こちらも結界の外への射撃は、有効足り得ないため、効力を失ってからの手段となる。


 結界が解けるまで待つ、ということはなく、動きを鈍くされながらも肉食みは迫りくる。鉈で迎撃を試みるも、相手は素早く捉えることは難しい。魔物というのは、生まれたてでありながら、そこらの野獣よりも幾らか強力な存在なのだ。


 攻防と呼ぶには一方的な戦いは、肉食にくはみの優勢のまま繰り広げられる。力ずくでねじ伏せるような戦いではなく、素楽の攻撃を躱しながら、体力が底を尽きるのを待つ嫌らしい戦い方だ。


 全身に小さな傷が出来、薄っすらと血液が滲む状況、彼女らを阻んでいた帳が消え去る。

 魔物たる肉食みにも、結界が失われた事が理解できたのだろう。一度姿勢を低くしたかと思えば、大きく跳ねて獲物へと飛びかかる。


「悪いねっ!」

 魔導銃を向けられ、警戒を露わにした肉食みは、射線を外すよう進路をズラす。

 素楽は対象を追うことなく、そのまま引き金を引く。銃口から放たれた魔法は、無数に枝分かれ拡散し肉食みを蜂の巣にする。


「……あー…助かったぁー」

 抜けそうになる腰を押し留め、瞑目めいもくしながら魔導銃に特製の魔石を装填する。一回一回魔石を込める必要があるからだ。

 さて この試作品の魔導銃、不良品といっても差し支えない品である。魔石を消耗品の如く消費することで、魔導杖とは比べ物にならない威力と速度、射程を得る魔道具だ。


 何故に不良品かといえば、射程が五尺にも満たない、発射された魔法弾が拡散する、という二つの点だ。いくら小型化したとはいえ、至近距離といっても過言ではない距離では、不良品と言わざるを得ない。


 魔法がばらつき拡散することで、狙わずとも当てられる、という副次効果もあるのだが、それはそれ、これはこれだ。

 屋内の護身用に渡されているが、屋内で使うと悲惨なことになること請け合いだ!


「はあぁ」

 頬を伝う汗を拭い、素楽は休むこともなく出立する。不幸中の幸い、深手は負っていないので、飛んでいる最中にかさぶたへと変わるだろう。

 バサリ、バサリと朱い翼の翼人が夜空を駆ける。次の目的地へと。


―――


 東方が薄っすらと明るみ始めた時の頃、素楽はやっとの思いで湖に浮かぶ島にたどり着いていた。湖自体が然程大きくないため、小島と呼んだほうが相応しいだろうと思える場所で、素楽は腰を下ろして空の容器を準備する。


「間に合ってよかったー…」

 順繰じゅんぐりと視線を回せば、湖上には人の頭大ほどの大きさをした無数の光球が、あっちへこっちへと飛び回っている。アレこそが蛍火だ。

 無害だという研究結果が発表されている魔物なのだが、何を目的に飛び回っているのかは未だに不明で、もしかしたら永久にわからないままなのかもしれない、不可思議なものたちだ。


 毎日、飽くこともなく日暮れと共に現れては、日が昇ると灰になって死に絶えるを繰り返している。蛍火の灰はいわば死骸だ。


 光石に魔力を込め、天面を撫でて光で周囲を照らす。すると蛍火たちはゆったりとした動きで、じわじわと彼女の方へと集まりだした。頭上に光石を掲げ、鷹揚な動きで揺らして見せれば、彼らは湖上で光の舞を披露する。


 後は光石を容器に入れておけば、何匹かの蛍火が勝手に集まってくるので、素楽は腰を下ろして幻想的な光景を眺めて時間をつぶすのであった。

 ぼんやりとした意識の中、こくりこくりと舟を漕ぎ、意識を手放す。


(あー…寝てた?)

 目を覚ました素楽が周りを見渡せば蛍火は既に居らず、太陽は完全に姿を見せている。


「…うっ」

 寝不足特有の頭痛に加えて、引っかき傷と座ったまま寝た影響で体中が悲鳴を上げる。若干の気持ち悪さもおまけだ。

 立ち上がって軽く伸び、光石を入れた容器を確認すれば、蛍火の灰が必要以上に積もっている。不要な分は埋葬し松野へと帰るのであった。


―――


 一度でも地上に降りてしまえば、再度飛び立つことは難しいと思った素楽は、休むことなく一直線に松野を目指す。


 疲労困憊で不調とあれば、移動にも時間がかかるもので、時二つよじかん強ほど飛行してようやく松野にたどり着く。

 錆びついたような頭を精一杯回し、普段の門を使って登城すれば大騒ぎになりかねない、と導き出した素楽は香月屋敷に近い門を選ぶ。どの門を選ぼうと何かしら騒ぎは起きかねないため、一番融通の効くであろう場所を選んだのである。


 降り立つと番兵が怪訝な表情で歩み寄る。出ていった記憶のない姫が帰ってきたのだ、訝しむなという方が無理である。さて、仕事熱心な番兵は、近づくにつれて姿がはっきりと見える。ところどころ出血して、ボロボロの姿をだ。


「素楽姫、何があったのですか!?」

「…ちょっと色々ねー。何も聞かずに馬を貸してほしいんだけど」

「っ!はいっ、畏まりました!」

 急ぎ屯所に戻った番兵は、くらを着けた馬を用意する。番兵総出で大騒ぎなのだが、何も聞かずに、という言葉を守っているようで、不安そうな心配そうな瞳を向けている。


「この子は誰かに頼んで送ってもらうから心配しなくていいよ。それじゃ、ありがとねー。今度お礼をもってくよ」

 やや引きった笑顔を見せた素楽は、番兵らに敬礼をして馬を駆る。


 誰一人として素楽の話題を出さずに、重々しい空気のまま彼らは一日を過ごすことになったのだった。

 香月屋敷前、馬から降りた素楽は庭園を少し歩き、大きく息を吸う。


一昌かずまさー!!愛理あいりーー!!」

 これ以上は歩くことすら厳しいと判断した結果、残りの力を全て振り絞って、信を置く家臣の名を大声で呼ぶ。

 正真正銘、最後の力を使い果たしたので、へなへなとその場へ座り込む。


「「姫様!!」」

 見慣れた老年の獣人家令と妙齢の獣人侍女が、血相を変えて走っている。

 目がいいのだろう、素楽の満身創痍っぷりに気がついた愛理は、尻尾を逆立てて怒りをあらわにする。表情を変えるところなど、ほぼ見ることのない彼女が、鬼のような怒りの形相をしているのだ。どういった姿をしているか、鏡を見ずとも素楽は理解できてしまう。


「…なにが、なにがあったのですか?口にするのがお辛いのであれば、報復する相手だけでも教えていただければ、討ち取って参ります」

 愛理は服が汚れることなど、一切気にせず地面に膝をつき、怒りに震える手で素楽の手を包む。

 やや遅れて到着した一昌の方も、表情こそ変えないものの、穏やかではない空気を纏っている。


「想像しているようなことはないよ、魔物相手に苦戦しただけだから大丈夫。一昌、これを文虎か父さんに届けて」

「承知いたしました。愛理、後のことは任せますよ」

「おまかせを」

 容器を受け取った一昌は、急ぎ城へと向かう。


「ふぁ…。愛理、おやすみ」

「ごゆるりとおやすみください」

 蜂の巣を破ったような騒ぎの香月屋敷。騒ぎの張本人は周囲などお構いなしに泥のように眠る。


―――


 日が頂点からすこしだけ傾いた時の頃、素楽は自身の腹の虫によって起こされることになる。


 寝不足と栄養不足で重く鈍い頭をもたげて、伸びをすれば体の節々に痛みが走る。怪我自体は治されているようだが、無茶が祟ったのだろう。


「うへ、汗臭い」

 好き放題に跳ねる髪をくしけずり、部屋から出てみれば都合よく使用人が見つかり、湯浴みを行うことにする。


「おはようございます姫様。お体に異常はございませんか?」

「おはよー愛理、寝不足なくらいかな、ふあぁ」

 湯船に肩まで浸かりながら、大欠伸をしながら瞳を動かす。愛理は眉をハの字にして心配そうに見つめている。


 久々に困り顔をみたな、と考えていれば服の準備が終わったようで、素楽は使用人らの手で水滴を拭き取られ、綺麗な可愛らしい衣服をまとう。


「皆ありがとうねー」


「では姫様、食堂で文虎様と旦那様、奥様がお待ちです」

「文虎もいるんだ。母さんは城に?」

「はい、お仕事のため登城しています」


(朔也様のことは文虎に直接聞けばいいか。百花母さんに怒られるだろうなー)

 食堂へと入る前に一度欠伸をしながら体を伸ばす。


 素楽が足を踏み入れると重々しい空気を肌で感じる。眉間にシワを刻み込んだ百花ももか、萎縮する文虎ふみとら宗雪そうせつ、体を翻したい気持ちを抑えて素楽は足を進める。


「おはよー、…良い昼だね?」

「素楽、貴女もそちらへ座りなさい」

「はい」

 固く思い空気を揉みほぐそうと戯けたものの効果はなかったようだ。


 その後、半時に渡る説教を三人は、ただじっと効くのであった。


 反省点は連絡をしっかりと取り合うことと、一人で突っ走らないことだろうか。

 文虎らの想定では、翌日に縞尾との協力へて採取に向かう、と考えていたのだ。そんな事お構いなし、即断即決、単独行動で向かうなど誰が想定するものか。


 佐平さひらの縁者が偶然にも、夜の街を飛び出してくところを見つけ、情報が城に回ったとき宗雪は卒倒しそうになっていた。


「はぁ、もう言うことはありません。次に同じことが起こらないことを祈っていますよ」

 叱られていた三人は、口々に謝り頭を垂れる。

 シワになってしまいます、と眉間を揉む百花は、そっと手をたたき昼餉の準備を使用人に申し付ける。


「ねえ文虎、朔也様の体調はどうなの?」

「…命に影響があるわけではないが、しばらくは安静が必要とのことだ。こういったことは時々あるようなのだけど、実際にみるのは初めてで動転していたのだろうな、半端な指示をだして、悪かった」


「良かった。あたしも城に登ってでも色々確認すべきだったよー。父さんにも心配かけちゃった、ごめんね」

「無事で何よりだ」

 仏頂面の宗雪は素楽の頭を撫で、安堵の息を漏らす。


「一昌の話を聞いている時の宗雪の顔は観物だった、素楽にも見せてやりたっかな」

「あら領主サマ、まだ反省が足りていないようですね。叱られている様子を文乃様に見せても良いのですよ?」

「スミマセン」

 悪童然とした笑みを浮かべていた文虎は、大層可愛がっている娘の名前を上げられて撃沈する。


(文虎と一緒に叱られてるのなんて、いつぶりだろう。兄ちゃんたちも一緒によく怒られてたなー)

 数年前の情景を懐かしみながら、素楽は腹の虫の催促をうけるのであった。


―――


冬龍山とうりゅうざんへの仕事なのだが、八日後に発って貰うことになった。詳しいことは地図と一緒に書類を要してあるが、簡単に説明をしておく」

 一度、茶で喉を湿らせた後、文虎は再び言葉を紡ぐ。


 仲の良い隣領、葦牙あしかび領に向かい冬龍山の麓に位置する村で、葦牙領と芒原すすきはら領の者と合流する。その後、彼らと共に中腹に建てられた山荘で、山の様子を確認しつつ体を慣らし、良い天候の日に素楽が翼で駆け上がり、冬神の忘れ物という植物を採取するということだ。


冬神ふゆかみの忘れ物って?」

氷床郁子ひょうしょうむべの実を冬龍の忘れ物というようだ。詳しいことは書類で確認してくれ」

「りょーかい」


冬龍ふゆのりゅうは既に力を失い、溶けるのみという話だが、最大限警戒し無事に帰ってくるように。いいな?」

「うん、気をつけるよ」

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