三話①

 朱い翼を羽ばたかせ、大空を駆けるは白髪金眼の翼人。


(鈍ったからだには丁度いいねー)

 天夏祭、その騎射会で最優秀賞をもぎ取った素楽は、一躍時の人となり松野の社交界では西へ東へと引っ張りだこになっていた。


 祝賀会では彼女の敬愛する嘉政が、手土産と共に現れたことで舞い上がったのだが、それ以降に続く終わりのない社交によって疲弊していた。騎射会の翌日に行われる早駆けによる馬比べにも出場することはなかった。


 初夏の終わり、ようやく解放された素楽そらは縞尾の里へと向けて飛んでいる最中である。

 汗ばむ陽気の中、縞尾の里に降り立てば里人たちが寄ってきては、簡単な挨拶と立ち話をする。ここ最近のどこへいっても主役のような扱いと比べると、気が楽で落ち着くような気さえしていた。


「なあ、あんたちっこいなりしてるけど騎士なんだろ?騎士ってなら腕っぷしも強えのか?」

 尖った三角耳に生意気そうな顔をした若い獣人の男は、覗き込むようにして素楽を見下ろしている。腰には剣をいているため、里守りの一人であろう。


「そこそこかなー?白兵戦ならあたしより強い人はごまんといるよ」

「へぇー、じゃあさ手合わせしてみねぇ?騎士サマより強いってなら他でもやってけるかもしんねーしさ」


「雪丸と遊ぶ予定だから、一回だけでいい?」

「おっしゃ、そんじゃ木剣ぼっけんやら取ってくるわ!」

「あたしは木槍きやりでー」

「おうよ」

 獣人の彼が意気揚々といった様子で走り去ると同時に、雪丸ゆきまるが滑空して現れる。駆け寄ってくるなり、大きなくちばしを引っ掛け、遊びに行こう、とはしゃぎだしてしまう。


「雪丸、久しぶりー。なんか手合わせを挑まれちゃったからちょっとだけ待っててね」

 不満そうな表情をみせ、木剣と木槍を持ってきた獣人へと威嚇いかくを始める。


「そう怒んなって雪丸、すぐ決着尽くからよ」

「あはは、勝ち気なのはいいけど足をすくわれないようにねー。それじゃ、騎士を相手にするってことだから、決闘の決め事をしよう」


「決め事?なんだそりゃ、すぐ始めねぇのかよ」

「別になにも決めなくても良いんだけどね。慣わしだね、慣わし。先ずは一つ、お互いに一対一で戦うことにしよう」

「……そんなことから決めるのか」

「そうだよ、騎士っていうのは守るもののためなら、数の暴力で押しつぶすくらい厭わないからねー。二つ目は――」

 今回の決闘、というなの手合わせの決め事は。


 一、一対一で行う。

 二、金属武器を用いないこと。

 三、魔法は使わない。

 四、飛行をしない。

 五、命のやり取りをしない。

 以上の五つとなった。


「他になにかある?」

「いんや、これだけ決めりゃまっとうな勝負になるだろて」

「そうだね、それじゃ位置につこうかー」

 二人は里の広場にて手合わせを行うことになった。この話は案外のこと早く広まった影響で、手の空いている里人は野次馬として見物をしてる。


 開始位置に移動しようと体を翻した獣人に向けて、素楽は無言で槍を振るう。ガンと音を立てて剣と槍がぶつかり合う。


「おわっ、いきなりなんだよ!」

 驚いた様子ではあるが、獣人は薙いだ槍を受け止め、弾く。


 不意打ちをした素楽はといえば、真剣な瞳で彼を縫い止め、槍で確実に刺突する。

 五つの決め事には、合図で開始する、と宣言がされていない。つまり不意打ちは合法なうえ、位置につこう、と乗せられた獣人に非があることになる。然し彼女も鬼ではない、相手が騎士ではないということを考慮し、初撃は軽く、受けたところで問題のない一撃にはしていたようだ。


 槍剣の打ち合いは、間合いの問題から槍が明るく、ジリジリと確実な刺突で追い詰める。危機感を感じ取った獣人は、迫りくる槍を弾き一度距離を置く。


「……」

(なんだありゃ、そこそこって嘘だろ。あの体格のどこからあんな重い一撃が出てくるんだよ)

 槍を持とうがちびはちび、と甘く考えていた彼は、にじむ汗をそのままに木剣をきつく握りしめる。助走をもっての渾身の一撃をお見舞いしたのだが、これも涼しい顔で受け止め弾かれ、槍の間合いへと引き離される。


 基本に忠実な槍術、巻き上げや足場らしなどいやらしい術を使わず、突き払い叩くを用いた戦い方である。小賢しいことをしない分、単純な実力と膂力がものをいう。


 再び距離をおいた獣人の彼は、熱くなった吐息を大きく吐き出して頭を冷やす。


(金属武器は禁止されてるけど、木剣以外で戦っちゃいけねぇとはいってなかったな)

(おっ、なにかするのかなー)

 何か閃いたと言わんばかりの表情をみて、鱗で覆われた拳に力を込める。


 先程もみた助走を付けた一撃、素楽は確実に受け止めながら注視する。受け止められる前提だったのだろう、力は然程込められておらず、木剣を引き戻すと片手を開けて握り拳を作る。


 徒手空拳を繰り出そうと考えたらしい。重心を低くした彼は、爆発的な瞬発力をバネに拳を突き出す。


「げほっ!」

 咄嗟とっさに二の腕を割り込ませることで、肋への直撃こそは防いだものの、勢いを殺し切ることは出来ていない。追撃をもらわないようにと、無事な腕で槍を繰り、石突で迎撃し追い払う。


「けほ、うぅ」

 縞尾には癒法師がいるため、動けなくなることよりも腕を犠牲にする選択肢をとった素楽であったが、後悔の念にかられていた。


(しくじったけど、まあいいかー。しっかしやるね、騎士に挑むだけはある、のかな)

 どうやら獣人の方はこの状況で攻め込んでくるつもりはないらしい。素楽は呼吸を整え手に持った木槍を無理矢理に折り、片手で扱える長さへと変える。


「…待ってもらっちゃったねー。ふぅ…じゃあ続きをしようかー」

 短槍となった木槍を構えた素楽は、負傷した手をかばうように正面を見据える。


「あー、最初ちっこいとか言って悪かったな」

 先の事を軽く謝った獣人は、両の拳で木剣を握りしめる。

 攻めるのはやはり獣人の彼で、今度は間合い的な不利はなく、素楽の膂力りょりょくも半減といっていい状況だ。ここぞとばかりに攻め込む。


(さっすがに…きついねー…)

 カンッと乾いた音を立てて短槍を握る腕が跳ね上がる。防ぎきれなかった木剣の斬り上げによって、腕ごと持ち上げられた。

 引き戻す時間もないだろうと、手合わせを終わらせようと踏み込んだ獣人の目に向けて、素楽が唾を吐きつける。


「ぐわっ!」

 綺麗に目に入ったようで、顔を顰めた状態で立ち止まってしまった。

 視界を奪われた最中、槍が地面に落ちる音と土を踏み込む音を聞き逃さなかった彼は、拙い、と一歩引こうとした瞬間には、素楽の拳が脇腹にめり込んでいた。嫌な音をたてて脇腹わきばらにめり込んでいる拳は、勢いをそのままに振り抜かれて獣人は地面を転がることとなる。


 お返しというわけではないが、短槍で叩くよりも殴ったほうが確実だと判断したのだろう。


 獣人は地面をくように、のっそりと起き上がる。まだまだ闘志は尽きていないようだ。


 ジンジンとしびれる拳、再度打ち合いが起これば次はない素楽は、短槍を拾い上げて肩で構える。投槍で決着をつけるようだ。

 さて、痺れており正確性に欠ける腕で槍を投げればどうなるか、手から離れた木槍は明後日の方向へと飛んでいき、最後には家屋の屋根に小気味よい音を立てて当たるのであった。


「………。えーっと、降参」

「「………」」

 どうにも締まらない決着、観客たる里人もポカンとしている。


「そ、そうか。あーなんだ、お前さん強いな」

「それなら良かった、良い手合わせだったねー」

 この後、二人はカシワからの雷を落とされ、癒法師によって怪我を癒やしてもらうことになる。


―――


 カシワの家、庭先にて素楽とカシワ、シャクナゲといった顔ぶれで、遅めの昼餉ゆうげを囲んでいる。素楽の後ろでは雪丸が機嫌良さ気に寝息を立てている。


 先ほどで、雪丸と大空を駆け回るついでに、鷲啼山わしなきやま頂上付近の視察を行っていたのだ。

 カシワから頂上付近には雷目らいもくという、魔力を吸い取って電気を放出する樹木が生えたから不用意に近づかないように、と忠告を受けていた。


 規模が大きいのであれば、城から騎士なり魔法師なりを派遣する必要がある代物なので、降り立たないことを条件に見て回っていたのである。雪丸が案内役を引き受けたのである。

 道中は競争をするように飛び回り、頂上付近では旋回しながら状況確認をしつつ、雪丸との時間をすごしていた。


「今日帰ったら城に情報を上げとくね。大喜びして山登りする魔法師がくると思うから」

「すまんのう。今朝方見つかって、里から誰かを飛ばす予定じゃったが、丁度おヌシがきての」

「変えるついでだから、気にしなくていいよー。内部の人の方が、情報を届けるのも確実で早いからね。雷目みたいな厄介な代物は、里のためにもさっさと取り除きたいし」


「その…、素楽さんはどうしてそこまで、この縞尾へ心を懸けてくれるのですか?」

「縞尾だけじゃないよ、松野ぜーんぶが大切なんだ。貴族に生まれた責務なんて思ってたこともあるけど、冒険者として市井で暮らして、皆と触れ合って…。時には腹が立つこともなくはないけど、やっぱりこの領地が好きなんだなって思ってねー。あはは、なんか恥ずかしくなっちゃうなー」

 ほんのりと頬を上気させた素楽は、両手で口元を隠しながらはにかむ。


「いざという時は縞尾も頼りにするから、その時はよろしくねー」

「えぇ、おまかせください」

「なにもなく、安全に楽しく暮らせるのが一番なんだけどね」

「それもそうじゃのう、ワシの生きてる内は何も起きないことを祈ろうかのう」

「ならあたしの老後まで安泰だねー」

「そんな長生きできるわけなかろうっ!」

 笑い合う三人、その笑い声に頭を擡げる雪丸。


 何事もない安全な楽しい一日の一頁は、こうして埋められてゆく。


―――


 冒険者業に復帰した素楽は、いつもどおりに採取依頼を受けては飛び回る生活に戻っていた。

 気を使われているのか、似た見た目と名前の別人だと思われているのか、人間関係の煩わしさから解放されて、のびのびと仕事に勤しんでいる。


 傭兵団なんかは気前よく食事を奢ったりと、言葉には出さないが大儲けをしたことが窺える。

 今日も今日とて依頼を請け負った素楽、街から飛び出さんと門へと向かうと、見慣れた集団が出立の準備をしている。


「やっほ、兄ちゃんたち遠出のお仕事?」

 旅装に見包んだ香月の長子と次子、とおるあきらだ。


「誰かと思えば素楽か…少しばかし山登りにな。…俺は出る予定ではなかったのだが、兄上があの調子では皆大変だろうと、目付に付いていくことになったんだ。はぁ」

 寄ってみれば大興奮と言って差し支えない徹が、キビキビと出立の最終確認を行っている。


 何故こうなっているかといえば、彼らが駆除しにいく雷目という樹木は、魔道具の素材として非常に優れているからだ。栽培の試み自体は様々な場所で行われているのだが、どうにもうまくいかないとのことだ。


 自然に発生したものを増やす、というの成功した試しはなく、一定期間で大きくなっては、あとは緩やかに枯れていくだけの不可思議な植物なのだ。

 こういった不可思議な存在を不可思議物ふかしぎものなどと呼び、魔物の一種なのではないかという説もあるようだ。


「あぁ、素楽じゃないか。見送りにでも来てくれたのかい?」

 いそいそと動き回っていた徹は、視界の端にでも素楽を捉えたのだろう。満面の笑みで寄ってくる。


「雷目の報告は助かった、渡りに舟とはこのことだね。もしかしたら素楽のためにいい玩具が作れるかもしれないから、楽しみにしてて構わないよ。あぁ、そうそう、先日借りた本があったろ、複製が終わったから書庫の八番二目に仕舞っておいたから、家に寄ったら回収してくれ。アレの内容については何か覚えがある気がしているのだけどね、どうにも朧気おぼろげで思い出すのに難航しているところだから、しばらく待っててくれ、いやはや――」

 矢継ぎ早に言葉を吐き出す様子に、彼が絶好調なことは十分に素楽と旭へと伝わる。


「……報告が魔法局に回ってきてからこれらしい。梢恵もさじを投げていた」

「わぁ…。皆を労ってあげてね」


「俺がか?……はぁ、そうするか」

「それじゃあたしは行くから、お仕事頑張ってね旭兄ちゃん」

「気をつけるようにな」

「うん、またねー」

 騎士や魔法師らに会釈してから、素楽は門から飛び出し大空を駆ける。


―――


 今回の採取依頼は危険を伴うものであるため、腰袋にはいくつか普段使わないものが放り込まれている。


 ドクツルギと呼ばれる毒性の植物、その実を採取するという依頼だ。樹液を剣に塗って戦おうとした者がいたのだが、毒によって自身が命を落としたことから、毒の剣、ドクツルギとなったのだと。


 言わずもがな、果実が無害という訳はない。

 何故にそんな代物が採取依頼の品として求められるかといえば、毒とは薬になるものも多くある。ドクツルギもその一つなのだ。


 とはいえ街や村での栽培は禁止されているため、医者や薬師が自力で取りに行くか、冒険者に依頼するか、となる。

 ドクツルギという樹木、実にも毒性があるのだが、熟している場合には破裂して毒の果汁を撒き散らす。これが極めて厄介で、黄色くなり始めている実があれば、撤退するのが無難である。


 そんなドクツルギの毒はどのようなものかといえば、生物の体内を巡る魔力の巡回を阻害し、魔力腐れを引き起こすというものだ。樹液は直様洗い落とせば対処が可能なのだが、実に関しては食べてしまえば助かる余地がない。


 危険極まりない代物なのだが、魔力の異常を治す薬に使用されたり、魔物除けになったりと古くから使用されているのだ。

 素楽が木々の疎らな森林地へと降り立ち、目的のドクツルギを目指して足を足を進める。上空から発見していたため、足取りに迷いはない。


 視界にドクツルギを捕らえた素楽は、一度足を止めてから木を観察する。苔色の小ぶりな果実が、梅のように一つの枝にいくつも生っている。


(時期も時期だし問題ないねー。それじゃ準備しようかな)

 素楽は腰に巻き付けたボロの外套と長袖を服の上から着込み、鱗で覆われた四本指の掌には手袋を二重に着用する。五本指用の手袋なので一本余っているのはご愛嬌あいきょう


 外套がいとうの頭巾を深く被り、防護眼鏡をかければ準備は十分。足は素足なのだが、丈夫な鱗で覆われていることと、腕さえ無事であれば近くの川で洗い流せるために、裾の長いスボンを履いているだけだ。


 帯革に吊り下げられたかごから容器を取り出して、ドクツルギの下へと向かう。

 コロンコロンと一つ一つ慎重に容器へ、ドクツルギの実を詰める。いくつかの塊から実を採れば容器は満たされてゆき、納品するのに十分な量となる。


(ふぅ…。これで終わりだねー。汗もかいちゃったし川で涼んでから帰ろうかな)

 容器を布で包み帯革の籠へと仕舞い、素楽はドクツルギの元から離れて、外套や長袖を脱ぎ腰へ巻く。


「はぁぁ、暑かったー」

 初夏も終わり季節は夏、厚くないわけがない。汗で湿った衣服を煽り、手扇で顔に風を送る。羽毛で覆われた腕は、夏にはあまり適していないようだ。


 尾羽の邪魔にならないよう、腰に巻いた衣服を調整し、朱い翼と尾羽を広げ地面へ別れを告げる。


 せみの鳴き声が何処からか聞こえる夕刻の松野。街に戻った素楽は容器を抱えながら組合を目指す。今回の品は危険物であるため、細心の注意を払いつつだ。

 幸い、無事に組合に到着することができた。組合の特別納品受付に向かい呼び鐘を鳴らす。


「ドクツルギの納品です。検品をお願いしまーす」

「あぁ、あの依頼ですか。ドクツルギにつきましては、鑑定に時間を要するため、、また明日以降お越しください」

 壮年職員は依頼紙の控えを受け取ると、納品済みの判を押し手渡す。


「それじゃ明日にでもまた来ますね。あっそうだ、採取のときに着用していたボロ着の処分をお願いしてもいいですか?」

「ええ、かしこまりました。こちらで処分させていただいます」

 古着屋にて二束三文で仕入れたボロ着を受付に置き、壮年職員へ挨拶をして帰路につく。


―――


「~♪」

 鼻歌を口ずさみながら共同住宅の玄関を開く。夕餉に満足の言った素楽は浮かれた様子で、郵便受けを確認すれば封書が一本投函されている。


 差出人はないのだが、文虎の花押かおうが印されており、重要なものなのだと理解ができる。

 自室に入り封を解き内容を確認すれば『ニンジンの隣』とだけ書かれているのみだ。指示通りにニンジンの隣を確認すると、手紙というには物足りない紙が立てかけられている。


(また手間のかかることを)

 ピィと声を上げるニンジンへと水を与えながら、手紙の内容を確認する。


 書かれていることをまとめると『朔也さくやの体調が芳しく無く、症状軽くするために必要な物を取りに行って欲しい』ということになる。

 なるほど、と小さく呟いた素楽は、封書と手紙を再度確認し、届けられた時刻が書かれていないかを確認するも、これといった記載はない。


(朔也様の体調が良くないなら、なるたけ早くに回収したほうがいいね。何かあれば…。うん、いまから出よう。…えっと、石藤いしふじ蛍火ほたるびの灰かー。川で涼んでないで、さっさと帰ってきたほうが良かったな)


 後悔先に立たず、小さくため息を吐き出してから、本棚から紙を紐で束ねただけの粗雑な作りの本を取り出す。表紙がなく中身は一頁がそのまま見えている。


 素楽が冒険者になる前に作った自作の本だ。勉強の合間合間に松野を飛び回り、様々な植物、鉱石などの実地調査をおこなった記録である。一から始めたわけではなく、元からあった情報や聞きかじった情報などを頼りに巡った成果だ。


「どこだったかなぁ」

 名称順や地域毎にまとめているわけでもないため、非常に探すのに手間な不便な一品だ。思い出すたびに直そうと考えても、今現在そのままになっているということは、そういうことだ。


 石藤は、薄紫色の岩とその表面に生える苔の名称だ。どちらも石藤と呼ばれるが、一般的に必要とされるのは苔の方である。不治谷と呼ばれる渓谷で見られる岩と苔類なのだが、場所が悪いため迅速に採取するには翼人の手が必要になる。


 蛍火の灰が本命だろう。これは夜になると生じ、朝になると死に絶える魔物、不可思議物である蛍火の死骸をさす。危険性は皆無、ただただ綺麗なだけの魔物なのだが、こちらも生息地に難がある。


 さて、この二つの品、どちらも近いところで採取できるのだが、場所は松野の僻地へきちとなる。夜間飛行でたどり着けるかやや怪しい。


 近くの村か里に一泊するのが無難なのだが、朔也の体調というものに不安が残る。

 彼の魔力は少々特殊で、他者の魔力を感じる器官を刺激する病を持っている。棘性きょくせい魔力というのだが、この症状を抑えるために松野に滞在している。


 治療薬の調薬は鈴と城の医官が、厄介な素材の採取には素楽と葦牙あしかび領、芒原すすきはら領が共同で行うことになっている。


 そういった事情もあり、もしも朔也に何かがあれば、あまりよろしくない状況になるわけだ。


 場所の確認を終えた素楽は、本を元の本棚へと戻し出立の準備をする。

 腹になたを佩き、足には徹お手製の護身用魔道具、倉庫になっている部屋へと足を運ぶ。


 魔石と書かれた棚から円柱状に加工された魔石と、五角形がいくつもつながった正十二面体の魔石を取り出す。どれも表面には魔法文字と図形か刻み込まれている。


 円柱状の魔石は光石という魔道具で魔力を込めると光を放ち、正十二面体は簡易結界石という強力な魔物除けだ。前者は安価な量産品なのだが、後者は一つで金貨三枚と恐ろしく値が張る。


 最後に寝台の横、小さな棚の引き出しに収められている魔導銃を帯革おびかわへと装着する。掌大の小さな魔導銃で、徹が小型化する際の試作品なのだが、魔力が激しく拡散するため射程が非常に短いという難点がある。部屋に不審者が入り込んできたら迷わず殺せと渡されている。


「よしっ」

 準備を終えた素楽は、忘れ物がないかを確認した後、共同住宅を飛び出した。

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