二話④終

 ガタガタと揺れる馬車の中、素楽そらはニンジンと多くない荷物を抱えるようにして、燃えるような夕暮れの町並みを眺めている。

 向かう先は香月かづき屋敷。小恋らを見送った後、夕餉とするため出かけようと考えた素楽であったが、荷物をまとめて屋敷に帰ってしまったほうが楽なのでは、と即座に荷物をまとめたのである。


 思い立ったが吉日、という言葉もあるが、ここまで即断即決だと気持ちの良いものだ。


 一日はしゃぎ疲れて眠気もあるのだが、拾った馬車で眠るわけにもいかない故、町並みを眺める。普段であれば、揺れる馬車など不便でしかないのだが、心地よい疲労感のある時は中々に素晴らしい。

 香月屋敷までは何事もなく到着し、御者に礼をし色のついた運賃を手渡す。彼は気前の良い嬢ちゃんだと喜び、軽く帽子を持ち上げるようにして頭を下げて去ってゆく。


「…んんっ」

 眠気を払うように軽く伸びをして、屋敷の敷居をまたぐ。薄暗くなった庭園、その池畔ちはんには蛍が優しげな光を放ちながら、楽しげに舞っている。


 よく見慣れた幻想的な庭園をのんびりと歩いていれば、素楽のことを見つけた使用人が駆け寄ってくる。


「お帰りなさいませ、姫様。明日の帰宅をお伺いしていたのですが、早めにお戻りになられたのですね。お持ち物は私がお受け取りいたします」

「ありがとう、この子は部屋の窓際に置いといてねー」

「承知しました。お食事までまだお時間がございますが、先にお湯に浸かられますか?」

「今、湯浴みしたら寝ちゃいそうだから、茶の間でゆっくりしてるよ」

 すれ違う使用人らと挨拶をしながら、素楽は居間の長椅子に腰掛けながら本の頁をめくる。寄り道をして書庫から拝借したものだ。


 『巡る魔力―龍脈と呼ばれし神秘の大河をさらう旅』地中を流れる魔力についての本で、とおるが魔法研究のために購入したものだろう。少なからず簡単な内容でないものを、パラパラと読み進めていく。


 通り過ぎるように聞こえる足音を聞き流しながら知識欲を満たす消閑しょうかんの時。


「帰っていたか素楽」

「ん、あ、父さんおかえりー。明日帰るのも今日帰るのも同じかなって思って」

「ふぅ…ただいま。…また小難しいものを読んでいるのだな、徹の物か」

 近くの椅子に腰を卸した宗雪そうせつは、素楽の手元にある本へと瞳を向ける。魔法研究に明るくない彼は、半分興味のないような表情をしている。


「たぶん、そう。この本いつ手に入れたか知らないけど、結界の魔石に手でも加えようとしているんじゃないかなー?結界て龍脈からの余剰魔力を集積することで、常に貼っていられているからさ」

「恐ろしいことをいうでない。…いや、心構えくらいはしておくか…」

「父さんお疲れだね、忙しいようなら明日から登城するけど。百花母さんも忙しそうだから」

 椅子にもたれかかる宗雪からは、疲労の色が見て取ることができる。この時期は毎年忙しそうな父を見ている、昨年はともかくそれ以前であれば適度に手伝いと称して登城していた。


 百花ももかはといえば、天夏祭及び前後の社交会へとやってくる貴族の相手に奔走している。


「今年は騎射会にでるのだろう、練習をしておきたいのではないのか?晴れ舞台だ、全力を出せるように準備をしてほしいのだがな。父としては」

「朝方の涼しいときにやるつもり、東風はるかぜの疲労も溜めたくないし。それに、当日に父さんが忙しくて見に来れなかったら悲しいな。娘的には」

 小さな微笑みを浮かべた素楽は、宗雪を真似したような口調でおどける。


「ならば頼もうか、言うまでもないと思うが、いつもどおりの惨状だ。年々、足を運ぶ椋原むくはら一派の貴族も多くなってきてな、既に昨年を越えている…はぁ」

「大繁盛だねー。小父様たちはもう到着してる?」

「いや、まだだ。到着は前日とのことだ」

 小父様たちとは、椋原当主の嘉政よしまさと前松野まつの領主の文嗣ふみつぐだ。嘉政に懐いている素楽は、会えるのが楽しみでしょうがないのだ。文嗣のことは近所に住んでいる気のいい小父さんくらいの感覚である。


「まぁ、素楽!帰っていたのね!」

 百花は居間に入るなり、素楽を見つけてパッと表情が華やぐ。それまでの落ち着いた雰囲気はどこへやら、素早い動きで素楽を抱きかかえるようにして長椅子に腰を下ろす。


「百花母さん、おかえりー」

「帰りは明日じゃなかった?――」

 もう何度目かの質問を返しながら、夕餉ゆうげを待ちながら歓談に耽っていれば、香月の家族が集まっていく。一番遅くに帰ったのは鈴で、往診に出かけていたそうだ。


 そうして、一家団欒いっかだんらんといった様子で一日は終わっていくのであった。


―――


 城内を走り回り、机にかじりついて筆を走らせ、十露盤そろばんをの珠を弾き、忙しくしている時間は、瞬く間に過ぎ去っていくものだ。当日のことを考えれば、もっと詰めておきたいという感情を押し込め、当日に臨むのが世の常。準備とはどうしても万全には一歩及ばないものである。


 さて、天夏祭あまなつさいとは、松野の地において古くから催されている土着の祭りである。一年で一番日照時間の長い日に、その年の豊穣ほうじょうや安寧を願って太陽を労う祭りをしたのが始まりだと、いくつかの文献には残されている。


 当初は一日で終わる祭りだったのだが、人口が増えるにつれ徐々に日にちが増えていき、現在は三日間の祭りとなっている。


 祭りのはじまりを告げる初日には、豊穣の儀式であった模擬演習や騎射の天覧試合を演習場で行う。その昔は厳かな儀式であったのだが、一般公開された事を皮切りに、年に一度の大衆娯楽と化している。良し悪しはあるのだろうが、観戦料などの興行収入が領地運営の役に立っているので、よっぽどのことがない限り毎年開催される催しである。


 二日目三日目は、松野中で結婚式が行われることになる。市井では集団で行われるのでマシなのだが、貴族は個々で行われるため、家同士の日程管理が非常に難しく、どの家も頭を抱える事となる。


 この三日間、常に出店屋台と人で大通りが埋め尽くされ、どんちゃん騒ぎが続くことになる。


 祭りが終われば、貴族は社交へと移る。なにせ、あちらこちらの貴族家が集まるわけなので、この機会を逃すはずもない。


 そんな祭りの朝、素楽は護衛に囲まれながら東風をなだめ、演習場に向かっていた。


「ほらほら、落ち着いて東風。騎射会で精一杯走っていいからさー」

 東風は険しい目つきで当たりを睨みつけて、鼻息荒くしている。気難しい悍馬かんばだ、見慣れぬ人間が多くいれば誰彼かまわず威嚇いかくするのである。浮かれた者が下手に近づこうものなら、蹴るか噛み付くかするであろうことは想像にかたくない。


 前日に演習場の馬房に移す、という意見もなくはなかったのだが、そうなると他所の馬が心配になるため、素楽と香月家の馬丁ばていが反対し却下された。


「このあと、一緒に頑張ろうねー。今日の毛並みはキマってるよー。よしよし偉いね、もうちょっとで演習場だよ」

 へそを曲げた子どもをあやすが如く、東風を宥め続けた素楽はようやくの思いで演習場にたどり着いたのだ。


 事前に話を通してあったため、周囲に馬のいない馬房で待機することになった東風は、ようやく落ち着きつくのであった。


「ちょっとの間、待っててね。…今日は最優秀取ろうか」

 素楽が真剣な瞳で、東風の瞳を見つめると、熱意が伝わったのだろう。彼女は肯定するように、小さく嘶いた。


 甘えるように頭を擦り寄せた東風、そのたてがみを手櫛てぐせくしけずってから素楽は体をひるがす。


―――


「いやー、すごい人混みだねー。圭太くん、秋ちゃんから離れたらダメだよー」

「お姉さんと手でも繋ぐ?」

「ま、迷子になんかなるかよ!」

「お前たちはしゃぎすぎてはぐれても探してやらんぞ…」

 所変わって演習場近く。素楽から観戦券をもらった小恋ここいら四人は、遅々とした歩みで人混みを抜けるべく進んでいた。


「見込みが甘かった。遅れることはないけど、寄り道している余裕はない」

 そう諦念が見て取れる夏帆の手には、出店で買ったであろう食べ物が握られている。


「まだどこかによる予定だったのか…」

「もちろん。今日のために家の手伝いを詰め込んで、小遣いを溜め込んだ」

「……はぁ」

 ため息を吐き出す秋三であるが、腰部から伸びる尻尾はユラユラと揺れている。優良席で見れる騎射会を楽しみにしているのだろう、こういった機会がなければ、良席の観戦券は手が伸びにくいのだ。


 なんとか逸れることもなく、無事に受付までたどり着いた四人は、係員へと紹介状と観戦券を渡す。


「素楽姫様からのご紹介ということでございますね。お話は既にお聞きしております。秋三しゅうぞう様、小恋様、夏帆かほ様、そして圭太けいた様でよろしいでしょうか?」


「は、はい!」

「お席はこちらになります。お間違いのないようにお願いいたします。それでは、どうぞゆっくりとお楽しみくださいませ」

 席の場所の書かれた木札と騎射会の予定が記された小冊子を受け取った彼らは、やや緊張した面持ちで自分たちの席へと向かう。


 騎士の関係者となれば、貴族が多くなるので緊張するのは仕方ないだろう。とはいえ、騎士の全てが貴族で構成されているわけではないので、似たようにやや緊張した顔をしている人をみて、安堵の息を吐き出す。


「なんかすごいところ来ちゃった気分だねー」

「気分は商家のお嬢様だね」

 緊張した雰囲気はどこへやら、キョロキョロと演習場を見回している小恋は、楽しそうに笑っている。


 四人が和気あいあいと話をしていれば、開会まで四半時になるかならないかという時間。観戦券を渡した本人が姿を現す。


「ごきげんよう。無事お越しいただけたようで、大変うれしく思います」


 身にまとうは先日に着用していた騎士服とは異なり、襟や袖に金糸刺繍きんしししゅうを施され、ぼたん飾緒ちょくしょにも衣装が光る。前開きの外套まんとにも刺繍が輝いている。


 胸には小ぶりな勲章を佩用はいようしている。身を呈し翼竜のおとりとなり迎撃までの時間を稼いだ、という旨で叙勲という運びとなった。

 領主の側近、その胸元が寂しいのでは示しがつかないと、半ば無理矢理押し付けられたようなものだが、勲章は勲章だ。


「……?」

 素楽がコテンと首を傾げる。遊びに来たときのように、真面目な挨拶をして軽くからかったつもりだったのが、四人は凍ったように身を固めてしまった。


「えっと、素楽だよ?もしかして服装違ったからわからなかった、かな…?」

 やや困り顔で頬を掻いていると、瞳を輝かせた小恋が立ち上がる。


「素楽ちゃんすごい可愛いーっ!」

 勢いよく立ち上がり抱きつこうとしたのだが、秋三が我に返り既のところで押し止める。


「待て待て待て、流石に抱きつくのは拙いだろう。準備にどれだけの時間がかかったかわからないんだぞ」

「そうだよ、今日は洒落にならないから落ち着いて」

「はっ、あまりの可愛さに我を忘れちゃってたよー」

 秋三と夏帆の説得によって、正気にもどった小恋はそっと腰を下ろす。


「あはは、いつもどおり元気だねー。…もうちょっと時間を作って、おしゃべりでもできたら良かったんだけど、挨拶だけで終わっちゃいそうで残念」

「もういっちゃうのか?」


「うん、今ここにいるのも結構ギリギリでねー。そんな訳だからもう退散するね、今日は一日楽しんでってよ。あと差し入れを用意してあるから、皆で食べてね」

「素楽、頑張って」

「ウチら応援してるからねー」

「素楽先生の勇姿、楽しみにしています」

「一位取れよな!」

 四人の声援を耳に、ニンマリと笑った素楽はブンブンと手を振って駆けてゆく。


 視線で追っていれば、貴族らしき人々と軽く挨拶をしては駆けて、挨拶をしては駆けてと中々に忙しそうな様子である。時間が圧迫された理由がよくよくわかる光景だ。


「もしかして、素楽ちゃんって名家のお姫様?」

「……だろうな」

 その後、香月家の使用人によって届けられた差し入れに、四人は舌鼓を打つのだった。


―――


 あまり面白みのない開会式を終えると、松野騎士を西軍、東軍と分けた騎馬での軍事演習が行われる。


 西軍を率いるのは石堂猛騎士長、東軍を率いるのは香月旭騎士長だ。

 昔は刃引きされていない武具を用いて、実際の合戦のように戦っていたのだが、怪我人が絶えなかったために刃引きされた武具で、事前に決められた動きをする興行的な面を押し出されている。


 今回は東軍が勝つ筋書きのようで、旭の指示の下、西軍が討ち取られ終わりを告げる。優秀な演出家がいるのか、手に汗握る展開を繰り広げられたため、観客からは喝采が上がる。

 旭の表情からはやや不服そうな色が見え隠れしているが、きっと気のせいだろう。


 さて、演習の裏では騎射を行う若手騎士たちの準備が進められていた。騎射を行う順番は腕前などで決められるのだが、初参戦のものは例外なく序盤に走るのだ。


 初参戦である素楽の順番がどこかといえば、一番最初、鏑矢かぶらやである。彼女の腕前は、そこらの若手と比べると、頭一つどころでなく抜けているため、後ろに送る方が良いのではないか、と運営委員会で議論が交わされていたのだが、馬が東風では十分に実力を発揮できない可能性があるとのことで一番となった。


 ついでに、見た目的に栄える、と。


「~♪」

 出走を待つ素楽はといえば、東風の鞍上あんじょうで呑気に鼻歌を口ずさんでいる。先程までは、挨拶にやって来る者がチラホラいたのだが、人が途切れた際に鼻歌を口ずさみ始めてからは、トンと人が絶え手持ち無沙汰なのである。


 大観衆の下、騎射を行うのだからもっと緊張しそうなものだが、気にも掛けた様子はない。

 そんな素楽は、香月の宝弓たる暁星あけぼしを肩に担ぎ、腰には精巧な作りの綺麗なえびらが掛けられ、準備万端といったところだろう。

 東風の方はといえば、馬房から出てからは暴れることもなく、ただただ静かに素楽の指示に従って待機をしている。全くの別人ならぬ別馬のようである。


 外から騎射の始まりを告げる声が、拡声の魔道具によって告げられれば、観客はまってましたと言わんばかりの歓声を上げる。


『さあさあ、始まります今年の騎射会。一番手たる鏑矢は香月素楽選手だ!』

 紹介を合図に常歩なみあしでゆったりと会場へと姿を出す。観客の視線は全て素楽へと注がれて、様々な会話が繰り広げられている。

 先程まで行っていた演習、その場で見られていた騎士や軍馬と比べると、素楽と東風は小柄であり選手と呼ぶには、物足りなさがあるからだ。


 順繰じゅんぐりと視線を巡らせれば、数え切れんばかりの観客。せっかくだからとニッコリと笑顔を振りまけば、わかりやすく会場が沸く。


(あ、嘉政小父様だ!)

 巡った視線の先、貴賓席には件の椋原当主や前松野領主、文虎などの高位貴族が、彼女に視線を向けている。手でも振りたい気持ちを押し込めて、出走地点まで向かう。


『彼女はその名の通り香月の姫で、弱冠十六ながら領主の側近および騎士として抜擢されている麒麟児きりんじ!本年、初参加にして参加者最年少ということで、鏑矢を務めることとなりました!その手に握るは香月家の至宝、宝弓暁星。駆る馬は、乗り手不在の最強悍馬と一部でささやかれる東風!果たしてどれだけの健闘を我々に見せてくれるのか!?』


(一応、休職中なんだけどなー)

 内心苦笑しつつも、開始地点で停まれば緩んだ顔を引き締めて、ただ前を見つめる。


「東風、任せるよ」

 素楽のつぶやきに耳を傾けた東風は、鼻息で返答をする。


 彼女らの視線の先には、十の的が一定の間隔で並んでいる。馬上からそれらを弓で射抜く、ただそれだけの競技だ。とはいえ揺れる馬上で弓を構え、矢をつがい、狙いを定めて的を射抜くというのは恐ろしく難しい。


 常歩であれば難易度は下がるだろうが、騎射は慣わしとして襲歩しゅうほで行われる。振り落とさんばかりの勢いで走る馬に手放しで跨り、的を射ることは、相当の修練を要する。


 それ故に、若手騎士といっても新人というわけではなく、だいたいは二十歳前後となる。


『――それでは、素楽選手の出走です!』

 旗が掲げられ、それを合図に東風は襲歩る。まるで大地でも砕こうかと思える蹄音を響かせ、彼女らは風になる。

 ヒュンと風を穿つ矢が、一つ目の的を居抜き吹き飛ばす。荒れる馬上にて一切ブレることのない素楽は、箙から素早く矢を抜き取り暁星に番え、二射三射と的確に射抜く。


 五つ目を射抜くと、素楽は体を傾け進路を曲げる。次の五つは一八〇度回頭してから行うのだ。


 演習場を半周、ぐるりと周ると直様六射目を用意する必要がある。

 こちらも命中。真剣な眼差しには焦慮や不安といった負の感情を見て取ることはできず、ただただ的を見つめるのみである。七八九、これらも一切の問題がなく命中、残すは十射目。


 だが、ここにきて東風が速度をあげる。


(ふふ、ノッてるね。…なら応えなくちゃ)

 十分に引き絞られた暁星、最後の一矢は的を射抜くだけでは飽き足らず、演習場の壁にまで届き砕け散った。

 結果は全て命中。今騎射会にて初の全射全中の栄誉は、一番手の素楽に渡ることになった。


『これは凄い!なんとなんと、素楽選手が全ての的を射抜きました!!暴風のような東風に振り回されることもない姿は、まさに人馬一体といったところでしょうか!?』

 十射目が命中した事を見届けた素楽は、湧き上がる会場を横目に安堵の息を吐き出そうとしたのだが、どうにも脚が止まる様子がない。東風はここぞとばかりに演習場を爆走しているのだ。


「わわ、東風ぃ速度を緩めてー」

 乗り手の静止など聞こえないとでも言いたげな悍馬は、余分にもう一周演習場を走りきってようやく落ち着いたのだった。


―――


 湧き上がる会場と対象的な場所がある。次以降に走る若手騎士たちの控えだ。


 彼らは一様に遠い目をして、ガチガチに緊張してしまっている。


「アレの後にやるのか…」

「が、頑張れよ…」

「香月姫が規格外なだけだから、問題ないはずだ…。恨むなら順番を決めた運営を恨むしかない…」

「「くっ…!」」

 現在進行系で歓声の上がる会場だが、歓声の声色が少々変わる。東風が二周目を始めたところなのだろう。


『おっとこれは…東風が暴走か!?なんと演習場をさらにもう一周走り始めました!!』

 歓声が笑い声に変わっていく。

 先程まで張り詰めた空気はどこへやら、まるで喜劇のような会場に若手騎士たちも釣られて笑い始める。


「はぁー、なんか笑ったら気が楽になったわ」

「私もだ」

「ああ」

「流石に香月姫には敵わないだろうが、最大限頑張るとするかな」

「私達の馬は、あそこまで荒れてないからね」

「そうだな」

 若手の騎士たちは、互いに激励し騎射へと挑む。


―――


 素楽より後の騎射は例年通りとなっていた。


 観客たちも素楽の存在は特別実演のようなものだと分けて考え、騎士たちの騎射に一喜一憂し歓声を上げている。

 数々の騎士が馬とともに駆け抜けた騎射会、次がおおとりを務める石堂だ。修練が物をいう世界、参加者最年長だけあって、すべての動作が洗練されており、いままでの騎士との格の違いを見せつける結果となる。


 全ての騎士が走り終えれば、運営委員会が最優秀を決めるための審議を開始する。議題に上がるのは全射全中を成功させた者、香月素楽、佐平梢恵、香月旭、石堂猛の四人だ。


 侃々諤々かんかんがくがく、運営委員による白熱した議論は案外のこと早くに終わりを告げる。


 騎士とその愛馬が立ち並ぶ演習場、今年の最優秀者の発表がなされると、観客一同は固唾を呑んで見入る。

 ところどころに鬼気迫る表情をしたものもいるのだが、彼らはだいたい博打打ちだ。全射全中の騎士、その誰が最優秀を抱くのかと有り金を賭けているのである。会場の隅には見覚えのある傭兵団の面々が、賭博の証たる券を握りしめている。


「えー、おまたせしました。波乱の幕開けとなった今年の騎射会、その最優秀者を発表したいと思います。あー、評価点としましては例年通りの姿態、精度、馬術、速さとし、その総合点から我々が評議し決定いたしました。…こほん、今年の最優秀者は、えー、馬を御しきれていない面が見受けられましたが、それ以外の点、全てが今会最高峰だったということで、香月素楽騎士とします」


 一拍おいて、地鳴りのような大歓声が会場を包み込む。


「…あー、初参加での最優秀受賞者は、一六七年前の長束美文様以来の――」

 運営委員の言葉など誰も聞いていないのではないかと思えるほどの、大喝采の中で素楽は東風に抱きつき頬ずりをしながら喜ぶ。当の東風はといえば、歓声が煩いくらいの感情しかなさそうな顔をしているのだが。


「やったよー!東風は一番の名馬だね!」

 走り終えた後の暴走に目が行きがちな彼女だが、実のところ弓の発射速度が合うよに脚の調整をしていた。任せるよ、と言われたので、矢が遅れない範囲内で最速の走りをしていた。そう、この悍馬は非常に賢いのである。


 名馬はことごとく悍馬から生じる、とは誰の言葉だったか、傍若無人な振る舞いこそしているのだが、認めた相手であれば最大限の力を貸すのが、東風という名馬である。


 再度、名前を呼ばれた素楽は、壇上にて優勝旗と賞状、賞金が贈られる。東風には馬着を、と係員が近寄れば機嫌悪く威嚇し、素楽が受け取った後に掛ければ、邪魔だと抗議の目を向ける。


 実力を見せつけて満足したので、さっさと帰りたいのだろう。手綱を握る素楽を引きずるように引っ込もうとするのだから、会場からは笑い声が上がる。どうにも締まりのない幕切れではあるが、彼女たちらしい結果ともいえなくはない。


 一足先に会場から撤退する流れとなった素楽は、観客へと笑顔を向けながら手を大きく振り、最大限の愛嬌あいきょうを振りまいてから会場を後にした。


 惜しくも最優秀を逃した三人も優秀賞を受賞し、残りの参加者には嘉賞を後日贈られることとなる。

 東風を馬房へと繋げた素楽は、急ぎ会場へと戻り閉会式に参加する。特別することもなく、文虎の傍に侍っているだけなのだが。


 様々な賛辞を笑顔で受け取りながら、忙しく過ごすのであった。


―――


「素楽ちゃんすごかったねー!ヒュンヒュンって!」

「うん、最優秀も取ったし、面白かった」

「俺も騎士目指そうかなー!」

「なら武術や馬術を習える手習い所にも通わなければな。親御さんの許可が下りたのなら、俺の通っている手習い所を教えよう」

 興奮冷めやらん四人は騎射会に付いて話し合いながら、祭りを見て回る。


「秋ちゃんも登用試験頑張らないとねーっ!次は秋の終わり頃だし、今度はいけるんじゃない?惜しかったんでしょ?」

「あ、ああ。次こそは登用試に受かって……」

 言葉尻を濁した秋三は、そっと小恋から視線を逸らす。


「最後なんていってたのー?ねぇねぇ!」

「な、なにも言ってない」

「嘘だぁ、秋ちゃんが嘘つく時の顔しているよー!」

 笑いながら、じゃれ合いながら四人は祭りを巡る。

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