二十六話

 脇の下。胸のすぐ下あたりに、彼の腕が回されていた。私は彼に、抱きしめられていた。私のすぐ後ろには、彼が居る。

「上着、掛けなくて良いの?」

私はそのままの姿勢で、再び訊いた。

「このままが良い・・・」

彼は、静かにそう言った。


「ふふふ。前も、ハンガー使わなかったよね」

「そうだっけ?」

「うん」


しばらくの間、私と彼はそのままの態勢で立っていた。彼は、優しく私を抱きしめていた。

「京子」

彼が、私の名前を呼ぶ。

「ん?」

「・・・」

「どうしたの?」

私は首を、九十度右方向へと回す。少し間を置いてから、

「いや、何でもない」

と、彼。


「え、なになに?」

「・・・」


 私の声が彼の耳に入っていないのか、それとも彼が、敢えて何も答えないで居るのか、私には見当がつかなった。やがて彼は、クローゼット横にある電気のスイッチに手を伸ばす。

 次の瞬間、部屋は真っ暗になった。一瞬何も見えなくなった。目が慣れず、何も認識できない。


 私は、静かに瞼を閉じる。これで本当に何も見えなくなった。彼が、私の身体をゆっくりと回す。私は百八十度、右回りに回転した。

 彼は、両手をそっと私の両肩に置いた。そして私は、閉じていた目をゆっくりと開けたのだった。



「さっきの話だけど」

私は、すぐ目の前に居る彼に向かって、語りかける。

「あ、うん。何?」

彼は、少し首を左に傾けた。

「あたしの、あなたに対する気持ちの話」

「うん・・・」


 彼は、真顔になる。暗がりの中でも、表情の変化で何となく読み取ることができた。



「あたしは、会う期間が開いたとしても。例え、月に一回だけしか会えないとしても・・・」



 ここで、深呼吸。彼の目を真っすぐ見つめながら、伝える想いを整理をしつつ。



「気持ち、変わらないから。それだけは、安心して」

「・・・そっか。分かった」



 ありがとう。と、彼は更にそう付け加えた。そうは言ったものの、内心は一抹の不安がよぎっていたかも知れない。気持ちが変わらないなんて、そんな根拠はどこにあるのだろうと。

 けれど、私にとっては紛れもない事実であり、彼を想い続けることが正しい道を歩んでいるような、確信めいた気持ちが芽生えているのを認めていた。これまでお付き合いをして来た同世代の男の子で、こんな気持ちを抱くのは始めてだった。男性、という生き物に対して。


「それともう一つ」

私は彼の胸の前で、人差し指を立てた。

「あ、はい」

彼は、不思議そうな顔色を浮かべる。

「あなたは自分のことを、低く見過ぎ。もっと自信を持って。そうすれば、あなたの不安は軽くなるんだと思う」

そう言って薄く微笑んだ。



 ありがとう。再びの彼の一言が、静まり返った部屋に響く。ところが、そんな余韻に浸っていたと思いきや徐に、

「京子ってさ、たまに勿体ぶって間を空ける時あるよね」

などと言ってみせるのだった。

「あなたに言われたくなーい」

私はすかさず言い返していた。ふふふ。と、いつもみたいに笑っていた。

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