十話
「お二人さん、お取り込み中悪いんだけど」
と、突然の室長からの声。
「そろそろ教室閉めます。もう夜遅いんで」
室長が私達の後ろに立っていた。いつの間に講師室ブースに来たんだろう。私は腕時計に目をやる。実家暮らしであれば、確実に親に怒られる時間だった。
「えー、マジすか? ちょっとこれだけはやって帰りたいんすけど」
健史先生がキーボードを打つ手を早めた。
「じゃあ、教室の鍵閉め頼んだ」
「了解ッス」
健史先生が作業を再開する。
「石川は帰るよ。私と一緒に」
室長が少し圧のかかった笑顔を向ける。私も単語テストを作る仕事がまだ残っていたが、断念せざるを得なかった。彼女には逆らえない。単語テストだったら家でも作れる。それに、そろそろ電車の時間も気にしなければならない。途中まで室長と一緒なので安心だ。
「了解ッス」
私は急いで帰り支度を始めたのだった。
駅のホームに人影は少ない。当然と言えば当然だ。最終電車の一本前だし、こちらは上りだ。
電車の到着を待っていると、隣に座っていた室長が不意に、
「そろそろ話してあげても良いんじゃない?」
と、切りだして来た。
「何をですか?」
私は本当にそう思って訊いたのだけれど、室長の言葉の中に、彼に、という目的語が含まれているのに気付く。
「石川自身のこと」
どうやら、先程の健史先生との会話は筒抜けだったらしい。腰のまわりがひんやりとしている。夜気にさらされ、ベンチが全体が冷気を身にまとっていた。
もう、そんな季節か。ふとそんなことを考える。
「あたしの自身のこと?」
「そう」
「結構、話してると思うんですけど」
小学校の時の話。と、室長が呟く。やや間があってから、
「小学校の頃から今に至るまで、自分がどういう風に生きてきたか、それを話してあげなよ」
少しの間の静寂。
「話してますよ。ちょいちょい、ですけどね」
「ふうん。本当? じゃあ、前に私に話してくれたようなことは話したわけ? 小学生の頃、放課後に石川一人だけが居残りさせられてたって話」
「・・・」
私は室長から軽く視線を逸らした。真正面にある、向かい側のホームのベンチを見つめる。ベンチには誰も座っていなかった。それからすぐに、こちら側のホームに電車がやって来ることを告げるアナウンスが流れる。
「もう、ある程度さ吹っ切れてるからこそ、私には話してくれたんでしょ。昔の担任の話を、さ」
室長の横で、私は今、自分がどんな表情になっているのか自分でも分からない。
ゴォオオ・・・。お腹の底に響くような音がどんどん大きくなる。
「そんな深刻になんないでさ、笑い話みたいに話せば良いんだよ」
僅かな間の後、電車が目の前を右から左に流れた。
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