七話

 ある日の授業後。その日の内に終わらせたい仕事があり、私は事務作業をしていた。


「お先失礼しまあす」


 同僚の講師達が続々と先に帰って行く。気付くと、講師室に残っているのは私と健史先生のみとなった。健史先生も何やら作業に追われている。カウンターでは、室長がパソコンに入力する作業を行っていた。

 講師室や室長の居るカウンター、生徒の授業ブースはパーテーションで区切られているだけなので、壁越しにパソコンを叩く音が聞こえて来る。途中で途切れることのない、とてもテンポの良いタッチだった。

 

 最終的に、教室には室長と健史先生、それからの私三人だけが残るかたちとなった。私は一つの仕事を片付けると、また別の作業に取りかかる。彼は、その日は出勤日ではなかった。

 健史先生が講師室を出て行く。少しの間の後、カウンターの奥にある戸棚のドアの開く音。そして、閉まる音。健史先生がノートパソコンを抱え、再び講師室に入って来た。テーブルの上にパソコンを置き、コンセントプラグを差し込む。そしてパソコンを起動させてから、二つ間を空け、私の左隣に腰を下ろした。


「石川先生、最近アイツとはどうなんすか?」

パソコンの立ち上がる様子を眺めながら、こちらを向くことなく健史先生が尋ねる。アイツとは勿論、彼のことだ。

「まあ、順調ですよ〜」

その日の生徒の授業記録を取っていた私が、健史先生の方を向かずに答えた。

「そっか。なら良いんだけど」


 パソコンが立ち上がったらしく、健史先生は作業を開始した。私もその日の生徒との授業内容や成果を書き込んでいく。ところが、少し経ってから先程の健史先生の質問の意図が気になりだした。

 あまり強い関心はなかったが、そもそも、この私が何かに対して強い関心を抱くことがあるのか、甚だ疑問ではあるけれども、一応、

「どうしてですか?」

と、訊き返すことにした。


「ん? ああ・・・」

間が空いたので、一瞬何のことか分からなかったようだ。

「アイツ、最近元気ないみたいだからさ」

私は記録を書き留める手を止め、左の方に少し首を傾ける。


「彼、何か言ってたんですか?」


調子、悪いのかな。私は思った。その一方で、この間一緒に映画を観に行った時は、調子、良さそうに見えたけどな、とも思った。


「色々と悩みはあるみたいだぜ。でも一番の悩みは、石川先生とのことじゃないの?」


 健史先生はこのように言うが、ここ最近、特に彼との関係に問題が起きてはいない。少なくとも私はそう認識していた。健史先生が声のトーンを落として、恐らくパーテーションの向こうに居る室長の耳に入りでもしたら面倒だ、とでも思ったのかも知れないけれど、


「よく言うのは、付き合って一年以上も経つのに、まだ・・・」

と、私の方に少し身を乗り出しながら言った。最後の方は言葉を濁した。

「あれ、のことですか」

私も小声になる。


 『普通』の女の子なら、そういう話題は同じ場所でバイトをしている関係上、気を遣って欲しいと思うことだろう。彼、に対しても健史先生に対しても。

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