六話
「その豊かさを得られた時、きっと俺は幸福なんだと思う。俺の視界から繰り広げられる世界は、天国になる」
「天国?」
私は吹きだした。急に大袈裟で、突拍子もないことを言うものだ。
「そう。俺は、天国に行ってみせる」
「あら、そう・・・」
きっと私の顔は狐につままれたような顔になっていたに違いない。
しばらく、お互いに口を閉ざす時間が続く。ところが、不意に可笑しさがこみあげて来て、
「ふふふふふ」
と、笑ってしまった。口を手でおさえても、お腹から笑いが込み上げてくるのを抑えられない。
「ホント、変わったことを言う人ね」
「・・・引いた?」
彼は少し心配になったようだ。自分が変なことを言ってしまったことに対して。
「ううん、ただ、なんか面白くて。それに、話すときの表情が活き活きしてるわ」
「マジで?」
「マジで。最近は調子、良いでしょ?」
「うん、良いね。ていうか、本来これが普通なんだよな」
それを聞き、彼が、そうであるように、私も少し安心した。
「行けるといいわね。その”天国”に」
「お、おう」
彼を、少し揶揄するような調子で言った。彼の言う"天国"とは、いわゆる死後の世界とかじゃなくて、ある特定の豊かさが享受された精神的な境地を指すのだろう。
彼は、ややぎこちない様子で頷いていた。けれど、やがて真剣な顔つきになって、
「京子はどうなのかな? 俺の言う幸福が、京子にとってもそう?」
と私に訊いて来た。
「どうなんだろう・・・ 。分からない。あたしには、無理かも」
「なんで?」
無理ってどういう事?更に彼が疑問を付け加える。とても不思議そうな顔をしていた。一抹の不安も混じっているようにも見える。
そもそも、と私は口火を切る。
「あたしには、あなたの言う、そういった幸福の概念がないんだと思う」
「なんで?」
彼が、二度目のなんで? を繰り出す。
「なんでだろうね」
とにかく、あたしには不可能なの。そう続けようとしたけれど、結局口には出さない事にした。しばらく沈黙の時間が続く。この時のそれは、少し重みのあるものだった。
その重みから少しでも逃れるように、私は腕時計の時刻をチェックする
「あ、もうこんな時間。そろそろ行きましょ。映画が始まっちゃう」
「・・・よし、行くか」
彼は、勢いよく立ちあがり、伝票を手に取った。
「映画、楽しみね」
私は席を立つ前に、残り一口になったカップの中身を飲み干した。ミルクティーはとっくに冷めていた。
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