二話

「たまに感じることがあるんだ」

「何を?」


話の切り出し方が急だったので、私は少し可笑しくなりながら彼に訊いた。

「最初は幼稚園の時だったかな」

「幼稚園?」

「うん」

しばしの間の不可思議な沈黙。


「・・・で、幼稚園がどうしたの?」


 待ちきれなくなって私が沈黙を破る。彼の、彼なりの大事な考えを伝えようとする時、いつも勿体ぶったように間を空けるのが彼の癖だった。


「うまく言えないんだけどさ、自分には一緒に居てもっと安心できる人がいるんじゃないかって錯覚するんだ」

「もっとって?」

「一番近い表現は、母親よりももっと、ってことだと思うんだけど。友達よりももっと、って表現し直してもあまり問題ないと思う」

「可笑しなことを言うのね」


この時の私は素直にそう思った。だって本当に可笑しかったから。それに母親の

部分を友達に換えてもあまり問題ない、とは一体どういうことだろうと思った。


「あたしは、小さい頃お母さんと一緒に居るとすごく安心だったな」

「俺もそうだったよ。でも、ふとした時たまに錯覚するんだ。自分でも何でそうなるのか説明がつかないんだけど」

「変な人」

「そうだね。俺は変な人だ」

「ふふふ」


可笑しさがこみあげてきて私は自然に笑った。それから私は、

「それで、その一緒に居て安心できる人は見つけられたの?」

と、訊くのだった。

「まだ見つかってない、と思う。本当に居るのかも分からないし。もしかしたら生まれる前に居たのかも」

「生まれる前?」

「うん」


私は、それについては深堀りしないようにして、違うことを訊くことにする。

「あたし、ではないんでしょ? ・・・あたしには、なれない? あなたの安心を与えられる人に」

「分からない」


彼が、真っ直ぐに私の目を見据える。

「でも、京子と一緒に居るとすごく落ち着く」


嘘つきね。私は思った。でも私は、その思いを胸の奥にそっとしまった。


「そっか。今でもよくあるの? その、もっと安心できる人が居るんじゃないか、という錯覚を感じることが?」

「ここ最近はあまりないかな」


彼はまた思案顔になった。

「たまに、だね。でも、うん、子供の頃はよくその錯覚を感じてた」

「そうなんだ」

私は彼から視線を逸らす。

だからはっきりとは見えなかったのだけれども、彼はしばらくどこか遠くを見て微笑んでいるように私には感じられたのだった。

 


 まだ半分は残っているコーヒー缶を持ち、私は自分の席に向かって通路を歩く。すみません、再度私は言った。隣に座る男性に通してもらうためだ。

 私の席は二人がけの窓際だった。その男性は四十代後半くらいに見える。清潔感のあるスーツに身を包み、紺色のネクタイをしていた。黒のスーツとの相性がよく、その男性の上品さをより際立たせている。


 まるで紳士のような隣の男性の顔は、とても優しそうに見えた。けれど、私はなるべく窓の方に身体を寄せ、窓から流れる景色の流れに集中することにした。隣に座る、四十代後半と思われる男性の存在を、できるだけ私の意識から消し去るためだ。


 そう、隣には誰も居ないと思えば良いのだ。新幹線はトンネルをとうに抜けていた。

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