第4話 引っ越しの準備
あの謎の集団の訪問があった後、叔母は急に私の躾を厳しくした。
言葉使い、ふすまの開け方、物の持ち方、箸の持ち方、魚の食べ方、お風呂の入り方、鉛筆の持ち方や、字の美しさ、その他あらゆる礼儀作法を注意される。
規則正しい時間に起き、自分で身支度を整え、学校に向かい、終わった後は夕食までにきちんと出された宿題を終わらせ、ひとりで風呂に入り、髪をとかし、自分で布団を敷き、眠るまでの一連の流れを、スムーズに、滞りなく行えるように。
言葉使いが汚い、ドアの締め方が乱暴、スカートを履いたまま、足を広げる、魚の食べ方、お風呂でのお湯の使い方。
私は何度も注意され、その度に泣いた。叔父が私に同情的なのに、叔母は容赦がなかった。
「何でもひとりでできるようにしないと、この子が困るわ」
叔母が必死な様子が私にも伝わってきた。
それでも、両親が亡くなり、甘やかされた従弟の樹を前にすると、自分の見方がただひとりもいない気がして、しくしくと性懲りもなく泣いていた。
ある日、箸の持ち方を注意され、ぐずぐずと泣いていた。
部屋に、不意に叔母が入ってきて、いきなり私を抱きしめた。
「ごめんなさい」
驚いていると、叔母は私以上に泣いていた。きれいな顔をくしゃくしゃにして、ごめんなさい、を繰り返していた。
「どうしたの」
私が訪ねると、
「貴女はこの家にずっと置いていけないの」
と泣きじゃくったまま、答えた。
驚いて、涙も引っ込んだが、実はその気配を感じていた。
躾が急に厳しくなったのも、真新しいよそ行きの服を少しずつ買いそろえるためデパートに連れていかれるのも、あの黒塗りの車で来た人たちが関係していることが何となく分かっていた。
「よそのうちに行くの?」
「そう。うちよりずっとお金持ちのところ」
「どうして」
そう問うと、叔母はいっそう涙を流した。
「貴女を欲しいと言われたの。私、断ることができなかった」
「私を?」
「貴女のおばあさまが昔、お世話になったおうちなの」
「おばあさまが? でも、どうしておばあさまなの? もうずっと昔に亡くなったのでしょう?」
叔母はもう言葉を続けられなかった。長く美しい髪が私の顔に掛かるのも構わずに、ずっと泣いていた。ごめんなさい、ごめんなさい。姉や義兄が悪いのよ、貴女を置いて亡くなって。私には何もできない、どうか許して。
叔母は私をぎゅうぎゅうと抱きしめた。
「もう叔母さんには会えないの?」
「会えるわ。樹にも叔父にも」
「手紙を書いてもいいの?」
「もちろん。毎日書いてもいいのよ。必ず返事を書くわ」
私はしばらく黙り込んだ。泣きじゃくる叔母に向き直り、叔母を真っすぐに見つめた。
「だったら我慢できる」
「…葵」
「お金持ちのおうちなのでしょう? だったらきっとたくさんいいものを買ってもらえるわね」
私は精いっぱいの強がりを言った。
それくらい、自分の両親が残したと思われる借金についての話題が、私の耳にも聞こえていた。何か会社をしていて、それが倒産して、かなりの借金が残ったこと。私がこの家にいられないのは、それが大きく関係しているだろうこと。
大人になった今となっては、これだけのことを言語化できているが、当時は、自分ひとりがいなくなれば、それだけ叔母たちの生活が楽になると思ったのだ。
両親の残したものの大きさを、私は分かっていなかった。
叔母は私を再び抱きしめた。
「手紙を書いて。必ず」
私は、頷くことしかできなかった。
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