第2話 事件

 そのあと、しばらくは穏やかな時間が流れていた。

 平凡なごく普通の日常だった。

 私は典型的な内弁慶で、学校では大人しくてマイペースな子だった。体も小さかったし、よく本を読んだので勉強はできるほうだったが、何かのリーダーになることはなく、よく男の子にいじめられていた。

 それでも、写真で見る子供の頃の自分はやっぱり幸せそうだ。

 色白で真っ黒の髪をおかっぱにして、手も足も華奢で、どこか頼りないけど、両親にたくさん愛されてきたのが、写真からも伝わる。私が本当に幸せだったのはここまでだった。


 あれは私が十歳、小学四年生の頃だった。

 両親が事故で死んだのだ。山道のカーブを曲がり切れず崖から落ちたのだ。どちらもほぼ即死だった。

 事故死、というのはあとから考えると疑問が残る点なのだが、当時の新聞の発表がそうだったのでこのまま記す。

 病院の霊安室に、母の妹である叔母に連れていかれたときは、わけも分からず泣くこともできなかった。

 お通夜でも葬式でも現実が呑み込めず、大人たちの会話を遠くで聞いていた。

 会社、破産、借金、相続、保険金、肩代わり、、、

 そんな言葉が聞こえてきた。

 参列者が少ない葬式で、うつむいたまま座っていると、隣の叔母が息を飲むのが分かって顔を上げると、あの、日曜日に白い包み紙を持ってやってきた、初老の男性と若い男性がそろって焼香をしていた。叔母は挑むような表情で、毅然としていた。驚いたのは、初老の男性も、若い男性も、本当に私のことを可哀そうに思っているような、悲痛な顔をしていたからだ。

 焼香のあと、叔母に向き合うと、初老の男性は一言、二言、叔母に声をかけた。

「こんな小さな子を残して…」そう聞こえた気がした。小さいのに腹に力の入った、しっかりした声だった。今にも涙を流しそうで、見ているこちらが泣きそうになるくらいだった。

「そのうち、改めて伺います」

 初老の男性は、そういうと叔母に頭を下げた。叔母の表情は厳しいままだった。

 後ろに立っていた若い男性と目が合った。あの日と同じように、しっかりスーツに身を包んで、きれいに前髪が上げられている。黒い眉毛の下の目が、明らかに私を憐れんでいて、私は今すぐ逃げ出したかった。下を向いていると、男性は膝を折って、私に目を合わせた。涙が落ちそうになるのをこらえていると、叔母が止めるしぐさをするのも間に合わず、そっと私の頭を撫でた。おかっぱの髪の表面を大きな手が動いた。

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