第25話 全身全霊

 ニンバムとイシス――“山羊やぎ”と“魔女”が動いたのは同時だった。

 二人の“賢人”は同時に魔力を練り込み、躊躇することなく目の前の標的目掛けて放つ。


 その速度はやはり――“氷の魔女”が勝った。


 詠唱すらせず、氷で覆われたイシスの指先から、一本の“つらら”が生み出され、飛ぶ。

 ニンバムが火球を作り上げる前に、それは彼の左肩に突き刺さり、肉体を遥か後方へと吹き飛ばした。


 マウマウがニンバムの名を叫ぶ。

 彼の体は壁まで到達し、壁面に叩きつけられてしまった。


 肩に食い込んだ巨大な“棘”は、深々と肉に突き刺さり、骨を穿つ。

 それはまるで“杭”のようにニンバムを壁に固定し、束縛してしまう。


「――ぐぁああッ!」


 賢人の喉元から、悲痛な叫び声が上がる。

 彼を張り付けにした“魔女”は、ことさら嬉しそうに笑みを浮かべた。


「ざーんねーんでしたぁ~。“早撃ち”は私の勝ちってことねぇ。のろまな“山羊”さんだことぉ」


 この一言で、マウマウが飛び起きる。

 凄まじい速度で放たれた跳び膝蹴りはイシスの左肩を砕き割ったが、すぐにそれも再生してしまった。


 至近距離で二人の視線が交わり、見えない火花を散らす。

 マウマウは犬歯をむき出しにし、怒りをあらわにして吠えた。


「人の命を――なめるんじゃあないよッ!!」


 さらに加速し、四方八方からマウマウがありったけの“技”を叩き込む。

 拳に蹴り、肘に踵に頭突き。

 肉体のありとあらゆる箇所を利用し、無秩序に、型になど決してはまらない怒涛の連撃を叩き込む。


 そのどれもが、一切防御されることなくイシスに命中した。

 か細い“魔女”の体は一撃を受けるたびに曲がり、折れ、砕かれるが、やはり即座に“氷”の結晶が纏わりつき、肉体を再生してしまう。


 痛みすら感じず、ただただ笑いながらイシスは荒ぶる獣目掛けて嘲りの一言を投げた。


「必死になっちゃって、お馬鹿さんねぇ。そんなにお友達が大切なのかしらぁ? 獣は獣同士、助け合いの精神っていうものがあるのかしらぁ」


 くすくすと笑う彼女の顔が、回し蹴りによってぐるりと捻転した。

 すぐにまき戻ってしまうそれに対し、マウマウは身構えながら吼える。


「ニンバムだから、じゃあない。ましてや、“獣人”だからでもない! 誰かをいたずらに傷付けられて、怒らないほうがどうかしてる!!」


 咆哮と共に放たれた右拳は、イシスの体を真横にぐるりと回転させた。

 それでも“魔女”はすぐさま体勢を立て直し、けらけらと笑ってみせる。


 部屋の中央で、“氷の魔女”を相手に奮闘するマウマウを、ニンバムは壁際で見ていた。

 肩を貫いた“つらら”は容易には外せず、ましてや炎の魔法をもってしても溶かすのに時間がかかりそうだ。


 なにより、もうニンバムのなかにほとんど“残弾”はない。

 度重なる激突によって“魔力マナ”が消耗し、思ったように術の出力を上げることができずにいた。


 もうここから先、やれることは限られている。

 そう理解した“賢人”は、ゆっくり、静かに右腕を持ち上げた。


 左腕は使い物にならない。

 だからこそ、残された腕に意識を集中し、痛みに耐えながら指先を立てる。


 激しい痛みから、油断すればそのまま気を絶してしまいそうだった。

 溢れ出る血すら冷気で凍り付き、びしびしと体を伝っていく。

 このままだといずれ肉体の温度が奪われ、ニンバム自身もこの“氷の城”の一部になってしまうのだろう。


 せめて、そうなる前に――震える指先を、彼方に立つ“彼女”へと向けた。

 そしてその先端へと、歯を食いしばったまま意識を集中していく。


 しかし、荒ぶるマウマウの猛攻を受け続けるイシスは、離れた位置から向けられた“それ”に、すでに気付いていた。

 だからこそ、腕がへし折れようが、足が逆を向こうが、首がもげかけようが、再生しながら静かに考える。


 ニンバムがやろうとしていることは、分かっていた。

 こんな状況下で戦いが長引けば、不利なのは彼らの方なのである。

 イシスに無尽蔵の“魔力”がある以上、消耗戦などしかけても仕方がないのは明白だ。


 あの“獣”は、小賢しくもそれに気付いている。

 だからこそ、このまま離れた位置から機会をうかがい、その一手を放つつもりなのだ。


 自身の全力を持った、一撃――ありったけを込めた一矢で、イシスを消し飛ばそうとするはずなのである。


 飄々としているその実、“氷の魔女”はしたたかだった。

 彼女は彼女なりに、この戦況を冷静に理解し、その上であえてニンバムらを泳がせ続けていたのだ。


 彼女に向かって猛攻を仕掛けているマウマウの“これ”も、間違いなく作戦の一つなのである。

 イシスの意識をかき乱し、徹底的にその視線を引きつけ、そして“虚”を生み出す。

 そこに、彼方で力を蓄えている“彼”が、渾身の一撃を叩き込む。


 イシスは気がついた時には笑っていた。

 “人形”となった肉体のその背後に浮かぶ、真っ白な“魔力”の像も裂けるような大きな口を開け、嘲笑する。


 どいつもこいつも、馬鹿ばかり――この程度のことを“戦略”と呼び、そして自分達の能力を過信する阿呆の群れ。

 イシスは自分以外の全てを、そう定義づけ、今日まで生きてきた。

 その純粋なる嘲りが、今まで揺らいだことなど一度足りとない。


 壁際で意識を集中していたニンバムは、突き出した指先に“魔力”を凝縮していく。

 少しずつ肥大化するそれを、悟られないよう静かに維持し、狙いを定め続けた。


 マウマウが一撃、空中で回転蹴りを叩き込む。

 その一撃によってイシスの体がぐるりと回転し、ニンバムに背を向ける形となった。


 瞬間、“鼠”と“山羊”は呼応する。

 マウマウが一歩飛び退くと同時に、ニンバムは意を決した。


「マウマウさん、離れてッ!!」


 詠唱ですらない咆哮と共に、ニンバムは作り上げた術を解き放つ。

 指先に集結していた“魔力”は、光の矢となって空間を走った。


 完全なる死角から迫る“魔法”に、イシスはやはり笑みを浮かべる。

 そして背を向けたまま、高らかに告げた。


「本当に野蛮な“山羊”さんねぇ。もっとちゃぁんと狙わないとぉ。じゃないと、当たっちゃうわよ? 大事な大事な――お仲間、に」


 瞬間、イシスは手を伸ばした。

 その肉体の動きに合わせるように、マウマウの全身を“氷”が包み、束縛する。


 マウマウが「えっ!?」と声を上げる中、イシスはわざと自身の首を折り、捻じ曲げる。

 首のみが真後ろを向き、飛んでくる光の束を視界に捕らえた。


 そのあまりにも予想外の事態に、ニンバムが目を見開く。

 二人の背筋を、氷よりもはるかに冷たい“恐怖”が撫で上げた。


 命中する寸前で、イシスは腕を振り抜く。

 “氷”で拘束されていたマウマウの体が、イシスの背後へと強制的に移動させられた。


 こともあろうにニンバムが放った一撃は、身動きが取れないマウマウの体に炸裂してしまう。

 光がカッと視界を染め上げ、凄まじい炎がマウマウの全身を包んだ。


 唖然とし、口を開くニンバム。

 片や全身を包み暴れる炎のなかで、もがき苦しむマウマウ。


 そんな二人を見てイシスは――殊更、高らかと笑った。

 笑って、笑って、涙が出る程に大袈裟に笑い転げる。


「アハハハハハハ! ば――っかじゃなぁ~い!? 大事な大事なお仲間が丸焦げになっちゃったぁ~!」


 悪魔の笑い声が、城のなかに響く。

 ごおごおと燃えるマウマウを前に、ニンバムはどこか茫然とし、口を開いたまま声が出ない。


 そんな二人の心を、イシスはまるで躊躇することなく踏みにじる。

 腹を抱え、最大の“喜劇”を見つめながら。


「あーあー、本当に残念ねぇ~。一生懸命、まじめに、まじめぇ~にお勉強してきたのに、そのせいで彼女、黒焦げになっちゃうのよぉ? それにしても、ひっどい臭いねぇ。やっぱり“ドブネズミ”は、どこまでいっても臭くて不潔なのねぇ」


 彼女は鼻を押さえ、わざとらしく振る舞う。

 惨めな二人の姿を前に、ただただ愉悦が止まらない。


 弱者を踏みにじることこそが、彼女の喜びなのだ。

 力を持たぬ者をありったけの力で真っ向からねじ伏せる――その快感を得たいがためだけに、彼女は“知”を極め、肉体すら捨てて“魔”に身を投じた。


 その完成された冷たき“力”の結晶体が、挑んできた二匹を堂々と嘲笑う。

 彼らの進んできた歩みを否定し、無邪気に、どこまでも突き抜けるような笑い声を響かせた。


 火だるまになりながらもがくマウマウに、涙すら浮かべてイシスは告げる。


「一生懸命だの、全身全霊だの、そういうのは全部、ぜぇ~んぶ“無駄”なのよぉ。あなた達みたいな、地を這うしかできない獣にはねぇ?」


 勢いを増して燃え盛る炎と、そのなかで蠢く彼女の影。

 その熱と悪臭を間近で感じ取りながら、身を震わす喜びに“魔女”はただただ笑い続ける。


 甲高く、けたたましく。

 無遠慮に、狂気すら抱きながら。


 そんな“魔女”の嘲笑に、鈍く、固い炸裂音が重なった。


「――あ?」


 イシスの笑い声が、止まる。

 彼女は目を見開き、ゆっくりと自身の脇腹を見つめた。


 そこには、“炎”があった。

 紅蓮に染まり、めらめらと揺れる焔の塊が、イシスの左脇腹に叩きつけられている。

 鋼のような硬さを秘めたそれが、一撃でイシスの肋骨を砕き割っていた。


 痛みや肉体の損傷など、問題ではない。

 イシスはその“炎”の塊が何なのかに気付き、絶句する。


 それはマウマウの拳だった。

 彼女は全身を炎に包まれながら、なおもイシス目掛けて拳を叩き込んでいる。


 ごおごおと勢いを増す炎のその奥から、低い遠雷が如き声が響いた。


「そうだ――その顔だ」


 イシスが傷口を再生すると同時に、もう一撃が叩き込まれた。

 抉り込まれた左拳は重々しい衝撃と共に、凄まじい熱波で“魔女”の体を焼く。


 揺らめいた炎の隙間から、全身を焼かれたマウマウの鋭い瞳が覗いていた。


「あの時もそうだった。私の生まれ故郷を――家族や、町の皆を“奪った”時も、そうやって笑ってた」


 身を翻し、全身を捩じり込んで蹴りを放つ。

 炎がごおと軌跡を描き、先端がイシスの顔面を右から弾き飛ばした。

 炸裂した瞬間、火花がばっと宙に散り、砕け散った“魔女”の素顔を照らし出す。


「その笑顔が――嫌いだ。そうやって誰かの生き方を否定して、馬鹿にして――嘲笑ってる、その顔が大嫌いだ!」


 左、右、左と拳が走る。

 イシスの体が真っ向から穿たれ、がくがくと揺れた。


 怒りをあらわにするマウマウの姿を、イシスは唖然として見つめる。

 だがそれは、同士討ちによって“炎”に包まれながら、なおも攻撃を続けようとするその根性や、底なしの体力に驚いているわけではなかった。


 イシスはやはり、こと“魔法”については天才だ。

 そして天才だからこそ、今、目の前に迫る彼女の周囲で渦巻く、膨大な“魔力”の存在に気付く。


 マウマウの肉体の表面で爆裂し、彼女を焼き尽くそうと荒ぶる“炎”。

 その紅蓮の輝きの中に、確かに脈々と巡る“魔力”の流れを感じ取れる。

 “鼠”の肉体を覆うように渦巻き、空間に滞留し続けている“魔力”をしっかりと確認した。


 “魔法”はまだ、死んでいない――体を歪に曲げられながら、イシスは視線を走らせる。


 遥か彼方、部屋の隅にはやはり“彼”がいた。

 その肉体にはいまだ深々とイシスの放った“つらら”が突き刺さり、食いこんでいる。

 氷は随分と“彼”の肉体を侵食し、今もなお城の壁へと取り込もうと広がり続けていた。


 それでも“山羊”は――ニンバムは残った手を、しっかりとこちらに掲げている。

 意識を集中し、自身が放った極上の“魔法”を、離れた位置からコントロールしているのだ。


 全てをイシスが理解する。

 そして理解したからこそ、戦慄した。


 策にはめられたのは、自分だったのだ。

 彼らははなから、これを狙い、イシスがこうすることを読み切った。

 わざと最大火力の“魔法”があるように匂わせ、その存在を“魔女”に感知させ、格闘士の“彼女”を盾に使うであろうというところまで、予測してたのである。


 彼らの思惑通りに、イシスは動かされた。

 自身に襲い掛かってくる“鼠”を捕まえ、わざと見せつけのように放たれた“魔法”へとぶつけてみせる。


 その全てを、二匹の“獣”は把握していた。

 傲慢な“魔女”の心中を察し、その裏の裏をかくため、あえてわざとらしく動いてみせただけだ。


 まずい――イシスに張り付いていた笑みが消える。

 燃えながらも一撃を振りかぶったマウマウ目掛けて、“魔女”の背後に揺らめく巨大な“ヴィジョン”が動いた。


 マウマウの一撃よりも早く、その顔面へと“氷塊”が飛び、弾く。

 形すら整えず、即席、即興で作り上げたそれで、こちらに向かって来ようとする“鼠”を退けた。


 氷は衝撃で砕け散り、炎によって蒸発させられる。

 マウマウの鼻から噴き出した鮮血すら、周囲で燃え盛る焔に焼かれ、蒸気となって消えた。


 のけぞりながら、それでも彼女は目を見開く。

 打ちのめされ、焼けただれた全身に力を込め、口を開いた。


「打撲、裂傷、擦過傷、骨格の損傷、内臓へのダメージ、いずれも甚大。駆逐対象との戦力差は圧倒的――」


 その口調は、彼女が鉄兜を被っていた時のそれと同じだった。

 心の中で“スイッチ”を入れ、感情を押し殺した時の波長で、彼女は続ける。


「火焔による酸素濃度の低下を確認。現状況での最大稼働時間は、もって2分――」


 淡々と告げられるその言葉に、イシスは目を見開く。

 肉体の背後に纏わりついていた白く揺れるヴィジョンが、ついに事の本質を見抜いた。


 マウマウの肉体を包んでいるあの炎こそ、ニンバムの“術式”なのだ。

 彼が最大火力で放ち、残った全ての力を注いだ、いわば“とっておき”。


 彼はイシスの肉体を、そこに宿った“魔力”ごと焼き尽くそうとなどしていなかった。

 “賢人”は自身の魔力を“攻撃魔法”ではなく、別の形態の術へと変換し、マウマウに託したのである。


 マウマウの全身を、魔力の“炎”が包む。

 それは“甲冑”となって、魔法を使えない彼女に、魔力の牙を与えた。


 そんなことは、無謀でしかない。

 今現在ですら、マウマウの全身は纏った炎で焼かれ、酸素が徐々に奪われつつある。

 出力を間違えれば、それこそマウマウそのものが焼き尽くされる可能性だってあるのだ。


 全火力を注いだ、全身全霊の“総身装甲魔法フルカウル・エンチャント”。

 それこそが、マウマウとニンバムが二人で成し遂げようとした、最後の策だった。


 大地を踏みしめ、周囲の冷気を熱波で押し流しながら、マウマウが前を向く。

 焔を纏った極上の“獣”が、ついに牙を剥いた。


「残り時間――わずか――体力、気力――共に限界値間近――それでもなお――一切、問題ない――」


 どうと大地が揺れた。

 マウマウの踏み込みに合わせ、ニンバムも歯をくいしばり、集中する。


「お前が――倒れるまで――絶対に――止めない!!」


 獣の雄叫びと、魔女の悲鳴が重なった。

 極上の冷気を身に纏ったか細い体目掛けて、マウマウは真っすぐ、堂々と打ち込む。


 イシスという“魂”を穿つため。

 過去から続くすべての“因縁”を、打ち砕くために。

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