第23話 不死身のカラクリ

 なんら躊躇することなく、空中に腰かけたままイシスは“パチン”と指を鳴らした。

 瞬間、周囲の空間を埋め尽くすように浮かんでいた無数の“氷の刃”が、一斉に眼下のマウマウ、ニンバムへと降り注いだ。

 刃が空を走る音色が幾重にも重なり、雨とも、吹雪とも違う独特の波長を生み出した。


 そんな凶器の“嵐”を前に、ニンバムもまた迷うことなく動く。

 すでに肉体内部に練り上げていた“魔力マナ”を解放し、杖の先端から術式として展開した。


 透明度の高い水色の“防御壁”が展開され、二人を包み込んだ。

 魔力で生み出された壁に氷の刃が次々に突き刺さり、無理矢理、力をねじ込んでいく。


 一撃は大したことがないが、それで補って余りある物量にニンバムの“防御魔法”が押されていった。

 氷が炸裂し砕け散る音の中に、魔力の壁が軋み、ひびが入る不穏な音色が混じる。


 一つ、また一つとひびが広がるその様を、頭上からイシスは笑みを浮かべて見下ろしていた。

 しかし、彼女を見上げるニンバムのその眼差しに、弱さなど宿っていない。


 ニンバムは歯を食いしばり、さらに動く。

 杖を大きく引き絞り、あらん限りの力と共に振りぬいた。


 真横に走った杖の先に、彼の“詠唱”によって生み出された新たな術式が宿る。


『――うねり、巡って、噛みちぎれ――!!』


 瞬間、“どうっ”という音と共に、防御壁の周囲に“風”が渦巻く。

 停滞していたメインホールの空気が一気にかき回され、竜巻が幾重にもうねり荒ぶった。


 ニンバムが生み出した“乱気流”によって、氷の刃がからめとられていく。

 イシスの放った氷刃が全て突風の中に巻き取られ、砕け散ることで宙に無数の輝く“塵”が生み出された。


 小賢しい――イシスが舌打ちを仕掛けた、次の瞬間である。

 どおどおと音を立ててうねる風を突き破り、“彼女”が跳びかかってきた。


 目の前に現れた姿に一瞬、イシスは息をのんでしまう。

 だがすぐに「ふんっ」とつまらなそうに吐き捨て、顎に手を当てたまま迎え撃つ。


 飛来したマウマウが、雄叫びと共に右拳を振りぬいた。


「だぁああありゃあああーーー!!」


 全身を駆動させて放たれた一撃が、イシスが作り上げた“氷の防御壁”によって受け止められる。

 轟音と共に大気が揺れ、氷の壁や床がたわみ、軋んだ。


 放った拳を凍らされないよう、マウマウは凄まじい反射神経で拳を引き戻す。

 だが、イシスはこの一瞬を逃さず、ただちに攻撃に転じた。


 すぐ目の前にいるマウマウ目掛け、つまらなそうに指を突き出す。


「本当に頭が弱いのねぇ。空中じゃあ、避けることもできないんじゃあないの?」


 瞬間、イシスの眼前に魔力が収束され、一瞬で鋭い“氷の槍”を生み出す。

 周囲の空間に生み出された数本の槍が、空中に浮かんだままのマウマウ目掛けて一斉に襲い掛かった。


 命中あたる――そう確信し、イシスは笑う。

 だが同時に、拳を握りしめたまま構える、マウマウもまた笑っていた。


 槍が“ねずみ”の肉体を――捉え損ねた。

 そのまさかの事態に、イシスが目を見開き、言葉を失う。


 マウマウの肉体が、なぜか空中で真横に移動した。

 氷の槍は互いに絡み合うようにぶつかり、空中で粉々に砕けてしまう。


 一発、また一発と槍を生み出し貫くも、その度にマウマウの体が空中を高速移動し、不可解な軌道で避け続けていく。


 だが、目の前の彼女は――イシスにとって“ドブネズミ”と揶揄するこの女性は、一切の魔法を使えないはずだ。

 イシスはすぐさま“答え”を導き出し、ちらりと真下を見下ろす。


 床の上に立ったまま、こちらに向けて杖を向け、意識を集中しているニンバムがいた。

 彼の杖の動きに合わせるように、空中に浮かんでいるマウマウが浮遊し、重力を無視して飛び回っている。


 そのどうしようもない“小細工”に、イシスはまた一つ、ため息をついてみせた。


「あらあら、涙ぐましいわねぇ。出来の悪い者同士、協力して頑張ってるじゃなぁい?」


 嘲るイシス目掛けて、マウマウが飛来する。

 彼女は左拳を大きく引き絞り、狙いをイシスの頭部に合わせていた。


 そんなマウマウを見つめながら、イシスは「ふふん」と肩を揺らして笑う。


「でも残念ねぇ。どんなに頑張ろうが、雑魚は雑魚――いくら浅知恵が組み合わさったところで、無駄ってものよぉ。ましてや、あなたみたいな筋肉お馬鹿の技なんかじゃあねえ?」


 イシスはマウマウを眺めながら、すでに体内で術式を完成させていた。

 詠唱一つせず、悪態をつきながらでも高速で、緻密に魔力を操作してむせる。


 突進してくるマウマウに合わせるように、“氷”が生まれた。

 だがそれはただの平坦な“壁”ではなく、もっと巨大で、鋭利な形に洗練されている。


 それはイシスが即席で生み出した、巨大な“頭”だった。

 二本の角と鋭利な牙を持った怪物の頭が、マウマウを睨みつけ牙を剥く。

 向かってくる彼女を噛み砕こうと、容赦なく大口を開け、襲い掛かった。


 一瞬、魔力を操作していたニンバムが狼狽える。

 だがそれでも強く念じたまま、頭上の二人を睨み続けた。


 絶対に迷うな――額に脂汗を浮かべ、意識を集中するニンバム。

 纏わりつく恐怖や不安を、なおも前を向くマウマウの姿を頼りに振り払った。


 拳を振りかぶり、突進するマウマウ。

 そんな彼女に向けて、イシスは薄ら笑いと共に開いていた指を閉じる。


「はぁ~い、残念でしたぁ~。がっちーん」


 イシスの動きに合わせ、怪物がマウマウに噛みつく。

 身の丈の四倍はあろうかというそれを前に、マウマウは歯を食いしばる。


 彼女とて、恐怖がないわけではなかった。

 だが、やはり彼女も、もはや迷うという選択肢は捨てている。


 強く、固く握りしめた拳に力を宿す。

 その拳の奥底に、一気におびただしい量の“熱”が沸き上がった。


 その明らかな変化に、イシスがまたしても息をのむ。


 瞬間、マウマウの左拳が燃えた。

 紅蓮の炎がぼっと沸き上がり、彼女の腕の先を覆ってしまう。

 

 肉体に宿る力強い熱さを感じながら、マウマウが吼える。


「ごめんね。ぶん殴りたいのは、あんたじゃあないんだ!」


 向かってくる怪物の牙に怖じることなく、マウマウはその“熱拳”を真っすぐ叩き込む。

 衝撃と共におびただしい熱が氷を貫き、一撃のもとに怪物を氷塊に変えてしまった。


 砕け散る氷のその先に、やはりイシスがいた。

 彼女は目を丸くして、明確にうろたえている。


 そんな彼女目掛け、瓦礫を突き破りながら迷うことなくマウマウが飛ぶ。

 再度引き絞った右拳に、やはり凄まじい勢いで燃え盛る“炎”が宿った。


 刹那――ほんの一瞬で“魔力マナ”の流れを汲み取れたのは、やはりイシスの類まれなる才能が故だろう。

 マウマウの両腕に宿ったその異質な力の正体を、本能的に察した。


 これは、彼女の魔力ではない。

 遥か下――床の上で力を行使し続ける、あの“山羊やぎ”のものだ。


 ちらりと、魔女の目がニンバムを睨む。

 彼はなおも珠のような汗を浮かべ、必死に術式を操作し続けていた。


 彼はマウマウを“魔法”で浮かび上がらせているだけではない。

 彼女の肉体そのものにある術式を施し、間接的に力を与えていたのだ。


 “装甲魔法エンチャント”――炎の“籠手こて”を纏った拳が、閃光の如く走る。

 咄嗟に氷の壁で防御を固めたが、ついにそれすら突き破り、マウマウの一撃が刺さった。


 凄まじい衝撃音と共に、炎がばっと散る。

 マウマウの一撃はイシスの左肩を捉え、躊躇することなく肉を歪め、骨を粉砕した。

 叩きつけられた衝撃でイシスの白く美しい皮膚が波打ち、炸裂部が炎で黒焦げに焼かれる。


「――ッ!?」


 ついに、氷の魔女が声ならぬ悲鳴を上げた。

 マウマウも拳を振りぬいたまま、腕の先に伝わる確かな“命中あたり”の感触に打ち震える。


 もう一撃――目の前のイシス目掛けてマウマウが拳を引き絞るが、遥か下から俯瞰で見ていたニンバムが、声を上げた。


「ッ!! 駄目です!」


 ほんの一瞬の出来事だった。

 ニンバムの声を受け、マウマウは放とうとしていた突きを止める。

 彼女の意思とは関係なく、ニンバムの“浮遊魔法”の影響を受け、その体が真上へと放り出された。


 わずかに遅れて、周囲の空間に生み出された“刃”の群れが、マウマウへと襲い掛かった。

 槍に斧に鎌に剣――ありとあらゆる武器が生み出され、次から次へとマウマウを刻もうと空を切る。

 一瞬でも退避が遅れていれば、マウマウの体は細切れにされていただろう。


 追撃を振り切ったマウマウを、イシスは眉間にしわを刻みながら睨みつけた。

 一撃が炸裂した右腕は、肩から先がぐにゃりと曲がり、ぶら下がっている。

 だが、そんな致命的な一撃を受けてなお、イシスは痛みや熱さにひるむ様子はない。


 まるで自身の怪我などお構いなしに、その目は遥か頭上に浮かんでいくマウマウを睨みつけていた。

 しかしほんの一瞬、その敵意の矛先が足元へと向けられる。


 あっちを止めなければ――イシスは眼下で杖を構え、意識を集中しているニンバムに照準を合わせた。

 マウマウを“浮遊魔法”で移動させ、彼女に力を与え続けている張本人を仕留めるのが、先決だと踏んだのである。


 意識がほんのわずかに、ニンバムへと向けられた。

 だが、視線をそらした“魔女”目掛けて、遥か頭上から高らかと声が響く。


「よそ見してんなぁ! いっくぞぉおおーー!!」


 イシスは弾かれるように顔を上げ、再び視線を上空に向けた。

 マウマウの掛け声を合図に、ニンバムも“魔力”を操作する。

 一度は上空へと退避したマウマウの体が、今度は一変、急加速して魔女へと落ちてきた。


 ニンバムは“魔力”を集中したまま、その光を放つ瞳で目の雨の光景を見つめ、考える。


 ここまでは、予想通り――この流れは全て、あらかじめマウマウとニンバムが綿密に計画した、“作戦”の通りだったのだ。


 まずニンバムは、以前の“敗北”の中から一点、イシスが操る無尽蔵の“魔力”について予測を立てていた。

 どれだけ彼女が卓越した魔法使いだったとしても、そこに“無限”なんて概念はあり得ない。

 あれだけの凄まじい“魔力”を行使できる、確固たる理由があると踏んだ。


 そしてその謎は、すでにニンバムの目が解き明かしていた。

 “魔力”の流れを見る彼の特殊な目が、イシスに隠された“カラクリ”を一つ、紐解いたのである。


 カギを握るのは、この“城”だ。

 ニンバムらが戦いを繰り広げているこの“氷の城”からは、常におびただしい量の魔力がイシスの体に流れ込んでいる。

 この城は決して、イシスが作り上げた“氷の魔女の根城”などではない。

 あらかじめ膨大な魔力を蓄え、城の形に据え置いておくことで、そこから無尽蔵にも思える魔力を引き出すための“ストック”だったのである。


 そしてその上でもう一つ、分かることがある。

 イシスは今まで、身に着けた高度な“氷魔法”と膨大な“魔力”を糧に、あらゆるものを蹂躙してきた。

 それゆえに、前回のように火力で真っ向からぶつかったところで、凄まじい力量で退けられるのが関の山だろう。


 だが一方で、そう言った“力押し”が効かない戦い方――手練手管を張り巡らせた“戦術”を相手にした経験が、少ないのではないか。


 ニンバムの導き出したその過程は、当たっていた。

 ニンバムとマウマウは以前のように、ただがむしゃらに各々の力を放出し続けることをやめ、常にその時々でイシスをかく乱する事だけを目標に戦法を組み立てたのだ。

 身に着けた一撃必殺の体術を振るうマウマウと、遠隔からそれをサポートするニンバム。

 二人の役割を明確に切り分けることで、イシスの“意識”をかく乱し、彼女の標的をすり替えながら戦い続けたのである。


 ニンバムの杖の動きに合わせ、マウマウの体が急降下する。

 彼女はぐんぐん近づいてくるイシスに、再び照準を合わせた。


 頭上から落ちて来る凄まじい“圧”に、イシスもまた手を振り上げる。

 彼女はやはり大小さまざまな“氷”の武器を生み出し、それを一斉に天目掛けて放出した。


 それだけではない。

 周囲の壁から突き出た巨大で鋭利な“氷柱つらら”が、命を持った生き物のように柔軟な動きで、マウマウを仕留めようと迫る。


 その向かってくる鋭利な群れを前に、マウマウ、そしてニンバムは決して退く気はない。

 ニンバムが魔力を込めると、再びマウマウの両手に“術式”が展開され、その両腕から炎が噴きあがった。


 伝わってくる確かな熱さ――“賢人”の持つ意志の力強さを両腕に感じ、マウマウは歯を食いしばる。

 落ちていくマウマウの体内で、ついに感情が爆発した。


「――勝ォ負ッ!!」


 向かってくる“氷”目掛け、ついにマウマウの“炎”が叩き込まれる。

 一撃、二撃、三撃――凄まじい速度で繰り出される“火焔の連打”が、襲い掛かる氷の群れを次から次へと砕き割り、溶かし、吹き飛ばす。

 けたたましい衝撃音が幾重にも重なり、その連弾が城そのものを揺らす。

 氷の中でもがくマウマウを見つめたまま、ニンバムは歯を食いしばり“魔力”を振り絞る。


 目をそらすな、戦え――湧きあがる恐れを振り払い、囁く不安に背を向けて顔を上げ続ける。

 脂汗を浮かべる“賢人”の前で、マウマウはさらに肉体を加速させ続けた。


 十発、二十発、三十発――砕けた氷塊で腕が切れても、肌が抉れても、まるで気にせずにマウマウは連打し続ける。

 その喉の奥から、無意識のうちに“鼠”の雄叫びが漏れ出ていた。


 痛みは確かにある。

 だがその負の感情を、肉体の奥底に連れてきた確かな“怒り”で振り払う。


 呼吸すら止め、全身の肉と骨の軋む痛みを抱き、マウマウはそれでもただ一心不乱に打ち込み続けた。


 おおよそ、八十発目を叩き込んだ瞬間、ばっと視界が開けた。

 砕け散り、きらきらと空中で光る氷の粒のその中心に、目を丸くして唖然とする“彼女”の姿がある。


 その表情は、かつて――マウマウが幼少期に見たそれとは、かけ離れていた。

 他者を踏みにじりながら見せた、あの“氷の魔女”の威厳はもうどこにもない。


 血だらけになりながら落ちて来るマウマウに、イシスはついに言葉を失う。

 そんな彼女を見てもなお、マウマウは――絶対に止まらないと決めていた。

 

 マウマウが雄叫びを上げる。

 その拳の先端がイシスの顔面を真ん中で捉え、美しい素顔を大きく歪めた。


 燃え盛る拳が、次から次へと“氷の魔女”を穿つ。

 ほんの一瞬で三十を超える打撃を叩き込み、マウマウとイシスは共に地面へと落下した。


 衝撃から地面が砕け散り、大きく陥没する。

 マウマウとイシスの体がそれぞれ冷たい床を跳ね、受け身すら取れずに転がった。


 ようやく着地したマウマウに、ついに術式を解いたニンバムが駆け寄る。


「――マウマウさん!!」


 腰を落とすニンバムに、マウマウは激しく咳き込む。

 仰向けに倒れたまま、必死に呼吸を繰り返していた。


「大丈夫ですか、マウマウさん!?」

「う、うん――なんとか、ね。ありがとう、ニンバム。た、助かったよ……」


 見れば、すでにマウマウの両腕はボロボロだった。

 あれだけの“氷の刃”を、素手で砕き割り続けたのだ。

 “装甲魔法エンチャント”の出力を上げたせいで、皮膚自体も激しく焼け焦げてしまっている。


 それでもマウマウは、痛みを押して体を起こす。

 ニンバムはすぐさまその傷に“治癒魔法”をかけ、応急措置を施した。


「ごめんなさい。僕がもっと、正確に魔力を操作できていれば……」

「そんなことないよぉ。ニンバムのおかげで空中で逃げ切ることもできたし、あの氷をぶち破ることもできたんだ。凄いねぇ。やっぱりニンバムは、賢い魔法使いだったんだね!」


 ぼろぼろのまま笑うマウマウの姿に、ニンバムもどう答えて良いか分からない。

 だがひとまず、彼女が無事に生還したことで、“賢人”もほっと胸を撫で下ろす。


 そんな再会を喜び合う二人に、やはりあの静かで、冷徹な“彼女”の声が響いた。


「やってくれるわね――ほぉんと――嫌になるわ」


 息をのみ、顔を上げる二人。

 マウマウもすぐさま立ち上がり、拳を微かに握りなおした。


 驚愕する二人の目の前で、ふらふらとイシスが立ちあがる。

 全身に叩き込まれたマウマウの拳のおかげで、無事な手足など一本もない。

 折れ曲がった四肢を無理矢理に動かし、がくがくと痙攣しながら“氷の魔女”は体を持ち上げた。


 その異様な光景を前に、二人は息をのむ。

 イシスは折れ曲がった首を、頭を掴み上げることで乱雑に前を向かせた。

 右目が潰れ、残った左目も血で真っ赤に濡れている。


 そんな満身創痍でなお、彼女の言葉から強さは消えない。


「ねえ、どうしてくれるのよ、これ? あんたらのせいで、ぐっちゃぐっちゃんじゃあないの。ねえ!」


 イシスが一歩を踏み出すが、“ぺきり”という嫌な音と主に、足の中指が折れ曲がる。

 だがそれだけの大怪我を負っていてもなお、彼女はまるで意に介さない。


「面倒くさいわねぇ、ったく。“作り直す”のだって、時間がかかるのよ。ほんっと、乱暴で粗雑な、“害獣”だこと――」


 作り直す――その一言に、二人は息をのんだ。

 その単語が彼女の口をついて出たからこそ、ニンバムは一歩前に出る。


 しっかりと彼女の姿を見つめ、さらに核心へと迫る。

 二人がこの時まで悩み考え続けた、もう一つの“カラクリ”について。


「やはり……その“肉体”――あなたがこれまで誰にも負けず凶行を繰り貸してこれたのは、その体に宿った“力”に秘密があったんですね」

「秘密? なんのことだか――」

「普通の人には、分かるはずがない。けれど、僕の目なら――こうして冷静に“視れば”、しっかりと分かります。あなたのその体を操る――“それ”の姿が」


 ついに、イシスの動きが止まる。

 ぼろぼろになったその眼差しが、どこか仄暗い色を宿したまま二人を睨みつけていた。


 杖を突き立てたまま、怖気づくことなくニンバムは進む。

 すぐ隣に立ち、なおも臨戦態勢をとり続けるマウマウの存在を感じながら。


「おかしいと思ってたんです。どれだけ巨大な魔力を持とうが、どんな高度な術式を扱おうが、あなたは“人間”だ。今もそうであるように、肉体をそこまで損傷していながら、生きていけるはずなんてない。けれど、その考え方こそが間違っていたんです。だってあなたは――」


 イシスの肉体から、ふわりと“なにか”が沸き上がった。

 もはやニンバムだけでなく、“魔法”に疎いマウマウの目にすら、その存在の形を確かに捉えることができたのだ。


 ボロボロの彼女から湧き出る“白いなにか”の姿を見つめたまま、ニンバムは言い放つ。

 これまでイシスが隠し続けてきた、大きな、あまりにも奇妙な“カラクリ”を。


「あなたのその肉体は――ただの“入れ物”でしかないのだから」


 ただでさえ冷たい室内の空気が、一気に温度を失う。

 耳鳴りのような不快な感覚と共に、まるで躊躇することなく“それ”は現れた。


 イシスの体から湧き上がる、真っ白な“なにか”。

 煙のように見えるそれは――おびただしい量の“冷気”であった。

 ごおごおと勢いを増す冷気の群れが、ぼろぼろの女性の背後へと浮かび、一つの“像”を作り上げる。


 どこか予測はしていた。

 しかしそれでも、改めて対峙した二人は動揺を隠すことができない。


 イシスの背後に、巨大な“冷気の像”がいる。

 イシス同様、長い髪とか細い腕を持った、“冷気”そのものが作り上げる偶像。


 それは、“魂”そのものを宿した“魔力”だ。

 イシスが“秘術”によって肉体を捨て、そこから抜き出した彼女の“生きる魔力”だったのである。


 だからこそ、彼女は死なない。

 肉体をいくら刻もうが、腕を折ろうが、頭を潰そうが――“魔力”そのものが傷付かない限り、何度でも蘇る。


 部屋の温度は、さらに下がっていく。

 いつしか二人の吐く息すら、真っ白な色に染められていた。


 どうしようもない冷たさを全身で感じながら、それでも二人は無言のまま構える。

 対峙したあまりにも規格外な存在を前に、神経がびりびりと震えていた。


 イシスという殻を操る、“氷の魔女”。

 その真なる姿を前に、なおも二人は戦い抜く覚悟を決めた。

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