第22話 “呪い”を解くために

 かつてこの“城”を訪れた時と同様、見上げる程に巨大な大扉は自然と開き、二人を迎え入れてくれる。

 それが“罠”だということは、もはや百も承知だった。

 だがそれを分かっていてなお、二人はまるで迷うことなく一歩を踏み出す。


 城内に踏み込んだ瞬間、身を貫くような冷気が全身を包んだ。

 一歩踏み出すごとに肉が収縮し、骨がきしむのが分かる。


 それでもマウマウとニンバムは、決して足を止めない。

 こちらに向かって牙を剥く絶対零度を前に、胸を張って堂々と踏み込んでいく。


 そんな二人の来訪者を前に、頭上からあの意地悪な波長が響き渡った。


「あっら~、まさか本当に戻ってきちゃうなんてねぇ」


 ようやく、二人は足を止める。

 マウマウは鉄兜を脱ぎ捨て、ニンバムも杖を床に突き立てながら顔を持ち上げた。


 大広間の上空に浮いたまま、“彼女”は二人を見下ろしている。

 雪のように透き通った肌に、薄手のドレス。

 氷で作り上げたアクセサリーと、天高くうねるように持ち上げられた白く長い髪。


 かつて二人が対峙し、そして牙を剥いた相手――“絶対零度の魔女”ことイシス=クレイハーツが、あの時と変わらない姿でそこにいた。


 妖しく、意地悪に笑う彼女を見て、ニンバムは黙したまま素早く分析する。


 あの時の“傷”が、すべて消えている――二人がかつて激闘を繰り広げた際、ニンバムの暴走によって一矢を報いたはずだが、その際に刻まれた傷跡は消えてしまっている。

 マウマウから聞いた話が本当であれば、イシスは首の骨を折られ、脇腹を大きく欠損する致命傷を負ったはずなのだ。

 それがどういうわけか、すっかり元通りに復元されてしまっている。


 治癒魔法なのか。あるいは――それを考える前に、兜を脱いだマウマウがいつも通りの波長で、堂々と言ってのけた。


「やあ、ひっさしぶりぃー! 相変わらず、凄い髪型だね、それ。どうやってセットしてるの? 寝る時、絡まっちゃわない?」


 あまりにもマイペースな一言に、ニンバムまで目を丸くしてしまう。

 だが、やはり頭上の“魔女”はくすくすと、甲高い笑い声をあげた。


「あらあらあらあらぁ~、中身もあの時から変わらないのねぇ。あれだけ痛めつけられても、お馬鹿はちっとも治らないものなのねぇ」


 堂々とした皮肉だったが、それでもマウマウは揺らがない。

 凛とした眼差しで、真上のイシスを睨みつけている。


「本当に揃いも揃ってお馬鹿さんだことぉ。せっかく、生きて帰れたっていうのに、自分から戻ってきちゃうなんてねぇ。あいにく、“勇猛”と“無謀”って違うのよ? 誰だって英雄を憧れるものだけど、大抵は何一つ残せないまま、無駄に命を散らしちゃうんだからぁ」


 相も変わらず、彼女の圧倒的な余裕は揺らがない。

 宙に腰かけたまま、肩を揺らして笑う“魔女”の声が広大なメインホールの冷気をいびつに揺らした。


 その美しくも冷徹な波長の中に、“山羊やぎ”の頭を持つ賢人が堂々と切り込む。


「ご忠告、痛み入ります。ただ残念なことに、あなたがおっしゃる通り我々は揃って“お馬鹿さん”のようですので、分相応というのがどうにも分かり兼ねるんですよね」


 ニンバムの一言で、明らかにイシスの笑みが強張る。

 だが一方、隣に立つマウマウが横目に「ぶんそーおー?」と首を傾げていた。


 困り顔の“ねずみ”にニンバムが苦笑を返す中、頭上から降り注ぐ声に刺々しさが増していく。


「あっそ。まっ、何度やっても同じことよぉ。“呪われた子供”であるあなたと、そっちの脳みそ筋肉なドブネズミじゃあ、何十回、何百回やっても一緒。ここは私の城――私の“世界”なのよ。ここでは私が全てで、それ以外はただの異物。あなた達も、お城の外で暴れてるあのちっぽけな人間達の命も、まるごとね」


 パチン、とイシスが指を鳴らす。

 瞬間、周囲を覆っていた冷たい空気が、激しく鳴動していく。

 マウマウとニンバムが身構える中、すぐにそこら中に変化が起こる。


 広大な城のメインホールに、一人、また一人と“氷の兵隊”が生み出されていく。

 二人が唖然とする中、瞬く間にそれらは周囲を取り囲み、包囲してしまう。


 再びの“多勢に無勢”に、拳、杖を構えるマウマウとニンバム。

 その真剣なまなざしを、なおも高みから見物したままイシスが笑う。


「この前は暇つぶしに遊んであげたけど、さすがにもう飽きちゃったわ。だから大人しく、そいつらに“駆除”されなさいな? せめてその惨めな死に様くらいは、ここから見ておいてあげるから」


 イシスの笑い声に合わせ、兵隊達が一斉に動き出す。

 無意識に統率の取れた歩みが、冷たく平坦な床を揺らし、近付いてきた。


 冷気、そして極上の“殺気”の群れが、周囲から圧となって押し寄せてくる。

 それらをしっかりと見据えたまま、ニンバムは自身の杖に力を込めた。


 賢人が激突の瞬間を慎重に見極める中、隣に立つ彼女があっけらかんと言ってのける。


「暇つぶし――そうだよね。あなたにとっては全部、その程度のことだったんだよね」


 一歩、またもや兵士達の輪が近付く。

 ニンバムは杖を携えたまま、慎重に視線をマウマウへと走らせた。


 魔女を見上げる彼女の目は、やはりどこか悲しげだ。

 だが、その横顔はかつてここで見たそれとは、明らかに何かが違っている。


 あの時――旅の中でここまで携えてきた“怨嗟”に染まっていた、彼女とは違う。

 故郷を消され、愛する人々を、日常を奪われた“恨み”で肉体を駆る彼女は、もういないのだ。


 その憤怒は、まだ確かにマウマウの中にある。

 しかし、その熱はさらに強く研ぎ澄まされ、肉体の奥底――心臓の奥に押し込まれ、“核”として強い輝きを放っていた。


 激突、痛み、憔悴、咆哮。

 そして、その末にあった圧倒的な敗北。

 その中で確かに彼女はまた一つ、成長したのだろう。


 眼下の“鼠”の心をえぐるように、イシスが笑った。

 だが、“魔女”の言葉はマウマウのそれを揺るがすには至らない。


「あらあら、ごめんなさいねぇ。かんさわったかしら、ドブネズミちゃん?」

「ううん、大丈夫。ただ、こうして改めて会って、納得したんだ。私がやらなきゃあいけないこと――それが、はっきりと分かったよ」


 イシスの笑みの端に、微かな嫌悪の色が見えた。

 それにかまうことなく、マウマウは誰にも物怖じしない、真っすぐな笑みで返す。


「あなたはきっとこれからもまた、誰かに“冬”を持っていく。誰かの人生を壊して、大切な物を奪って――そうやって、“暇つぶし”をしながら、これからも生きていくんだろうね」


 ふわりと、大気が揺れた。

 微動だにしないマウマウの肉体から、無色透明の“なにか”が沸き上がり、渦巻く。

 怒気よりも、殺気よりも、はるかに研ぎ澄まされたそれが、確かに風を生んだ。


 すぐ隣に立つニンバムが総毛立つ。

 かつてホワイトウルフ達へと放ったものと同様の、透き通った“気”を浴び、戦慄する。


「私はそれが――嫌いなんだ。誰かを犠牲にして遊ぶ、あなたのことが大っ嫌いだ」


 じりりと、兵隊の輪が迫る。

 だが同時に、その中心から湧き上がる大気の揺らぎも、濃さを増した。


 拳を握りしめたのはマウマウだけではない。

 彼女の隣に立つ“賢人”もまた、杖を握る手により一層力を込める。


 敵意でもなく、殺意でもなく。

 明確な“決意”を持って、マウマウが怨敵に向けて告げた。


「だから決めたよ。何回やられようが、何十回跳ね返されようが、何百回倒されようが、もう絶対に諦めてなんかやらない。どれだけ痛くても、冷たくて凍えそうな思いしても、あなたは私が――ううん、“私達”が止めてやる。そのために、ここまで来たんだ」


 マウマウが緊張した構えを作るのと、イシスがため息をつくのは同時だった。

 頭上の“宿主”の物言わぬ合図を受け、周囲を取り囲んでいた“氷の兵隊”達が一斉に襲い掛かる。

 剣に槍、斧に鎌――冷気を纏ったそれらが空気を切り裂き、迷うことなく中央に立つ二人目掛けてはしった。


 マウマウの“決意”に、イシスは嫌気がさしたのだろう。

 だが一方で、その“決意”はもう一人を――すぐそばに立ち、共にここまで歩んできた“獣”をも奮い立たせる。


 氷の刃が届くその前に、“彼”の杖が地面を打った。

 カツンという甲高い音と共に、秘かに練り込んでいた“魔力マナ”が解き放たれる。


 群がる“氷”を砕き、押しのけながら閃光が広がった。

 放射状に大気が吹き飛び、マウマウ、そして頭上のイシスまでもその眩しさに目を覆ってしまう。


 一瞬――まさに瞬き一つの刹那であった。

 純粋な“魔力マナ”の圧が衝撃波となって広がり、周囲に群がっていた無数の兵隊達を一撃で破壊してしまう。

 突風を受けて目を開くと、そこにはバラバラに砕かれた氷塊の山だけが残っていた。


 “氷の魔女”の顔から余裕の色が消える。

 呆けているイシス、そしてマウマウを前に、強い眼差しを持つ“山羊”が吼えた。


「僕だって同じです。この体に刻まれた“呪い”を解くために、あなたを目指した。けれど今は、あの時とは違う――個人的な恨みや過去以上に、あなたと戦う理由が“僕ら”にはある」


 “魔力”がニンバムの肉体から溢れ出て、メインホールに風を生む。

 その瞳に、すでに力強い光が渦巻き、圧倒的な“決意”と共にイシスを睨みつけていた。


 一瞬、マウマウもその現象に驚いていた。

 だがすぐに、どこか嬉しそうに笑みを浮かべ、同じように“魔女”を見上げる。


 拳を駆る“鼠”と、魔法を操る“山羊”。

 そして、氷と冬を抱いて遊ぶ“魔女”。


 この城の姿同様、三人の姿はかつてここで対峙した、あの時と何ら変わらない。

 だがそれでも、遥か頭上のイシスを見つめる二人を突き動かす“それ”は、数日前とは随分と異なった色と輝きを持ち、確かにここにある。


 マウマウがそうであったように、ニンバムもまた自身の過去と向き合った。

 数日にわたる自問自答の末、彼はやがてたどり着いたのである。


 彼女がそうしたように、今、この時、この場で自分が“何をなすべきか”という答えに。


 杖を突き立てたまま、ニンバムが息を吸い込む。

 心の奥底で、怒りの感情と共に父が刻み込んだ“術式”が暴走しようと暴れている。

 だがそれを、この数日で生まれた新たな感情を頼りに縛り付け、押し込んだ。


 決して目をそらさず、ここまで歩んできた全てを乗せ、ニンバムが“魔女”に告げる。


「季節が巡る限り、かならず“冬”がやってくる。けれど、あなたがもたらす“それ”は違う。そんな理不尽で、悲しい“世界”はいらない。僕らはあなたが運ぶ“冬”を――“呪い”を解くためにここまで来たんです!」


 言の葉に、無数の感情が乗せられ、飛ぶ。

 一つ一つは色を持たず、重さすらまるでない。


 だがそれらが確実に、着実に頭上の“魔女”の肌に刺さり、染み込み、感情をざわつかせた。


 また一つ、イシスが「ふぅん」と吐息を漏らす。

 仮初の笑みが消え、彼女はどこまでも冷淡な眼差しで返した。


「ほん――っとおに、うっとおしいわね、あんた達。いいわ、やってみなさいな? あなた達のそのご立派な“決意”が本物か、試してみなさい?」


 言うや否や、手を振り上げるイシス。

 膨大な“氷”の魔力が溢れ出し、周囲の空間へと満ちていく。


 一瞬で、空中に無数の“刃”が生み出された。

 小さく鋭利なそれらは全て、眼下のマウマウ、ニンバムへと向けられている。


 千刃からありったけの殺意が降り注ぎ、二人の肉体を叩いた。

 だがそれに負けじと、マウマウ、ニンバムも構えを作る。


 無数の敵意のその中央に座る彼女が、ため息混じりに告げた。


「ピーピー泣いても、もう許してなんか上げないわぁ。ずたずたに、ぼろぼろにして生きながらおもちゃにしてあげる。死んだほうがマシだったって思えるくらい、未来永劫苦しみなさいな?」


 再び、イシスが笑う。

 だがその目はあくまで、自身にたてつく“害獣”達を鋭く睨みつけていた。


 呼吸音すら聞こえる静かな城の一角で、異なる色の“気”がせめぎ合う。

 再びこの場に揃った“怪物”達の呼吸に各々の感情が染み出し、確かな熱を生み始めていた。

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