第21話 火蓋
数日前のあの時と変わらず、“氷の城”はそこに鎮座していた。
太陽光を受けて輝くそれは、とても暴君の根城になど見えず、崇高な気品に満ちた美術品のようである。
その巨大な城に続く唯一の道――長い氷の回廊を前にマウマウ、ニンバム、そして狩人達は足を止めてしまう。
彼らを阻むように布陣するそれらの姿に、たまらずシエロが弓を手にしながら呟いた。
「なにこれ……すごい数……」
誰一人、声すら上げることができず立ち尽くす。
城に乗り込もうと進んできた狩人達の
それは一言で表すならば、“氷の番兵”だ。
城同様、“氷”によって作り上げられた甲冑に身を包んだ兵隊達が、隊列をなして黙している。
おそらくその甲冑の下にある肉体もまた、氷塊で構成されているのだろう。
魔法生物――その正体を見抜いた賢人・ニンバムは、続いて並んでいる兵隊の数に戦慄してしまう。
ざっと目視で確認しただけでも、その数は100を超えている。
対する狩人らの数は30程――物量だけ見ても、圧倒的な戦力差であった。
マウマウとニンバムの背後にいた狩人らは、皆黙したまま各々の武器を構える。
シエロの隣に立つダビィが、愛用の長銃を持ち上げ、唸るように呟く。
「御大層な歓迎っぷりだな、こいつぁ。“魔女”の奴、何が何でも俺らを城に入れねえつもりかよ」
ニンバムもまた、杖を握る手に力を込めた。
一方、先頭に立つマウマウだけはいまだに両手をだらりと下し、自然体のままでいる。
「どうやら、すんなりはいかないようですね。私達のせいで、無駄に警戒させてしまったようです」
「だねぇ。にしても、すっごいなぁ。これ全部、あの“魔女”が操ってるのかな?」
「いえ、恐らくは“自立式”の魔法術かと。ある程度の命令を遂行するように、魔法を組み上げてるんです」
ニンバムの一言に、マウマウが「ほへぇ」と間の抜けた声を上げた。
そんなでこぼこした会話を、突如として地響きが
一団が戦慄する中、氷の兵隊達の群れから一際巨大な体躯を持つ者が歩み出てきた。
誰しもが、その番兵の姿を見上げてしまう。
周囲に並ぶ兵らの約2倍――あるいはそれ以上の大きさを誇る甲冑が一歩を踏み出すたび、雪の積もった岩場に重々しい振動が伝わってくる。
よく見れば、甲冑の造形も他の兵士達のそれとは違い、どこか刺々しい。
その一風変わった出で立ちに狩人らが
『臭う――臭う、臭う、臭う。生き物の臭い。生臭く、湿った、汚らわしい臭いだ』
不安定な波長だったが、それは明らかに“男性”の声だった。
恐らく、魔法生物として“彼”が創造主から与えられたものなのだろう。
氷の番兵――その“隊長格”が、実に不機嫌そうに言い放つ。
『“家畜”二匹が舞い戻ってくると聞いていたが、なんだなんだ、この数は? 汚れたみすぼらしい生き物の群れだ。見ているだけで吐き気がする』
ありったけの罵詈雑言を叩きつけてくる隊長に、狩人らが怯む。
怒りは湧いてくるが、それ以上に目の前の存在が放つ凄まじい殺気に、本能が訴えかけてくる。
少しでも妙な動きをすれば、その圧倒的な力でねじ伏せられてしまう、と。
狩人らが慎重に構えを作る中、あくまで氷の巨兵はそれを小馬鹿にする。
『貴様らのような不潔な存在を、“
吐き捨てるように言い放ち、巨兵は脇に携えていた己の得物――氷で作り上げた巨大な“斧”を構えた。
しゃおんという音を契機に、周囲に並んでいた兵隊達も武器を一斉に持ち上げる。
恐ろしいほど統率の取れた一団の動きに、狩人らがまたもや圧倒されてしまった。
すでに場の空気は、氷の兵団に掌握されてしまっている。
氷の城、雪山の高所という慣れない状況だけでなく、群がる魔法生物の群れと対峙するという“異常事態”の数々が、場慣れしているはずの狩人らの心を鈍らせていく。
弓に槍、杖こそ構えているが、里の一団は知らず知らずのうちに後方に体重を預け、すでに“後退”の意思に捕らわれつつあった。
“心”を圧することで、機先を制する――兵法の基本であり、あまりにも初歩的な一手のおかげで、互いの刃すらぶつけ合っていなくても、確実に氷の兵団が有利な状況を作り上げつつある。
やるしかない――誰しもが覚悟を決めかけていた、その時であった。
ざっ、という軽快な音と共に、狩人達の一団から一人が歩き出す。
そのあまりにも無警戒かつ自然体な姿に、狩人らはもちろん、杖を構えたニンバムまでも緊張の糸を緩めてしまった。
シエロが「えっ?」と声を上げる中、決して速度を緩めずに“彼女”は進んでいく。
その異様な光景に、兵団の先頭に立つ巨大な氷兵も、向かってくる姿に焦点を合わせていた。
『――なんだ、貴様は?』
その一言に“彼女”は答えない。
“鼠”特有の丸い耳、細い尻尾を揺らしながら、意気揚々とマウマウが歩いていく。
彼女は胸を張ったまま堂々と、狩人の一団から抜け出してしまった。
ニンバムが「マウマウさん?」と呼ぶ中、あくまで彼女は視線を持ち上げ、目の前に立つ巨大な“隊長”を見つめ、口を開く。
「ごめんねぇ、大勢で押しかけちゃって。悪いんだけど私達、ここに住んでる“魔女”に用があってきたの。集まってくれたところ本当に申し訳ないんだけど、そこ通してくれないかな?」
あっけらかんと言ってのける彼女の姿に、兵団はもちろん、狩人や女衆らも肩の力が抜けてしまう。
こんな状況下ですらいつも通りの彼女の姿に、ニンバムはもちろん、シエロ、ダビィまでもあんぐりと口を開けてしまった。
だが、それを聞いた兵団の隊長が、「ふんっ」と気に入らなそうに声を上げる。
『なんだなんだ、生臭いだけならまだしも、頭まで弱いのか? やはり人間というのは低俗で嫌になる。己と相手の力量差も分からんとはな』
「う~ん、そうだねぇ。私、昔から“お師匠様”によく言われてたんだ。『もっとしっかり、相手を見定めろ』って。でも、これでもちょっとは、上手くなったつもりなんだけどなぁ」
威嚇されても、やはりまるでマウマウは意に介さない。
マイペースもここまで来ると、危うさを通り越して呆れかえってしまう。
だが、彼女のまるで物怖じしない態度が、氷の兵隊の心を揺れ動かす。
隊長は得物の斧を両手で握り、緊張した構えを作った。
『身をもって、“痛み”の果てに知るんだな。己の無力を。そして大人しく駆除されろ、この――害獣共が!』
その咆哮をきっかけに、隊長が動く。
一歩を大きく踏み込み、彼は手にした斧を
臨戦態勢をとっていた狩人達の肉体に電流が走る。
一手遅れ、彼らもまた唐突な開戦の合図に追いつこうと、反射的に肉体を動かす。
杖を構え呪文詠唱を始めるニンバム。
矢をつがえる照準を合わせるシエロ。
すでに弾丸を装填した銃口を向けるダビィ。
一度は着火しかけた一同の“闘志”が、たった一つの轟音で静止してしまう。
“どうん”と一度、大きく大気が鳴動した。
無色の波が肌を叩き、誰しもが動きを止めてしまう。
狩人達はもちろん、駆け出そうとしていた氷の番兵達すら、身動きできずに目の前の光景を眺めていた。
茫然とした意識が、やはり一斉に覚醒する。
その場にいた全員が反射的に、何が起こったかを悟ってしまったのだ。
一同の遥か頭上を、巨大な“塊”が飛んでいた。
くるくると回りながらそれは澄んだ青空目掛け、ぐんぐんと上昇していく。
その物体が大きな氷の塊ではないということに気付き、誰しもが言葉を失う。
吹き飛び、回転する“それ”から、魔法によって与えられた野太い声が漏れた。
『――はっ?』
氷の兵団を指揮する、巨大な肉体を持つ隊長。
その“頭部”のみが、宙を舞っていた。
首から先が一撃で吹き飛ばされ、やがて重力に引き付けられて落ちてくる。
誰よりも先に、首の主――兵団の隊長は大混乱に陥っていた。
高速回転し天地上下を失った視界の中、ただひたすらに思考を走らせる。
何を見ている。
何が起こった。
何をされた。
無数の疑問に対し、高速移動する視界のなかに一瞬浮かんだ“彼女”の姿が答えとなる。
いつの間にか懐深くに踏み込んだマウマウが、真っすぐ右足を蹴り上げていた。
そのつま先は槍のように天に突きあげられ、かつて隊長の頭部があった場所で静止している。
蹴った――数秒遅れ、ようやく誰しもがその事実に気付く。
マウマウが放った一発の蹴りが、一撃で部隊長の頭部を吹き飛ばし、肉体と分断してしまっていた。
首が落ちる寸前、マウマウは前を向いたままはっきりと言い放つ。
身動き一つとれず、絶句して落ちていく氷の兵に向けて。
「ご忠告ありがとうね。でも、悪いけど無理。諦めるとか、大人しくするとか、そういうのはもう――飽きたんだ」
頭部が地面に落ちるのと、マウマウが大地を踏みしめるのは同時だった。
地鳴りのような音と共に、山そのものが揺れる。
マウマウの目の前に立っていた兵隊の肉体、そして落ちてきた頭部が同時に砕け散り、太陽光を乱反射して宙に散ってしまった。
隊長の姿が消え、兵隊達は何一つ身動きが取れなかった。
敵対していたはずの狩人達ですら、その数瞬の攻防がもたらした結果を信じることができない。
風がびゅうと音を立て、雪山を撫でる。
その冷たい空気の波にさらされたまま、マウマウは大きく深呼吸した。
目を閉じ、肉体に滑り込んでくる鋭い温度を感じる。
彼女はそのまま、迷うことなく首から下げた愛用の鉄兜に手をかけた。
迷うことなくかぶり、目を開く。
前を向き、残った兵団に――そして、背後に連れた“仲間達”に目掛けて告げた。
凍てつく野山の空気のなかに、熱く、鋭い闘志が走る。
「敵兵団の大将の駆逐を確認。残存勢力、およそ100。これより一体残らず、完全に殲滅する」
スイッチを入れた冷静かつ冷徹な言葉が、ついに戦いの火蓋を切って落とした。
氷の兵団が機械的な声を上げ、一斉に突進してくる。
そして一拍遅れ、狩人達も腹の底から雄叫びを上げ迎え撃った。
マウマウは
四足獣の如き低姿勢のすぐ上を、無数の矢と弾丸、そして魔法の“火球”が飛んだ。
貫く音、穿つ音、砕く音、燃やす音――数々の音が重なり、まずは氷の兵団の第1陣に突き刺さる。
氷の兵士は一撃を受け、やはり隊長同様にただの氷塊となって砕け散った。
狩人らの背を、一団の中で最も老いを重ねた歴戦の勇士・ダビィの声が叩く。
「弾幕を絶やすな、切り込むぞぉ!!」
老狩人の咆哮が、周囲の人々の心に飛び火していく。
異形の魔法生物を前に委縮していた精神が、次々に
砕け散った兵隊の残骸を蹴散らし、第2陣が隊列を組んで突っ込んでくる。
兵隊達はすぐ目の前で身をかがめているマウマウに、
その先端が肉と骨を穿つことはない。
すでにマウマウは飛翔し、あろうことか兵団の中心へと落下していく。
彼女は宙で目一杯身をたわませ、そして着地と同時に蓄えた“力”を解き放った。
渾身の回し蹴りが、周囲に群がっていた氷の兵隊を薙ぎ払う。
粉々になった彼らの肉体は、そのまま砲弾のように飛散し、後列にいた兵の体に食い込んだ。
その“嵐”に、狩人らの矢が続く。
シエロはこの日のために作り上げてきた特殊な一矢――赤黒く輝く“緋炎鉱”を削り、
少女の視線の先に、群がる氷の兵隊が映る。
だがそれを見てもなお、小さな体の中に彼女が抱いてきた闘争心の火が燃えていた。
絶対に
瞬間、カッと閃光がばらまかれ、矢の先端が炎をばらまく。
“緋炎鉱”に込められた魔力が解き放たれ、周囲に群がっていた数体も焼き尽くしていく。
狩人達はこの日まで、着実に準備してきたのだ。
“氷”を使いこなす魔女を相手取るため、賢人・ニンバムの知恵を借り、より効果的な武器を携えこの雪山に足を踏み入れたのである。
氷の兵隊達も負けじと弓矢――やはり氷で形成されたそれで太刀打ちするが、狩人らの後方に待機していた女衆が動く。
数少ない“魔法”の使い手たちが、向かってくる氷の塊に“防御壁”を展開し、ことごとく無効化してしまう。
女衆のすぐ前で、今回の作戦の指揮者でもある賢人が杖を構え、意識を集中していた。
すでに彼の“詠唱”は最終段階に到達している。
目をかっと開き、“山羊”はありったけの闘志を眼前へと叩き込んだ。
『――回れ、周れ、流転をくべて廻れ――“
ニンバムが杖を一閃すると、氷の兵団の中心から火炎の渦柱が立ち上る。
大地を揺らし、周囲の雪を一瞬で蒸発させながら、炎は紅蓮の竜巻となって兵団を蹴散らしていった。
凄まじい光景に、狩人らまでもが一瞬、怯んでしまう。
しかし、すぐに我を取り戻した戦士達は、各々の武器を構え前へ前へと肉体を押し込んだ。
100を超える氷の兵団は、瞬く間に数を減らしていく。
シエロはなおも矢を命中させながら、凄まじい熱波をばらまき続ける炎の渦を見つめた。
ニンバムの圧倒的な魔力に、改めて言葉を失う。
だが同時に、その炎の渦の中心――あえてニンバムが作り上げた“安全圏”に身を置いている、彼女にも思いを馳せてしまう。
少女の期待に応えるかのように、渦が衝撃によって吹き飛ぶ。
氷の兵隊がバラバラに砕け、渦の中心から外へと弾き出されていた。
そこにいた“彼女”の姿に――戦場を飛び交うマウマウの武術に、もはやため息が漏れてしまう。
大地の上を跳び跳ねながら、拳と蹴りが幾重にも走った。
襲い掛かってくる兵士達の刃をすれすれでかわし、交差的に打撃を叩き込み、粉砕していく。
正確無比な攻撃の数々は、もはや芸術的にすら見えた。
シエロとダビィ、そして狩人らの矢弾が兵団を押し返す。
そしてその中心で、ニンバムの魔法とマウマウの格闘術が大暴れしていた。
立ちはだかっていた兵士は崩れていき、今や完全に流れは狩人達にあった。
前方の景色が開けたことを確認し、弓を構えたままシエロが吼える。
「マウマウ、ニンバム! あとは私達が食い止めるから、行って!!」
一瞬、二人は攻撃の手を止め、少女を見つめてしまった。
だが彼女は敵から決して目をそらさず、的確に矢を命中させ、なおも叫ぶ。
「倒さなきゃいけないのは、こいつらじゃあない。あいつを――“氷の魔女”を止めなきゃ!!」
また一撃、少女は矢を構えるが、足がもつれて崩れてしまう。
だがその隙を、すぐ隣に立っていたダビィが弾丸で補った。
こちらに向かってきた二体の兵士の頭部が弾け飛ぶ。
「シエロの言う通りだ。あんたらの戦力を、こんな雑魚共で浪費しちゃあいけねえよ。行きな、俺らが責任もって食い止める!」
誰一人、異論を唱える者はいなかった。
マウマウ達がたじろぐ中、周囲からは新たな氷の兵士が生み出され、こちらへと襲い掛かってくる。
後ろ髪を引かれたのは事実だ。
だがマウマウとニンバムも、自分達が成すべきことはとうの昔に理解してた。
止めなければいけない存在は、あそこにいる――期せずして、同時に二人は目の前の城を睨みつけていた。
ニンバムが「頼みます」と頭を下げ、一気に駆け出す。
火球を周囲の兵士に叩き込みながら、彼はマウマウの隣まで到達する。
「マウマウさん、行きましょう! 奴の――イシスの元へ!」
ニンバムの言葉に、あくまで兜をかぶったマウマウは静かに答える。
彼女の蹴りが目の前にいた兵士の胴体を、真正面から穿った。
「了解。排除対象を変更。戦線を離脱する。駆逐すべきは――“氷の魔女”」
期せずして二人は、城に向かって伸びる回廊を同時に走り始めた。
狩人達と兵団がぶつかり合う戦いの音が、ぐんぐんと遠ざかっていく。
振り返りはしなかった。
ただ二人はぐんぐん迫ってくる氷の城を見つめ、その奥に待ち構える“彼女”に思いを馳せる。
今もなお、城の中心で自分達を待つ、“氷の魔女”を。
気がついた時には拳を痛いほどに握り締め、各々の“牙”を強く噛みしめていた。
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