第20話 無心ゆえに

 突き抜けるような青空のど真ん中を、大きな翼を広げて“鷲”が飛んでいるのが見えた。

 坂を上り切ったマウマウはその姿を見つけ、目を丸くして声を上げる。


「おぉ~、でっかい鷲だなぁ。いいなぁ。空飛べるんなら、わざわざ山登る必要もないんだけどなぁ」


 岩場の上に立ち、背を伸ばす。

 そんな彼女のすぐ後ろから、杖を突きながらニンバムが登ってきた。

 彼もまた、大きく息をつきながら空を見上げる。


「“飛行魔法”を、もっと勉強しておくべきでしたね。いやはや、申し訳ない」

「ううん、そんなことないよぉ。まぁでも確かに、一度でいいから空、飛んでみたいなぁ」


 汗をぬぐうニンバムに対し、やはりマウマウは終始にこやかに、軽いトーンで語り掛ける。

 もうかれこれ30分は山を登っているが、鍛え上げた肉体が故か一向にマウマウには疲れの色は見えない。


 病み上がりでありながら、自分とは圧倒的な体力の開きを感じ、ニンバムは苦笑する。

 そのまま“山羊やぎ”はちらりと、背後を見やった。


「とはいえ、“これだけの人数”を浮かせるには、どっちみち僕の魔力では不可能だったかもしれません。伝記の“大賢人”達にはまだまだ遠く及ばないようです」


 ニンバムはかつて読んだ、“極光の七賢者”のエピソードを思い浮かべていた。

 100年ほど前、かつての大戦時代に存在した“大賢人”は、甲冑に身を包んだ重装歩兵部隊数百人を“風のゆりかご”なる魔法で遥か山の上まで押し上げたと聞き及んでいる。


 そんな伝記に描かれた“過去”と、すぐ目の前でこちらに歩みを進める“今”を重ねてしまうニンバム。

 二人に続くようにこちらに上ってくる無数の人影に、マウマウが大きな声を投げかけた。


「皆ぁー、大丈夫ぅー!? 疲れてる人いたら、無理しちゃだめだよぉー!!」


 マウマウの声に“狩人”達は顔を上げ、何人かは汗をぬぐいながらも「おう」と威勢の良い声を返した。

 そのタフネスに感心しつつ、二人はしばし一団が合流するのを待つ。


 全員が坂を上り切り、まずは水での補給や負傷者の応急手当を施す。

 普段から狩りに慣れ親しんでいる経験からか、狩人達は手際よく互いに協力し合っている。


 その姿にため息をつきながら、マウマウはすぐ隣で水を飲んでいる少女・シエロに言った。


「本当に凄いなぁ。やっぱり皆、普段から山に慣れてるんだねぇ。思った以上に早く進んでるよぉ」

「そうだね。でも、マウマウに言われてもなんだかピンと来ないよ。皆、先頭を行く姿を見て、ずっと驚いてたよ?」


 どうやらマウマウ本人はいまいち分かってないようで、「ええ?」と首を傾げていた。

 しかし、これには隣に座るニンバムが苦笑する。


「あれではまるで、“曲芸師”ですからね。これだけの積雪地帯を、ああも軽々と飛び跳ねながら移動できる人間なんて、そうそういませんから」


 ただでさえ雪が積もり、そこら中にごつごつした岩が隆起している急こう配だ。

 吹雪こそないが、それでも時折強く吹き付ける風は容赦なく体を四方から押し、かく乱してくる。

 そんな山道を、マウマウはまるでピクニックにいくかのような軽やかな足取りで、最前線を維持したままひょいひょいと登っていったのだ。


 三人の会話に、老獪な狩人の男性・ダビィが加わる。

 彼は干し肉で体力補給しつつ、やはりいつも通りの痛快な笑い声をあげた。


「まったく、度肝抜かれちまったよ。俺ら熟練の狩人でも息が上がるってのに、それを汗一つかいてないんだからな。つくづく、どんな修行してきたんだか」


 彼は笑いながらも、背負っていた得物――愛用のライフルを手にし、巻き付けた藁と布の上に付着した雪を払い落としていた。

 その明らかな“武器”の姿に、どうしてもニンバムはその問いかけを投げかけざるをえない。


「ここまで来て、こんなことをお聞きするのは“野暮”かもしれませんが……本当に、良いのですか? もし、引き返すなら――」

「お気遣い、痛み入るね。けど、残念だけどそいつぁ聞けねえ願いってもんだ。ここにいる奴らは、どいつもこいつもとっくの昔に、“覚悟”は決めるからな」


 禿げ頭の老狩人は、隙間のある歯を見せて豪快に笑う。

 ニンバムだけでなく、マウマウとシエロも里に古くからいる彼の皺だらけの顔を見上げた。


「正直な所、俺もまさかこれだけの人数が腰を上げるとは思わなかったんだ。けれどやっぱり、皆、あんたらの姿に奮い立たされたんだろうよ。里の外から来た、言っちゃあなんだが“部外者”がここまで命張ってくれてるんだ。だってのに、里に昔からいる俺らがしょげ返ってたんじゃあ、申し訳が立たねえじゃねえか」


 それはきっと、里に暮らす人々を代弁した一言だったのだろう。

 それぞれの思惑こそあれど、恐らくここに来た人々は皆、その共通の思いを抱いている。


 朝方――マウマウとニンバムが、再び“氷の城”へと赴こうと身支度を整えている時であった。

 出発しようとする二人の前に、同じく戦闘準備を終えた狩人達が姿を現したのである。

 驚くマウマウらに、彼らを代表してシエロが告げた。


 私達も一緒に戦わせて――男衆のみならず、武器の扱いに長けた女衆、なかには“魔法”の心得がある人々も加わっている。

 戸惑い、一度は危険から断ろうとした二人に、それでも里の人々は強く食い下がったのだ。


 知らず知らずのうちに、マウマウとニンバムは里の人々の心を動かしていたのだろう。

 二人にとっては忌まわしき過去への“復讐劇”のつもりだったのだが、それでも脅威に立ち向かおうとするその姿が、彼らの凍り付いていた心を少しずつかし始めていたのだ。


 もうこれ以上、彼らの“覚悟”を疑ったりなどしない。

 マウマウは嬉しそうに笑い、ダビィに返した。


「こんな大勢の狩人さん達がついてくれるんだから、ありがたいよぉ。いざとなったら、頼りにしてるね!」

「へへっ。まぁ、お嬢ちゃん程の戦力にはなんねえかもしれねえがな。けれど、足手まといになるつもりはねえ。二人は俺らにかまわず、目の前のことに集中してくれりゃあいい」


 ダビィは皺まみれの顔をくしゃりと歪ませ、笑う。

 老いてもなお失われないしたたかな輝きに、こちらまで活力が沸いてくる。


 しばらくの休憩を終え、再び一団は動き始める。

 坂道は終わり、ここから“城”までは平らな道が続く。


 だがしばらく歩いたところで、不意に一同は足を止めてしまった。

 目の前に現れたその“群れ”の姿に、狩人であるシエロ、ダビィが声を上げる。


「そんな……こんなときに……」

「ちぃ、タイミングが悪いったらねえぜ」


 目の前に立ちはだかったのは、かつてマウマウも相手取った白銀の毛並みを持つ狼・ホワイトウルフの群れだった。

 ざっと数えただけでも、8頭がこちらをねめつけている。

 その美しい白の毛並みの上に、鮮やかな“朱の紋様”が見えた。


 ただならぬ気配に、ニンバムがゆっくりと杖を持ち上げながら呟く。


「いずれも、“狂獣化バーサク”してますね。山の“マナ”の流れが無理矢理に捻じ曲げられた影響でしょうか」


 シエロも静かに弓を持ち上げ、答える。

 周囲の狩人らも、激突の時に備え緊張した面持ちで武器を手に取っていた。


「ホワイトウルフは、こんな高所にいないはずなのに……これもきっと、山がおかしくなったせいだよ」


 群れから伝わるびりびりとした殺気が、束になって一団を叩く。

 今か今かと両者が激突を待ち構える中、とある一人が――“ねずみ”の獣人が、無遠慮に前に出た。


 突然の事態に、目を丸くするニンバム、シエロ、そして狩人達。

 一方、先頭に立つマウマウは、両腕を下ろしたまま前を見ている。


 明らかな“敵”の登場に、ついにホワイトウルフ達が吼えた。

 そのけたたましい音波に、ありったけの敵意が乗せられ、マウマウの体を叩く。


 鳴り響く咆哮の群れに対し、それでもマウマウは動かない。

 彼女はただ静かに大きく深呼吸し、リラックスしている。


 ちりちりとむずがゆい肌の痛みを、肉体の外から伝わる空気の冷たさを確かに感じながら。

 彼女は静かに目を開き、そして――前を見た。


 その瞬間であった。

 彼女の背後にいた誰しもが、確かに感じたのだ。


 見えない“なにか”が、空間を走る。

 きぃぃんと感覚を震わせた“それ”が、無色透明の大気を震わせ、雪にまみれた野山を駆けた。


 狩人達のみならず、ホワイトウルフの群れもそれを感じ取ったのだろう。

 最初は怯えこそしていたが、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 狼達は何かを悟ったかのように、吼えることをやめて静かに口を閉じた。


 その白狼達に起こった変化に、真っ先にシエロが声を上げる。


「どういうこと……“狂獣化バーサク”が――消えていく?」


 狩人達がざわめき、ニンバムすらもその光景に絶句してしまった。

 なぜか離れた位置にいるホワイトウルフ達の体から、“狂獣化バーサク”を表す赤い紋様が消えていく。

 その禍々しい紋様が消え去ると、狼達は穏やかで優しい眼差しを取り戻し、静かにこちらを見つめていた。


 この山で長らく暮らす狩人達も、初めて見る現象だった。

 たまらずシエロは、隣に立つニンバムに問いかける。


「ね、ねえ。あれも“魔法”かなにか? マウマウも、“魔法”が使えるの?」


 だが、ニンバムは冷や汗を流しながら、首を横に振る。

 いまだにその手には、長い樫の木の杖が握られたままであった。


「いいえ。彼女は“魔法”なんて使っていません。“マナ”の流れも変わっていない。彼女は――何もしていないんです」


 その意味するところが、ニンバムにすら分からない。

 マウマウは正真正銘、ただ静かに立ち、前を向いて狼達と対峙していただけだ。

 

 だが、先程の“あれ”は――戸惑う一同の隣で、老獪な狩人・ダビィが唸る。


「いやぁ、とんでもねえな。あの嬢ちゃん……いつの間に、あんな芸当ができるようになったんだ?」


 たまらず、ニンバムとシエロは彼の横顔を見つめた。

 ダビィも白いあごひげを撫でながら、戦慄した表情を浮かべている。


「どういうことですか? なにか、ご存じで?」

「いやぁ、俺も確証があるわけじゃあねえんだ。ただ、あの嬢ちゃんはきっと、狼達の“殺気”を受け止めて、そのまま受け流しちまったんじゃあねえかな」


 なんとも抽象的な言い回しだったが、それでも二人は真剣にダビィの言葉に耳を傾ける。

 シエロが弓を下ろしながら、恐る恐る問いかけた。


「“殺気”を受け流す……そ、そんなことできるものなの?」

「普通は無理だよ。けれど、さっきのあれはそうとしか思えねえ。あの嬢ちゃん、向かってくる“敵意”に反発せず、全部自分の体で受け止めた上で、まっさらに消し去っちまったんだ。それがきっと、狼達にも伝わったんだろうよ」


 改めて、ニンバムはホワイトウルフ達を見つめる。

 狼達の肉体に巡る“マナ”の流れが、つい先程とは明らかに違っていた。


 刺々しく、無秩序で険しい色をしていたそれが、今では穏やかな“清流”のように変化している。

 ダビィの言うように、マウマウは狼達が放った“敵意”を正面から受け止め、その全てを無に帰すことで、彼らの“狂獣化バーサク”を解いてしまった。


 そんなことが、できるというのか――ニンバムらが戦慄する中、なんとマウマウはさらに狼達に近寄っていく。

 目の前の一頭に躊躇ちゅうちょすることなく接近し、その頭を撫でた。


 狩人らにとって、信じられない光景だった。

 獰猛で人と決して交わらないはずのホワイトウルフが、まるで飼いならされた犬のように大人しく、目の前の彼女に従っている。


 目を細めて甲高い声を上げるホワイトウルフに、マウマウは笑った。


「いい子だね。そんな、イライラしてても楽しくないよ? 外は寒いから、お家に帰ってな」


 その一言を契機に、ホワイトウルフ達が散っていく。

 狩人らにとって浮世離れしたその光景に、一団の足は完全に止まってしまっていた。


 混乱する人々のなかで、ニンバムだけはマウマウをじっと見つめていた。

 離れた位置に立ち笑う彼女の姿を、改めて眺め、考える。


 肉体に宿した“怨嗟”を吐き出し、ありったけをぶつけ、そして敗北し――その戦いが、明らかに彼女を変えた。

 感情の炎のみで動こうとする彼女の肉体から、余分なものを削ぎ落したのだろう。


 身軽になり、心が自由に躍動できるようになった彼女だからこそ、できた芸当だったのかもしれない。

 他者の“敵意”に立ち向かうのではなく、それを受け止め、咀嚼そしゃくし、そして消し去る。

 姿形こそ変わらないが、それでも一回りも、二回りも大きくなったマウマウの姿に、ついには肩の力が抜けた。


 一団の先頭に立った彼女は、こちらに向けてにっこりと笑う。

 そして、軽く拳を持ち上げて堂々と告げた。


「よっし、じゃあ行こっか! いよいよ決戦だから、気ぃ引き締めていこう!」


 そのあっけらかんとした姿に、全員の緊張の糸が緩む。

 だがしばらくして、鼓舞された一団から力強い声がいくつも上がった。


 そんな彼女の姿を見て、ニンバム、シエロは改めて思う。

 不思議な人だ――二人は互いの顔を見合わせ、そして思わず苦笑してしまった。


 マウマウの歩き出す音に、無数の足音が続いていく。

 雪をかき分けながら、一同の心中で“決戦”に向けての熱がたぎり始めていた。

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