第19話 “生きる”ための理由

 目を覚ましてすぐ、室内に小刻みに響く乾いた音に気付き、マウマウは体を起こした。

 部屋の中央で焚き火を囲むように、見覚えのある大小二つの影が座っている。

 マウマウは笑顔を浮かべながら、彼らに向けて声をかけた。


「おはよお~。早起きだねえ、二人共ぉ」


 間の抜けた彼女の声に、“山羊やぎ”の獣人・ニンバムと、この小屋の主である狩人の少女・シエロが振り向く。

 二人共が手を止め、笑顔で応えた。


「おはようございます、マウマウさん。早起きも何も、もうお昼前ですよ?」


 苦笑するニンバムに対し、「ええっ?」と驚くマウマウ。

 その声を追うように、腹の奥から「くぅ」というしまらない音が響いた。


 慌てて腹部を押さえるマウマウを見て、シエロがくすくすと笑う。

 少女は作業の手を止め、すくと立ち上がった。


「随分と良く寝てたね。朝ごはんとってあるから、持ってくるね」


 戸惑うマウマウを待たずに、シエロはどこか嬉しそうに台所へと向かう。

 その小さな背中を追っていたマウマウの横顔に、ニンバムは柔らかい眼差しを向けていた。


「もう随分、怪我も落ち着いたみたいですね」

「え……ああ、うん。もう、なんともないよ!」

「良かった、毎日調合していた薬が効いたみたいですね。けれどそもそも、マウマウさんの回復力にも驚いてしまいます。あれからまだ、五日しか経ってないっていうのに、そこまで持ち直すとは」

「ニンバムが“魔法”で治療してくれたおかげだよぉ。まだかさぶたとかは残ってるけど、痛みもないし絶好調!」


 マウマウは笑いながらグルグルと肩を回す。

 その姿を見て、ニンバムも「本当に良かった」と笑みを浮かべた。


 再び彼は手元の書物に視線を戻したが、マウマウも彼の隣にあぐらをかきつつ、その紙面を覗き込む。

 ニンバムの隣には大小さまざまな書物が、うず高く積まれていた。


「相変わらず、ずっと本読んでるんだねぇ。あれから、何か分かった?」

「ええ。明確な答えではないんですが、なんとなく確信めいたものはあります。奴が――あの“魔女”に隠された謎の答えが、少しずつですが見えてきましたよ」


 マウマウが「へえ」と声を上げるなか、ニンバムは音を立ててページをめくった。


 ニンバムがその“推測”――否、限りなく“答え”に近い事実に辿り着いたのは、つい先日。

 大敗を喫してから数日、二人は狩人の里でひたすらに快復に努め、そしてそのさなかで例の“氷の魔女”ことイシスの突破口を探り続けていた。

 ニンバムは村の長に頼み込み、この里に残っている数々の“古文書”や“伝記”をかき集め、それらを頼りにイシスに抱いた“違和感”の正体へと近付いていく。


 なぜあの時、彼女は“死ななかった”のか。

 おぼろげではあるものの、その答えが二人のなかには見えつつあったのだ。


 積み上げられた書物の束をマウマウがつついていると、シエロが大きめの木の椀と干し肉を持ってきた。

 狩人特性の薬粥と、マウマウが先日仕留めた“白氷熊ツンドラベア”の肉である。

 どうやらまだまだ、あの熊の肉はふんだんに備蓄されているらしい。

 

 シエロから遅めの朝食を手渡され、マウマウは礼を言って受け取る。

 少女はにっこりと微笑んだ後、再び焚き火の側に腰かけ、自身の“作業”を再開した。


 シエロはかたわらに置かれていたとある“鉱石”をハンマーで砕き割り、その破片から手頃な物を取り上げる。

 選別したそれを、今度はやすりを使って丁寧に削り、磨き上げていった。

 そうして造られた無数の尖った物体――“やじり”の束を、黙々と革袋の中に詰めていく。


 明らかな“戦い”への備えに、マウマウは食事に手を付けず問いかけた。


「シエロ、本当に明日――一緒に行くの?」


 その一言で、ニンバムもピクリと反応した。

 少女も一瞬手を止めたが、それでも彼女は力強く笑う。


「うん。昨日、言った通りだよ。明日――今度は、私も一緒に行く。ほんの少しだけでも、二人のお手伝いがしたいんだ」

「そっかぁ。でも、その……」

「分かってるんだ。私なんて、二人に比べたら全然弱っちいし、できることだって限られてる。あの“氷の魔女”を相手に、手も足も出ないんだろうなって」


 どこか言い淀むマウマウに代わり、あえてシエロは本音を口にした。

 だが少女のその表情に、今までのような怯えや弱々しい色はない。


 この数日――マウマウとニンバムが狩人の里に現れてからのほんのわずかな時間で、幼い狩人は様々な事を考えたのだろう。

 山にたった一人で“冬”をもたらした災厄に会おうとする旅人二人を前に、少女は様々な葛藤を経て、今この場にいる。


 戻ってきた二人が、満身創痍のままそれでも“再戦”を誓ったあの時、小さな体の中に灯った“熱”を今でも覚えている。

 それを確かめるように、シエロは丁寧に鉱石を研磨しながら吐露した。


「正直ね、最初は二人の事、“変な人”って馬鹿にしてたんだ。わざわざこんな山まで来て、あの“魔女”に自分から会いに行くなんて、自殺行為だって。だからきっと、二人はあの日、帰ってこないんだろうって思ってた。それこそ、私の両親と――父ちゃんや母ちゃんみたいに、殺されちゃうんだろうって」


 微かにシエロの眼差しが潤む。

 その瞳の表面で、焚き火の輝きがゆらゆらと踊っていた。


 ニンバムはしっかりと彼女を見つめ、問いかける。


「あなたのご両親は、あの“魔女”に殺されたのですね」

「うん。二人共、この里では凄腕の狩人だったんだ。けれどあの日――“魔女”がやってきた日、他の狩人達と一緒に戦って、何もできないまま粉々にされちゃった。もう、骨すら残ってないんだよ」


 きっとそれが、シエロがあの“魔女”の存在を過敏なまでに遠ざけようとしていた、理由だったのだろう。

 少女にとって“魔女”は、“冬”だけでなく、確実なる“死”を運んでくる災厄そのものなのだ。


「皆、自分の気持ちを誤魔化しながら、毎日生きてきたんだ。雪と氷にまみれた世界がどんなに苦しくても、大人しく細々と暮らしてれば、死なずに済むって。けれど、二人を見ていた思ったの。きっとそれじゃあ、駄目なんだって」


 力強く研磨された鏃が、がりりと音を立てた。

 大きく削れ飛んだ鉱石の粉が、焚き火を受けてキラキラと輝く。


「きっとこのままじゃあ、私達は“生きていく”ことはできないんだって思う。寒さに耐えながら、震えながら過ごすだけじゃあ駄目なの。私達は本当は、もっと早く――戦って、奪い返さなきゃあいけなかったんだ」


 少女の独白を、マウマウとニンバムは黙って聞いていた。

 マウマウも食事を手元に置きながら、その眼差しはじいっと少女の横顔を見つめる。


 シエロはようやく視線を持ち上げ、二人を眺める。

 幼く、けれどどこかぶれない“芯”の宿った眼差しで、“獣人”達に告げた。


「『“生きたい”んじゃあない。“生きる”という意志は捨てるな』――父ちゃんがいつも言ってた言葉なの。父ちゃんの父ちゃん……もっともっと古い“狩人”達が伝えてきた、教えなんだ。私は二人を見て、“生きたい”って思った。もうこれ以上、寒さに怯える日々は嫌なんだ」


 思いや決意で、全てを変えられるなど思ってはいない。

 だがそれでも、少女はとにかく“なにか”をしたかった。

 自分が受け継いできた“狩人”という力を使い、再びあの城へと赴こうとする二人に対し、少しでも力添えをしたかったのである。


 彼女の思いを、もはや二人は否定などしない。

 マウマウは薬粥をずずとすすり、口の中に広がる苦味に目を閉じる。

 もうすっかり慣れてしまったその独特の風味を頼りに、意識を研ぎ澄まし前を向きなおした。


「そっかぁ。シエロのお父さんとお母さんは、大事なことを教えてくれてたんだねぇ。狩人の技や知恵だけじゃなくって、きっと生きてくための“心”をくれたんだ」


 マウマウの言葉がどこか意外だったのか、少しだけシエロが目を丸くする。

 だがやがて、彼女は嬉しそうに微笑み、こくりと頷いた。


 幼くとも戦う意志を捨てない彼女に、ニンバムも笑う。


「それだけの強い思いを、無碍むげになどできませんね。明日は頼りにさせていただきます。なにせ我々は余所者よそもの――この山について詳しい皆さんがいないと、あの城にすら辿り着けない素人二人ですから」


 わざと自身を卑下するニンバムに、シエロはまた少し笑い、強く頷いた。

 彼女は出来上がった鏃の束を袋に詰め、それを担いで立ち上がる。


「だから、しっかりと準備しないとね。これ、長の所に持っていってくるよ」


 少女は外套を着こみ、愛用の弓を携えて小屋から出ていく。

 開け放たれた扉の向こうに見えた雪原の輝きに、今日は快晴なのだと悟った。


 小屋の中に取り残されたマウマウとニンバムはしばし黙していたが、やがてマウマウががぶりと干し肉に食らいつき、咀嚼そしゃくしながら声を上げる。


「本当に、しっかりした子だよねぇ。こりゃあ明日は、ますます負けるわけにはいかないなぁ。頑張らないとね!」


 嬉しそうに笑いながら、マウマウは一気に肉をかじり取り、薬粥で流し込んでいく。

 どこかはしゃぎながら食事に興じる彼女の姿に、思わずニンバムがクスリと笑ってしまった。

 その賢人の笑みに、口元を拭きながらマウマウが首を傾げる。


「どうしたの、ニンバム?」

「あ、いえ、失敬。その……本当に、変わった方だなぁって」


 マウマウは少しきょとんとしながら、「私が?」と自身を指差す。

 ニンバムは書に手を乗せたまま、目の前で驚いている彼女を見つめた。


「初めてなんです。僕の“あの姿”を見て、こんな風に変わらず接してくれる方は」

「あの姿……ああ、あのでっかくなった時の事?」


 ニンバムは「ええ」と頷く。

 言わずもがなそれは、ニンバムが“魔女”との戦いの中で見せたあの“暴走状態”のことだ。


 ニンバムが父・ヴァドスによって無理矢理に仕込まれた、忌むべき術式――人ならざる姿を与えられた代償に、その肉体に植え付けられた禁呪の影響である。

 曰く、その力はニンバムの感情がたかぶり、肉体が消耗した際に制御が利かなくなってしまう。

 今までも度々、ニンバムは己の力を“暴走”させ、何かを壊し、時には誰かを傷付けてきた。


 思えばあの時――初めてこの山でニンバムを見つけた際、彼の周りでは“狼”が死んでいた。

 あれは山で遭難しかけ、疲弊しきったニンバムが“暴走”し、襲い来る野生動物達をずたずたに切り裂いた結果だったのである。


 そんな事実は、この数日でもう何度もマウマウとも話していた。

 だというのに、彼女は初めて出会った時から今まで、ニンバムとの接し方を変える気配はない。


 その“変わらない姿”こそが、ニンバムにはなんだか不思議でならないのである。


「普通の人は、怖がりますからね。こんな“化け物”がいるんです。もしかしたらまた、僕は力を“暴走”させるかもしれない。そうなれば、すぐそばにいる人を傷付けてしまうかもしれませんから」

「そうだねぇ。でも、ニンバムはちゃんと、自分をコントロールだって出来たでしょう? 私達が谷底にいた時、そのおかげで抜け出せたしさ」

「それは、そうですが……ただその……“あの姿”を見て、怖がらないのが不思議で」


 ニンバム自身、再び“暴走”した際に己を保ち続けられる自信はない。

 もしかすれば今度こそ、マウマウや他の誰かに取り返しのつかない傷を負わせてしまうのではと、いつだって内心、恐れ続けていた。


 そんな“賢人”の不安を、あくまで痛快な笑顔で堂々と、マウマウは否定してみせる。


「見た目は確かにいかつかったからねぇ。でも、何度だって言うけど、ニンバムはニンバムだよ。格好がどうだろうが、大きかろうが小さかろうが、そんなんでニンバムが一人の“人間”だってことは変わらないから。だったら、怖くなんてないよ」


 相変わらずそれは、理論とすら呼べない稚拙ちせつな思想だったのだろう。

 だがそれでいて、やはり彼女の言葉は真っすぐ、正面からニンバムの心を打ち付ける。

 目の前で笑うこの“ねずみ”の姿を持つ彼女は、心の底からそう思っているのだと理解できる。


 戸惑うニンバムにマウマウは近付き、拳で軽くその胸を叩いた。

 鈍い感触にニンバムが「えっ」と驚く中、すぐ目の前にマウマウの痛快な笑顔が浮かんでいる。


「もっと自信持ちなよぉ。私、ニンバムには感謝してるんだからさ」

「感謝……ぼ、僕にですか?」

「うん! だって、ニンバムがいなかったらきっと、私はこうして戻ってこれなかったんだからね。それに、私も分かったんだ。私がずっと大事にしてきた気持ちじゃあ――“恨み”じゃあ、奴には勝てないって」


 ニンバムが「えっ」と驚く中、今度は焚き火を見つめたままマウマウがその心中を吐露し始める。


「あいつに故郷を奪われた怒りを、いつだって忘れたことはなかったよ。だから、どんな辛い修練だって耐えてこれたんだ。でもそのたびに、“お師匠様”に見抜かれて、怒られた。お前の拳には“邪念”が強すぎる――って」

「お師匠様……“魔拳”・ヨヨ様ですね」

「うん! “邪念”でもなんでも、それで強くなれるんなら、構わないって思ってたんだ。だからあいつとぶつかった時、ようやくその全部を解き放つことができたの。けど、お師匠様の言う通り、そんな程度の“力”じゃあ奴にはとどかなかったんだよね」


 マウマウはすくと立ち上がり、自身の右拳を目の前で握る。

 いまだ包帯が巻かれたそれは、きりりと微かな音を立てた。


「全力でやって、全て吐き出して、跳ね返されて――そうして一回、“空っぽ”になったことで、なんだか分かった気がするんだよ。さっきシエロが言った通り、何かに“生かされる”んじゃあ、駄目なんだって。今までの私は、自分の体を“恨み”に明け渡して、暴れようとしてただけ。でもそれじゃあ――きっと、何も変えられないままなんだ」


 前を向く彼女の眼差しは、ただひたすらに強い。

 それに呼応したかのように焚き火が強さを増し、バキリとまきが砕けた。

 

 凛と立つマウマウに、ニンバムはどこか不思議そうに問いかける。

 その先に待つ、彼女の“答え”にどこか期待しながら。


「それじゃあ、あなたは――マウマウはさんは、何を“糧”に戦うつもりですか?」

「やられたことは、忘れないよ。家族を奪われたことも、故郷を消されたことも、全部覚えている。その上で、しっかりと思うんだ。あいつを止めなきゃいけない理由。恨み辛みよりもっと強い、すっごくシンプルな理由を」


 マウマウがようやく、ニンバムを見る。

 二人の視線が交わる中、自然体で立つ“拳士”は堂々と言い放った。


「誰かに与えられた“冬”なんていらない。あいつがこれからも誰かを奪うんなら、そんなものは絶対に許せない。あいつが自分勝手な理由で人を傷付けるんなら、私だってとことん――自分勝手な理由でそれを“守る”」


 また一つ、ぱちりと火花が跳ねる。

 きっとそれは、言葉を受け止めたニンバムの心の揺らぎを代弁していたのかもしれない。


 この数日で、強くなったのはシエロだけではない。

 一度は叩き潰され、死地から舞い戻ったことで、彼女もまた覚醒したのだ。


 立ち向かうだけの真っ当な理由を――かつては“怨嗟えんさ”でしか語ることのできなかった、あの城に赴くそのわけを。


 この里にいまや、誰一人として戦わない理由を持つ人間はいない。

 焚き火を囲んだまま、二人はただ力強く互いに向けて頷いた。


 明日になれば、このほのかな暖かさも、温もりもない極寒が待っている。

 再び赴くであろう死地を前に、確かに細胞の奥底が震えていた。


 だがそれでも、その決断を後悔などしない。

 前を向きなおした二人の“獣”が、異なった形の“力”を宿したまま、不敵な笑みを浮かべていた。

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