第18話 二匹の“負けず嫌い”
狩人達が獲得した獣達の肉は、何かあった時の“保存食”として基本的には燻製肉などに変えられる。
このため、里の食事は基本的には質素なものが多いのだが、せめて少しでもバラエティに富んだ食事を――という配慮から、有志が集って“集会所”の一角を借り、ささやかな食堂を運営していた。
食事をしながら、あるいは酒を酌み交わしながら人々が談笑する場なのだが、今日だけは大勢の人だかりができ、ただならぬ熱気が周囲に渦巻いている。
また一つ、ガチャリと音を立てて大皿が積み重なった。
空になった皿を見て、周囲の男衆が「まじかよ」、「まだいけるのか」などと声を潜める。
一方、隣のテーブルでも一枚皿が積み重なり、女衆が「すごぉい」などと黄色い声を上げていた。
テーブルに座る二人の“獣人”――ニンバムとマウマウは、目の前に並べられた数々の料理を凄まじい速度で平らげていく。
マウマウの食べ方は豪快で、肉を骨ごと雑にかじり取り、ぼりぼりと音を立てて
かたやニンバムはというと、手先こそ丁寧ではあったが、目につく食材を片っ端から口に放り込んでいく勢いは負けていない。
まだ包帯が所々に巻かれた体で、それでも二人は一向にペースを落とさず食事を続けていく。
「うん、うんうんうん、いけるいける。やっぱ独特の臭みはあるけど、全然オッケー! 脂身の所もなかなかどうして」
「マウマウさん、こっちの“コーネリア草”と合わせて食べると、臭みが消えますよ。マイルドになってイケます」
「おっ、まじで――うおお、本当だ!! ニンバムは食べ方も詳しいんだねぇ!」
「恐縮です。あ、その“ボムレタス”の種、取っておいてくださいね。後で薬用に使えますんで」
マイペースに会話をしながら、一向に二人の手が止まることはない。
凄まじい勢いで料理を注文し、それを片っ端から平らげてみせる。
食べ続けること20分――ようやくひと段落したのか、二人は椅子にもたれかかり「あぁ~」と声を上げていた。
積み重なった大小の皿の山を見て、狩人や里の住人達が目を丸くしている。
なかにはたまらず拍手を送る者までいた。
腹をぱんぱんに膨らませた二人の元に、無数の小さな緑の玉――“リーリア産・芽キャベツ”の素揚げを運んできたシエロが、唖然として立ち尽くしてしまう。
「す、すごいね……二人共、お腹、大丈夫なの?」
大皿を置いた少女に、マウマウはにっこりと歯を見せて笑う。
「いやぁ、大満足だよぉ。でも、もう少しいけそうかなぁ。まだまだ、血が足りないよ」
「そ、そうなんだ……本当、驚いちゃうよ。あれだけ大怪我を負ってたのに、もうこんなに食べられるなんて」
マウマウとニンバムの傷は、まだまだ完治したとは言い難い。
特にマウマウに至っては、数々の薬と“治癒魔法”の力で復活したとはいえ、痛々しい傷跡が全身に残っているはずなのだ。
だというのに、常人離れした凄まじい胃袋を見せつけた二人に、シエロはもちろん、食堂に居合わせた誰もが言葉を失ってしまう。
最初でこそ数名が遠巻きに見ているだけだったが、ただならぬ事態に自然と人足が増え、大事になってしまったのだ。
椅子に座り皿を見上げるシエロの背後から、エプロンを身に着けた大柄な男性が現れる。
この食堂を切り盛りする大男・パトリックが肩を揺らして笑った。
「本当、びっくりだねえ! 注文を受けた時は『まさか』って思ってたんだけど、本当に全部平らげちゃうなんて、驚きだよぉ!」
豪快に笑う男に、ニンバムは口元を拭きながら頭を下げる。
「凄く美味しかったです。でも、食べておいてなんですが……良かったんでしょうか。食材だって、限りがあるでしょう?」
「いやぁ、気にしなくっていいよ! なにせ、そっちのお姉ちゃんが倒してくれた“
にっこりと笑うパトリックに、マウマウは目を丸くして声を上げた。
「へえ、これってあの熊さんの肉なの? こんなに美味しくなるんだねえ」
「普通は、“
マウマウが「ほええ~」と声を上げる。
大男の隣に座るシエロが、すかさず補足してくれた。
「パトリックは、元々は王国の給仕長をしてた凄い人なんだよ。だから、色々な国の料理を知ってるんだ」
「そうだったんだねぇ。じゃあ、この料理も“王国の味”ってやつなのかな?」
マウマウの純粋な一言に、パトリックは肩を揺らして笑う。
「そんな、たいそれたもんじゃあないさ。ただ、お二人があの“魔女”と戦ったっていうんで、どうしても腕を振るいたくなっちゃってね」
どこか意味深な言い回しに、マウマウとニンバムは首を傾げる。
不思議そうに見つめる二人を前に、パトリックは腕を組みながら続けた。
「僕は元々、ここからもっと東――昔、栄えてた『アーデヒルド』って土地の出身なんだ。わけあって、今はこうしてこのリーリアの里で暮らしてるけどね」
彼の放った言葉に、いち早く反応したのは賢人・ニンバムである。
どこか驚いたように、“
「『アーデヒルド』……確か、“水鏡の国”と呼ばれた美しい大国ですね。ですが確か、あの国は――」
「ああ。僕の生まれ故郷は、あの“魔女”の手で滅ぼされたんだ。今では一面、氷に覆われた白一色の建物が並んでいるだけだよ」
告げられた事実に、思わず二人は息をのむ。
彼の経歴を知っていたはずのシエロすら、どこか口元をきゅっと強く結んでいた。
「故郷を奪われて、命からがらこのリーリアに逃げてきたんだけど、まさかここにまであの“魔女”が来るとは思わなかったんだ。奴の影におびえながら暮らしてた所に、君達みたいな勇敢な旅人が現れたと聞いて、気になってたんだよ。僕にできるのは料理を作ることくらいだけど、せめて何か力になりたくって」
「そうだったんですね……けれど、すみません。僕らはどうやら、期待に応えられなかったようです。あの“魔女”を退けるどころか、ボロボロになって舞い戻って、皆さんのお手を煩わせてしまいました」
「そんな、自分を
豪快に笑うパトリックのその姿が、二人にはどこか切なくてならない。
彼もまた、“氷の魔女”に大事な物を奪われた一人だったのである。
その事実を聞き、マウマウが思わず拳を握り、机の上を睨みつけていた。
空皿の並ぶ光景のその奥に、あの憎き“魔女”の顔を思い描く。
「くっそぉ、悔しいなぁ。こちとら、全力を出したはずだってのに、全く敵わなかった……この日のために、お師匠様の“しごき”にも耐えてきたってのにさぁ」
マウマウとて、中途半端な気持ちで立ち向かったつもりはない。
幼い頃、故郷と家族を奪われた恨みを、片時も忘れたことなどなかった。
長年にわたる“怨嗟”を、ありったけ拳に乗せて叩き込んだつもりだったのだ。
だが、結果は知っての通り、“惨敗”とも呼べる酷いものだった。
その事実が、いまだにマウマウの心中に残り、胸を締め付けている。
しかし、一方でニンバムは同様に前を向き、「ふぅ」とため息をつく。
彼は空になった皿の一つを見つめ、隣に座るマウマウに向けて告げた。
「あの時――二人の全力を受け止めた奴は、随分と余裕でしたね。けれどなんだか、妙な“違和感”があったように思うんです」
マウマウだけでなく、すぐそばにいたシエロも「えっ?」と目を丸くする。
パトリックは混み入った話になることを悟り、大人しく厨房へと戻っていった。
いまだに観衆が遠巻きに眺めている中で、マウマウ、ニンバム、そしてシエロが並んで座り、力をぶつけ合ったあの魔女――イシスについて語りあう。
「違和感、かぁ。なんだろう。妙に若作りしてたところ?」
「いや、そういう見た目とかじゃあなくてですね……マウマウさんのお話では、僕が“暴走”した後――暴れまわる中で、奴にも何発か攻撃を命中させることができた――たしか、そうでしたよね?」
唐突に問いかけられ、マウマウは少し首を傾げる。
だが、戦った当時のことを思い返しながら、彼に答えた。
「うん、そうだねぇ。ニンバムが凄い力で殴ったから、とんでもないことになってたよぉ。色んな所に穴開いてたし、首も変な角度に向いちゃってたしねぇ」
おおよそそれは、食事の場でするような会話ではなかったのだろう。
隣の席に座っていた狩人がげんなりした顔をしたため、マウマウが「あっ、失礼!」と頭を下げた。
その事実を受け止め、ニンバムは「ふむ」と顎に手を当てて唸る。
「彼女は――イシスは凄まじい“
「そうだねぇ。言われてみれば、なんであんなひどい状態で平気だったんだろう? 首なんて本当、ぶらんぶらんになってて――あ……またまた、ごめん!」
またもや気分を害したであろう隣の席の男性に、マウマウが慌てて頭を下げる。
シエロはそのやり取りにどこか苦笑してしまったが、ニンバムは至って真面目に続けた。
「加えて、僕は戦いの際に彼女の“
「へえ、そんなのが見えるの? ニンバム、便利な目ぇ持ってるね」
「そういう“術式”があるんですよ。生まれつきじゃあありません」
苦笑するニンバムだったが、たまらず隣に座るシエロが問いかける。
「“氷”の力、かぁ……なんだか、いかにもあいつらしいって感じだけど、それがどうかしたの?」
「ええ。確かに、彼女は攻撃や防御に“氷魔法”を多用していた。どれも高度で難解な術式でしたが、それを無詠唱で使いこなすあたり、さすがということでしょう。ただ一方で、どうにもそこも妙なんです」
マウマウとシエロにとって、“魔法”関連の知識はさっぱりだ。
二人は互いの顔を見合わせ、大人しくニンバムに向き直る。
ニンバムは痛々しい敗北の記憶の中に見えた、わずかな“違和感”を辿った。
「そもそも、“氷魔法”というのはその“
「へえ、そうなんだぁ。じゃあ、あのイシスって奴は、“回復魔法”が苦手ってこと?」
「ええ、そう思います。ただ、先程もお話にあったように、彼女は明らかに常人離れした耐久力を見せている。体に穴が開いたり、首がへし折れるような大きな損傷を負いながら、動いてみせた。となれば、なにか高度な“回復魔法”を使っているとしか、考えられないんです。ただ、そうなると彼女が“氷”の“
こと“魔法”において無知な二人も、にわかに理解し始めていた。
シエロがここで、再び純朴な眼差しで問いかける。
「じゃあ例えば、別の魔法――“氷”以外の術式を使ったってことじゃあないの?」
「それならば、彼女の体に“氷”以外の“
ニンバムはコップに注がれた液体――狩人特性の薬膳茶をごくりと飲み込み、のどを潤す。
この独特の苦味も、もはや今となっては懐かしさすら感じられる。
「いくら彼女が大魔法使いだといっても、この世界の“理”までを捻じ曲げることはできないはず。であれば、その矛盾点にこそ、まだ僕らが辿り着けていない“謎”が隠されているように思うんですよ」
「謎、かぁ……じゃあもし、それを解き明かせることができたら――」
マウマウの言葉に、ニンバムはこくりと静かに頷いた。
“山羊”の瞳からは、まだまだ力強さは失われていない。
「“完璧”なんてものは、この世界にはありません。どんな術を使おうが、禁断の秘術を駆使しようが――結局それは、誰かが作った“仕組み”の上に成り立っている。“魔法”にだって例外はない。この世界に“不思議”なものなんて、なにもないんです」
狩人達にとって、あの城の主――“氷の魔女”・イシスは、“不思議”の塊のような存在なのだろう。
無尽蔵にも思える膨大な“
そんな天変地異のような存在に怯えながら、今でもリーリアの人々は細々と暮らしている。
その奇々怪々なる存在を相手に、ニンバムは力強く言い放った。
不思議なものは、なにもない――と。
その言葉が、すぐ隣にいるマウマウ、そしてこちらを見上げていたシエロの胸を打つ。
なぜだか力強く響いたそれに、マウマウが呼応した。
「“完璧”はない、かぁ。なんだか怒りに支配されてて、そんな風に冷静に見てられなかったなぁ。やっぱり私なんかと違って、ニンバムは賢いんだねぇ」
「こんなのは全部、“本”の受け売りですよ。けれど、“完璧”なものがあるとすれば、それは“神”だけです。氷の城にいる彼女は、そんなたいそれたものじゃあない。彼女は間違いなく、どこかが欠けた“人間”なんですから。手痛く負けましたけど、だからこそそれが良く分かりました」
もし、山頂に布陣するあの存在が“神”だとすれば、マウマウやニンバムはこうして生還などできなかったかもしれない。
それどころか、この里も、この世界もとうの昔に“白銀”だけの虚無に変えられていたかもしれないのだ。
確証はまだない。
だがそれでも、ニンバムの諦めないその姿勢に、マウマウも背中を押される。
マウマウは目の前の大皿――シエロが運んできた“芽キャベツ”の素揚げを手に取り、眺めた。
「そうだよね。きっとまだまだ、私達じゃあ見えない“なにか”があるだけなんだ。だからきっと――絶対に、あいつを止める方法がある。でしょう?」
マウマウに問いかけられ、ニンバムはしっかりと頷く。
彼とて、その方法は分かっていない。
だがそれでも、もはや“諦める”という道だけは、選ぶつもりはないのだろう。
マウマウを蘇らせたあの時、すでに彼の心は決まったのだ。
二人のやり取りを見ていたシエロが、たまらず問いかける。
少女もどこか拳に力を込めながら、目の前の“獣人”達が向かおうとする先に、思いを馳せていた。
「二人は……諦めてないんだね? またあいつと――“氷の魔女”と戦うの?」
これに答えたのは、“
彼女は手にした芽キャベツを口に放り込み、むしゃむしゃと咀嚼しながら頷く。
「私、格闘士として出来はいまいちだけど、それでも“諦め”だけは悪いんだよね。ぼこぼこにされて退散できるほど、お利口じゃあないんだぁ。お師匠様が言ってたから、間違いないよ!」
彼女のマイペースな返答に、シエロは肩の力が抜ける。
だがニンバムも目の前の芽キャベツを手に取り、口に含みながら続いた。
「ここで“終わり”にしてしまったら、今までのままです。この里の人……それに、あいつに全てを奪われた多くの人が、前を向くことはできない。第一――なにかが解き明かせないまま諦めるのは、“
それは賢人らしからぬ、どうにも感情的な一言だった。
だが、だからこそそれが、彼の包み隠さない“本音”なのだと理解できる。
再び前に進もうとする二人の姿に、シエロの鼓動が加速していく。
今でも無謀だと思うし、心のどこかで無理だとも思っている。
だがそれでも、“再戦”に向かおうとする二人を前に、なぜだか妙に胸が高鳴るのだ。
自身の拳を握りしめながら、前を向く。
この人達なら、もしかしたら――そんな思いを胸に前を向くが、飛び込んできた光景に唖然としてしまった。
マウマウとニンバムは、ゆっくり、着実に目の前の“芽キャベツの素揚げ”を口へ運び始めていた。
どうやら休憩が終わったようで、二人は再び“栄養補給”を再開してしまったのである。
「これ、いけるね。キャベツなのに」
「そうですね。これ、素揚げって言ってましたけど、本当に揚げただけでしょうか?」
「いやぁ、きっと何か隠し味があるって。めっちゃ香ばしいじゃんか、これ」
「ですよね。もう一皿注文しましょうか」
なんともマイペースな二人の食事姿に、シエロは肩の力が抜けてしまう。
だがそれでも、先程から胸の奥で力強く燃え滾る、一つの“想い”だけは消えない。
ボロボロになりながらも再点火した二人の心の灯火が、シエロにも伝搬し、熱を滾らせる。
少女は生まれて初めて、“闘志”というものの荒々しい熱に、小さな体を震わせていた。
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