第17話 再生

 また一人、屈強な肉体を持つ狩人の男性が、慌ただしく小屋の中に入ってくる。

 担いでいた革袋をどさりと床に置くと、表面に張り付いていた粉雪が音を立てて石床に落ちた。


 彼は焚き火の前で必死に薬研やげんを操る、“山羊やぎ”の獣人に声をかける。


「おう、頼まれてた“月包石”だ。言われた通り、できるだけ雑味のない中心部分だけ削ってきた」


 男の言葉に、獣人の男性は――ニンバムは振り返り、笑いながら頭を下げた。


「ありがとうございます。助かります!」


 顔を上げた彼の頬から、ぱたたと汗が滴り落ちた。

 包帯にまみれ、いまだなお傷口が閉じ切らない状態だというのに、ニンバムは一心不乱に製薬道具を使いこなしている。

 さしもの狩人も、そのどこか異様な気迫にたじろいでしまった。


 朝からひっきりなしに、集落の狩人達がこの小屋に出入りしている。

 狩人達を束ねる狩猟長・ダビィの号令を受け、各々が依頼された品々を朝一番で採取しに奔走していた。


 ものの1時間ちょっとで、ニンバムが想定していた全てが小屋に揃う。

 黄色く輝く“月包石”に、青い葉と白い筋を持つ“ザンビアの葉”。

 赤紫に染まった“リコルスの実”や、すりこぎに山盛りになった“煤砂ミミズ”の山。


 ニンバムの手伝いをしていた少女・シエロが、小さく刻んだ“ザンビアの葉”の束をニンバムに渡す。


「はい、これ。これでひとまず、全部だよ」

「ありがとうございます。これだけあれば、十分です」

「でも、本当にこれ使うの? その葉っぱ、有名な“毒草”だよ?」


 “ザンビアの葉”は、シエロら狩人にとっては有名だ。

 この山岳地帯に群生し、雪の下ですら繁殖する強い生命力を持っている。

 その上で、葉から染み出した液に触れるだけで、肉体に強く毒が作用する厄介者だ。


 布に包んだそれを、ニンバムは慎重に受け取りながら笑う。


「ええ、問題ないです。この山岳地帯には季節を通して、この草が生えていると聞きました。文献に間違いがなくて良かったですよ」

「そう……け、けど、本当にこんなことで――マウマウを治せるの?」


 無粋だとは分かっていても、どうしてもシエロは確認したくなってしまう。

 二人の視線が、小屋の壁際に寝かされたままの“ねずみ”の獣人に向けられた。


 今もなお、マウマウは眠ったまま目を覚まさない。

 改めて確認しても、その肉体は衰弱し、肌は張りを失っている。

 呼吸もどこか弱く、近付かなければ息の音はとても聞こえない。


 その弱々しい姿に、どうしても気持ちが焦る。

 だがニンバムは額の汗をぬぐい、どこか強い眼差しのまま前を見た。


「僕にも確証はありません。けれど、材料自体は揃っているはずなんです。これだけあれば、あとは配合次第――準備ができたら、すぐにでも“治療”にかかります」


 言うや否や、ニンバムは再び薬研に向き直り、軽くいぶしたミミズの束を擦り潰していく。

 シエロだけでなく、壁際で見ていたダビィやその他の狩人も、彼の成そうとしていることがまるで理解できずにいた。


 切り刻み、擦り潰した“材料”を並べ、適切に分量を取っていく。

 ひとしきりの準備を終え、ニンバムは新たな依頼を狩人達に告げる。


「皆さん、次は治療のための“場”を作ります。お手数おかけしますが、よろしくお願いします!」


 声に背中を叩かれ、慌てて一同は動く。

 男連中の力を借り、小屋の中に次々に道具が運び込まれた。


 木製の大きなテーブルの上に麻布を引き、そこにニンバムが実と土を混ぜ合わせた練り物――特殊な赤い“染め薬”を使い、指で乱雑に紋様を書いていく。

 その異様だが、どこか鮮やかな手つきに、思わずシエロが覗き込んだ。


 しばらくの後に、ニンバムは布の上に“それ”を描き上げた。

 全体像を見たシエロが、思わず口走る。


「これって――“魔法陣”?」

「はい。即席ですが、なんとかなりました。“染め薬”が足りて良かったです」


 描かれている文字や紋様の意味はさっぱりだが、一瞬で描かれたミステリアスな陣の姿に、狩人達も言葉を失っていた。

 続けてニンバムは狩人らに、布の上にマウマウを運ぶように依頼する。


 ニンバムは杖を携え、立ち上がった。

 寝かされたマウマウの正面に立ち、大きく深呼吸する。


 狩人らが離れて見守る中、やはり最も近くに立つシエロが、不安げに問いかけてしまった。


「いよいよ、やるんだね。本当に……こんな方法で?」


 ニンバムはまた一つ、深呼吸を終えた後、穏やかな顔で笑う。

 どこか緊張しているようだったが、それでも丁寧に、柔らかく答えてくれた。


「皆さんの懸念されているように、ここには“毒薬”も多く含まれてます。けれど、“毒”は時にして“薬”にもなる――“リコルスの実”を土に練り込めば、“マナ”の伝導率が高くなるので、それを“魔法陣”の導線に使いました」

「そんな使い方が? 初めて聞くよ……」

「それに、“煤砂ミミズ”と純度の高い“月包石”の粉末は、水で繋ぎ合わせれば肉体を活性化させる劇薬になります。ただし、これでは今のマウマウさんの肉体には強すぎる。ですので、“ザンビアの葉”の持つ毒性――特に、この葉が持つ“麻痺毒”の力で、薬の効果を的確な範囲に抑え込みます」


 流れるような説明に、シエロは唖然としてしまう。

 どれもこれも狩人達にとっては初耳な活用法で、周囲で遠巻きに見ている面々も、ざわめき始めた。


 言葉を失うシエロから、ニンバムは視線をマウマウに戻す。

 彼は杖を両手で構え、意識を研ぎ澄ました。


「ですが、そうはいっても実にこの薬法は不安定……ですから、ここからは僕の“魔法”でマウマウさんの肉体を調整し、薬効を最大限に引き出します」

「で、でも……あなただって、まだ傷が治ってないんだよ? それなのに――!」


 シエロはいまだ包帯を全身に巻かれたままの、ニンバムに声を上げた。

 だが、やはり“山羊”は優しく笑い、汗すら拭かずに笑う。


 不安や迷いは、彼の瞳にはまだ残っている。

 だがそれでも、それらの“負”がかすむほどの強い輝きが、中心で渦巻いていた。


 確信はない。

 もしかしたら、ニンバムが蓄えてきた知識のどこかに、致命的な“欠け”がある場合だってある。

 よしんばそれが正しかったとしても、これから行う“施術”の力加減を誤れば、逆にマウマウの肉体にとてつもない負荷をかけることすらあり得るのだ。


 その恐怖が、今もしっかりとニンバムのすぐそばでささやき続けている。

 余計なことをするな、と。

 無駄なことをせず黙っていろ、と。


 その明確な輪郭を持つ“恐怖”を、ニンバムは決して否定などしない。


「お気遣い、ありがとうございます。おっしゃる通り、僕の肉体だって完全とは言い難い。もしかしたら、僕の方が先に倒れる可能性だって否定はできない」


 その一言に、シエロが息をのむ。

 だがそれでも、ニンバムの目に宿った輝きに反論することができなかった。


「けれど、ここで何もしなければ、確実に彼女は――マウマウさんは死んでしまう。彼女を救うにはもう、一か八かのこの“賭け”をものにするしかないんです。それに――」


 シエロが思わず、「それに」と繰り返す。

 ニンバムは視線を倒れている“彼女”に向け、続きを告げる。


「僕だってただ、無惨に散るつもりなんてありません。助けてみせます。そうしないと、マウマウさんにまた叱られる。もうこれ以上――勝手に“終わり”だなんて、言いたくないんです」


 力強い言葉だった。

 ニンバムの肉体から放たれる“気”に圧され、ついにシエロも壁際へと退避する。


 狩人達だけでなく、集落で暮らす住人達までもが小屋に集まり始めた。

 群衆が取り囲む中、“魔法陣”の上に寝かされたマウマウに向かって、ゆっくりとニンバムは近付く。


 自身が煎じた“特効薬”を、ゆっくりとマウマウの口に近づけた。

 だがそれを流し込む寸前に、一瞬だけその手が止まってしまう。


 間近で目を閉じている“彼女”を見て、一度だけ強く奥歯を噛みしめた。


 あの笑顔が忘れられない。

 短い間だけでも、共に歩んでくれた際に見せてくれたあの屈託のない笑みの数々が、今もしっかりと網膜に焼き付いている。


 その“記憶”を、このまま“思い出”などにしたくなかった。

 彼女の命が消えていくのを、ただただ見送ることなどできない。


 やはり耳元で、“恐怖”が囁く。

 その感情が聡明な脳髄を無理矢理に駆動させ、無数の“いいわけ”を全身にばらまいた。


 その数多あまたの止まる理由を、全身に刻まれた“痛み”を頼りに振り払う。


 ニンバムはまだ、痛みを感じられる。

 たとえ辛くても、彼はまだこうして生きている。


 ならばなおさら、彼は――その生きているわずかな時間でも、自分自身にできることをやりたい。


 意を決し、マウマウの口に“薬”を流し込むニンバム。

 彼女がわずかにそれを飲み込んだことを確認し、すぐにまた立ち上がる。


 ニンバムは杖を構え、その時を待つ。

 固唾かたずを飲んで狩人達が見守る中、すぐにマウマウの肉体に変化が現れた。


 彼女は歯を食いしばり、苦しそうに体をのけぞらせた。

 流れ込んできた“劇薬”が内側から肉体をかきむしり、心臓を無理矢理、走らせる。


 数名の口元から、短い悲鳴が上がった。

 だが、ニンバムの肉体が光を放ち始めたことで、そちらに目を奪われる。


 全身の痛みを否定せず、ありったけ抱きしめながら――ニンバムは唱える。


『偉大なる大地の母と、荘厳なる空の父よ――』


 閉め切ったはずの室内に、どうという音と共に風が巻き起こる。

 ニンバムが纏う光――“マナ”が生み出す魔力の輝きが、どんどんと強さを増す。


 高速で巡り、飛び交うその光の粒に、シエロやダビィ、周囲で見つめる観衆が声を上げた。


 なおも力を込め、ニンバムは唱える。

 ぎしぎしと骨が痛み、傷が開き血が溢れようとも、決してひるまず。


『世界を旅しはしる風と、乾き潤い巡る雨よ――』


 どうと突風が走り、小屋が揺れる。

 数名がその衝撃に怯み、膝をついてしまった。


 苦しそうに歯を食いしばるマウマウを見ても、ニンバムは焦らない。

 気持ちを押さえこみ、歯を食いしばって意識を集中する。


なんじらの元に芽吹きし命を、闇より出でて輝き、稀なる光で照らせ――!』


 ついにニンバムは、杖の切っ先をマウマウに向けた。

 瞬間、先端から伸びた光がマウマウの肉体へと流れ込み、二人を繋げる。


 なおもマウマウは、肉体に走る激痛に何度も痙攣をおこしていた。

 その痛々しい姿に、シエロは目を背けてしまいそうになる。


 それはニンバムとて、同じ気持ちだった。

 だがそれでもなお、“賢人”は前を向く。


 ばしりと音を立てて、目の端の毛細血管が裂ける。

 眼の端から血をほとばしらせ、ニンバムは突き進む。


 “マナ”によって自身とマウマウの“魂”を繋ぎ、力を注ぎ込む。

 “劇薬”の毒性のみを魔力によって遮断し、そのうちの薬効だけを肉体内部で活性化させた。


 身動きこそ取らなかったが、それでもニンバムの肉体の内部で、壮絶な“マナ”のコントロールが始まっていた。

 少しでも油断すれば魔力の流れが乱れ、その度に予想外の負荷が互いの肉体に襲い掛かる。


 マウマウ、ニンバム、それぞれの肉体が時折激痛に跳ね、裂傷が開き血が吹き上がる。

 その度に悲鳴が上がるが、それでもニンバムは術式を続けた。


 目がかすみ、呼吸がうまくできない。

 指の感覚が消え、もはや立っているのも精いっぱいだ。


 だがそれでも、ニンバムは止まらない。

 歯を痛いほどに食いしばり、汗と血が風で宙に浮きあがる中、凄まじい形相で前を向く。


 みすぼらしくても、構わない。

 たとえその必死な姿を“獣”だと揶揄されても、結構だ。


 もう、痛みなどに逃げたりしない。

 目の前に眠る彼女はきっと、自分よりももっとずっと――痛かったのだから。


 奥歯が砕けるなら、砕ければいい。

 四肢が折れ曲がるなら、折れ曲がればいい。

 そんな代償で彼女が救えるなら、安いものだとすら思う。


 全身全霊をかけて魔力を流し込み、光の渦の中でニンバムはただ強く、願った。


 帰ってこい――閃光が小屋の中を白に染め上げ、どうんという音と共に空気が鼓動した。

 その一瞬の出来事に観衆が押し倒され、製薬道具や窓が砕け飛んだ。


 混乱、悲鳴、怒号、そして――光。

 

 それらが過ぎ去った後に残っていたのは、ボロボロになった部屋と、その中央に変わらず寝るマウマウ。

 そして、杖を構えたまま血だらけで呼吸を繰り返す、ニンバムだった。


 身を引いていたシエロが、再び一歩を踏み出し近寄る。

 先程まで暴れまわっていた“彼女”の肉体は、今ではすっかり静けさを取り戻していた。


 肩で息をしていたニンバムが、ついに耐え切れず片膝をついた。

 全身を貫く痛みに、もはや立っているのがやっとである。


 焼け焦げたような匂いが、そこら中に漂っていた。

 その中を一歩踏み込み、シエロは手を伸ばしながら“賢人”の名を呼ぼうとする。


 だが、一同の耳を震わしたのは――“くぅ”という奇妙な音色だった。


 シエロが足を止め、ダビィが目を見開き、狩人達が動きを止める。

 至近距離でそれを耳にしたニンバムも、杖を両手で握ったまましばらく、動けずにいた。


 また一つ、“ぐぅう”と何かが鳴る。


 恐る恐る、ゆっくりとニンバムは立ち上がり、前を向く。

 眠っていた彼女が目を閉じたまま――苦しそうに唸った。


「ん~……んんん? んん……」


 苦しそうに顔を歪めるマウマウ。

 その反応に誰しもが彼女の顔を覗き込み、見守った。


 ニンバムが顔を近付ける。

 そのすぐ目の前で、ついに――彼女は目を開いた。


「ん……あれ……ニンバム……?」


 そこら中から、息をのむ音が聞こえた。

 シエロもたまらず、大きく一歩、近付く。


 ニンバムは意識を取り戻した彼女に、いまだ信じられないといった様子で微かに震えていた。

 そんな感情の入り乱れる静かな小屋の中に、決定的な一つの“音”が響く。


 ――ぐうううううううううう。


 誰しもが目を丸くし、驚く。

 その力強く大気を震わせた音色の正体を、すぐに皆が察した。


 特大の“腹の音”を響かせ、マウマウは苦しそうに唸り声を上げる。


「なんだこれ……口の中、にっが……てか――腹……減ったなぁ……」


 その予想外の展開に、狩人達は肩の力が抜けてしまう。

 だが一方で、先頭で彼女の側に立つ“彼”だけは、そんな間の抜けた一言を受けてなお、身を微かに震わせてしまった。


 言葉が出てこない。

 だがどれだけ目がかすもうとも、すぐ間近でこちらを見上げる、彼女の名を呼んだ。


「――マウマウ……さん……」


 なぜ、ニンバムが目を潤ませているのか。

 なぜ、自分がこんなところに寝かされているのか。

 今のマウマウは、それらの何一つを知らない。


 また一つ、無遠慮な腹の音が“ぐぎゅううう”と鳴り響く。

 緊張の糸が緩み切った小屋の中で、それでも彼女が戻ってきたことを察し、シエロやダビィ、狩人の里の面々もようやく心を震わしていた。


 息を震わせ、必死に涙をこらえるニンバムに、マウマウはあっけらかんと言ってのける。


「ごめん、なんだか……随分長い間、寝ちゃってたみたい……おはよう――ニンバム」


 肉を裂かれ、骨を砕かれ、血を失い――それでもなお、やはり目の前の彼女の笑顔は変わらない。

 底抜けに明るく、どこまでも無邪気なその笑みに、ニンバムは必死に笑顔で応える。


 全身を覆う痛みや、朦朧とする意識を押し、それでも“山羊”は一言だけ告げた。


「おはよう、ございます――マウマウさん」


 耐え切れなくなった涙が、ぼたぼたと音を立てて落ちる。

 その熱い雫がマウマウの胸元に垂れ、じんわりと肌へと染み込んでいく。


 不格好な姿を謝るニンバムに、それでもなおマウマウは嫌な顔一つせず、ただ不思議そうに笑っていた。

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