第12話 闘士の猛襲と、賢人の焔
ニンバムが杖を構え終えた時には、すでに二人は至近距離にまで近付いていた。
一蹴りで跳躍したマウマウは、すでに愛用の武器である「セスタス」を装着し、拳を引き絞っている。
対し、宙に浮かぶ魔女・イシスはというと、まるで緊張することもなく向かってくる“一匹”を優雅に見据えていた。
戦慄するニンバムの目の前で、もはや迷うことなくマウマウが動く。
彼女の肩から先が一瞬、消えてしまったかのように錯覚し、次の瞬間には“ガァン”というどこか甲高く、乾いた音が響いた。
三人共が目を見開く。
マウマウは手先に伝わった感触に。
ニンバムは放たれた一撃の結果に。
そして、イシスはあまりにも早かったその拳に。
各々が驚いたまま、その一瞬の攻防を見届けていた。
凄まじい速度で放たれたマウマウの右拳は、空中で止まっている。
イシスにそれが届く寸前で突如、空中に現れた“氷”の壁が彼女の一撃を受け止めてしまった。
衝撃全てを殺すことはできなかったようで、美しい氷の表面に無数のひびが奔っている。
困惑するマウマウに、氷越しに魔女は笑った。
「あらあら、驚いたわねぇ。見かけによらず、すばしっこい“ドブネズミ”さんだこと」
マウマウは氷を蹴り飛ばし、その反動で一旦距離を取った。
着地し身構えたが、その拳を見たニンバムが思わず、彼女の名を叫ぶ。
マウマウもすぐに、自身の肉体に起こった変化に気付いてしまった。
一撃を加えたマウマウの拳が、氷で覆われている。
握りしめたセスタスごと氷が拳と腕を伝い、がっちりと固定してしまっている。
あの一瞬でやられた――マウマウとニンバムが同時に気付く中、魔女・イシスはなおも
「それ、あんまり動かさないほうが良いわよぉ。なにせ、変に衝撃を与えたら骨まで粉々になっちゃうからねぇ。片腕がなくなっちゃうと、きっと不便よぉ」
おぞましい事実をけらけらと笑いながら告げるその姿に、ニンバムは歯噛みしてしまう。
一方、鉄兜を被ったマウマウは感情の波を殺し、あくまで冷徹に前を向いていた。
彼女はまるで怖じることなく、心の奥底に湧き上がる“復讐心”を原動力に再び動く。
「右拳、凍結。機能性は失われたが、攻防における戦闘力の低下は微小。引き続き、殲滅を続行――」
瞬間、またもマウマウは地面を蹴って加速した。
ニンバムは慌てて彼女の姿を探したが、やはりその軌道を見切ることは叶わない。
再び、“ズガン”という乾いた音が部屋を揺らす。
顔を持ち上げると、すでにマウマウは空中のイシスに到達し、なんと今度は背後に回り込んで首元へ蹴り込んでいた。
しかし、その一撃すらやはり氷の壁が生成され、それを挟み込むことで受け止められてしまった。
イシスが「やれやれ」と面倒くさそうに振り向くが、崩れ去った氷の向こう側にはすでにマウマウはいない。
どこか彼女が目を丸くした瞬間、再度、“ズガン”という轟音が鼓膜を揺らす。
離れた位置から俯瞰で見ているニンバムが、絶句してしまっていた。
一撃を叩き込んだマウマウは、そのまま高速移動で地面を経由し、なんとイシスの背後に再度回り込んで攻撃を加えていたのである。
マウマウはそれからも、圧倒的な体術でイシスを叩き続けた。
もはや一発一発の音が重なり、イシスの周囲の空間がいたるところで鳴動している。
氷の壁が次々砕け、辛うじてマウマウがそこを叩いたという事のみを知らせてくれた。
杖を構えたまま呆気に取られてしまうニンバムだったが、それでもある二つの凄まじい点に気付いてしまう。
空間を駆け巡るマウマウの右拳は、いまだに凍り付いたままだ。
だが一方で、イシス目掛けて打ち込んでいる左拳や両足は、氷に覆われてはいない。
なんと彼女は一撃が食い止められた際、イシスの魔力が肉体を凍り付かせる前に、素早く身を引くことで無理矢理、凍結を回避し続けている。
そしてそんなマウマウに対し、イシスは指一つ動かすことなく、あくまで空中に腰かけるような姿勢で優雅に浮かんでいる。
そんな彼女の周囲を、おびただしい量の“魔力”――すなわち“マナ”が流動していることを、ニンバムの目はしっかりと捉えていた。
術式すら使っていないにも関わらず、“自動防御”とも呼べるような凄まじい魔法で、イシスは己の身を守り続けている。
二つの怪物の攻防に、ニンバムは入る隙を見つけられない。
打撃の音が何十発も駆け抜け、そのたびに氷の壁が生まれ、砕け、宙を舞う。
いつの間にか部屋の空間に、キラキラと光る無数の“ダイヤモンドダスト”が漂い始めていた。
マウマウが地面に着地するが、イシスはその一瞬を見逃さず、ついに動く。
「どうやら、ただの馬鹿なお嬢ちゃんってわけじゃあ、なさそうねえ。でも、あなたみたいなやかましい小娘、あいにく大っ嫌いなのよねぇ」
マウマウが再び飛び出すべく、脚に力を込める。
しかし、ほぼ同時にイシスは人差し指を持ち上げ、それを“くんっ”と曲げてみせた。
瞬間、マウマウは本能で“危機”に気付く。
彼女が慌てて飛び退くと、先程まで立っていた地面から鋭い氷柱が突き出した。
その一撃にニンバムまでも息をのむが、イシスはなおも指先を軽く、どこか面倒くさそうに動かす。
二人が立っていた部屋が――“氷の城”自体が、牙を剥いた。
部屋の床、壁の至る所から、マウマウ目掛けて氷の“棘”が飛び出し、襲い掛かる。
槍のように研ぎ澄まされたそれは、一撃でも喰らえば確実に肉体に大穴が開くだろう。
まるで生き物のように追いかけて来るその刺突の数々を、マウマウはとにかくかわし続けた。
右へ左へ、飛び跳ね、走り、時には拳や蹴りで砕き割り――右拳が使えない状況でもなお、マウマウの勢いはまるで衰えない。
部屋中を駆け巡る彼女の姿を見て、ついにイシスは大声で笑い始めた。
「すごぉい、随分と身軽なのねえ! これに耐えられる人間なんて、そういないのよぉ?」
まるでそれは、大道芸の動物を見て楽しんでいるような、まるで緊張感のない笑みであった。
誰かを確実に殺そうとしながらも、それでいてイシスには罪の意識や、
巨大な氷の棘を回し蹴りで砕き割り、マウマウは突破した。
彼女はくるくると回転して着地し、構え直す。
しかし、再び駆け出そうとしたその足が、なにかに引っ張られてしまう。
がくりと体勢を崩し、マウマウは足元を見て絶句した。
着地した両足を、無数の小さな“手”が掴んでいる。
一つ一つは他愛のない氷細工のようだが、それが幾重にも重なってマウマウの両足にしがみついているのだ。
しまった――一瞬の隙に歯噛みし、マウマウは視線を持ち上げる。
すでにイシスが巨大な“つらら”を空中に生み出し、それをこちらに目掛けて発射して来ていた。
足は使えない。
避けるということができない以上、マウマウは向かってくるその巨大なつららを迎撃する構えを見せた。
「全長約3メートル強、幅4~50センチ。直撃は容認できない。両拳による正面からん打撃によって撃ち落とす」
淡々と、冷静に呟くマウマウだったが、その頬をつうと汗が伝っていた。
いまだに動かない氷漬けの腕で、向かってくる柱のようなそれを砕き割れる自信が、湧いてこない。
心を殺したはずの彼女に、ほんの微かな“揺らぎ”が生まれていた。
一方、魔女はまるで心に“揺らぎ”などは見せず、指を動かしてつららを加速させる。
ドリルのように螺旋回転しながら、それは瞬く間にマウマウへと到達した。
小さな拳と巨大な柱がぶつかる寸前、ようやく“魔法使い”がそこに追いつく。
ニンバムが杖を一振りし、マウマウの眼前に凄まじい火柱を生み出した。
ごうと熱い突風が奔り、おびただしい紅蓮が視界を覆う。
巨大なつららは一瞬で蒸発してしまい、生み出された熱波によって床の氷まで解け始めていた。
突然の一撃に、イシスは「あら」と目を丸くする。
一方、火柱の勢いに負け、マウマウは後方に尻もちをついてしまった。
熱い突風で、彼女の頭部の鉄兜が脱げ、ガチャリと地面を跳ねてしまう。
「――あっつうう!!?」
スイッチが切れてしまったのか、マウマウは感情豊かな声を上げる。
一方、彼女の拳や足をからめとっていた氷も熱波で溶け、身動きが取れるようになっていた。
魔女・イシスは、手足が動くことに驚くマウマウではなく、一瞬にして城の中に“熱”を生んで見せた、“
その視線を受け止め、杖を突いたままニンバムが強い眼差しを向けていた。
イシスは「ふぅん」と値踏みしながら、眼下の彼に告げる。
「あなた、少しは魔法の心得があるみたいねぇ。見た目に反して、随分とお利口なのね?」
「恐縮です。なにせ随分と、独学で学びましたので」
ニンバムは柔らかに返しているが、その顔はまるで笑ってなどいない。
杖を強く握りしめたまま、頭上の彼女を睨みつけている。
彼がマウマウを助けたのは、もちろん共に歩んできた彼女を守るためでもある。
だがそれ以上に、ニンバムはある一つの感情に突き動かされていた。
マウマウが再び飛び掛かるため兜に手をかけたが、それを察したニンバムが杖を持ち上げることで“待った”をかけた。
まさかの合図にマウマウが「えっ」と驚くが、ニンバムはあくまでイシスを見つめている。
どうして――その理由をマウマウが問いかける前に、ニンバムは氷の魔女目掛けて、言葉を叩きつけていた。
「我々はどちらにせよ、激突は避けられないのでしょう。ですが少しだけ、お話を聞かせてはくれませんか? なにせ僕は、そのためにここまでやってきたのです」
「お話ぃ? 一体、何が知りたいっていうのか知らねえ。そこの“ドブネズミ”みたいに、今まで壊してきた町のことでも思い出してほしいのかしらね?」
けらけらと笑うイシスに、マウマウは歯を食いしばる。
すぐにでも飛び掛かりたかったが、ニンバムはなおも強く、凛とした眼差しで前を向いていた。
「いえ。あなたにお聞きしたいのは、あなたがかつてお知り合いだった、ある“魔法使い”についてです」
思いがけない一言に、マウマウもまたニンバムの横顔を見つめた。
彼が何を言いたいのか、まるで想像ができない。
ニンバムの言葉を受け、イシスはわざとらしく首を傾げてみせた。
「“魔法使い”ねぇ。それだって、もう何人も潰してきたから、いちいち顔なんて覚えてないわよぉ。なにせ、私ってばものすごぉ~く“モテた”からねぇ」
「そうですか。けれど、そんなあなたでも、さすがに覚えているんではないでしょうかね? “黒の災厄”と呼ばれた彼を――ヴァドス=アーズレンのことは」
その名前を出した瞬間、確かにイシスの笑みが少しだけ、揺らいだ。
二人のやり取りを見つめていたマウマウも、聞き覚えのある名前の登場に息をのんでしまった。
確かそれは、昨日、キャンプをしていた際にニンバムが語っていた男の名だ。
イシスのように凄まじい力を持つが故、様々な大罪を犯した魔法使いは数多く存在する。
その中でも、特に人の道を大きく踏み外し、“黒の災厄”とまで呼ばれた忌み人が存在した。
ヴァドス=アーズレン――“力”に憑りつかれ、魔法実験のために人体実験を行った狂人だ。
探求心の虜となり、“家族”すらその材料としたと聞いている。
なぜそんな男の名が、この場で登場するのか。
状況の理解できないマウマウの前で、ニンバムは一歩を踏み出す。
彼の肉体から、今までにないほどの気迫が溢れ出ていた。
その太い指が、オーク材の杖を強く、痛いほどに握りしめている。
マウマウがそうであったように、ニンバムもまた、ここまで歩んできた理由を言い放つ。
頭上に浮かび、なおも悠然と立ち振る舞う大罪人に向けて。
「僕は――あなたが、“彼”から奪った物について、知りたいんです。彼が遺した数々の“秘術”。その一つを、あなたから聞き出すため、ここまでやってきました」
語られた理由に、息をのむマウマウ。
一方、“氷の魔女”はなおも揺らぐことなどなく、微笑を浮かべたままニンバムの姿を見下ろしていた。
空中に浮かび、氷の粒子が煌めくその中央に座したまま。
どこまでも我を曲げないその姿を、ニンバムは凄まじい熱を瞳に宿し、ただただ睨みつけていた。
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