第11話 開戦

 一歩、恐る恐る踏み込んだ足の裏に、冷たさは伝わってこなかった。

 マウマウがサンダル越しに確かめていたが、予想だにしなかった感触に目を丸くしている。

 

 渓谷をまたぐように作り上げられた巨大な“氷の橋”が、目的地へとたどり着いたマウマウとニンバムを待ち構えていた。

 二人はその入り口に立ち、肩を並べて彼方の城を見上げる。

 

 改めて、その巨大さと美しさにため息がもれた。

 壁や屋根には一切の継ぎ目がなく、欄干や窓に施された鮮やかな彫刻ですら、ひとつながりの氷塊によって作られたものだと分かる。

 壮大なガラス細工のようなそれを見て、マウマウがまずは声を上げた。

 

「すっごいなあ。これ全部、魔法で作り上げたのかなあ?」

 

 その隣で、杖をついたままニンバムが答えた。

 

「そうみたいですね。材質は間違いなく氷ですが、ほとんど温度を感じないのは、魔法で生み出され“ことわり”を捻じ曲げられているためでしょう。そこら中から、おびただしい量の魔力があふれて滞留たいりゅうしていますね」

 

 魔法使いであるニンバムには、美しい城の表面に漂う力の流れがしっかりと見えていた。

 冷たさこそ伝わってはこないが、肌の表面をピリピリと嫌な感覚が撫で付ける。

 

 何がきっかけになったわけでもなく、二人は進み始めた。

 幅の広い橋の上を悠然と、並んで歩いていく。

 あたりはしんと静まり返っており、自分達以外の気配は感じられない。


 橋を渡り終えると、城の正面扉へとたどり着いた。

 見上げる程に巨大な氷作りのそれが、近付いただけで“ごうん”と音を立て、勝手に開き始めてしまう。

 

 その大きな音と振動に、足を止めてしまうマウマウとニンバム。

 ひとりでに開いた扉の先には、これまた一切合切が氷で作り上げられた城内の様子が見て取れた。


 出迎える者はいない。

 マウマウは卓越した聴覚や嗅覚で、ニンバムは魔力の揺らぎを感知し、互いに周囲を警戒する。


 しかし、まるで気配はない。

 マウマウは視線をきょろきょろと走らせながら、微かに全身に力を込めていた。


「どういうことだろうね、これ。歓迎されてるのかなぁ?」

「どうでしょうね。少なくとも、あの“番兵”を撃破したことはばれているでしょうから、すんなりと受け入れてくれるとも思い難いのですが……」


 それは昨日、中腹で二人が撃破したあの“氷の大鳥”のことを指していた。

 番兵もとい“番鳥”を力ずくでねじ伏せた二人を、“城主”が堂々と招き入れるとは考えにくい。


 だが、待てど暮らせど、何かが起こることはなかった。

 開け放たれたそれは、まるで巨大な怪物の“口”のようで、二人を飲み込もうとなにかが擬態して待ち構えているようだ。


 緊張からぴりぴりと肌が刺激される中、ニンバムは「ふむ」と唸る。


「ですが、特に何事もなく入れるというならば、それに越したことはありません。ここは一つ、“誘い”に乗ってみるのが良いかもしれませんね」


 その提案に、マウマウは「おおー」と声を上げた。

 こんな状況でも、彼女の呑気な波長は変わることはない。


「それってあれだね、“おけつに入らないと”って奴だね。怖がってばかりじゃあ、なにも変わらないしねえ。よし、行こう行こう!」


 勝手に納得し、ずんずんと進んでいくマウマウ。

 一方、ニンバムはその弾む背中を見つめ、少しだけ苦笑してしまった。


 虎穴こけつに入らずんば虎子こじを得ず、ですかね――その独特な間違え方に肩の力を抜きつつ、ニンバムもマウマウを追った。


 二人が部屋の広大さに息をのんでいると、背後でまたもや音を立ててひとりでに扉が閉まり始めてしまう。

 思わず振り返って眺めてしまったが、扉が閉まりきると同時に、部屋全体に声が響いた。


「あらぁ。なんだか随分と、みすぼらしいのがやってきたわねえ」


 息をのみ、二人は再び視線を前方に向けた。

 二人の遥か頭上――彼方の天窓の前から、“彼女”はこちらを見下ろしている。


 差し込む光を背負い、そのシルエットのみが浮かび上がる。

 だが、暗い影の存在となってもなお、“彼女”の瞳だけが蒼く光を放ち、冷たくこちらを見つめていた。


 瞬間、浮かんでいたその姿がぐんと加速し、落ちてくる。

 マウマウとニンバムの頭上近くに迫ると、肉体にかかっていた重力は向きを変え、まるでの木の葉のようにふわふわと自由な軌道を描き、やがて静止してしまった。


 “彼女”は――この城の“主”は間近で二人を見下ろし、宙に浮いたまま顎に手を当てて唸る。


「あら、やだぁ。なにかと思ったら、“獣人”じゃなあい? どおりで“臭う”と思ったのよねえ」


 堂々と放たれた侮辱の言葉にたじろぎはしたが、それでもマウマウとニンバムは黙ったまま顔を持ち上げている。

 けらけらと笑う彼女の顔を、二人は笑み一つ浮かべずに睨みつけた。

 

 真っ白な、それこそ“雪”のように透き通った肌を持つ、美しい女性であった。

 白い胸元や肩先が露出した薄手のドレスを身に纏い、所々に“氷”で作り上げた腕輪やネックレスで着飾っている。

 まとめ上げた髪もこれまた白一色で、癖のあるそれは髪留めすら使っていないにも関わらず、まるで“竜巻”のようにうねり、上へと螺旋を描いていた。

 

 長く白いまつ毛の下にある瞳が、静かに二人を値踏みしている。

 蒼く光る視線を受け止めながら、マウマウとニンバムは同時に悟った。


 彼女こそが、この氷の城に住まう唯一の人間。

 この城を作り上げ、この野山に終わらない“冬”を持ってきた、張本人。


 見た目こそ、華奢きゃしゃな人間の女性だ。

 しかし、言葉を交わさずとも、確かめずとも伝わってくるものがある。


 まるで、人間と対峙している気がしない――今まで感じなかったはずの“寒さ”が、急にまとわりついてくる。

 マウマウとニンバムの体の奥にそれが滑り込み、じわりじわりと心臓まで這いあがってくるようなおぞましい感覚を刷り込んできた。


 もはや、疑いなどしない。

 “彼女”についてことさら詳しく調べ上げてきたニンバムが、頬に汗を伝わせる。

 目の前の女性から伝わる威圧感に負けず、あえて確かめるように問いかけた。


「あなたがここの……この氷の城の、主ですか?」


 空中に浮遊し、まるで椅子に腰かけるように身をたわませたまま、“彼女”は笑った。


「あらあら、見た目は“家畜”のそれだけど、随分と利口そうじゃなあい? でも、なんだか間の抜けた問いだこと。ここまでわざわざ来たんだから、とっくの昔に分かってるんじゃあないかしらあ?」

「これは失敬、なにぶん心配性でしてね。どうしても、はっきりとさせておきたかったんです。あなたが、私達の追い求めていた存在なのか。あなたが――」


 マウマウがニンバムをちらりと横目で見た。

 ニンバムは対峙する“彼女”に押し切られないよう、杖を強く握りしめたまま前を向く。


 誰もが忌避きひすべきその名を、あえて彼は口にした。


「“絶対零度の魔女”――イシス=クレイハーツなのか、を」


 その一言を受けてもなお、“彼女”は笑っていた。

 何かに気付いたかのように、その笑い声は加速し、高らかに響きだす。

 イエスともノーとも答えない彼女のその態度に、二人ははっきりと確信した。


 悪行の数々から名を馳せる“大罪人”。

 過去の蛮行ゆえに多くの者から命を狙われ、それを殲滅してきた稀代の“大魔女”。


 空中から二人を見下ろし、彼女は――イシスは「ふうん」となまめかしく唸った。


「なぁるほど、あなたね。私の作りだした“氷魔鳥アイルーム”を壊しちゃったのは。その身なりと立ち振る舞い……そういうこと。私に深い深ぁ~い、恨み辛みがある誰かさんってことかしらねぇ」


 物騒な事実を口走り、なおもイシスはくすくすと笑っている。

 おおよそ彼女にとって、このような事態は珍しい事でもないのだろう。


 幾度となく命を狙われ、そのたびに相手の命を奪い取ってきたであろう彼女に、なおもニンバムが強く問いかける。


「そんなところです。あなたに色々とお聞きしたいことがあって、ここまで来たのです」

「ふぅん。でも生憎、あなたみたいな獣臭そうな人とのご縁なんて、ないと思うんだけどなぁ~?」

「ええ。あなたとはあくまで初対面です。しかし、ちょっとした遠い“縁”がありましてね」


 ニンバムは終始物腰は柔らかだったが、それでもまるで目は笑っていない。

 はっきりと魔女を睨みつけながら、舌戦を繰り広げている。


「残念ながら、『知らない』などとは言っていただきたくないんです。ここまで来た以上、何が何でも答えていただきたい。はぐらかすようなら、多少、手荒な手段もいとわないつもりです」

「あら、やだぁ、怖ぁ~い! やぁねえ、やっぱり獣って野蛮で嫌いよぉ」


 どれだけ真面目にニンバムが話を進めようとも、まるで意に介さずイシスはのらりくらりとかわしてしまう。

 その態度がしゃくさわるのか、ニンバムは明らかに冷静さを欠き始めていた。


 彼が杖をより強く握り、歯を食いしばる中、唐突に隣に立つマウマウが声を上げる。


「あなたが、イシスなんだね」


 思わず緊張の糸を緩ませ、ニンバムは彼女を見つめた。

 マウマウはどこか茫然としたような表情で、イシスを見上げている。


 それはこれまでニンバムが知り得なかった、初めて見る彼女の横顔だった。


「ねえ。あなたが有名な、“氷の魔女”なの?」

「あら、こっちは随分とガキっぽいわね。“氷の魔女”ねえ――色々と呼ばれてきたけど、その中でも一番センスがなくって、つまんない呼び方よねぇ」


 相変わらずはっきりとした答えではなかったが、それでもその態度から“肯定”されたのだと分かる。

 ふざけた態度のイシスに、マウマウは視線を落とし呟いた。


「そうか。じゃあやっぱり、あなたなんだね」


 ニンバムはマウマウの真意を汲み取れず、どこか不安げにその横顔を見つめてしまう。

 今までの笑みをまるで浮かべることなく、マウマウは再び視線を持ち上げた。


 真っすぐ、頭上で浮遊する“魔女”に彼女は問いかける。

 先程よりも、より強くたぎる“感情”を言葉に乗せて。


「それじゃあ、“ラムジーン”って町のこと、知ってる? ここからずっと西にある、海を渡った先の――」

「あれこれ、わずらわしいわねえ。人の城にずかずかと入り込んでおいて質問攻めなんて、マナーがなっちゃあいないわあ。これだから“獣”って――」

「答えてよ!!」


 突如、声を張り上げたマウマウに、ニンバムまでも息をのんでしまう。

 今まで、一度たりと彼女から感じたことのない激しい“怒気”が、大気を震わせていた。


 マウマウは目を見開き、前を向く。

 その両拳は腰の横で、ぎりぎりと静かに力をたわませていた。


 目を細めこちらを値踏みする魔女・イシスに、マウマウは言葉を叩きつける。


「覚えてない? あなたが今まで“冬”を運んできた町の名前なんて……多すぎて、忘れちゃった?」


 マウマウのその姿に、ここに来るまでに見せていたような気軽さや、楽観的な感情はまるで見えない。

 その彼女らしからぬ姿に、ニンバムは思考を巡らせてしまう。


 ニンバムにも確かにあったように、この“ねずみ”の獣人にもあったはずだ。

 遠路はるばる、こんな危険な場所まで来て、凶悪な“魔女”と対峙するだけの“理由”が。

 

 しかし、一度たりとその理由を聞いたことはない。

 今までの彼女があまりにも快活すぎて、それに踏み込むことすら忘れてしまっていたのだ。


 ただの変わり者だと思っていたマウマウが、明確な意思と感情を乗せ、える。

 その態度と言葉の数々で、ニンバムはにわかに悟ってしまった。


 彼女が“氷の魔女”に会いたかった、その理由を。


「そうだよね、覚えてなんかないよね? どんな街を“壊した”かなんて、あなたは興味ないんだ。あなたのせいで、どれだけの人間が死んだか。あなたのせいで――」


 マウマウの表情が曇る。

 彼女が今日この時まで、必死に内側に押し殺し続けていた感情が、ようやくその顔を覗かせた。


 放たれた辛い事実に、ニンバムは言葉を失う。


「私の故郷が――消えちゃったことなんて」


 ついに耐え切れず、マウマウは視線を落としてしまった。

 その華奢な肉体が、わなわなと震えだす。

 握りしめた拳が痛いほどに引き絞られ、肉と骨がきしんでいた。


 言葉を失うニンバムの前で、なおも“魔女”は笑う。

 マウマウが抱いてきた悲痛な感情を、堂々と、あまりにも非情にあざけて見せた。


「あらあら、そういうことねえ。まぁたしかに、色々な街で“力”を試して遊んでたからねぇ。あいにく、何を壊したかなんていちいち覚えてられないのよぉ。そんな下らないこと覚えてたら、きりがないじゃなぁい?」


 恐ろしいほどに冷徹な笑い声が響く。

 その憎たらしい言い分にニンバムまで歯を食いしばる中、マウマウはあくまで冷静に告げた。


「分かってたんだ。そう言われるんだろうな、ってことくらい。でもせめて、きちんと聞いておきたかったんだ。あなたが、どんな気持ちだったのか。あなたが一体、どんな人間なのかを確かめておきたかった。だから、これで十分――」


 マウマウはうつむいたまま、ゆっくりと首元の“鉄兜”に手をかける。

 彼女はそれを迷うことなく持ち上げ、目を閉じたまま告げた。


 暗闇の中に、今でもはっきりその光景が浮かび上がる。

 白一色に染まった故郷の街。

 全てが静止し、物言わぬ彫像となった人々。


 瓦礫の下に偶然いたことで助かった幼い自分が、這い出た先で見つけた“家族”の像。


 忘れるわけがない。

 あの日、雪が舞う空で笑っていたあの顔を、忘れていいわけがない。


 目の前の彼女と過去のそれが重なり、マウマウは目を見開く。

 ニンバムが静止する間もなく、彼女は吼えた。


 絶え間なく、必死に繋ぎ止め続けていた“復讐”の炎が、マウマウの心臓の奥底で燃え上がる。


「お前はやっぱり――生きてちゃあ、駄目だ!!」


 がしゃり、と音を立ててマウマウは兜をかぶった。

 一気に場の空気が熱を帯び、びりりと肌が痺れる。


 ニンバムが「駄目だっ!」と叫ぶが、マウマウはまるで聞かない。

 頭上の魔女・イシスが目を丸くする中、堂々と彼女は告げた。


「対象を頭上に確認。数は1。初手より全力で破壊を遂行。これより――殲滅開始します」


 瞬間、床を蹴ってマウマウが跳ぶ。

 踏み抜いた氷が砕け散り、キラキラと宙に光をばらまいた。


 ニンバムは息をのみ、慌てて杖を構える。

 だがすでにマウマウは対象の至近距離に到達し、拳を振り上げていた。


 “復讐”に燃える彼女を前にして、なおもイシスは揺らがない。

 まるで新たな“玩具おもちゃ”を前にした子供のように、宙に腰かけたまま、艶めかしくも邪悪な微笑を浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る