第10話 人の歴史

 今夜も外は猛吹雪になっているようで、ボロボロの木戸は時折、ぎしぎしと情けない音を立てていた。

 隙間風と吹雪のうめき声は絶え間なく室内へと流れ込んできたが、二人はそれを特段、気にすることはない。


 床も壁も天井も、全てレンガを組み合わせて作られた小さな“地下壕”の一室で、マウマウとニンバムは小さな焚き火を囲んで夜を過ごしていた。

 火種などまるでないというのに床の上でふつふつと燃え、薄暗く部屋の中を照らす炎を覗き込み、マウマウがため息を漏らす。


「本当に不思議だねえ。“魔法”って、こんな便利なこともできるんだね」


 目をキラキラ輝かせるマウマウに、対面に座るニンバムは「ふふ」と笑った。

 寒がりなのか全身に毛布を纏い、白い体毛を持つ“山羊やぎ”の頭だけがひょっこりと出ている。


「魔法の源である“マナ”は、世界のどこにでもありますからね。こうやってその場に“固着”させるくらいなら、修練を積めば簡単にできますよ」

「ほえ~、そうなんだぁ。いいなぁ。私はそんなのすら、できなかったからなあ」


 マウマウは膝を抱えて座ったまま、どこか残念そうに目を細める。

 感情が分かりやすい様に、ニンバムはまた困ったように笑った。


 二人はあの大鳥――氷の城を守る“番人”との激戦を終え、城への突入まで一泊し体勢を整えることを決めた。

 怪我を負ったというわけではないが、“奥の手”を発動したニンバムの消耗は思った以上に激しく、しばらくは立ち上がる事すらできないほどに衰弱していたのだ。

 万全を期すために一夜を明かせる場所を探したところ、近くに古びた地下壕を発見し、そこを拝借したというわけである。


 ニンバムがかつて言っていたように、この山は以前の大戦で巨大な要塞が建築されていた。

 となれば、今二人がキャンプとして活用しているこの地下壕も、その時分に作り上げられたものの残骸なのだろう。

 薄暗く荒れ放題の一室だったが、吹雪を乗り越え横になることができるだけでも、随分とありがたい。


 がたりとまた一つ、木戸を風が叩く。

 ニンバムは視線を扉へと投げ、どこか申し訳なさそうに告げた。


「本当にすみません。私がもうちょっと、きちんと“魔力”の操作ができていれば、あのまま城まで辿り着けていたのでしょうが……」

「ううん、気にしないで! ニンバムは頑張ってくれたんだもの、きっちり休まないと。第一、ニンバムのおかげで、あの大きな鳥を吹っ飛ばせたんだからさあ」


 有り余る賞賛にどこかニンバムは照れて、視線をそらしてしまう。

 魔力で生み出した焚き火越しに浮かび上がるマウマウの笑顔がひどく眩しく、まだ素直に慣れることができない。


 焚き火の揺らめきと二人の体から染み出した熱が、狭い空間をほんのりと温めていく。

 夕食はマウマウが常備していた干し肉と、ニンバムの持ち合わせていた水というなんとも質素なものになったが、それでも食べた分だけ肉体に活力が宿ってくる。


 大きな犬歯を突き立て、干し肉を荒々しく引きちぎりながらも、マウマウはニンバムに問いかけた。


「ねえねえ。ニンバムはその“魔法”、どこで勉強したの? 魔法学院とかに通ってたの?」

「いえ、そういうわけでは。僕のはどれも“独学”です。幼い頃から本を読むのが好きで、家にあった魔導書の類から学びました」

「へえ、すごい! 勉強熱心なんだねえ。私、本を読むの嫌いだからなぁ。とてもそんなの、無理だよお」


 なかば予想通りの反応に、ニンバムは苦笑してしまう。

 だがニンバムもまた、かつての戦いの時から気になっていたある疑問を、マウマウに自然と投げ返した。


「あなただって“魔法”は使えなくても、あの凄まじい“体術”があるじゃあないですか。僕は体を動かしたり、武器を扱ったりっていうのは、からっきしなんです。あんな凄い動きができて、羨ましいですよ」

「あんなの、私の“お師匠様”に比べたらまだまだだよぉ。“お師匠様”ならあんな鳥、たぶん一発で吹っ飛ばしちゃうだろうからさあ」


 あっけらかんと言ってのけるマウマウに、ニンバムは「ほお」と少し真剣なまなざしを浮かべた。

 以前もちらりとマウマウが口にしていた、その“お師匠様”なる存在が気になっていたのだ。


 ニンバムは自身が抱いた純粋な“探求欲”で、少しずつ目の前で笑う“獣人”の女性に切り込んでいく。


「あなたがそうおっしゃるのなら、きっとその“お師匠様”というのは、凄まじい強さなのですね」

「うんー。“お師匠様”、色々とやっばい経歴ばっかりなんだよ。ドラゴンを蹴り殺しただの、3万の兵を一人で押し返しただの」


 一見それは、どこにでもありそうな荒唐無稽な“ホラ話”にも見えた。

 しかし、ニンバムはどうにもそれを、マウマウという女性が適当にこしらえたものだと決めつけることができない。


 なにせ、もう何度もニンバムは目の当たりにしている。

 マウマウが生身で見せた、あの尋常ならざる体術の数々を。


「凄いですね、それは。まるで過去にいた“大英雄”のそれですよ」

「なんか、昔から色々な戦場に突っ込んでは、暴れまわってたんだってぇ。戦争してる人達からしたら、迷惑な話だよねえ」

「“お師匠様”のお名前は、何とおっしゃるのですか?」

「なんかすっごい長い名前なんだよ、“お師匠様”。覚えきれないから、『“ヨヨ”で良い』って言われちゃってるんだよねぇ」


 ヨヨ――その短い響きで、ニンバムの目の色が変わる。

 また一つ、干し肉をがぶりと口に放り込むマウマウに、ニンバムは慎重に問いかけた。


「あの、もしかしてですが……その方は、“女性”ですか?」

「うん、そうだよ! しかも“お師匠様”、私よりちっこいんだ。これっくらいかな? 狩人のシエロより、ちょっと大きいくらいかもねえ」


 マウマウはちょうど腰ほどの高さに手を伸ばす。

 その数少ない要素を繋ぎ合わせ、ニンバムが戦慄した。


 真剣なまなざしの中で、焚き火の赤が揺れる。

 マウマウをじっと見つめ、彼はその名を口にした。


「ヨア=ヨーカーズ=ヨル=ヨルドベリアル――」


 突如、ニンバムの口から放たれた名前に、マウマウは目を丸くした。

 驚いたように声を上げると、焚き火がゆらりと傾く。


「そうそう、それそれ! すごおい、ニンバム、知ってるの? 『ヨ』が多くて覚えられないんだよなあ、お師匠様の名前。けどそれ言ったら、『やかましい』って怒られちゃってさあ」


 師との思い出を語るマウマウを前に、ニンバムはまるで笑みを浮かべることができない。

 唐突に登場した規格外の存在に、冷汗まで浮かんでしまった。


 目の前のマウマウという女性が、適当な嘘をついているようには思えない。

 なにより、もしニンバムが口にした名がその“師”と合致しているというならば、あの人間離れした数々の動きも理解できてしまう。


 笑顔で語るマウマウに対し、ニンバムはどこか肩の力を抜いて弱々しく笑い返す。

 こんな偶然もあるのか――旅先でたまたま出会った女性の正体が、分かった気がした。


 魔拳・ヨヨ――古今東西の“英雄譚”には必ずといって良いほど登場する、伝説上の人物である。

 かつての大戦時代、各地の戦場に割り込み、どの軍団にも所属せずに暴れまわった稀代の“問題児”。

 姿形も定かではなく、数少ない情報はそれが“女性”であるということと、いついかなる時も人間離れした異常な格闘術で、戦況をかき回し続けていたということ。


 眼の前で笑うマウマウの師がその“伝説級”の人物だったとすれば、あの尋常ならざる格闘術の数々にもどこか説明が付きそうだった。

 たじろぐニンバムの心中など知り得ることもなく、マウマウはあくまで自由奔放に語っていく。


「お師匠様とは、偶然出会ったんだよね。私が森の中で遭難してるときに、野盗に囲まれちゃってさあ。そのとき、偶然キノコ獲りに来てたお師匠様が助けてくれたんだよ。それ以来、私も弟子入りしたんだぁ」

「それは本当に、数奇な出会いですね。不幸中の幸いでしたね」

「そうだねえ。あの時なんて、お師匠様が一蹴りしたら、木とか十本くらい薙ぎ倒しちゃってさ。野盗のおっさん達、一目散に逃げていっちゃったんだよ」


 マウマウは当時の光景を思い返し、ゲラゲラと笑っている。

 普通ならば荒唐無稽な“ホラ話”とあしらえばいいのだろうが、もはやニンバムは適当に聞き流すことなどできない。

 伝説の“格闘王”にとって、群がっただけの野盗など、取るに足らない存在なのだろう。


 マウマウの強さの秘訣を知り、ニンバムは驚くどころか肩の力が抜けてしまった。

 よりリラックスし、丸い“ねずみ”の耳を揺らして笑う彼女に問いかける。


「しかし、そんなすごい方のお弟子さんが、なんでまた“あの城”に? それこそ、腕試しかなにかですか」

「ううん、そんなんじゃあないよ。わざわざそんなことのために、こんな寒いところ来ないって」


 マウマウは相変わらず、笑みを浮かべたまま語る。

 だがその笑顔の中に、ほんのかすかに別の感情が混ざったことを、ニンバムは見逃さなかった。

 膝を抱えたまま、マウマウは炎に視線を落とす。


「ちょっとばかし、あの城の“主”に因縁があるんだよね。ここに来るのをずっと迷ってたんだけど、お師匠様が背中を押してくれたんだ。『感情には支配されるな。けれど、譲れない思いにだけはきちんと従え』ってね。だからやっぱり、自分の中でも色々と“決着”をつけたいなぁって」

「そうなんですね……それじゃあ、僕達は“似た者同士”かもしれませんね」


 今度はニンバムの憂いを帯びた眼差しに、マウマウが驚いた。

 “山羊やぎ”の耳が微かに揺れ、マウマウ同様に自身が作り上げた魔法の火を眺める。


「僕もあの城に住む“主”がどんな存在なのかは、知っています。“魔法使い”の世界では有名ですからね。身に着けたその力を振るい、各地を“白銀”の世界に変えている――大罪人だと」


 ニンバムの放った言葉に、別段、マウマウは動じることはなかった。

 ここに来た以上、マウマウもその事実をとっくの昔に知り得ているのだろう。


 大きく、深々と彼女も頷いた。


「うん、知ってるよ。訪れた場所を全部、雪と氷の世界に変える……悪い、悪ぅ~い、“魔女”なんだよね?」

「ええ、そのようですね。何度も討伐隊が組まれ、そのたびに犠牲者が出ている。魔法使いには数々の悪人がいますが、その中でも恐らく歴史に名を残す存在でしょうね」

「一人で“冬”を連れてきちゃうんだから、はた迷惑な話だよねぇ。でも、他にも世の中には、悪い魔法使いっていうのがいるの?」


 マウマウの無邪気な問いに、少しだけニンバムは間を置いて答えてくれた。


「ええ。人は“力”を持つと、色々と捻じ曲がるものみたいですから。あの城の主もそうですが、過去には国家を上げて討伐令が出た魔法使いもいます。特に、“黒の災厄”と呼ばれた魔法使い――ヴァドス=アーズレンという男なんかは、有名ですよ」

「へえ。その人、そんなに悪いことしたの?」

「それはもう。彼はとにかく“力”に憑りつかれた人間で、新たな“魔法”の術式を研究するためには、違法な人体実験もいとわない狂人だったそうです。あくまでこれは噂ですが、研究材料として自身の“家族”まで利用したんだとか」

「うわあ、そりゃあひどいなぁ。やっぱり、人間って度を過ぎると、おかしくなっちゃうもんなんだね」

「かつての大戦時代は、どこもかしこも“力”を求めた人々であふれかえっていましたからね。それこそ、この山で争った人々も、領地の奪い合いで多くを傷付け、そして散っていったのでしょう」


 遠くを見つめるニンバムの眼差しに、マウマウもどこか乾いたため息をついてしまう。

 今でこそ戦乱の世は去ったが、それでもいまだに各地で戦の種火がくすぶっているのも事実だ。


 二人が偶然使っているこの地下壕も、かつては戦争を行うための要所として使われていたのだろう。

 武器をたずさえ、身をひそめ、誰かを傷付けるための力を蓄えていたと思うと、どこかやるせない。

 

 人が集まれば文明が栄え、国が育ち、そしてまた何かしらの争いが起こる――そんな繰り返しによって、“歴史”は作られてきたのかもしれない。


 また一つ、ごおおと外の吹雪がうなる。

 その声に少しだけ視線を傾け、ニンバムはふっと力なく笑った。


「我々がこれから会おうとしている“魔女”は、きっとこころよく出迎えてなどくれないでしょう。おそらく明日は、荒事になる可能性もあります。今日は大人しく、力を蓄えておいたほうが良さそうです」

「そうだねぇ。それじゃあまあ、せめてしっかりと寝ておかないとね!」


 にっこりと笑い、マウマウはそそくさと壁際で横になってしまった。

 外套を毛布代わりに、固い石の床の上でありながら構わず就寝しようとしている。


 その図太さに、ニンバムはまたも苦笑した。

 だが、眠りにつく前にマウマウが、ちらりと彼を見て微笑む。


「でも、一緒に“城”まで行ける人がいてくれて、良かったよぉ。それに、ニンバムは“良い魔法使い”みたいだし、頼りになるからねぇ。明日も頑張ろうねっ!」


 にっこり笑ったマウマウの顔に、ニンバムは目を丸くしてしまう。

 だが、言葉に迷っているうちに、マウマウはそそくさと「おやすみぃ」と眠る体勢に入ってしまった。


 口を微かに開いたニンバムだが、力なく唇をつぐむ。

 しばらく目を閉じたマウマウを見つめていたが、やがて再び、足元の炎に視線を落とした。


 良い魔法使い――彼女の一言が、ニンバムの心の奥をざわつかせる。

 しまい込んだはずのかつての光景が浮かび上がったが、自身を律してそれを閉じ込めた。


 外の吹雪はより強さを増し、ガタガタと扉を揺らす。

 ニンバムは毛布を少しだけ強く引き寄せ、温もりを噛みしめた。


 部屋の中の温度は、ほんのりと温かい。

 しかしそれでも、肉体と心に染み付いた“冷たさ”が、ニンバムの体をぶるると震わせた。

 

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