第9話 詠唱魔法

 氷の大鳥が羽ばたくたび、刺すような冷たさの突風に混じり、無数の羽毛が飛来した。

 羽毛と呼ぶにはあまりにも硬く、鋭く、そして大きなそれらは、容赦なく眼下の景色に刺さり、えぐり、刻んでいく。


 襲いかかる刃の雨を、ニンバムはなおも魔法の防御壁を展開して防ぐ。

 空中で氷が弾け、冷たい粉塵となって風に散った。


 唖然あぜんとしてほうけているマウマウの横で、ニンバムはなおも素早く動く。

 遥か頭上、青空を背に旋回する大鳥に照準を合わせ、意識を集中する。


 “山羊やぎ”の瞳の光が、強さを増した。

 ニンバムの手の一振りで周囲の“魔力”が大気に着火し、無数の火の玉を生み出す。

 冷ややかな山の空気が熱を帯び、肌を痛々しく刺激した。


 突然の熱波に、マウマウが「うおお」と声を上げる中、ニンバムはやはり一切の詠唱を用いずに火球の群れを発射する。

 ぼうと大気を鳴動させながら、巨大な火の玉が氷鳥へと駆け昇っていく。


 大鳥は体をきりもみに捻り込み、襲い掛かる火の玉の群れをかわしてしまう。

 火の粉が空中におびただしい熱を伝搬させる中、氷の鳥は攻撃を避けながらも眼下のマウマウ、ニンバムに急降下を始めた。


 突然の急接近に二人が目を開く中、氷鳥は「きょおおおお」という奇声と共に一方の翼を大きく引く。

 その片翼の周囲に“魔力”が収束し、翼の周囲に無数の巨大な“剣”を生み出す。


 マウマウが左へ、ニンバムが右へと咄嗟に飛び退いた。

 二人が立っていた地面を、飛来した大鳥は“刃”を纏った氷の翼で鋭くえぐる。

 巨剣の一振りで積雪と、その下に隠れていた岩肌が深々と削ぎ落された。


 ニンバムは雪原をゴロゴロと転がり、それでもなんとか杖を突いて顔を上げる。

 すでに大鳥は再び上空へと飛翔し、二人の射程距離から退避してしまっていた。


 その素早い判断に、ニンバムは息を飲む。

 頭上を飛ぶあの魔法生物は、“城”に近付く不審者をただ迎撃するだけでなく、しっかりと相手の攻撃や出方を見極め、適切な攻防を取捨選択している。

 

 遥か上空から“遠距離攻撃”で攻め、相手に迎撃手段があるならば一気に距離を詰めて“近距離攻撃”で仕掛ける。

 一撃を叩き込んだとしても、敵からの追撃を許さないためにすぐさま射程距離の外へと退避したのだ。


 以前戦った巨大な岩人形・ゴーレムとは、“もの”が違う。

 あの氷の大鳥は単純なロジックで行動しているのではなく、しっかりとした思考を持ち、身に着けた力を適切に利用する知能を兼ね備えている。


 ニンバムは歯を食いしばり、再び杖を構えようと体に力を込めた。

 だが、飛び込んできた光景に、一瞬判断が遅れてしまう。


 目の前には、大鳥の翼が刻んだ巨大な傷跡がある。

 真一文字に走った深い“溝”のその向こう側――離れた雪原の上で、転んでしまった“彼女”が頭についた雪を渋い顔をしながら払いのけていた。


 いまだに体勢を崩したままのマウマウに、すでに上空の大鳥は狙いを定めている。

 鳥の周囲の空間に無数の“つらら”が生み出され、その先端が一様に“ねずみ”の獣人に向いていた。


 まずい――次なる一手を先読みしたニンバムが、叫ぶ。


「マウマウさん、逃げてぇ!!」


 ニンバムの声でマウマウが顔を上げるのと、大鳥の生み出した“つらら”が発射されたのは同時だった。

 魔力で作り出された氷の“もり”は、躊躇ちゅうちょすることなくまっすぐ、マウマウを狙う。


 ニンバムは駆けだそうとしたが、まるで間に合わない。

 マウマウは魔法障壁の射程外にいるし、何よりそこに到達するためには目の前の“溝”を越える必要すらある。


 声を上げることもできず、ニンバムは彼方のマウマウ目掛けて“つらら”が降り注ぐ姿を見つめるしかなかった。

 一つ、また一つと“銛”は雪原に落ち、どうと鈍い音を立てる。

 一撃が突き刺さるたびに積雪が宙に舞い上がり、真っ白なしぶきとなって視界を埋めた。


 非情な炸裂音が無数に鳴り響き、彼方の景色を白一色に染めた。

 惨劇にニンバムが唖然とする中、全弾を放出した大鳥はまた一つ、「きょおおお」と鳴いてみせる。


 勝利を確信した雄叫びか――ニンバムは杖を握り、歯を食いしばって空を見上げた。

 だが、再び臨戦態勢を取ろうとしたニンバムを、“彼女”の言葉が振り向かせる。


「あ――っぶなあ! まじで焦ったよお。いきなり仕掛けてくるんだもんなぁ」


 思わずニンバムの口から「えっ」と驚きの声が漏れた。

 頭上の大鳥も旋回しつつ、もうもうと立ち上る粉塵の中心を睨みつけている。


 舞い上がった雪が風で洗われ、ようやく景色が見えてきた。

 落ちた“つらら”の群れは雪を吹き飛ばし、深々とえぐって無数のクレーターを作り上げている。

 炸裂した瞬間、氷の塊は砕け散り、そこら中に大きな残骸が転がっていた。


 その中心に“彼女”は――マウマウは立っていた。

 無傷で、先程までと何ら変わらない姿で。


 ぎょっとしてしまうニンバム。

 大鳥もついに“異常事態”を察し、雪原に立つ獣人の女性を覗き込んでしまう。


 マウマウはすぐ横の氷を両手で持ち上げ、その透明の塊の中心を覗き込んだ。


「すごいなあ、こんなでっかい氷も作れちゃうのかあ。やっぱ、魔法って便利だねえ」


 一撃でも当たれば間違いなく大怪我を負うであろうつららの雨に襲われてもなお、マウマウのあっけらかんとした態度は変わらない。

 その場違いな余裕に、いよいよニンバムまでも混乱してしまう。


 渾身の一撃を避けられたのが気に入らなかったのか、大鳥は雄叫びと共に翼をはためかせた。

 ただちに無数の羽毛が発射され、刃の群れとなってマウマウに襲いかかる。


 だが、マウマウは構えすら作らず、リラックスした体勢でそれを迎え撃つ。

 超高速で飛来する刃に対し、あくまで肩の力すら入れず、即座に動いた。


 氷で作られた薄く、鋭い羽毛の刃。

 おびただしい量の凶器が降り注ぐその中心で、マウマウはただひたすらにそれをかわして見せる。

 ゆらゆらとした動きでありながら、それでいて緩急を織り交ぜた素早い体捌きで、一撃たりと彼女の体に傷はつかない。

 避けきれないものは軽く拳で叩き、真横から氷を砕き割って活路を見出していた。


 そのとびきりの“攻防”に、ついに駆け寄ろうとしたニンバムの足が止まってしまう。

 刃が雪原を刻み、その上で踊るように避け続けるマウマウの姿に、ただただ呼吸を止めてしまった。


 最後の一撃を拳で砕き割り、ようやくマウマウが止まる。

 身を翻すと突風が渦を巻き、周囲に舞っていた氷の結晶をざあと吹き飛ばしてしまった。


 人間技じゃあない――初めて見る人智を超えた動きに、ニンバムの頬を冷や汗が伝う。


 しかし、空中から見下ろす氷鳥は驚くことなどせず、ただただ、いまだに標的が生き残っているという事実に怒り狂っていた。

 2つ、大きく翼を羽ばたくと、先程よりも大量の羽毛とつららがまとめて発射される。


 落ちてくる脅威の群れを見ても、なおもマウマウは「おおー」と気の抜けた声を上げていた。

 だが、それらがマウマウへと到達する前に、我に返ったニンバムが動く。


 再び詠唱を行わず、オーク材で作られた杖を一振りした。

 空中に作り上げられた巨大な火球が、落ちてくる氷の群れ目掛けて、真横から突き刺さる。

 爆炎が空中を紅蓮に染め、氷を一瞬で蒸発させてしまった。


 凄まじい熱波が積雪すら吹き飛ばし、そこら中に白煙を撒き散らす。

 それが天然の“煙幕”となり、ほんの数瞬だが大鳥から地表の光景を覆い隠してしまった。


 風が白煙を洗い流し、雪が溶けて剥き出しになった岩肌があらわになる。

 だが、そこに二人の獣人の姿はない。

 消えてしまった2つの影を、氷鳥はくるくると旋回しながら探す。


 もうもうと煙が立ち込める中、マウマウとニンバムは大地に深々と刻まれた“溝”の中に飛び込み、身を潜めていた。

 氷鳥の一撃でえぐられたそれを逆に利用し、息をひそめて頭上の様子をうかがう。


 身を低くしたまま、ニンバムは青空を背負って飛ぶ氷鳥を睨みつけている。


「あれだけの氷を生み出しておいて、消耗した様子もない、か。やれやれ、どうやらまだまだ“魔力”には余裕がありそうですね」


 冷静に大鳥の戦力を分析するニンバムに対し、マウマウは体を雪に埋もらせたまま、頭だけを出して笑っていた。


「あの鳥も、ニンバムもすごいねえ。これが“魔法”の戦いかぁ」

「感心してる場合ですか……なんとかあの鳥を撃破しないと、“城”までは近寄れそうにもありません」


 やみくもに戦っていたのでは、いずれ消耗し仕留められるのはこちら側だろう。

 まだまだニンバムも“魔力”に余裕はあるが、それでもこのまま延々と火花を散らし続けるわけにもいかない。

 

 とにもかくにも、じっくりと“作戦”を練る必要がある――そう判断し、ニンバムは視界が覆われたあの一瞬を利用し、マウマウを“魔法”によって引き寄せ、この天然の塹壕ざんごうへと退避したのだ。


 あれこれ思考を巡らせるニンバムの隣で、マウマウは鳥の姿を眺めながら呑気のんきに呟く。


「むう~、あんな高く飛ばれたんじゃあ、私じゃ届かないなあ。やっぱり、ニンバムの“魔法”をぶっ放すしかないのかなあ」

「とはいえ、相手もかなりの手練てだれです。生半可な魔力では、押し返されるのが関の山でしょう。となれば、こちらも“渾身の一撃”に賭ける必要がありそうですね。ただ、それには……」


 言い淀むニンバムに、マウマウは振り向いた。


「どうしたの?」

「いえ、その……手があるには、あるんです。ただし、そのためには“詠唱”の時間が必要になるので、奴に感付かれてしまうと無防備なところを迎撃されてしまいます」


 遥か頭上の氷鳥を撃ち落とす術ならば、ニンバムの中に確かにある。

 だがしかし、それを実現するためにはある程度のまとまった時間が必要になってしまう。


 もし氷鳥にそれを発見された場合、問答無用で叩き潰されるのは目に見えている。

 ニンバムにとって、どうにもリスキーな策に思えてならなかった。


 ああでもない、こうでもないとプランを練るニンバムに、やはりあっけらかんとマウマウは言ってのける。


「それって、その“詠唱”ってのをする時間が稼げればいいの?」

「え……え、ええ、まあ」

「ふうん。じゃあ、私が“おとり”になってアイツの目を惹きつければ良いんだね!」


 唐突な提案に、ニンバムが「えっ?」と声を上げてしまう。

 しかし、彼が混乱する中、お構いなしにマウマウは雪を振り払って立ち上がってしまった。


 その予想外の行動に、ニンバムは目を丸くして驚く。

 声をかけようとしたが、マウマウはなおも笑いながら続けた。


「んじゃあ、よろしくね! できるだけ、派手に暴れてみるよお」

「ちょ――待ってください、そんな……!」


 ニンバムの制止も聞かず、マウマウは軽やかに跳躍し、塹壕の外へと飛び出してしまった。

 まさかの展開にニンバムが唖然とする中、再び“獲物”を発見した氷鳥が、奇声を上げて身構える。

 頭上の大鳥に向けて、マウマウは走り出しながらぶんぶんと手を振った。


「おおーい、鳥さぁーん! こっちこっちー! ほら、ここにいるよ、ここぉ!」


 その挑発に乗ったのか、氷鳥は再びありったけの“刃”を生み出し、羽ばたきと共に一斉に発射する。

 微かに塹壕から身を乗り出したニンバムは、飛来する氷の群れを迎え撃つマウマウの姿に、息を飲んでしまう。


 マウマウは雪原の上を跳び、時に宙返りや側転で跳ねながら、次々に氷の雨を避けていく。

 そのたびに彼女は「ほいっ」だの「はいっ」だのと弾んだ掛け声を上げ、まるで緊張することなく氷鳥の攻撃を避けていった。


 再び展開される予想外の事態にニンバムが驚き、そして氷鳥が怒りを抱く。

 だが、彼女のその功績を無駄にするわけにはいかず、ニンバムはすぐさま自身の役割を思い出し、塹壕の中に腰を落とした。


 今しかない――マウマウが作ってくれたわずかなチャンスをものにすべく、杖を地面に突き立て、その切っ先を頭上の鳥に向ける。

 両の手で杖を握り、目を閉じてありったけ意識を集中した。


 ニンバムの肉体が光を放ち、収束する“魔力”が風を生んだ。

 ごおごおと渦巻くそれは雪を舞い上げ、やがて杖の中へと流れ込んでいく。

 呼吸を整えながら、彼はただちに“詠唱”を開始した。


『地よりたぎる原初の光――束ね、研ぎ澄まし、刃となさん――』


 氷鳥が放った大量の“氷の刃”を、マウマウは跳び回し蹴りの一撃で吹き飛ばしてしまう。

 氷の粒が空中を舞い、太陽の光を乱反射して輝いた。


『回れ、回れ、其が意のままに――踊れ、躍れ、此が力と共に――』


 氷鳥がマウマウに向けて“つらら”の群れを発射したが、マウマウはそれを避けながらも、手頃な数発を受け止め、蹴り飛ばす。

 いくつかの氷塊が放物線を描いたが、まるで頭上の氷鳥までは届かない。


『怒り燃えろ、切っ先に宿り――沈まぬ意思を灼天に還せ――』


 ニンバムの全身の光が、ついに“紅”の色を帯び始めていた。

 たぎる“魔力”の奔流がごおごおと渦巻き、杖の表面を赤熱させる。

 貧相だった杖の先端には、ニンバムが練り上げ、生み出した“炎の刃”が生み出されていた。


 その巨大な魔力の動きを、ようやく氷鳥が察する。

 しかし、マウマウが受け止めた“つらら”を放り投げたことで、そちらに意識を奪われてしまった。

 

 その一瞬が、明暗を分けた。

 ニンバムは赤く光る眼を見開き、歯を食いしばって杖を握りしめ、える。

 最後の詠唱と共に、蓄えた力を堂々と放った。


『――貫き焼き尽くせ――“灼炎槍ブリューナク”――!!』


 瞬間、ニンバムの肉体が閃光を放った。

 どうっ、という轟音と共に大気と大地が鳴動し、“火炎の槍”は凄まじい速度で上空へとはしる。


 今までの火球のそれを遥かに凌駕する速度に、大鳥は反応できない。

 氷鳥が翼をはためかせる前に、“炎の刃”は真っすぐ、その巨大な肉体に真っ向から突き刺さった。


 再び閃光が視界を白に染める。

 凝縮された火炎は一気に解き放たれ、凄まじい爆炎で宙を紅蓮に染め上げた。

 氷鳥の体は内側から破裂し、粉々になって蒸発してしまう。


 轟音と熱波と突風。

 それらが駆け抜けた後の空には、やはり雲一つない昼下がりの青空が広がっていた。


 一撃が届いたことに安堵あんどしつつ、ニンバムは思わず片膝をついてしまう。

 ありったけの“魔力”を絞り出したせいで、思わず立ちくらみがしてしまった。

 思った以上の消耗に、一瞬だが視界がかすんでしまう。


 ぜえぜえと肩で息をするニンバムの耳に、山の冷たい風の音に混じって“彼女”の嬉しそうな声が聞こえてきた。


「すっげえーーー! ねえねえ、今のがニンバムの“必殺技”!?」


 声に顔を上げると、駆け寄ってきたマウマウが高い位置から塹壕の中を覗き込んでいる。

 彼女は目をキラキラとさせ、好奇心に満ち溢れた眼差しをニンバムへと向けていた。


「かっこ良かったなぁ、一発で吹っ飛ばしちゃった! やっぱりニンバムは、すっごい魔法使いなんだねえ!」


 けらけらと笑うその嬉しそうな姿を、ニンバムは揺らぐ視界の中に捉えていた。

 やはり彼女は、傷一つ負っていない。

 降り注ぐおびただしい“氷”を全て避け切り、無事に生還して見せた。


 あなたも十分、すごいですよ――そんな一言を返したかったが、それは叶わない。


 笑みこそ浮かべはしたものの、ニンバムは体力の消耗のせいで意識を失い、その場にばたりと倒れてしまった。

 彼の突然の事態に、唖然として驚いてしまうマウマウ。

 昏倒した“魔法使い”を救うため、無傷の“格闘士”はすぐさま塹壕の中に降り立ち、手を差し伸べた。

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