第6話 激突する怪物達

 いかに狩人とはいえ、“魔法生物”がどのような思考で動き、どのように物事を判断するかなど知らない。

 だからこそ、ダビィとシエロは目の前にたたずむ巨体を前に、反射的に心の中で願ってしまった。


 この岩の巨人・ゴーレムが、このまま自分達に目もくれず、大人しくどこかへ去ってくれるという“奇跡”を。


 そんな二人の願いは、巨人が振り上げた拳によって無惨にもかき消されてしまう。


 素早く、一同が動いた。

 ダビィとシエロが飛び退いた瞬間、二人が立っていた地面目掛けて、ゴーレムの拳が叩きつけられる。

 明確な“敵意”を込めた巨拳が、轟音と共に大地をえぐり、揺らす。


 その凄まじい衝撃が、“開戦”の合図となってしまう。

 地面を転がりながらも二人の狩人はそれぞれの得物を手に、素早く構えを取った。

 期せずして、ダビィが持つ大口径ライフルとシエロの弓矢が、同時に火を噴く。


 ドウンという鈍い音と共に、ライフル弾がゴーレムの肩を数発、えぐる。

 シエロの矢もそれを追うように飛来し、腕へと突き刺さった。


 浅い――誰しもがその効果の薄さに歯噛みする中、衝撃で足場に亀裂が走り、崩れ始めた。

 事態に気付いたシエロが、離れた位置にいた彼女の名を叫ぶ。


「ッ!? マウマウ!!」


 気がついた時には、マウマウが立っていた地面が大きく傾き、谷の底へと落下を始めた。

 彼女の手には血まみれで倒れている、“山羊”の獣人が抱えられたままである。


「うわ、まじか!? うわわわわ、ちょっと待って、タンマタンマ――!」


 慌ただしい彼女の叫び声が、崖崩れの音にかき消されてしまう。

 シエロらが動き出す前に、マウマウと獣人の男性の姿が、谷の下へと吸い込まれるように消えてしまった。


 突然の事態に絶句してしまうシエロ。

 だが、狼狽うろたえる少女の背中を、熟練狩人の大声が叩く。


「しゃきっとしろ、シエロ! 来るぞぉ!!」


 我に返り、振り返る少女。

 見ればすでにゴーレムは腕を振り上げ、開いた手をシエロ目掛けて落としてきていた。


 飛び退き、直撃を避ける。

 ズガンという衝撃音と共に再び大地が揺れ、砕け散った岩石が弾丸のように少女の太ももを切り裂き、痛みを走らせた。

 焼けるような感覚に歯を食いしばるも、なんとか身をひるがえし、低い姿勢で構える。


「今は目の前の“敵”に集中するんだ! とにかく、こいつを仕留めることを考えろ!!」

「う、うん……でも――」


 ダビィの言うことは、同じ狩人であるシエロにはよく理解できた。

 敵意をあらわにした怪物を目の前に、一瞬たりとも狼狽うろたえている時間はない。

 数秒でも気を取られれば、その間に自身の命を狩り取られる。


 分かってはいた。

 だが分かっていながらも、少女の手はどうしようもなく震え、矢の照準が定まってくれない。


 圧倒的すぎる――今まで相手にしていた、狼や熊なんていう野生動物とはわけが違う。

 今二人が対峙しているそれは、乱れ、停滞した魔力によって生み出された、未知の怪物だ。

 岩に生命が宿り、自立して駆動する巨大な人形なのである。


 そんなものと戦った経験などない。

 二人の狩人の全身に、おびただしい量の汗が浮かび上がっていた。


 ゴーレムの動きは非常に緩慢かんまんだった。

 人形はゆっくりと腕を持ち上げて叩きつけたり、足を持ち上げて踏みつけるといった原始的な方法で、目の前の二人を攻め立てる。

 その軌道も分かりやすく、狩人である二人にとって見切ることなどは容易たやすい。


 だが、その単調な攻撃がもたらす被害は甚大だ。

 拳で叩けば大地がえぐれ、足で踏めば岩場が崩れる。

 どれか一つでも巻き込まれれば、瞬く間にぺしゃんこにされて、死んでしまうだろう。


 怪物の持つ異次元の体格が、徐々に、じわじわと狩人達を追い詰めていく。


 暴れる巨人の隙をつき、シエロとダビィは果敢かかんに攻めた。

 矢と弾丸をひたすら叩き込み、急所はないかと全身に打ち分けてもみる。


 だが、まるで効果をなさない。

 何発攻撃が命中しようとも、まるでお構いなしにゴーレムは次の攻撃に移る。

 ダビィの弾丸ですら貫通することなく、角度が悪ければ刺さる事すらせずに弾き飛ばされてしまう。


 また一撃、ダビィの弾丸がゴーレムの額をかすめ、離れた位置の雪原でぼっと弾けた。

 落ちてきた拳を転がりながら避け、ぜえぜえと息をしながらダビィがえる。


「こいつぁ、まずいな……俺らの“得物”じゃあ、歯が立たねえ」


 どれだけ老獪ろうかいな狩人とて、目の前の存在と自分達を隔てる圧倒的な“実力差”を前に、言いしれない恐怖が沸き上がってくる。

 シエロも汗だくになりながら雪の上を転がり、無駄と分かっていても矢をつがえた。


 一歩、ゴーレムが近付いてくる。

 ずうんという揺れにこけそうになりながらも、二人は再びの激突を予感し、構えた。


 そんな研ぎ澄まされた二人の意識のなかに、あの緩やかな女性の声が差し込まれる。


「あー、あっぶなかったぁ! さすがに終わりかと思っちゃったよ、もお」


 思わずシエロが「えっ」と目を丸くし、視線を走らせる。

 ダビィもゴーレムの動きを警戒しつつ、声の方向へと意識を向けた。


 狩人達の張り詰めていた緊張の糸が、ほんの一瞬、緩んでしまう。


 崩壊してしまった崖の向こうから、にゅっと腕が伸びるのが見えた。

 岩場を掴み、“彼女”は自身の肉体を押し上げる。

 

 いや、彼女だけではない――ゆっくりと這い上がってきた彼女のもう一方の腕には、しっかりとあの“獣人”の男性が抱えられていた。


 岩崩れに巻き込まれ落下したはずのマウマウが、なんと片腕だけで崖を上ってきたのである。

 その信じられない光景に、シエロは完全に警戒を解いて唖然あぜんとしてしまった。


 もう一歩、ずんと大地が揺れた。

 ゴーレムが近付いてくる中、マウマウは男性を崖の上へと寝かせ、ようやく立ち上がる。

 彼女は困惑している狩人達にはお構いなしに、どこか不機嫌な眼差しを巨人へと向けていた。


「あっぶないだろぉ、静かにしなよ! こんなところで暴れたら、お前まで落っこちちゃうかもしれないじゃんかよお!」


 マウマウはずかずかとゴーレムに歩み寄り、なんと不機嫌そうに説教を始めてしまった。

 その予想だにしない一手に、狩人達のほうが力が抜けてしまう。


 すぐ隣まで歩いてきたマウマウに、シエロは弓を構えたまま思わず問いかけてしまった。


「だ……大丈夫……なの? 崖から落ちたんじゃあ――」

「うん、やばかったよ、下見たらちびりそうになっちゃった! なんとか岩場から跳んで、間一髪、しがみつけたから良かったけどさあ」


 けらけらと笑うマウマウに、まるで笑顔を返せないシエロ。


 そんな馬鹿な――マウマウが無事生還したことは、もちろん喜ぶべきことである。

 しかし、あの状況から舞い戻ったということが、どうしてもすんなりと飲み込み切れない。

 片腕に男性を抱えたまま岩場から跳躍し、片腕のみの力で女性が切り立った岩場を昇ったなどと。


 呆けてしまうシエロを前に、また一歩、大地が揺れる。

 慌てて視線を戻すと、すぐ目の前までゴーレムが迫ってきていた。

 眼前の圧に怯みそうになってしまうが、やはりすぐ横に立つ“ねずみ”の獣人が言い放つ。


「しかし、初めて見るなぁ。どういう仕組みで動いてるんだ、これえ? 一体全体、何食べて生きてるんだろう。ずっとここで眠ってたのかな?」


 巨体を前にマウマウはあくまで呑気のんきに、構えすら作ることなく見上げている。

 その緊張感のない彼女の姿に、ダビィが強めに吼えた。


「嬢ちゃん、ぼさっとしてんじゃあねえ! 俺らがひきつけてる間に、あの兄ちゃん連れて逃げろ! 時間は稼ぐ!!」


 老狩人自身、それができるかどうか、自信はなかった。

 だが誰よりも早く、この場で出来る限りの最善の策を思いつくあたりは、やはり彼の“経験”がなせるわざなのだろう。


 再びライフルを構えるダビィ。

 そして腰を落として矢をつがえるシエロ。

 狩人達が再びの激突に備える中、マウマウは少しだけ彼らの顔を流し見て、納得したように笑う。


「そうだねえ。まずは早く、あの男の人を連れて帰らないとね。うっし、じゃあ――ちゃっちゃとやっつけちゃうか」


 この一言で、ついにダビィまでが「はっ?」と声を上げてしまう。

 狩人達が狼狽うろたえる中、マウマウは離れた位置に寝かせた男性の方ではなく、あえて目の前のゴーレムに一歩、近付いた。


 たまらず、シエロが呼び止める。


「ちょ、ちょっと、何してるの!? ダビィが言ったでしょ、逃げてって!」


 必死な少女の声を受け、マウマウは少しだけ振り向く。

 だが不敵に笑ったまま、あくまであっけらかんとした態度で返した。


「大丈夫大丈夫~、実は一度、こういうのと戦ってみたかったんだよねぇ! せっかくこんなところまで来たんだから、これも“修行”の一環として、ね?」


 何から何まで緊張感を欠く言葉の数々に、ついにシエロらは声すら上げられず、ただ口を開いてマウマウを見ているしかない。

 そんな中、戦闘態勢を解かないゴーレムが、すぐ目の前のマウマウを見下ろし吼えた。


 耳をつんざく咆哮ほうこうで、大気が揺れる。

 突風を真正面から受け、それでもマウマウは変わらない笑みを浮かべていた。


 にんまりと口元をゆがませ、彼女はどこか目を輝かせながら巨大な岩の塊を見上げる。


「おーおー、すんげえ大声! そっちも“マジ”ってことだよねえ。ならこっちも、全力でやるのが礼儀ってもんだよね」


 まるで怯まず、マウマウはゆっくりと首元に結び付けていた愛用の“鉄兜”に手を伸ばす。

 その一手に、シエロの中に眠っていた過去の“記憶”が呼び覚まされていた。


 ダビィがなおも叫ぶが、まるで彼女は気にしない。

 愛用の兜を両手で持ち上げ、頭からかぶる。

 コンパクトなそれはマウマウの目元だけを、鉄板で覆い隠してしまう。


 ゴーレムが拳を振り上げた。

 言わずもがな、その照準は最も近くにいるマウマウへと向けられている。

 単純な魔法生物であるゴーレムは、それほど難解な思考ロジックを持たない。

 ただ単純に、最も近くにいる“異物”を排除すべく、その力を振るうのみだ。


 拳が落ちてくるその刹那せつな、マウマウは前を向いたまま呟く。

 誰に向けてでなく、虚空に向けて放たれるその言葉の数々に、すぐ近くに立つシエロだけが気付いた。


 あの日と同じ――初めてシエロが出会った“あの時”と同じく、マウマウは何かを分析するかのように、喋り続ける。


「迎撃対象数、1。全長は目測で5メートル21センチ。振動から伝わる体重、約2トン弱。体躯と重量のバランスから、肉体を形成する物質の密度が高いものと予測――」


 今までの能天気で柔らかい口調が消え去り、一変、現状を静かに分析していく。

 岩の拳が数メートル先に迫る中、一気に彼女は動いた。


 地面にゴーレムの拳が炸裂し、轟音と共に大地が揺れる。

 シエロは背後に飛び退きながらも、目の前で繰り広げられる“攻防”に息をのんだ。


 マウマウはいつの間にか飛び上がり、くるりと空中で身をひるがえしている。

 彼女はそのままゴーレムの拳の上に着地し、一気に腕を伝って頭部目掛けて駆け抜けた。


 シエロ、ダビィが声をあげそうになる中、マウマウは鉄兜の奥からゴーレムの顔をにらみ、跳ぶ。


「迎撃において一切の問題なし。直ちに脅威の排除を実行」


 冷静な一言と共に、真横に回転して蹴りを放つマウマウ。

 しなやかな“むち”のように伸びたそれが、ゴーレムの巨大な頭に真横から刺さった。


 瞬間、岩場一帯の大気が揺れた。

 ゴーレムの一撃に勝るとも劣らない凄まじい衝撃音が、びりびりと鼓膜を震わせる。

 華奢きゃしゃなマウマウの蹴りの一発で、ゴーレムの頭部が弾かれ、巨体が初めて傾いた。


 ありえない――改めて目の当たりにするシエロも、そして初めて目にするダビィも、同じ思いを抱いてしまう。

 矢や弾丸ですらダメージを刻み込めない岩の肉体を、か細いマウマウの肉体が初めて、明確に押し返した。


 ぐらりと揺らぐゴーレムを前に、なおもマウマウは動く。

 彼女は落下しつつも構えを作り、そして――放つ。


「急所は不明。よって人体正中線を重点的に攻撃。ただちに実行――」


 落ちていくそのさなかで、マウマウの四肢が風のようにはしった。

 拳と蹴りがゴーレムの肉体に着実に、真正面から突き刺さる。


 喉、鎖骨、胸部、腹部、股間――真っすぐ五カ所で体術が炸裂し、そのたびに“ズドン”という鈍く、重い音を響かせた。


 ゴーレムが吼える。

 だがそれは、先程までの“雄叫び”ではなく、肉体を砕かれたことで発する“悲鳴”だった。


 音もなく着地するマウマウ。

 がくりと揺らぎ、たたらを踏むゴーレム。

 愕然がくぜんとし、一切動けずにいるシエロとダビィ。


 マウマウの拳と足の“あと”が、克明に巨人の肉体に刻まれ、黒い岩に無数の亀裂を走らせている。

 

 もはや巨体を前に、恐怖を抱く者は誰もいない。

 代わりにその足元に立ち、鮮やかな構えを作っている“彼女”の戦闘能力に、肩の力すら抜けてしまう。


 巨大な岩の“怪物”の前で、なおも小さな鼠の“怪物”は静止している。


 バキバキと肉体が崩れながら、それでもゴーレムは拳を持ち上げていく。

 再びの激突を予感し、シエロ、ダビィはごくりと生唾を飲み込んでいた。


 拳を引き、弛緩しかんしたまま構えを作るマウマウ。

 指が砕けた拳をしっかりと固め、ゴーレムは再び腕を振り上げた。


 だが、その拳が振り下ろされることはなかった。

 立ち止まったままのシエロとダビィ、そしてマウマウの目の前で、それが突如、砕け散る。


 ゴーレムの腕の先で、“炎”が爆ぜた。

 轟音と共に起こった爆発が、一瞬でゴーレムのひじから先を消し飛ばしてしまう。


 思わず「えっ」と声を上げる狩人達。

 反射的にマウマウを見たが、彼女もまた動かず、どこか目を見開き驚いていた。


 ゴーレムの喉元から、「オオオオ」といううめき声が響く。

 不安定に大気が揺れる中、マウマウがいち早く背後の“気配”に気付き、振り返った。


 一同から離れた位置に、“彼”がいた。

 ボロボロで血に染まった肉体のまま、それでも意識を取り戻し、“彼”はこちらを見ている。


 真っ白な体毛を持つ、“山羊”の獣人。

 男性は腕を真っすぐ、ゴーレムに掲げていた。


 シエロ、ダビィも事態に気付き、振り返る。

 誰一人声をあげられない中、男性が掲げた右手にまばゆい“光”が集まった。


 獣人の瞳が光る。

 瞬間、またもやゴーレムの肉体で“炎”が弾け、その頭部を砕き割ってしまった。


 雪が積もる岩場を、一気にたぎる“熱”が支配する。

 紅蓮の炎に包まれたゴーレムがついに制御を失い、膝からがくりと崩れ落ちた。


 怪物が粉々に砕け散る中、マウマウ達は振り返り、彼方で手を掲げる男性を見つめるしかない。

 旅人と狩人達は、“彼”が放ったその力の正体を、この時はまだ知らない。


 “魔法”――凄まじい力によって怪物を制御した“獣人”は、その一撃を最後に再び、ぱたりと地面に横たわってしまった。

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