第5話 第二の来訪者
積雪に足を食いこませながら坂を上り、途中でおもむろに振り返ると、彼方に狩人達の集落が小さく見えた。
どこまで見渡しても白一色の幻想的な雪山の姿に、マウマウは立ち止まって思わず声を上げる。
「すっごいなぁ、本当に雪ばっかりなんだねぇ、ここは」
彼女の言葉に、先を進んでいた老狩人・ダビィも立ち止まり、笑った。
「
「そっかあ、確かに飽きちゃったら辛そうだなあ。もっと温泉とかあれば良いんだけどなあ」
相変わらずの緊張感のない会話に、ダビィは肩の力を抜いて笑う。
一方、最後尾を歩くシエロだけは、笑顔ひとつ浮かべず、どこか暗い眼差しのまま歩を進めていた。
再び歩きながらも、マウマウはすぐ後ろの少女に問いかける。
「シエロ、大丈夫?」
「うん、平気だよ。このくらいの坂、毎日上り下りしてるから」
どこか
だが、彼女とてこの小さな狩人の心中は、ある程度察していた。
だからこそ、同じ方向に視線を投げながらも続ける。
「ありがとうね、わざわざ案内してくれちゃってさ。シエロ、本当は来たくなかったでしょお?」
胸の内を明かされたことで、少しだけシエロは動揺した。
だがすぐに視線を落とし、また黙々と雪の中を進む。
ふぅ、ふぅ、という重く深い呼吸に混じり、少女のどこか強い念のこもった言葉が返ってくる。
「別に、そういうわけじゃあ……あくまで、私達は案内するだけだよ。ほら、その……あなた、方向音痴だろうし」
「そうなんだよねえ、昔から参っちゃうよお。“お師匠様”にお使い頼まれるたびに街の中で迷子になって、その度に怒られてたんだ。“お師匠様”、時間に厳しい人でね、すぐゲンコツが飛んでくるの。これがまた痛いんだあ」
相変わらずよく喋るマウマウに、シエロは「はあ」と気の抜けた声をあげてしまう。
先程からマウマウはまるで呼吸を乱さず、あっけらかんとしたまま、雪の中を進み続けている。
「狩人の人達って凄いね。方向感覚もばっちりだし、耳も目も良いし、私なんかとは大違いだねえ」
「別に、そんな凄いことなんて、なにも……それに、あの場所なら――あの“城”は、目立つからすぐ分かるよ」
城――その言葉によって、また少しシエロの表情が曇る。
最後の最後までシエロは、マウマウがそこに向かうことに反対していた。
この押し問答を見兼ねた
だが、なんだかんだでこの一団に、シエロも同行することを望んだのだ。
「ねえ、シエロ。本当に嫌なら、無理しなくて良いんだよ? あのお爺さんに案内してもらうからさ」
「無理なんてしてない。大丈夫だよ。それに――」
マウマウが「それに?」と覗き込む。
シエロはちらりと彼女を見た後、どこか気恥ずかしそうに視線を戻した。
「『恩はきちんと返せ』――って、死んだ“父ちゃん”から、言われてるから。特に食べ物の恩は、絶対だって」
それはきっと、マウマウが仕留めた“狼”や“熊”のことを言っているのだろう。
偶然とはいえ彼女は獣を打ち倒し、“脅威”をとりはらい、結果として集落の食糧を潤すことに貢献していた。
シエロは彼女なりに、マウマウに“恩”を返したいのだ。
少女の言葉にマウマウは笑う。
その笑顔がまた恥ずかしかったのか、シエロはなおも前を向いたまま黙々と歩みを進めた。
三人が雪を踏み締める音が、静かな白銀の世界に響く。
集落から山を登ること10分――崖の岩場に辿り着くと、ようやく彼方に“それ”の姿が見えた。
先頭に立つダビィが声を上げる。
「見えたぜ、お嬢ちゃん。あれがお前さんの探してる、“城”だ」
マウマウとシエロも彼に並び、谷の向こう側に小さく見える城の姿を見つめた。
高い位置ということもあり、雲が微かに景色を覆っている。
だが、その雲海を突き破るように、鋭利な造形が目立つ城郭と、屋根の外観が見えた。
氷で作られた“城”――雪山の遥か高くに位置するその姿に、マウマウがどこか嬉しそうに声をあげた。
「おおー、本当だ! すっごいなぁ、あれ本当に氷で出来てるの?」
「さあなあ。俺らも滅多に近づくことがねえから、詳しくはなんとも」
二人が笑みを浮かべながら会話する
小さな体から、確かに
マウマウは遠くの城を見つつも、その手前に広がる深い谷の姿も覗き込んでいた。
「うーん、あそこまでは、まだまだかかりそうだなあ。この谷、どうやって越えよう?」
崖の下を覗くマウマウの隣に、シエロが立つ。
彼女もまた、ぽっかりと口を開いた谷を見つめていた。
「この先には、狩人達も滅多に行かないんだ。凶暴な獣ばかりだし、最近じゃあ良く分からない“魔法生物”もいるから」
「“魔法生物”ねえ。へえ、どんな生き物なんだろう?」
危険性を訴えるシエロに対し、いまいちマウマウは緊張感がない。
あくまで観光気分のその笑顔に、少女はため息をついた。
緩みかけた少女の緊張の糸は、ダビィの真剣な一言で再び張り詰める。
「おい、なんだ――ありゃあ?」
慌てて視線を走らせ、シエロ、そしてマウマウもそれをすぐに見つけた。
崖の下――岩場の影に、一同の視線は釘付けになる。
雪の白と、岩の黒。
その隙間に確かに見える、おぞましい“赤”。
やがてゆっくりと、ダビィが岩場を降り始める。
それに合わせてマウマウ、シエロも下へと移動を始めた。
近付くと、むせ返るような“異臭”が鼻をつく。
岩場を回り込み、すぐにその“赤”の正体を察した。
数匹の“狼”が死んでいる。
それは先日、マウマウが相手取ったあの白狼と同じ種類のものだった。
狼は無惨にも胴体をズタズタに引き裂かれ、そこら中に肉片と内蔵、おびただしい量の血が飛び散っている。
肉塊が転がる惨状に、さすがの狩人二人も絶句してしまう。
口元を押さえながら、シエロが呟いた。
「なにこれ……ひどい」
「一体全体、どういうこった。こりゃあ、並の獣の
獣同士の殺し合いだとしても、ここまで無惨に対象を傷付けることは少ない。
まるで餌として襲ったというより、ただただ“破壊してみせた”という感じだ。
真剣な眼差しで周囲を警戒する二人に、別の方向を見つめ、マウマウが告げる。
「ねえ、あそこ見て! “人”がいるよ!」
たまらずダビィが「なにい」と声を上げる。
狩人達も駆け寄り、なだらかな坂の下を見つめた。
切り立った崖のその
姿ははっきり見えないが、うつ伏せで岩場の上に横たわっていた。
男か女かも分からない。
だがその体が所々、赤く染まっているのが確かに見えた。
たじろぐ狩人達を前に、
シエロもたまらず、彼女の名を呼びながら走る。
「マウマウ!」
走りながら足元を確認すると、雪や岩場の上に点々と
シエロがたどり着いた時には、マウマウが倒れている肉体を慎重に仰向けに直していた。
それは“獣人”の男性だった。
全身を真っ白な体毛が覆っており、その至る所に血が付着している。
衣服はボロボロに引き裂かれており、男性の細身の肉体があらわになっていた。
頭部の短い角と耳、丸みを帯びた口元の形から、“
マウマウが「もしもーし!」と声をかけるも、返事はない。
男はただ黙したまま、目を閉じて力無く横たわっている。
その姿に、シエロが不安げに問いかけた。
「この辺りじゃあ、見ない人だよ。し、死んじゃってるの?」
「いや、大丈夫。どうやら、気絶してるだけみたいだねえ」
微かに聞こえる呼吸音や、息に合わせて浮き沈みする肉体を確認し、ひとまずは
一足遅れてたどり着いたダビィが、ひげを撫でながら唸る。
「また“獣人”かあ。となりゃあ、この兄ちゃんも“外”から来た人間だなあ。しかし、なんでまたこんな
周囲をうかがうが、彼の持ち物と思われるものは転がっていない。
旅人だとしても、こんな軽装でなぜ、こんな場所に倒れているのか。
謎ばかりが残るも、とにかく今はこの男性を安全な場所に連れ帰ることが先決だった。
マウマウが「よし!」と声をあげる。
「とにかく一旦、この人連れて戻ろうよ。私が担いで行くからさ」
「お、おう。そうだな、あいにく手持ちの薬だけじゃあ、
一同が決意を固め、動き出そうとした、その瞬間だった。
ズン――と、岩場が揺れる。
突然の事態に全員が動きを止め、腰を低くして耐えた。
ズゥン――断続的な揺れに続き、周囲の岩々がメキメキと
片膝をつきながらも、ダビィが叫んだ。
「ちい、こんな時に! 地震か!?」
三度の凄まじい振動で、崖上から岩が転がり落ち、すぐ側で砕け散った。
身を寄せ合いながらも、マウマウは獣人の男性を抱き抱えたまま大声を上げる。
「うわわわわわ、やばいやばい! とにかく一旦、退避しないと!!」
「ああ。崖から離れるんだ、早く!」
慌ただしく二人が動き出そうとする一方、シエロはある一点を見つめ、唖然とし立ち止まってしまう。
ダビィ、遅れてマウマウも視線を持ち上げ――気付く。
目を見開いたまま、シエロが声を絞り出した。
「いや、どうやら――“地震”の揺れじゃあ……ないみたい」
どれだけ大地が揺れようが、どれだけ岩が落ちてこようが、緊急事態だというのにまるで身動きが取れない。
それ程までに、三人の眼前で起こっている“それ”は異常で、浮世離れしていた。
崖の壁面――白雪から露出しごつごつと隆起した“それ”が、動いている。
衝撃によってひび割れ、崩れているという意味ではない。
“それ自体”が組み合わさり、動いているのだ。
“崖”がせり出し、ついに“一歩”を踏み出した。
ずんと大地が揺れ、大岩が跳ねて砕け散る。
“地震”のせいで、岩が動いているのではない。
“岩が動く”から、大地が揺れている。
三人は唖然としたまま、目の前に現れた存在を見上げるしかなかった。
崖の“岩石”に擬態し、ようやく姿を現した“それ”と向き合う。
真っ先に声を上げたのは、やはり百戦錬磨の狩りを生き抜いてきた老人・ダビィだった。
「なんて……こった……こいつぁ――“ゴーレム”か!?」
目の前に立っていたのは、“岩石の巨人”だった。
黒い岩の数々が見えざる力によって組み合わされ、肉体となって駆動している。
巨大な“岩人形”の顔は髑髏のように簡素な見た目をしていたが、ぽっかりと空いた眼下の闇がただひたすらに不気味だった。
目玉はない。
だが確実に分かるのは、目の前の怪物がすぐ足元で自分を見上げる、三匹の“得物”に照準を合わせているということだ。
自然に溢れる“魔力”によって生み出された特殊生物・ゴーレム。
ごくりと唾を飲み、戦慄から滝のような汗を流すシエロ。
震える手で、それでも愛用の機工銃を手にするダビィ。
狩人らが目の前の“圧”に縛られる中、それでも“彼女”だけはやはり笑い、どこかキラキラしたまなざしで怪物を見上げている。
抱えていた山羊の獣人をそっと寝かせ、その前に
かつての“熊”を超越する体躯を目の前にしてなお、マウマウは無邪気に、無垢に口元を歪ませる。
“危険”ではなく、まるで“遊び”を目の前に飛び出す瞬間を待つ、子供のように。
“ゴーレム”が喉の奥の岩を振動させ、大気を揺らし、吼える。
砲音にも、雷鳴にも似たそれが、逃げられない“戦い”の合図となった。
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