第4話 目的

 昨夜の猛吹雪が嘘のように、雲一つない青空が広がっていた。

 雪山を駆け抜ける風の冷たさこそ変わらないが、白一色に染まった雪景色が陽の光を反射し、眩いばかりに輝いて見える。


 狩人達の集落の中心点――木材や獣の骨を組み合わせて作られた、巨大な柱がシンボルとして鎮座する広場は、朝から多くの人々で賑わっていた。


 なにせ、集落中の狩人達総出で、“白氷熊ツンドラベア”の解体作業に当たっていたのである。

 巨大な白熊のむくろはようやくバラバラにされ、皮と肉、内臓と骨格に切り分けられた。


 男達が四人がかりで、熊の頭蓋骨を運んでいる。

 集落の女子供達はてきぱきと作業を手伝いつつも、改めて見るその“怪物”の規格外のサイズに、唖然あぜんとしていた。


 その一団の中で、“ねずみ”の耳と尻尾を持つ女性・マウマウは、一緒になって解体作業を手伝っている。

 華奢きゃしゃな体でありながら、“白氷熊ツンドラベア”の巨大な骨を三本、まとめて肩に担ぎ、近くにいた狩人の男性に問いかけた。


「ねえねえ、おっちゃん。これは、どこに持っていけばいいのぉ?」

「お、おお。そいつは、あの小屋に運んでくれ。女共がいるはずだから、渡してくれねえか」


 マウマウは笑顔で「あいあい」とうなずき、足早に駆けていく。

 もはや“柱”ともとれるような巨大な骨を難なく運ぶ姿を、周囲の人々もどこか驚いた眼差しで見つめていた。


 解体作業が一段落し、集落の人々同様、マウマウも地面に座って体を休める。

 ため息をついている彼女に、湯気の立つカップをたずさえた少女・シエロが歩み寄ってきた。


「おつかれ。これ、薬草が入ったお茶なんだけど、良ければ――」

「おお、ありがとぉ! 助かるよぉ、いやもう、寒くて寒くて! やっぱ、もっと厚着で来るべきだったなぁ」


 マウマウは両手でカップを受け取り、すぐに口をつけようとしたが、「あちちち」と慌てて唇を引っ込めてしまう。

 何度も大げさに息を吹きかけ、必死に冷まそうとしていた。


 相変わらず、騒がしい女性だ――一夜明けても、まるで変わることのないマウマウの勢いに、シエロは肩の力が抜けてしまう。


 ずずずと茶をすすると、口の中に痺れにも似た痛烈な感覚が広がる。

 初めてのマウマウには刺激が強かったようで、目を見開き、声を上げた。


「んんんんっ!? これ……なかなか、独特な――お味だねえ」

「この地域で取れる“火竜草”を乾燥して入れてるんだ。味は悪いけど、寒さが和らぐんだよ」


 涼しい顔をして薬草茶を飲むシエロに、マウマウはあくまで顔をくしゃくしゃに歪め、「ああ、そおお」と苦し気に答えている。

 表情豊かなその姿はなんともおかしく、シエロは自然と笑うことができた。


 ちびちびと茶に口をつけながら、マウマウは広場を眺め、すぐ隣のシエロに問いかける。


「狩人の集落とは聞いてたけど、女の人や子供も結構いるんだなあ。皆、昔からここに住んでるの?」

「うん、そうだね。それこそここが――“雪国”になる前から、かな。本当はもっと、大勢の人がいたんだけど……」


 どこか影が覗く少女の横顔を、マウマウは目を丸くして覗き込んだ。

 だが、彼女が真意を聞き出す前に、二人に厚手のローブを身に着けた老婆が歩み寄ってきた。


「初めまして。あなたが、熊を倒した旅のお方、ですかな?」


 マウマウが「ん?」と言葉に迷う一方で、シエロはすぐに「大婆おおばば様」と声を上げた。

 慌てて立ち上がり頭を下げるシエロを、老婆は手で「大丈夫」と制する。


「どーも、はじめましてぇ。あなた、ここの集落の偉い人?」

「名ばかりのひ弱な老婆ではありますが、集落を取り仕切らせていただいてます。以後、お見知りおきを」


 深々と頭を下げられ、マウマウも「ああ、ご丁寧にどうも」と合わせて会釈をする。

 老婆は柔らかな眼差しでマウマウを見つめながら、続けた。


「本当にありがとうございました。あの大熊は、我々にとっては“災厄”のような存在……いつ、集落が襲われ被害が出るか、日々、戦々恐々としていたのです」

「そんな暴れん坊だったんだね、あの熊さん。まぁ、声もでかいし、近所迷惑は良くないもんなぁ」

「ええ、それはもう。しかし、驚きました。まさかあの熊を倒したのが、こんな可憐な女性だったとは。それも、聞けば武器も使わず“素手”で、ということじゃあありませんか。さぞかし高名な武術家の方なのではないですかな?」

「そんな、高名だなんて、とんでもない! “お師匠様”にあれこれ叩き込まれただけだよお」


 正直なところ、集落の人々もその事実を、初めは信じていなかったのだろう。

 怪物級の熊を武器を使わず、女性が素手のみで倒したなど、信じられるほうがどうかしている。

 事実、シエロがその内容を人々に伝えた時、嘲笑あざわらう声すら聞こえた。


 それがまぎれもない“事実”だと分かったのは、熊の解体作業の最中だった。

 熊の肉体に刻まれた外傷――胸部に残された巨大な“打撃”による大穴に、名うての狩人達も戦慄せざるをえなかったのだ。

 

 こうしている今も、人々がマウマウを見つめているのが分かる。

 ある者は警戒を、ある者は畏怖いふを――残念ながら、彼女に向けられる念のほとんどが、どこか刺々しく、鋭いものであることは明白だった。


 災害級の怪物が死に絶えたことは、喜ぶべきことなのだろう。

 だが一方で、それをほふったマウマウの得体の知れない実力が、人々にとっては新たな“脅威”になりつつあったのだ。

 シエロがそんなぴりぴりした視線を感じている中、当の本人はまるで気にせず、大婆おおばば様との会話で盛り上がっている。


 笑顔で言葉を交わす中で、老婆は少しだけ、目の前の“旅人”に切り込んだ。


「時に旅のお方。一体、なぜこのような地に? どのような目的がおありで、こんな辺鄙へんぴな場所に来られたのでしょうか?」

「いやあ、それがさあ。本当なら一直線に“目的地”に向かうつもりだったんだけど、方角が分かんなくなっちゃって。まぁ、ちょっとした“噂”を頼りに、ある“建物”を探しててね」


 老婆が「ほう」と唸る中、隣に座っていたシエロが思わず問いかけた。


「“建物”……こんな山の中に、一体何があるっていうの?」

「まぁ、小耳にはさんだんだよね。この近くに、“氷でできたお城”、ないかな? ちょっとそこまで行きたいんだ」


 その一言で、老婆とシエロの表情が凍り付いた。

 今までのにこやかな空気から一変、老婆は強い眼差しでまっすぐマウマウを見つめている。


「“氷の城”……そこに、行くつもりなのですか?」


 老婆の声の波長が、明らかに変わった。

 しかし、マウマウの笑顔だけはまるで揺らがない。


「うん! そこに住んでるやつに、会いに行きたいんだ。まぁ、色々と話したいことが――」


 あっけらかんと言ってのけるマウマウだったが、彼女の言葉をシエロがさえぎる。


「駄目ぇ!!」


 少女が声を張り上げたことに、マウマウだけでなく、熊の体を運んでいた狩人や女達まで、唖然あぜんとしていた。

 ただ一人、老婆だけは動じることなく、マウマウから視線をそらさない。


「シエロ……?」

「なんで――なんで、“あんな奴”のところに? 絶対駄目……“あんな奴”に近付いたら、悪い事が起きるだけだよ!」


 少女は立ち上がり、拳を握りしめて必死に訴えていた。

 どこか痛々しくゆがむシエロの表情を見つめ、マウマウは唖然とするしかない。


「あなたがどれだけ強くても、関係ない! “あいつ”は、あの熊なんかとは比べ物にならないくらい危険な存在なんだよ!? あんなのは人間じゃない……あれは――“悪魔”なんだ!」


 物騒な言葉の数々を吐き捨てる少女を、老婆は「シエロ」と一言でなだめる。

 少女はぜえぜえと肩で息をしながら、なおも拳を握りしめ、うつむく。


 ぽかんと口を開けているマウマウに、老婆はふぅとため息をつき、シエロの代わりに続けた。


「驚かせてしまいましたな。しかし、旅のお方……その子の言う通り、あなたの探し求めている人物は、いささか危険すぎる。この山を――我々が住んでいた野山を、このような“雪国”に変えてしまったのも、ほかならぬその“氷の城”の主なのですから」


 息を呑み、老婆を見つめるマウマウ。

 何かを言おうとしたが、あくまで老婆に制されてしまった。


「あなたが何をされようが、我々は止めはしません。ただそれでも、年寄りの“お節介”を言うならば――“おやめなさい”。見たところ、あなたはまだ若い。命を無駄に散らしたくないのであれば、“あやつ”には近付かない事です」


 老婆はそれだけを告げ、ぺこりと頭を下げ、去っていった。

 狩人達が広場の後片付けをする片隅で、茫然ぼうぜんとするマウマウと、うつむいて座り込むシエロが残される。


 去っていく老婆の背中。

 そして、すぐ隣で膝を抱えるシエロをしばし見つめ、マウマウは「ふうむ」と息を漏らす。


 遠くには、巨大な熊のむくろを前に、脅威が去ったことを喜び合う狩人達の姿が見える。

 しかし彼らのその笑顔の裏側に、どこかひた隠しにしている、ほの暗い“不安”の種がある事を、マウマウは直感的に嗅ぎ取っていた。

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