第2話 夜と野獣

 焚き火のまきが、また“ぱきり”と心地良い音を立てて砕けた。

 炎の揺れに合わせて、仄暗ほのぐらい部屋の中の影が、一斉に踊る。


 その中でも一際大きな影が、モゾモゾと動く。

 影の動きに合わせ、ミチリ、という音が響いた。


 手にした肉の塊にまた一つ、かぶりつく女性。

 彼女は豪快に骨から肉を引きちぎった。

 口いっぱいの赤肉を咀嚼そしゃくし、その味を堪能する。

 ごくりと音を立てて飲み込んだ後、彼女はありったけのため息を吐き出し、笑う。


「うんまぁーーーい! うん、うんうんうん、いけるいける。全然おっけい」


 彼女の大声を受け、また一つ薪が弾ける。

 手にした骨つき肉を振りながら、彼女は体を弾ませる。


「いやぁ、最初は“狼の肉”なんてくっさいだけかと思ったんだけど、意外とどうして、なかなかいけるもんだね! やっぱりこの野草が中和してくれてるのかなあ」


 “彼女”はあぐらをかいたまま、脇に置いていた椀を手に取り、スープを“じゅるるる”と音を立ててすすった。

 人参や芋の甘味と、一緒に煮込んだ骨付き肉の脂、ハーブの香りが喉元を通り過ぎ、熱と旨味が暴れる。


 また一つ、“ねずみ”の耳と尻尾を持つ女性は「ぐっはあ」と下品なため息をついて笑っていた。

 彼女の対面に座る少女・シエロは、終始、女性の自由奔放な立ち振る舞いに唖然あぜんとするしかない。

 鍋の中の肉や野菜をかき混ぜながらも、視線は“彼女”に釘付けだ。


 この家に招く道中も、そして家に来てからも、こうして夕食を共に囲む間も。

 とにかくよく喋り、そしてよく動く。

 シエロも“ずずっ”とスープで喉をうるおし、「ほう」とため息をついた。


 肉をもちゃもちゃと咀嚼そしゃくしながら、“鼠”の女性が問いかけてくる。


「いやあ、悪いねえ。家にお邪魔しただけでなく、ご飯までごちそうになっちゃってさあ!」

「う、ううん。大丈夫。おかげで、お肉はたくさん手に入ったから」


 部屋の隅には、解体された“ホワイトウルフ”の肉や骨、そして上質な白い毛皮が並べられている。

 シエロとしても思わぬ収穫だったことは事実だ。

 彼女一人では野兎や野草の類で食い繋ぐのが、関の山だったところである。


 シエロはバラバラになった白狼達と、目の前でうまそうにその肉を食いちぎる女性を、順番に見つめてしまった。

 狼を解体する時、シエロは野生の肉体が負った“ダメージ”を、まざまざと見せつけられている。


 嬉しそうに肉とスープを食べる“鼠”の獣人――マウマウと名乗った彼女が狼に叩き込んだ一撃は、どれも“致命傷”だった。

 拳と蹴りという、あくまで肉体だけで放った純粋な打撃は、“狂獣化バーサク”したホワイトウルフらの肉を貫き、その奥に潜む“急所”を的確に、性格に打突していたのだ。


 神業としか言いようがない。

 至近距離で、超高速で雪原を移動する狼の攻撃を避け、あまつさえ交差的に“カウンター”の打撃で仕留めるなど。


 そもそも、あの時の彼女と、口元を盛大に汚しながら食事を平らげるマウマウはまるで別人に見える。

 寡黙に、冷静に狼を迎撃していた彼女と、今の彼女は似ても似つかない。

 あぐらをかいたマウマウの横に、彼女が被っていた鉄兜が置かれていたが、気がついた時にはシエロはその鈍く輝く鉄塊を見つめてしまっていた。


 心ここにあらずなシエロに、マウマウは唐突に問いかけてくる。


「ねえねえ、シエロは一人でここに住んでるの?」

「え――あ、ああ、うんっ。そう……だよ」

「へええ! じゃあ、ご飯とか家のこととか、全部一人でやってるんだねえ! そんなに小さいのに、偉いなあ。こんな雪ばっかりのところだと、色々と暇でしょう?」

「そ、そうだね……って言っても、普段は皆で狩りに出かけたり、罠を仕掛けたりで一日が終わっちゃうんだ」


 また一つ、マウマウが大きく「へええ!」と唸る。

 分かっているのかどうか怪しいそのリアクションに、シエロは苦笑いを浮かべるしかない。


「そっかあ、他にも狩人の人達が住んでるんだねえ。たしかにぃ、近くにいくつか家があったもんね」

「もうこの集落には、十人くらいしかいないんだ。時々、外から旅の人がやってきたりするけど、ここ最近はあんまりそういうのはなかったな。本当にマウマウみたいな人は、久しぶりだよ」


 マウマウは手で「ちょっと待って」と合図する。

 驚くシエロの前で、マウマウは狼の骨を奥歯で砕き割り、ぼりぼりと嚙み砕きだした。

 顎の強さに少女が絶句する中、またもマイペースに彼女は話し始める。


「そうなんだねえ。いやぁ、あたしもまさか、方位磁石コンパス落としちゃうとは思わなくってさ。しょうがないから適当に歩いてたら、迷いに迷っちゃってえ」

「へ、へえ……でも、こんな山、何もないでしょう。どこに行く予定だったの?」

「ん~、ちょっと“野暮用”でね。まぁ、“カン”でなんとかなるよお」


 どうにもあっけらかんとした態度に、シエロの肩の力が抜けてしまう。

 ぱちぱちと炎が揺れ、マウマウの丸く大きな耳のシルエットが壁の上で遊んでいた。


「出発するなら、朝日が昇ってからがいいよ。この辺りの獣は朝はあまり活動しないし、なにより朝日が照る間なら“狂獣化バーサク”も少ないだろうしね」

「そっかあ。あの狼、なんか変な感じだったね。あれが“狂獣化バーサク”っていうんだ?」

「うん。最近、この辺りの獣はおかしいんだ。私達、狩人でも仕留められないような凶暴な奴が、たくさんいるんだよ」

 

 シエロは椀を両手で持ち、“ずずずっ”とスープを飲み込む。

 小さな肉体が内側から温められ、白い吐息が宙に舞った。


「マウマウは凄く強いみたいだけど、それでもやっぱり、早くこんな山は下りたほうが良いよ。今日は狼だったから良かったけど、もし“奴”に見つかったら――」


 シエロの言葉にマウマウは耳を傾けながら、再び大口を開けて骨にかじりつこうとした。

 しかし、突如響き渡った轟音が、二人の背筋にぴりりと電流を走らせる。

 

 吹雪の音をかき消すほどの“咆哮”だった。

 大気の波が小屋を真横から叩き、吹き付ける雪とは違うリズムでぎしぎしと軋ませる。


 シエロが椀を落としかけながらも、慌てて振り向く。

 マウマウはというと、目を丸くして驚き、きょろきょろとあたりを見渡していた。


「なんだあ、今の? 随分とでっかい鳴き声だったなあ」


 のんきに語るマウマウだったが、一方でシエロの顔が見る見るうちに青ざめていく。

 マウマウが「どしたどしたあ?」と問いかけるも、答えることなく少女は立ち上がり、動いていた。


 シエロは焚き火を消し、カンテラの炎も弱めてしまう。

 奥から取り出した巨大な“葉っぱ”で部屋中を仰ぎ、続けてまだマウマウが手を付けていた鍋や椀すらも、バサバサと音を立てて乱暴にはたき始めた。


「ちょ、なにすんのさ!? もったいない!」

「シッ!! 静かにっ!!」


 真剣な表情でマウマウを制するシエロ。

 何が何だかわからぬまま、マウマウはただ黙って少女の姿を眺めていた。


 シエロは唯一の明かりであるカンテラを手に、愛用の弓を携えてマウマウの真横に座った。

 部屋の中はほぼ真っ暗で、消えてしまった焚き火の白煙が、ゆらゆらと天井に上っている。


 ごおごおと吹き付ける吹雪の嫌な音だけを聞きながら、小声でマウマウは問いかけた。


「ねえ、シエロお。どうしたのさ?」

「さっきの雄叫び……“奴”が近付いてるんだよ」

「奴――さっき言ってた、凶暴な獣っていうやつ?」


 弓を握りしめ、シエロは大きく頷く。

 矢筒の中の矢を確認しながら、なるたけ声を押さえ、説明してくれた。


「この辺りの“主”だよ。私達狩人も、絶対にアイツにだけは近付かないんだ」

「へええ、そんなやばいやつなの、そいつ?」

「うん……本当なら、“白氷熊ツンドラベア”はこんな吹雪の中、巣穴から出ないはずなんだ。だけどきっと、“狂獣化バーサク”の影響で習性が変わっちゃったんだよ」


 矢を揃え、さらに即席の“手投げ爆弾”を用意するシエロ。

 備えは四発しかないが、いざとなった時の奥の手だ。


 あの雄叫びが聞こえたならば、明かりを消して息をひそめなくてはいけない。

 “奴”は炎など恐れないし、むしろそれを目印にやってきてしまう可能性すらある。

 食事や人間の“匂い”を、“大葉月桂樹クリアローリエ”の葉によって中和し、できる限り無臭にして痕跡を断つしかない。


 とにかく、今となっては狩人に――否、“人間”という脆弱な生き物にできることは、これくらいしかない。

 小動物が穴倉の奥底に潜むように、ただただ“奴”がこちらに気付かないことを祈り、災厄が去るのを待つのみだ。


 シエロは緊張した面持ちで、中腰で気配を伺っていた。

 最悪、すぐ横で呆けているこの旅人の女性だけでも、逃がさなくてはいけない。

 そんな歳不相応の“使命感”が、自然とその言葉を吐かせていた。


「もし、最悪の場合――“白氷熊ツンドラベア”が襲ってきたら、私が注意を惹きつける。だからあなたは、とにかく逃げることを優先して」


 マウマウが「えっ」と、気の抜けた声を上げる。

 だがそれをかき消すように、巨大な雄叫びがまた一つ、遠雷のように空気を震わした。


 冷汗がシエロの頬を伝う。

 ランタンを手繰たぐり寄せ、大きく、慎重に呼吸を繰り返した。


 いつ、“白氷熊ツンドラベア”が襲ってくるか分からない仄暗い空間に、なおものんきで緩い、マウマウの声が響く。


「そうかそうかあ、その熊ってのが、そんなやばいやつなのかあ。うっし、なら――」


 シエロが気付き、振り返った時には、マウマウは立ち上がっていた。

 彼女はまるで緊張した面持ちも見せず、壁にかけていた外套を手に取り、身にまとう。

 呆けているシエロに「ちょっと借りるね」と壁際のたいまつを手にし、火をつけてしまった。


 その予想外の行動に、シエロは思わず弓を握りしめたまま問いかけてしまう。


「あ、あの……一体、何を――」

「ごめん、ちょっと行ってくるわ。その“白氷熊ツンドラベア”っての? ちょっくら、黙らしてくるよお」


 ついに、息をひそめていたシエロが「はあ!?」と声を荒げてしまう。

 驚愕する狩人の少女を前に、マウマウはまるで躊躇ちゅうちょすることなく、入り口の木戸へと歩いていく。


「いやあ、そいつがうっさいせいで、皆、ゆったりくつろげないんでしょお? ちょっと行って、注意してくっからさ。まぁ、話通じるか微妙だから、いざとなったら拳骨でどうにか黙らせるしかないけど」

「ちょ、まっ、何言ってるの!? 馬鹿なこと言わないで、大人しくしてて!」

「大丈夫大丈夫ぅ~。んじゃ、行ってくるねえ」


 言うや否や、躊躇することなく猛吹雪の中に身を乗り出すマウマウ。

 シエロの叫ぶような制止の声は、まるで効果をなさない。

 無遠慮に、どこまでも無作法に、“ばたん”と音を立てて戸を閉じ、マウマウは出て行ってしまう。


 残された小屋の中で一人、シエロは虚空を見つめたまま、開いた口がふさがらない。

 ただ吹雪の唸りが響く暗闇の中で、持ち上げかけた腰がぺたりと沈んでしまう。


 小さな手が、床に置かれていた鉄兜に触れる。

 指先をどれだけ冷たく硬い感触が刺激しても、頭の中を飛び交う“混乱”が収まってくれることは、まるでなかった。

 


 

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