第6話 京都と春-6

「大丈夫ですか?まだ第一声ですけど、ついてこれてますか?」

「頑張るよ。続けて。」

「七瀬君が今いるここは、京都であって、京都ではありません。僕らは京都の「裏」と呼んでいます。」

「裏……ってことは、京都と全く別の場所ではないってこと?」

「そうです。主要な通りや大きな建物なんかはそのまま残ってます。今向かっている錦市場もそうですね。」

「じゃあなんで「裏」の京都があるの?建物が古いのとかはさっきから見てて思うんだけど、裏の京都と本当の京都ってどう違うの?」

「表の京都には人間、それこそ七瀬くん達……が住んでるわけですけど、「裏」の京都には、妖怪が住んでいます。表と裏で別れてる理由は、まあ、人に見られると不気味がられちゃいますから。」

「妖怪って、あの妖怪?」

「はい。おおよそ七瀬くんの想像している妖怪で間違いないです。街並みや服装が古いのは、単純に昔気質の人が多いからですね。一般的に妖怪って寿命が長いので。」

 駿はもう一度、蛍の頭の先からつま先までをじいっと見つめなおす。服装以外は、どう見たって普通の少年だ。いろんな意味で失礼になるかもしれないが、それを覚悟で駿は言った。

「ってことは、蛍も妖怪……ってこと?その、どうも人間に見えるけど。」

「それはだって、人間に化けてますから。僕は化け狸ですけど、人間の姿のが生活しやすいでしょう?だから基本人間の姿に化けてるんです。」

「でも、なんかそういうのって、手とか耳とかしっぽとか隠しきれないものだと思ってたし……。」

 駿は正直、化け狸という言葉に明確なイメージがなかった。フィクションにもオカルトにも触れた経験が少ないせいか、狸が化ける、というと茶釜のイメージしか浮かばない。記憶の奥底にあった『てぶくろを買いに』の狐のイメージを引っ張ってきて会話するが、どうもそれは化け狸の実態とは乖離しているらしい。

「あのねえ七瀬くん、フィクションじゃないんですから……。そんな不完全な化けかたしかできない子供が一人で出歩くわけないじゃないですか。そんなの育児放棄ですよ。」

——「妖怪」というワードの時点で、ずいぶんフィクションの話みたいだけど……。

駿はそう言いたかったのをぐっと飲み込んで、蛍に続きを促した。

「じゃあ僕がここに連れてこられたのは……?」

「さあ。誰がやったのかも、その意図も僕にはわかりません。多分さっきの蜘蛛の仕業なんじゃないかと思います。襲いやすいように人気のない裏の世界に連れ込んで、その中に動きを封じるために真っ暗な結界❘特定の人を入れたり弾いたりできる——いわゆる小部屋みたいなものなんですけど、それを作って襲ったんだと思います。僕らは表と裏を行き来できますし、人間を連れ込むこともできますけど、実際にやってるのは初めて見ましたね。」

 駿はその言葉に面食らって、即座にまた質問を投げかける。

「じゃあ妖怪って、普通に表の京都に混ざってたりするの?」

「はい。僕らは市場調査のために人間の生活をよく観察しますし、現代の文化に興味を持つ妖怪も少なくありませんから。このあたりにいる妖怪は人間好きが多いですよ。」

「でも……。」

 駿がふと言葉に詰まる。先ほど妖怪に襲われた身としては、蛍の言う事を「はいそうですか」とは飲み込めない。妖怪に襲われて妖怪に助けられたとくれば、どちらを妖怪の本当の姿として認識すればよいのだろうか。

「七瀬君の言いたいこともわかりますが、これに関しては本当です。妖怪がむやみに人間を襲ったりしないよう、ちゃんと管理はされてますし……。」

 駿にはもう、蛍の言うとおりにするしか手立てはない。今更蛍を信用しないと決めたとて、ほかに足掻きようもない。駿は伸ばしてくれた手と、その力強さを信じたかった。

「前例はないっていうけど……、蛍の言う人なら何かわかるかな。」

「安吾さん——僕の叔父さんなんですけど。なら、きっと何かわかります。わからずとも、まあ応急処置くらいは何とかしてくれるでしょう。」

「いやに自信満々だね……。その安吾さんは、さっき言ってた人間好きの妖怪とか?」

「いいえ。安吾さんは別に人間も妖怪も好きってわけじゃないです。」

「じゃあどうして?」

「七瀬くんはさっき、「報酬は出せる範囲できちんと出す」って言いましたよね?なら大丈夫です。」

 蛍は合間に駿の物真似を挟みながら、胸を張り、にっこりと口角を挙げて言った。あまりに堂々とした様子に駿はいささか不安を覚える。

——何か法外な対価を請求されるんじゃないか?

 しかしどうしたって背に腹は代えられない。その安吾さんとやらに報酬を払って、応急処置だけでも施してもらうしかない。急に黙ってしまった駿を見て、蛍は説明ごとや質問はもうないものと判断したらしい。さて、と一呼吸を前に置き、蛍がさっきより一段と明るい声で言う。

「じゃあ、今度は七瀬くんについて教えてください。」

「え、僕から教えられることなんか何もないよ。表の世界のほうも行き来してるんでしょ?」

「違いますよう、もっと個人的な事です。今は何歳なのかとか、好きな食べ物のこととか。」

「聞いてもつまんないでしょ、そんなこと。」

「つまらないとか、そんなことじゃないでしょう。仲良くなるって、そうやってやってくものでしょう。」


 そこから駿と蛍は取り止めのない話をしてしばらく歩いた。七瀬がつい二日前に東京から越してきたこと、新しい学校に通い始めること、今日の学校説明会で会った変わり者の先生のこと。それに好きな食べ物や家族のこと。

 千本通を進んでから後院通に折れ、さらに錦小路通に向かって歩いていく。道中に店などはあるものの、門扉を閉ざしてしまっているために、活気もなく代わり映えのない景色の中を一時間近く歩くことになった。

 駿は雑談の合間に時折「まだ?」や「あとどれくらい?」という文句を混ぜ、そのたび蛍は「もうちょっとですよ」とたしなめていた。七瀬の背景がある程度あらわになったところで、二人の足は錦小路通に差しかかった。

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