第5話 京都と春-5
「……どういうこと?」
どうやら蛍は駿のあずかり知らぬ何かを知っている様子だった。それをなるべく平たい言葉に翻訳しなおすような、ぷつぷつとしたしゃべり方で蛍は続けた。
「何と言ったらいいんでしょう。そのお、急に真っ暗になったでしょう。それを元に戻すことも、そうしておうちに帰ることもできるんですよ。」
「じゃあ何が……。」
「七瀬くん、さっき追ってきたものが何かわかりますか?」
「蜘蛛、かなあ。だと思うんだけど。最近このあたりで噂になってる、鬼蜘蛛だったかな。あれのことかも。」
蛍は小さくなるほど、とつぶやいた。
「僕もその噂は知ってるんです。たぶん、七瀬くんより詳しく。——それを踏まえて、なんですけど、たぶん七瀬くんが一人になると、その蜘蛛はまた襲ってくると思います。」
「それで……家に帰れないってことか。」
「そうです。なので少なくとも七瀬くん、あなたを一人にすることはできません。かといってこのまま僕がずっとついて回ることもできません。昼夜場所問わず、鬼蜘蛛はずっと七瀬くんを追ってきますから。」
「じゃあ僕はどうすれば❘といっても君が困るだけか……。」
蛍は何とも申し訳なさそうに、眉を八の字に下げた。駿は所在なさげな表情で視線をうろうろさせる。不安を紛らわすように、トートバックの持ち手をぎゅうっと握っている。二人の間には思いつめた沈黙が流れる。蜘蛛に襲われて死ぬかもしれないのだ。当人としても、それを見殺しにする方にしても、どう会話を続けたものかわからない。双方が何秒か黙りこくったその時、蛍が口火を切った。
「それでですね、ちょっと駄目元ではあるんですけど。もしかしたら僕の実家——というか、職場というか。そこの人が何とかしてくれるかもしれないです。匿ってくれるか。七瀬くんたちの言うような、お祓いみたいなものをしてくれるとか。でも一回見てもらわなくちゃわからないと思うので……。ちょっと一緒に来てくれませんか?ここから少し歩くんですけど。」
——この子、何者なんだ?実家がお寺とか……?
思いがけない提案に駿は眼を丸くする。和装にしろ、急に真っ暗になった原因を知っている事にしろ、喋れば喋るほど蛍に関する謎は深まっていく。しかし、今までの会話からして悪意がないことは確かだった。純粋に自分の身を案じてくれているのだと感じた駿は、蛍の提案を呑むことにした。
「それじゃあ、お願いするよ。正直これ以外どうしようもないし。」
「といっても、本当に駄目元ですよ。実際に何かするのは僕じゃありませんし。精一杯交渉はしますけど。」
「でも、何もしなきゃまた襲われるんでしょ?僕は基本オカルトの類はよくわかんないんだけど、でも、見ちゃった分にはあの噂も、君の言う「お祓い」のことも、信じなくちゃならない。……報酬というか、お金なんかが要るようであれば、僕の払える範囲で払うから。」
蛍は口角をきゅっと上げて笑った。またしても駿があんまり真剣な顔をするから、少し可笑しくなったのだろう。進行方向を腕で示しながら蛍は言う。
「わかりました!じゃあここから錦市場まで、そうですね、三十分くらいでしょうか。」
「さ、三十分?」
「現代っ子の七瀬くんには少々おつらいでしょうが、頑張ってついてきてください。こっちです。」
——現代っ子なのは、そっちも一緒なんじゃないのか?
いつの間にか、そんな考え事ができるくらいには、駿は安堵していた。
一歩路地に出ると、外は元通りの明るさになっていた。ちょうど日暮れの頃だ。骨の髄を冷やすような冷気は収まっており、他方でジリジリとした春の西日も勢いを弱めていた。あたりの景色は変わらない。古い建物に舗装されていない道、通行人は一人もいない。蛍は当惑する駿を先導しながら話し始める。
「鬼蜘蛛の結界を出られたみたいですねえ。二人で道を歩いている分には大丈夫でしょう。まあ、表には出ない方がややこしくないでしょうし……。」
「その、気になってたんだけど……。」
話を続けようとする蛍を遮って、駿は訊く。
「さっきから結界とかなんとかって……。で、蜘蛛を何とかできるような人がいるって。蛍の家は一体何してる家なの?」
「何をしてるって、うちは商家ですよ。」
「商家って、物売ってお金稼いでる?」
「そうですよ。なんでそんなこと聞くんですか?」
「いや、なんか凄く、特殊、な家っぽいなあと。」
駿は変、という言葉を飲み込んで言った。今の時代、商家という言葉も時代錯誤なような気がしたし、和装のことも説明がつかない。いくら古い家だといっても、この年の頃の子に着物で、それも美しさというよりは機能性重視の服で生活させる家というのはそうないだろう。
「まあ特殊っちゃあ特殊な家ですけど。でもそこまで変な家じゃあないですよ。」
「じゃあ質問を変えよう、かな……。ええと、その服は蛍が選んでるの?」
初対面の人のプライベートに立ち入った質問をするのは憚られる。駿はどうしても奥歯にものの挟まったような物言いしかできなかった。何か核心を言いづらそうにしている駿の様子を見て、蛍は質問の意図を考える。互いに怪訝な目で見つめあった後、何かに納得したような口ぶりで蛍は話し始めた。
「そっかあ!七瀬くんにはまだ言ってませんでしたねえ。」
首をひねる駿をよそに、蛍は一人で「そうだそうだ。」だとか「でもなあ、どこまで喋っていいものでしょう。」だとか、ぶつぶつ言っている。
「その、結構難しい話になっちゃうみたいだけど、何が起きてるのか教えて欲しいんだ。蛍の知ってることの……なるべく全部を。」
「それは全然良いんですが……、僕も人の力になれるに越したことはないですし。ええっと……。待ってくださいね。僕も話し始める前にちょっと整理させてください。今話し始めると多分、ひっちゃかめっちゃかになっちゃうと思うので。」
「だ、大丈夫……。待ってるから。」
そういうと蛍は、さっきの続きみたくうなり始めた。手持無沙汰になった駿は、辺りを見回しながら歩く。
さっきの路地裏から何度か角を曲がって、大通りに戻ってきたようだ。裏通りと違い、道は石畳で舗装されていた。建物も全体的に立派なものが増えている。
中には暖簾の出た店らしきものもあった。人の気配はないが、洗濯物が干してあったり、花に水をやった痕跡があったりと、生活感はある。どちらかというとついさっき、ほんの少し前までは誰かがいたような、そこで生活を営んでいたような雰囲気があった。
——人が住んでるのは間違いないけど、どうして急に消えたんだ……?
ほかの手がかりを探してきょろきょろと辺りを見回していると、蛍は駿の方を振り向いて、ぱっと手を挙げた
「整いましたっ!」
「説明できそう?」
「ばっちりです。わからないところがあればじゃんじゃん聞いてください。いきますよ……えと、まず手始めに、七瀬くんがいるのは、七瀬くんが暮らしていたのとは別の世界です。」
思わずはあ、と間の抜けた声が出る。普通ならここで聞くのをやめてしまうところだが、自ずから説明を求めている以上そういうわけにもいかない。蛍は眉を顰める駿の顔を覗き込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます