第146話 幕間 アメリカ兵が見た死の森が死ぬ瞬間

 死の森。


 俺たちがそう名付けた、トレントによって作り出された街中に存在する森林という実に場違いな空間を俺は遠くから双眼鏡を使ってジッと見つめていた。


 今の俺の部隊の任務は監視だ。


 トレントを始めとした世界各国で突如として猛威を振るった魔物という謎の存在。


 そいつらは出現した場所から一定の範囲内で行動しており、今のところはその範囲外には出ないことが判明している。


 ただしその範囲はいつまでも同じという訳ではないようで徐々に、だけど確実に広がっていくようだが。


 だからこそ俺達はその範囲がどこまで来ているのかを確かめるため、こうして魔物の巣窟となっている死の森などを監視している訳だ。


「あの森の中にはトレントがウジャウジャいるんだよな」

「ああ、そうだ。そして恐らくこうしている間にもその数を着実に増やしていることだろうよ、糞ったれが」


 同じように死の森を監視している同僚が吐き捨てるように言う。


 既に見えている街から民間人の避難は終えていた。


 というかこの時点でまだ魔物の行動範囲内にいるようなら、そいつはとっくの昔にトレントの群れによって呑み込まれて死んでいるに決まっていた。


 なにせ死の森とその中枢であるダンジョンとやらを攻略しようと乗り込んだ選りすぐりの覚醒者を集めた精鋭部隊ですら、その目的を果たすこと叶わず撤退するしかできなかったのだから。


 それも少なくない犠牲を出した上で。


「それなのにこれからやってくる助っ人とやらは死の森を攻略できるって言ってるらしいぞ。それもたった一人で。ぶっちゃけ信じられるか?」


 既に日本からアメリカに到着しているその助っ人の二人とやらは、それぞれ別のダンジョン攻略のために動き出しているとのこと。


 そしてその内の一人が間もなくここに到着するはずだった。


「ハッ! んなの信じられる訳がねえだろ」

「まあそうだよな」


 どれだけ腕の立つ覚醒者だとしてもたった一人で何ができるというのか。


 どう考えてもトレントの大群という数の暴力の前に蹂躙されるとしか思えない。


(上だってその程度のことは分からないはずがないだろうに、いったい何を考えているんだ?)


 正直に言うと大いに疑念を感じてはいる。


 だけど正式な命令が出されている以上、軍人の自分はそれに従うしかなかった。


 そんなことを考えていると通信が入る。


 それによると間もなく助っ人を乗せた車がここに到着するようだ。


「さて、どんな強者様がやってくるのかねえ。せめてこの死の森の異様な光景を見てビビらないと良いんだけどな」

「まったくだ」


 大いに皮肉を感じさせる言葉を吐く同僚の言葉に心の底から同意する。


 ただしそうして呑気な気持ちでいたられたのは、近づいてくるその車が双眼鏡で見えてくるまでだったが。


「おい! な、何だ、あれは!?」

「あ? 何って軍用車だろ。例の助っ人とやらを乗せてる」

「それはそうだけど、そうじゃなくて!」


 確かに例の車が近づいてきているのは間違いではない。


 だけど問題はそうではないだろう。


 だってその車からは、半透明な無数の糸のようなものが周囲に伸びていたのだから。


 しかもその糸はウネウネと動き回っているのである。それは明らかに尋常な光景ではなかった。


「おいおい、どうしたってんだ? そんなに慌てて」

「どうしたって……まさかお前にはあの妙な糸が見えてないのか?」


 そうでもなければこの異様な光景を見て落ち着ていられるとは思えない。


「糸? 車じゃなくて?」


 案の定、同僚には近づいてきている車しか見えていないことがその言葉から分かる。


(どうして俺にだけ見えているんだ? いや、それよりもあれは触れて問題ないものなのか?)


 あの糸は何なのか。


 それが発生していると思われる車の中はどうなっているのか。


 そもそもあれを作り出しているのは誰なのか。


 そんな風に疑念はいくらでも湧いてきて尽きることはない。


 だけど見えていない同僚からその答えが返ってくるはずもなかった。


 唯一つ心が休まることがあるとすれば、それは通信でその軍用車の中にいるやつらと連絡が繋がっており、そこでの会話から察するに誰かが害されている訳ではなさそうだということだろう。


(どうする? このままだとあの糸に俺達が飲み込まれるのも時間の問題だぞ)


 糸の発生源である車が近づいているのだからそれも当然のこと。


 急に様子がおかしくなったこちらを訝しんでいる同僚はあれを回避するという選択肢がそもそも存在しない。


 だとしたらその選択を取れるのは自分だけということになる。


(何か分からないがこちらに危害を加える物である可能性を排除できない以上、安易に触れるのは危険過ぎる)


 そう判断した俺が一先ず困惑した様子の同僚にこの場から離れるように告げようとした時だった。


 その無数の糸がまるで幻だったかのように消え去ったのは。


「き、消えた……?」


 先ほどまで地面を這うように、あるいは空中を自由に泳ぐようにして視界の中に存在していた無数の糸が今は全く見えなくなっている。


 それこそさっきまでのは自分だけが見えていた幻覚だったかのように。


「おいお前、さっきから様子が変だぞ。大丈夫か?」


 心配する同僚には悪いが、訳の分からない展開が続き過ぎて応える余裕はなかった。


 そうしている間に車は到着して、中から人が降りてくる。


 その中に見覚えのない人物が一人だけ存在していた。


 下車するなり懐から取り出した煙草に火を点ける若い女性。


 あれが例の助っ人の一人なのだろう。


「ねえ、あなた。さっきの慌て始めた様子からして見えてたでしょ」


 叶恵と名乗った彼女は私に近づくや否やそう尋ねてくる。


「み、見えていたとは?」

「エネルギードレインの力場……って言っても分からないか。私がここに到着する直前まで展開していた無数の触手みたいなののことよ」


 その言葉で先ほどまで見ていた光景が幻覚ではではなかったこと。


 そして目の前の彼女が異様なそれを作り出していたことを理解する。


「それで聞きたいんだけど、あなたってHPとかMPを吸収する系統のスキルを持ってない?」

「……確かに持っているが、どうしてそれが分かったんだ?」

「やっぱりね。さっきのあれもそれ系のスキルによって作り出されたものなんだけど、同じ系統の能力を持っている存在には感じ取れちゃうのはあっちと一緒な感じなのね。だとすると今後は魔物でも見れる奴が出てくるか……。まったく、面倒な話ね」


 一人で勝手に納得している目の前の女性はこちらの質問に答えることなく、どこからともなく取り出した槍を手に死の森へと歩き出す。


 それこそまるで散歩でもするかのように気楽な足取りで。


 しかも自分以外の隊員が助力は必要ないのかと尋ねても、他の人がいると邪魔だからそこで見ているようにとバッサリ切り捨てて。


「念のために忠告しておくと、早めに片付けるためにちょっと本気を出すから下手に近づいたら命の保証はしないわよ。もし追って来るならそのつもりでー」


 さっきまでの俺ならその言葉を聞いたら、こちらを舐めているか馬鹿にしているのかと反感を抱いたことだろう。


 現に隣の同僚はそう思っているのが分かる顔をしている。


 だけど今の俺はそんな気持ちになれなかった。


 だって分かってしまったのだ。


(……そうだ、俺が慌て始めただって?)


 妙な光景を見た俺が慌て始めたのは双眼鏡でどうにか車を捉えられる距離だった。


 だとしたらどうやったかはまるで分らないが、それを車の中にいた彼女は正確に把握していたことになる。


(それにあの糸が俺のHP吸収攻撃と同系統のスキルなのだとしたら……)


 その答えはすぐに明らかとなった。


 何故なら彼女が進んでいった先で、それまで生い茂っていた木々が急速に枯れ始めたからだ。


 しかもそれは魔物であるトレントでも関係ないらしく、彼女の身体から発生した無数の糸に触れた全てがその命を容赦なく刈り取られていくではないか。


 いやきっと正確には命を吸い取られているのだろう。


 彼女が持っているそれ系統のスキルによって。


「な、何が起こっているんだ……?」


 それを見た同僚が恐怖に慄いた言葉を発しているのを聞きながら、その場にいる私達は死の森の存在する全ての生命が死に絶える様を目の当たりにすることとなった。


 何があっても彼女と敵対することだけは絶対に御免だという恐怖心を抱きながら。

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