第86話 消えぬ悔恨と託す希望

 その日の夜、一人で俺の元にやってきた一鉄には全ての事情を説明した。


「無限の魔力とやらも驚きだったが、まさかあの聖女が敵にやられてるなんてな」

「だろうな。言ってしまえば俺のミスさ。俺がもっと上手くやっていれば美夜は死なずに済んだはずだからな」


 今更な話だが、魔物が現れるという突然の事態に俺は色々と判断を誤った。


 その結果が美夜を失うという最悪の結末に繋がったのである。


 その事実は今日に至るまで一日たりとも忘れてはいない。


「気に病むな、とは俺が言えた義理じゃねえか。その気持ちは嫌ってほど分かるしよ」


 これは安易な慰めなどではない。


 だって異世界で一鉄は俺と同じような思いをしているのだから。


 こいつは戦いに向かない能力だろうと知ったことではないと無茶と無理を押し通して戦った。


 それは一緒に異世界に行った自身の妻を守るために。


 だがそれにも拘らず、最終的には自分の妻を魔物にやられてしまった。


 しかも悲劇はそれだけに留まらなかったのだ。


「……俺は今でも夢に見るんだ。アンデッドと化したあいつを、妻をこの手で仕留めたあの最悪の日の事を。何年も前の事だってのに我ながら情けねえ限りだよ」

「それは俺も一緒だよ」


 美夜の事だけではない。異世界でかつての友だったアンデッドを仕留めた時のことだって俺は忘れたことはないし何度も夢に見ている。


 それらはどんなに時が経っても忘れようもない記憶だから。


「全然一緒じゃねえよ。その時の事がトラウマとなってまともに武器が持てなくなった俺と、それでも戦い続けてるお前じゃな」

「何度も言うが無理だけはするなよ。あんたは前科があるんだからな」


 妻を魔物に殺された一鉄は怒り狂い、異世界でも危険な薬物を使用して戦い続けたらしい。


 その結果、多くの魔物を屠るという戦果は挙げたものの身体や心への負担は計り知れなかった。


 そんな心身ともに疲弊し切った状態で、かつて妻だった存在を自らの手で屠ったのだ。


 そこで無理を押し通し続けていた一鉄の心はきっと壊れてしまったのだろう。


 それ以来、武器を持つと手が震えて止まらないそうだ。


 魔物や魔族は憎くて殺すことには躊躇いなど欠片もないというのに。


「戦う際どころか、さっきみたいに錬金術を使って武器を強化する時でも震えが止まらねえんだ。ほんと情けねえ話だよ。あの世で待ってるあいつも、きっと呆れてるだろうな……」

「……」


 かつての全てを失った時の一鉄が零した言葉を俺は覚えている。


 こんな思いをするくらいなら異世界で生き返らずに妻と一緒に死んでおけば良かった、という深い悔恨が宿った言葉を。


 それを知っているからこそ俺は一鉄にこれ以上の無理をさせる気にはなれなかった。


 だってこの男はもう十分過ぎるほど戦ったのだ。それも守りたかったものを守れないという最悪の結末を迎えた上で。


 それでもまだ戦わせるのはあまりに鬼畜の所業ではないか。


「……おい、譲。お前は何としても聖女を生き返らせろ。そして絶対に俺のような愚か者と一緒になるんじゃねえぞ」

「ああ、分かってるさ」


 こちらでは異世界に存在しなかった蘇生スキルが存在している。


 つまりどんな手を使っても取り戻すことの叶わなかった一鉄の妻と違って、美夜にはまだ生存の可能性があるのだ。


「そのためだったら俺はなんだって協力してやる。なんならこの命だってくれてやらあ」

「ありがたい言葉だけど、どうしてそこまでしてくれるんだ? あんたは別に美夜とはそこまで親しい中でもなかっただろうに」

「別に聖女のためでも、お前の為でもねえよ。ただお前の話を聞いてふと思ったのさ。俺とあいつと似たような境遇であるお前と聖女が救われれば、いつまでも燻ってばかりの俺の気持ちも少しは楽になるかもしれねえってな」


 その目は俺の事を見ておらず、ここにいない誰かの事を思い出しているのが分かった。


 きっと今でもこいつは亡くなった妻の事を愛しているのだろう。


 だからこそ消し去れない後悔も抱えて続けているのだ。


「まあ要するに勝手な希望の押し付けさ。悪いな、この大変な状況で余計なもんまで背負わせちまう形になってよ」

「いや、構わないさ。むしろ感謝しかないよ」


 だって一鉄の立場からすれば悔しくてたまらないはずだ。


 自分の時は救う手立てなどなかったのに、どうして今になってその可能性が生まれたのかと。


 何故自分達はダメで、他の奴らの時には救いが用意されているのかと。


 ふざけるな、ズルい、不公平だ。感情に任せてそんな言葉を投げつけてもおかしくないだろうに、それでも目の前の男はそんな言葉は一つも漏らさずにこちらに協力すると宣言してくれた。


 その心意気に敬意と感謝を抱かずにいられるものか。


「ありがとう、一鉄。俺は必ず美夜を生き返らせて、その恩に報いるとここに誓うよ」

「野郎からの感謝なんてもらっても嬉しくも何ともねえよ。それよりそんもんを俺に寄こす暇があるなら、もっと他の大切な人に時間を割けってんだ。……失ってから悔やんでも遅過ぎるんだからよ」


 かつて異世界での戦いを生き延びた一人の戦士のその言葉には深い悔恨の念が込められているのだった。

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