第106話 天羽佳之助(元造船所社主)[3]

 いまは勢いで「たまったもんじゃねえや」なんて言ってしまったけれど、やっぱり楽しかった。

 あのころ、造船所で遅くまで残った工員と、漁港のところにテーブルを出して、花火の音を聞きながら、そしてラジオで野球中継を聴きながら、野球が終わるまでビールを飲んでいたこともあった。そんなときには、てるがつまみを作ってくれることもあった。

 それに、そんなときには、あの嫌がらせばっかり仕掛けてくる三善みよしの造船所の連中も、おんなじように外で夕涼みしていて、挨拶ぐらいは交わしたものだ。

 もちろんあの三善祥造しょうぞうはそこにはいなかったけれど。

 佳之助かのすけ氏の造船所からは、途中に姫森ひめもりという森があって、直接は花火は見えなかった。

 あの頃はそれでも楽しかった。

 「でも、あのホテル作ったやつ、自分でホテルつぶしてしまいやがってよ、それからなんかわけのわからんガラスのぴかぴかの博物館とか作ってそれもつぶしやがって、それ以来、村はさみしいもんさ」

 あのホテルはなくなった。

 博物館はいまもあるが閉まったまま、そして、あの、いつもうっとうしく見上げていたあの三善祥造の「いわし御殿」もなくなった。

 せいせいする。せいせいするが……。

 口を結ぶと、なぜか涙が出そうになったので、また二合瓶から冷酒を注ぐ。二合瓶が空いた。

 「おい、もう一本!」

 「速すぎますよ、お兄さん。次ので一しょう瓶一本飲んだ勘定ですよ」

 つん子さんは言う。

 たしかに速すぎる。

 「へっ! それぐらいがちょうどいいペースだってんだ! おれだって自分の調子ぐらいわかってやってるんだからな」

 「はいはい」

 それでも、つん子さんは、いまの一本と、その前の一本の空き瓶を回収すると、新しい一本を出してくれた。

 「ところでさ」

 隣の客も、つん子さんに燗酒かんざけを頼んで、話しかけてくる。

 「先輩、甲峰こうみね? さっき永遠ようおん西町って言ってなかったっけ?」

 「ああ、だからよ」

 どう言ったものだろうか。

 「甲峰って、不便なんだよ。やっぱり遠いだろ? それにそんなに住みやすいところでもないしよ」

 住みにくさの説明を延々としてもいい。でも、めんどうだった。

 せっかくいい気分になっているのに、あんな三善祥造のことなんか思い出すのはいやだ。

 そうだ。あの孫娘……。

 あのハレンチ事件を起こして学校を追放になって、行方不明になった孫娘は、どうしているのだろう?

 もう生きてはいまい。

 それとも、このつん子さんみたいな親切な人に拾われて、どこかでこのつん子さんと同じように暮らしているのだろうか?

 また、涙がにじみそうになる。

 そんなはずがない。

 帰郷きごうに生まれた人間なんか、どんどん不幸になればいいと思っているのに。

 今度は勢いよく新しい一本の一杯めをあおる。

 「だから、いろいろあって、家、新築することにしたんだよ。永遠寺町西二丁目ってところによ」

 隣の客が、ふっ、と、燗をしたお銚子ちょうしに伸ばしかけた手を止める。

 じっ、と、自分のほうを見ているようだ。気にせず続ける。

 言い出したら、止められなかった。

 「そしたら、今朝、ブルドーザーの陥没かんぼつ事故とか起こしやがって、工事中止だとよ! それに、遺跡が出て来たとか言いがかりをつけやがって、調査だとよ! で、調査拒否すると、なんとか罪とかで逮捕だとよ! やってらんねえぜ」

 ああ、いままでセンチメンタルな気分だったのが、急にいやな気分に取ってかわられやがった。

 しかたないので、もう一杯、勢いをつけてあおった。

 つん子さんが何か話しかけようとした。でも、隣の客が、手を止めたまま、じっ、と自分を見ている。

 何かまずいことを言っただろうか、と、佳之助氏はその男を見返した。

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