第105話 天羽佳之助(元造船所社主)[2]

 「あのころはねえ」

 つんさんがふうっと息をついた。

 「バブルっていうのかな。とにかく条件いいところがいくらでもおカネ出してくれたから、人がかなくて」

 で、ふふっ、と笑う。

 「わたしもこの店たたもうって考えたことがあったぐらいだから」

 「ああ」

 隣の男は知っているのだろう。

 「なんか、甲峰こうみねのリゾートホテルのテナントに入らないかとか言われたんだったな」

 佳之助かのすけ氏はぎくっとした。

 つん子さんが

「ええ。でも条件が折り合わなかったのと、ここ、やっぱりやめたくなかったからね」

と言う。まだちょっと残念そうだ。

 「甲峰のリゾートホテルってあのヴァンセンヌってところかい?」

 横から言って、佳之助氏は、また、けっ、と喉を鳴らした。

 「やめとけやめとけ。やめといて正解だったぜ。あんなの村のカネ持ちが道楽で作った遊園地みたいなもんじゃねえか」

 あの三善みよし祥造しょうぞうが、還郷かんごうりゅうの猛反対を押し切って誘致したのだ。

 「おお、詳しいね、先輩」

 隣の男が言う。

 佳之助氏はうなずいた。

 「あんなのさ、なんか村じゅうがリゾートみたいなうわついた気分になりやがるしよぉ、夏なんか花火だぜ、花火。花火大会で、早い時間からじゃんじゃんじゃんじゃん音楽かけて。うるさいったらありゃしない。しかも夏は毎日だぜ。そんなんじゃ神経参っちまうわなぁ!」

 ところがつん子さんは

「ああ。あの花火大会やってたところ!」

と嬉しそうに言った。

 「ここからも見えましたよ。いや、うちからはだめだけど、駅前のしまうまビルの屋上からはね」

 「しまうまビルって何だい?」

 佳之助氏がきくと、となりの男が

「むかし駅前にあったんだ。黒と白のしま塗装とそうだったからしまうまビルってな」

とうるさそうに説明する。つん子さんは続けた。

 「夏で、お店が休みの日には、夕涼みも兼ねてしまうまビルの屋上に入れてもらって、見物したもんですよ。ここだとさすがに遠いから、遠くの空に小さく赤いたまが上がったり、青いたまが上がったりしか見えなかったけど、それでもけっこう楽しんだもんですよ。そう。あれがそのヴァンセンヌってとこだったのね!」

 「それはここから見るとそうだろうけどよ」

 佳之助氏はまた猪口ちょこいっぱいの冷酒をあおる。もっとも今度は半分だけにしておく。

 「下にいたら、上で毎日爆発が起こってるようなもんでさ。火薬くせえしよ。たまったもんじゃねえや」

 「ああ」

 つん子さんは笑顔のままため息をついた。

 「でも、にぎわってるのはいいことですよ」

 つん子さんが言う。

 「あの頃は、どこもかしこも賑わって、活気があったもんですねえ」

 そう言われれば、そうだと思うのだ。

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