第100話 三善結生子(大学院学生)[2]

 「じゃ、次ね」

 折り目があって、折ったところがぼろぼろになっている紙だ。走り書きのように何か書いてある。

 例によって、読めない。しかも、行書とか草書とかいうのより、強烈な書きぐせのような感じがするのだが。

 「これ、最近の、って言うか、明治以後の、なんかのメモ書きみたいなんですけど」

 「うん。とりあえず、次、最後ね。これは?」

 長方形の小さめの紙に、ほんと「無骨ぶこつ」というのがいいような字で書いてある。難しい字があるとそこだけ左右にはみ出し、その大きな字の下に隣の行がふらふらと迷い込んでいる。なんか下のほうの行が全体に右になびいていて、左下に空白がある。

 下手。でもこれなら少しは読める。時候の挨拶あいさつのあとに、最近商売を始めてどうこう、という文章らしい。書いてあるのは、「変体漢文」とか「そうろうぶん」とか言われる、江戸時代まで普通に文書に使っていたものだ。

 「これは江戸以前かな?」

 「結生子ゆきこちゃんねえ」

 先生はタブレットを閉じてまたしまいながら、横目で結生子を見て言う。

 「最後のははがきよ。江戸以前のはずないじゃない?」

 わかっててやったのか、このひと……!

 でも、結生子は自分の判断の根拠を提示して、言う。

 「でも変体漢文でしたけど?」

 「昭和の初めごろまで、候文で手紙書くひとはいたわよ」

 にこりともせず、先生は講義する。

 「ひとによっては、戦後になっても候文書いてるから。もちろん毛筆で。「昨夕さくゆうテレビで拝見はいけんそうろう」とかさ、何それって思うよ。だからだまされないようにしないとね」

 この先生でも「何それって思う」んだ。

 ふぅん……。

 先生は、タブレットをしまって、車を発進させようとハンドルを握って前を向いて姿勢を正した。

 でも、さっき、三分待って、と言った相手はいいのだろうか。

 と思ったら、自分で気がついたらしく、スマートフォンを取り上げている。

 その途中で結生子と目が合った。

 「でも、それ以外のは、結生子ちゃんとわたしとはだいたい同意見よ。確信持てた。よくやったわね!」

 早口でそう言ったところに相手が出たらしい。

 「ああ。あゆちゃん? いまのだけど、やっぱり前のと同じで、いろんな時代のが混じってる。江戸の後期から大正か、もしかすると昭和初期? で、明治の文書でも貴重だから、って言って、きくようなひと……? ……ああ、そうかあ。あの子じゃ、強引ごういんな説得とかはしないよね。うん。わかった。これから行く。わたしが」

 はいぃ?

 「まあ飛ばしても二時間はかかると思うけど」

 どこまで行く気だ?

 というか。

 まず、飛ばすな!

 「うん。そのひとに待っててもらって。うん。……ああ、それならいいわね。うん。また連絡する。今日は、ずっと電話出られる? ああ。……それはご飯とかお風呂とかはもちろんあるよね? まずメール送る。ひとまず、あ、ちょっと! あの子、出て来られないかな? ほら、あの子……」

 相手がだれかわからないけど、あの子じゃわからないでしょ……。

 「ほら、この前調べに行ったときに来てた……。うん。あの子、髪型があの中途半端な、なんていうの、最近はツインテールっていうの? うん。ああ、テールにはなってないか。うん。あの子。あなたとその子の両方のお友だちでしょ? いてくれるだけで場が和むし、ときどきいいところに気づいてくれるし、助かる。でも夜だから無理かな……。ああ。うん。じゃ、お願い。じゃこれでひとまずね。うん」

 先生は、ふうっ、と大きく息をついた。

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