第86話 堀川龍乃(中学生)[2]

 左側には、オレンジ色の屋根が黒く汚れ、窓も入り口も木の板で覆われた家が見える。

 もともとはおしゃれな家だったのかも知れない。

 その家の話をしようかと思ったが、うまく話にできなかった。

 正流せいりゅうも何も言わない。しかも、坂はますますきつくなってくる。

 ちらっと横を見る。

 海が遠くまで見えていい感じだ。でもそんなことを話す余裕はない。

 いや、今度は波打ち際までは入らなかったけれど、さっきは海のすぐ横にいたのだ。それが、ちょっと来ただけでこんなにながめがいいって、どういうこと?

 坂がそれだけきついということ。

 ほんと、正流のいうとおり、崖なのだ。

 もう少し後ろに振り向けば正流の顔が見えるのだが。

 汗が髪から飛び散る。あごから首へと流れ下る。

 向こうの海が、何かにさえぎられて見えなくなった。

 ビル?

 それは、コンクリートで固めた、円錐えんすいみたいな、塔みたいなものだった。周りを低い柵で囲ってある。

 窓はないから、ビルではなさそうだ。

 むしろ、崩れやすそうな道の横をコンクリートで固めている壁みたいだ。

 それとも何かのトンネルだろうか? いや、トンネルが上向きについてるなんて、ゲームじゃあるまいし。

 「ねえ」

 龍乃たつのは正流を振り向いた。正流は相変わらずまじめな顔で自転車を押している。

 「うん?」

 「これ、何かな?」

 「これって?」

 ちょっと怒ったように言う。

 「この右側のでっかいやつ」

 「は?」

 「でっかいやつ」ではわからないか。だったら、「でっかいコンクリートのやつ」と言えばいいんだ。

 「ああ」

 わかったようだ。その「でっかいやつ」の上に上がる狭い階段の横を通り過ぎる。

 「馬塚うまづかだよ。いちばん上に、その塚っていうのがある」

 塚……?

 「何それ? 馬の何か?」

 「いずみ主馬しゅめって言われて、わかる?」

 わからない。

 「だれよ?」

 「あの玉藻たまもひめ騒動っていう話の終わりのほうに出てくる、暗殺された若殿」

 「あ……ああ」

 そういう話はきいたことがある。

 でも、あんまり詳しくは知らない。

 その玉藻姫騒動っていうのは、江戸時代にこの岡平おかだいら市のあたりを治めていた岡平藩というところで、たしかそこの殿様が三人ぐらい次々に殺されたとか、そういう話だったと思うけれど。

 「塚っていうと、そのひとのお墓?」

 「いや。お墓はうちにある」

 そんなことばが平気で出てくるところがすごい。

 「あ。ああ、そうか」

 こいつの家は、小さいとは言っても、その岡平藩を治めた大名の墓がある寺なのだ。歴代の大名とその家族の墓がこの正流の家の寺にある。

 「その若殿が暗殺された場所だよ。それを記念して、っていうか、供養くようするっていうか、そのために、こんな塚を作ったってことなのかな」

 「へーえ、よく知ってるね」

 すなおに感心する。

 「昔、親に連れられて来たとき、きいた」

 親、というのは、正流のお父さんで、つまり永遠ようおんのお坊さんだ。

 それはまあそういう話もしてくれるよね。

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