第82話 三善結生子(大学院学生)[7]

 「宮永みやなが炊夫すいふまち琴屋ことや佃屋つくだや主計かず右衛門えもん家の手代てだいであった初代琴屋兵衛へえ主家しゅかから許されて新たに開いた店である」

 あ、出た!

 この佃屋主計右衛門というのは、この讃州さんしゅう易矩やすのり結託けったくして巨利をむさぼったとさんざんな評判の商人だ。

 この佃屋という店は、後の天保てんぽうの飢饉のときに米を大量に隠していると噂されて、周辺の農民から町人まで加わった徹底的な打ちこわしを食らった。訴えを受けた藩からの問い合わせにも回答せず、傲慢ごうまんな態度を取り続けたことが、人びとの怒りを増幅したらしい。

 店主一家は逃げ出し、たぶん藩内から逃げ出して行方不明となり、店はそのまま消滅したという。

 この天保の打ちこわしで店を壊された店主は同じく主計かず右衛門えもんという。讃州と手を組んでいたという店主の孫か曾孫ひまごだ。

 そして、その店主の悪評が、たぶん相良さがら讃州と組んだという祖先の悪評と互いに増幅しあっている。

 この相良讃州と同じ世代の主計右衛門という店主は、町人の日記にはわりと温厚な人物として登場する。讃州易矩も町の人たちには温厚で愉快な人物と思われていたので、いいおじさんたちのコンビだったようだ。

 でも、この佃屋は、人物はどうあれ、商売のやり方はシビアだったらしい。

 で?

 「この琴屋の現当主某氏が、琴屋初代弥兵衛から伝えられている話として言った。弥兵衛は言った。佃屋当主主計右衛門は嘆いて言った」

 これは、讃州と同時代の店主のほうだろう。

 讃州とコンビだった主計右衛門が言ったと初代弥兵衛が言い、そのことばが弥兵衛の子孫の某氏に伝わったわけだ。

 「瀚倫かんりんこう従達よりさとが亡くなってしばらくしてから讃州易矩は人が変わった。臣下の身分を守らず、主家のぶんおかし、主家しか行ってはならないことを平気で行うようになった。いくら当主が幼くて在国しないといっても、主家の祭祀さいしにまで出て行って主人のような顔で座っているのはよくない、と。それまで讃州易矩に従っていた相良家の与力よりきや臣下も徐々に離反した。佃屋主計右衛門も讃州易矩と親しくするのを避けるようになった」

 あ。

 いや。ちょっと待て。

 主家の祭祀……?

 つまり、これを信じれば、あのかたくるしい士族しぞくの話がひっくり返る。

 永遠ようおんへの参詣さんけいは、もちろん「主家の祭祀」の一つだ。あの堅苦しい士族によれば、その参詣には藩主家のいずみ家の関係者しか出席せず、相良家の讃州易矩が加わることなどあり得ない、ということだった。

 だが、讃州易矩が主人顔で首を突っ込んだという「主家の祭祀」が、もし永遠寺への参詣のことだとすれば?

 讃州には永遠寺に行く機会はあったわけだ。しかも、たぶん、儀式の主人の立場で。

 そうとは限らないけれど、たとえその「主家の祭祀」が別の儀式だとしても、それを通じて永遠寺と関係を持ったかも知れない。泉家の宗教行事ならば、祭祀を主導していたのは、たぶん永遠寺の僧だ。

 琴屋弥兵衛の言っていることを信じるならば、この時期の讃州易矩は永遠寺と関係を持つチャンスがあった。

 あの「あらの」というめかけ腰元こしもとは、たびたび「岡下おかしたやほかの土地」に行っていたという。

 岡下に行っていたのは、永遠寺と連絡を取るためだったのか。

 そのCABINETキャビネット(内閣?)とかには僧形そうぎょうの者も参加していたという。

 これまで、みんな、永遠寺とこの讃州易矩は敵対関係だとなんとなく信じていた。

 永遠寺は泉家の菩提寺で、前の記事にあったように、相良家とは檀家だんか関係がない。

 その泉家の本家を相良讃州は断絶に追いやった。だから、敵どうしなのだ、と。

 だが、裏で両者が何か関係を持っていて、それの「つなぎ」役がこの妾の腰元だったとすれば?

 「讃州のCABINETキャビネット」にも永遠寺の僧がかかわっていたとすれば?

 ともかく、その妾の屋敷の「CABINETキャビネット」で何かが決められていたのだ。男児など生まれていないにもかかわらず、男児誕生の祝いだとして百両を支出して何かを買ったのも、それと関係があるのかも知れない。つまり、機密費とかいうような、使いみちを隠したいおカネなのだ。帳簿には男児誕生と載せておいて、ほんとうは別のものを買ったのだろう。また、主君行稚ゆきわかが襲撃されたのに犯人を取り押さえなかった讃州の行動も、それと関係が……。

 陰謀論めいてきた、と、結生子は自分で思う。

 わざわざ英語で「CABINETキャビネット」と書いているインパクトが強すぎるのだ。

 男どもが何かの趣味のサークルの集まりにその「あらの」という妾の屋敷を使っていただけかも知れない。この話を伝えた女性だって、自分は若くてよくわからなかったと書いている。僧侶そうりょだって、いまでも街でときどき見かけるのだから、当時はもっとたくさんいただろう。永遠寺の僧侶とは限らない。いや、永遠寺は支藩しはんとはいっても隣の藩なのだから、その僧がわざわざここまで出てくることもないだろう。

 ただ、これと同じ時期に永遠寺の塔頭が焼亡したことは事実らしい。それと、この時期の讃州易矩の行動に、何か不審な影がつきまとうのも……。

 何があったのだろう?

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